一ヶ月はあっという間に過ぎてしまった……。
本当にあっという間に過ぎて、なんだか嘘みたいだ。
「うん、篠崎は最近頑張っているな。ここのところの小テストも出来が良いし、授業もしっかり聞いていて大変よろしい」
たまたま来た職員室で出会った先生達にはそう褒められ、体育の時間にはクラスメイトから……
「お前、なんでクラブに入らないんだ? 今からでも頑張ればレギュラー狙えるからうちに来ないか?」
など……そんな言葉が語られるようになっていた。
当然、家にやって来たスパルタ教師二人が昭和のノリで熱血スポ根マンガのような特訓をするものだから体力は確かに向上したと思うし、阿呆には魔術など使えないとか言って罵倒しつつ強制的に家庭教師をするから……まぁ、確かに役には立っているのだが、俺の意思はまったく無視してそういう状態になっていた。
一ヶ月はだらだら過ごせばなんでもない時間だが、そこに命の危機が現実に存在するが故、本気になれば確かに膨大な時間だ。
何しろアデットとの約束で制約さえ作っていたのだから、その辛さは想像に難くないだろう。
今のところ日課には一日10キロメートルランニングなど、帰宅部らしくないメニューが追加されている。
そうそう……アデットの奴はあれだけふざけているくせに、確かにすごい人なのだとは思う。
例の浅海の薬は十日くらい前に一応の抑制剤としての完成を終えていたのだ。
ただ、完全な治療薬となれば時間がさらにかかるとの事……同棲生活は一応終結したわけだが、何故かあの二人は未だに泊まりに来たりする。
庭に作ったガーデニングの植物が心配だとか、家にある文献が面白かったとか……そんな理由をつけてはスパルタ教育に来るのだから、彼女達魔術師の根っこにあるものはどうもみんな同じような気がする。
「公明さん? 今日は放課後にうちの部室まで来てもらって構いませんか?」
誘われたのは誰も近づかない幽霊倶楽部の部室、その金髪の部長は化学の授業が終わったときに俺に近づいてきてそれを告げた。
「約束をちゃんと守ってもらえたようなので、例のプレゼントを差し上げますから」
忘れていたプレゼント、何でも貴重品らしい何かをくれるという話だったな。
「ああ、わかった。浅海や綾音も来るのか?」
「さぁ? どうでしょう、来て欲しいですか?」
彼女の妖しげな雰囲気は、それだけで何かしらの危機を告げようとしているみたいだった。
「いや、来なくて良いです。絶対に来なくて良い。というか、絶対に呼ぶな」
俺が力強くそう言ったのを聞いて、相手は苦笑する。
そして、柄にも無く簡単に退いてくれた。
「そうですか、では後ほど」
悪いことを考えているような笑みを浮かべ、彼女はそのまま次の授業がある教室まで歩いていく。
あまりにもあっさりと退いてしまった彼女の行動に一抹の不安を覚えないでもなかったが、まだ一日の授業が終わったわけではない。
俺もすぐに教室を移動しようとして、教室をでた。
次の授業は教室での数学Ⅱだったな。
そう考えながら歩いていると、後ろから声が変えられる。
「おーい、篠崎」
「ん?」
振り向けば、アキラの顔があった。
「なんだ、用か?」
ニヤニヤしながら、悪友が肩に手を回してくる。
「なぁ、いつから外人趣味になったんだよ? てっきり、お前は幼馴染とか言うラッキーなポジションを確保してる白川の方が好みかと思ってたのに」
ああ……なるほど、そういうことか。
しかし、アキラよ……それは完全な勘違いだ。
「そんなんじゃない、たまたま用事があるってだけだ」
「嘘つくなよ、わざわざ教会までナンパにでも行ったのか?」
ははは、あの人の本当の正体を知らないお前だからそういうことが言える。
あの人の塒まで押しかけたらどんな嫌がらせをされるか……。
それに、綾音もスパルタ教師としてはほとんど星○徹だ……そんなのとラブコメは絶対に成立しない、魔術師を舐めてると死ぬぞ。
「……なぁ、本当にそれは勘違いだって」
「? 浮かない顔して、本当に勘違いだったのか?」
「ああ、勘違いだ。間違いなく勘違い……お前らの抱いている幻想は嘘だ。あの人は性格最悪、人を虐めて喜ぶタイプの真性S女だ。しかも、精神的に虐めるタイプの! 絶対に矯正なんて無理、それは断言できる」
それを聞いて一瞬、頭の中が真っ白になった様子……当然だ、妄想が嘘だったときの衝撃は大きい。
「ははっ、何だお前……振られたのか? いや、人間が小さいぞ。自分を振った女の悪口なんて篠崎らしくない……はは、本当にらしくないよな。あの娘の何処がそんな変態なんだよ、誰もそんなの信じないって」
「……ははっ、本当にわからない奴だな……お前は」
平和なアキラは俺の話を理解しようともしない様子……もういいや、不幸は俺だけで背負うことにするよ。
ギリシャ神話に出てくるカッサンドラの気持ちもわかるというもの――本当のことを言っても信じてもらえないのはこんなにも辛い事なんだな、そうしみじみと思う。
そのまま誰にも理解されることなく、俺は放課後に文化部の部室が並ぶ棟の脇に建つ元倉庫……現在は放課後を含めて誰も近づかないという伝説の禁域『オカルト研究会』の部室を訪れた。
オカルト研究会の部室はあの錬金術師の工房の分室、教会にも作ってもらったらしいが、安全を考慮して危ない実験はここでやるというのだから……生徒の命はどうなのかと聞きたい。
すると彼女は涼しげに答える、『ここはそのために人除けをしてありますし、結界も張ってありますから死ぬのは中にいる人間だけですよ』と。
今から俺はその中に入るのだが……死ぬほど嫌だな。
どうして中の人間だけは事故があったときには確実に死んでしまうようなところに行かねばならないのだろう?
もし俺が本当に死んだとしても、あの無責任魔導師は絶対に責任なんか取らないぞ。
仮に死んだら『世界中の魔術を探し回ってでも生き返らせてあげますから』……そういうが、『それは多分何千年も先になるでしょうね』だそうだから、すごく憂鬱。
冷たいコンクリートの壁、赤茶けた扉、まるで監獄……勘弁してくれ、そう思いながら扉を開ける。
眼を瞑って入ったのだが、ゆっくりと目を開けると……
「……ん? 部屋を間違えたのか?」
外見に比べれば本当に綺麗に整理された部屋。
テーブルの上には顕微鏡やらなにやら置いてあるが、学者が着るみたいな白衣の錬金術師がコーヒーを片手に座っているソファーは革張りで校長室のものより高そう。
部屋の隅には本でいっぱいの机、色々な本が詰まった本棚……机の上には怪しげな連中と一緒の記念写真。
今と変わらない黒い服を着た金髪少女と、白髪らしい白人の老人、黒髪の日本人っぽい中年男、国籍はよくわからないが中東系っぽい妖艶な美女、ターバンを巻いた屈強な黒人男。
写真は白黒で絶対に古いもののはずだが、写真に写った五人の中心に立つ彼女はまったく年を取っていない。
しかも、気をつけて見れば周りの人間達も時代が中世にも匹敵しそうなおかしな服装をしていたりして、ちょっとまともではなさそうだ。
眼を部屋に戻せば、そこはまるで洒落た喫茶店のような落ち着いた空間で、顕微鏡などの実験道具がなければサロンみたいだ。
壁紙まで張り替えられている。
窓の外はあの教会と同じように夜であり、部屋の明かりはまぶしいくらいに輝き、防音設備でも入れたのだろうか……時代遅れのレコードがモーツァルトの『ハイネクライネナハトムジーク』を流している。
「どうです? 紅茶、それともコーヒー? ハーブティーがお好みでしょうか?」
眼鏡に白衣を着たどう見ても科学者といった感じの錬金術師が俺に尋ねた。
部屋のあまりの外見との違いに俺の思考が停止していた。
「……落ち着け、俺。こんなことは大した事じゃない、な……よし!」
「? どうしました?」
「いや、じゃあ紅茶を」
そこに置かれていたソファーに俺も腰を下ろした。
座り心地がよく、体が沈んでいくようだった。
「それではダージリンの最高級品を差し上げましょう。運が良いですね、これは向こうで昔縁のあった農園主の方から直接送っていただいたものでして……つい先日ですよ、こちらに届いたのは」
そういった彼女はポットのお湯を注ぎ、俺の前に紅茶を置いた。
良い香りが部屋を覆う、確かにこれは高い紅茶なのだろう……ちょっと気後れしそうだ。
「……うまい」
すごく良い香りと、ほのかな甘味が最高だった。
「でしょう? それで、私の工房を見たご感想は?」
「いや……お前ら、っていうか主にお前だけだけど。生徒会費いくら流用したんだよ? これってもう完全に刑法の対象になるレベルの業務上横領だ。改装だけでも何百万の世界だろ? 捕まるぞ」
肩にかかる金髪を軽く払うと、今まで気がつかなかったがちょっと覗く耳には金のピアス、何かの紋章のようなものが細かく描かれていた。
外国人はよくピアスをしてる人がいるが、何か意味でもあるのだろうか?
「横領などといわれては面白くありませんね。これは前年の生徒会費を用いて私が作った『赤い石』と『白い石』のご利益です。金と銀を作ったお陰で生徒会費が十倍になったでしょう? これくらい役得というもの、違いまして?」
「ああ……あれって、賢者の石を使って作った金のお陰? 株じゃなかったのか?」
ため息をつきながら、その答えを告げる彼女。
「何を仰るのかと思えば……いいですか? 私は確実な戦いしかしません。株で儲ける事も確率を考えれば可能でしょうが、私のとった方法以上に確実なものはないと思います」
「確かに、賢者の石なら確実だとは思うが……錬金術師が自分の事に力を使ってばかりで良いのか? お前って一応、正義の味方。だから、なんていうか……ほら、そういうヒロインとかヒーローは自分のことは犠牲にする決まりだろ? 秘密の力とかも他人のためにしか使えないとかの制約があってさ」
「すごい偏見だと思いますし、この私が自己犠牲とは……その眼は飾りですか? そもそも、私は貴方の思われているような正義の味方ではありません――というより、そんな青臭いことは魔導師の誰も言わないでしょうね」
「そうか?」
というより、お前の今の発言はどこかおかしい。
自己犠牲とかを否定して、お前に何が残るって言うんだ!
「まぁ、話の要点は掴みました。ですが、私は利益を還元しましたし……もう一銭も残っていませんよ。元々無銭旅行しかしませんし、財産を否定するわけではありませんが、度を越した財産は持たない主義ですから」
「なんだ、お前って貧乏だったのか?」
「貧困に悩んでいるわけでは在りません、この場合は清貧と呼ぶことが正しいでしょう。それに錬金術の秘法を用いれば金銭などすぐに作れますから、普段から多く持ち歩く必要などありません。物騒ですし、保管する場所と時間が無駄ですから」
「羨ましいのやらそうでないのやら……要するに儲けた金はみんなで使って遊ぼうって訳だろ? 悪い考えじゃないよな、ソレ」
確かに、それは悪くないどころか生徒の立場で考えれば最高のパトロンということになる。
ただ、そういうのは次回の生徒会選挙での買収工作に当たるのではなかろうか?
しかし、彼女にこの考えは読まれてはいない。
その証拠に続けられるのは見当違いの発言。
「貴族特有の浪費癖だと思われているのでしたらかなりの偏見と誤解ですけど、掻い摘めばそう言い切ることも出来ますね」
「それより、あの写真っていつ撮ったやつだ?」
部屋の隅に置かれた机の上にある写真立てを指差して聞いた。
机の上にはそれしか写真は無いから間違えるはずは無い。
「あれは百年くらい前に知人たちと撮ったものです。私が老けていないことに驚かれますか?」
「まぁ驚きはしたけど、お前の出鱈目さを考えれば納得は出来る。どう考えてもお前は普通の人間じゃないから」
「やれやれ、褒められているのやら貶されているのやら……よくわからない回答ですね。それより、プレゼントです。ほら、この本をお受け取りください」
彼女が渡したのは茶色い表紙の外国の古本……文字が全然今風じゃない、これは浅海が前に持っていた魔術関係の本によく似ている。
手にしたとき、ずしりと重い。
おそらく、紙ではなく羊皮紙か何かを使ったのだろう。
「魔術兵装に第七魔導書『アマルガスト』と云うものがありまして、それを用いれば貴族種の吸血鬼さえ殺すことも出来るといわれる究極の汎用兵器なのですが……公明さんが持っておられる本はその偽典の一つで『イフィリル写本』と呼ばれるものです」
いきなり意味不明の単語が登場した、アマルガストって何?
しかし、わかることも一つだけある。
「なんだかすごく高そうだな、いいのか?」
そう、長い前置きだけのことはあってこれは絶対に高いだろう。
すると、彼女は涼しげな表情のままに俺の心臓が止まりそうな言葉を告げる。
「今の時代ではその希少価値から同じ重さのプラチナよりも遥かに高価といわれるものですが、別に構いませんよ。ほんの10億程度の金銭にしか値しませんし」
10億ときたか……これが魔術師以外には鑑定できないものだから、実際の価値はよくわからないが兎に角、俺が一生働いても買えないくらい高いものだということだけはわかる。
それをただでくれる? 絶対におかしい。
「本当に、そんな価値のあるものを? いや……悪いな、なら俺も何かお礼をした方が良いのか?」
そう言いかけたとき、彼女は血も凍る本性をちらりと覗かせる。
「ただし、御礼をしたいと思われるのでしたら――一年くらい私の命令には絶対服従の『奴隷』にでもなってもらわなければ釣り合いませんね」
「へ?」
俺は何か聞き間違えたのだろうか?
コイツ、今なんて言った?
「……もしそれを受けてくださるのでしたら、世界最高を自負する私の錬金術で愛らしい『両性具有者』にした後、綺麗な貴族趣味のドレスで『女装』させて、たっぷり可愛がってあげますよ……貴方の脳髄が完全に蕩けるまで私に奉仕させて、ね。それとも、足の舐め方から躾てあげましょうか?」
――信じられないことだが、金髪の美少女は輝く笑顔でこんな変態な事を言った。
――聞き間違いなど無く、一字一句そのままだ。
――聞けば十人が十人、この人がまともではないと判断してくれるだろう発言。
可憐な少女はまるで『御機嫌よう』とでも言うように、丁寧な言葉遣いのままそんなことを平然と言ってのけた。
内容を吟味するまでも無く、その法外な要求がわかる。
しかも、コイツの口から出た単語はどれ一つ取っても、到底可憐な少女が口にするような言葉だとは思えない。
そもそもあの顔で、あの声で、あの瞳で、あの口で俺が絶対に言って欲しくない単語を連発しやがる。
これはどう考えても、完全に逝っちゃってる人の発言だ。
「絶対にお断りだ! お前が勝手にくれたもんだろ、そんな法外な要求が呑めるか! アンタ、完全に頭おかしいぞ。大体、それって間違いなく変態の台詞だ!」
そう力強く否定しておく、こいつにちょっとでも弱みを見せると駄目だ。
彼女は苦笑しながらも本の代金は要求しない、それは冗談であると告げる。
『冗談』、それを魔法の言葉でもあるかのように勘違いしている口なのだろう……許される冗談とそうでないものがあるくらいは理解してしかるべきだ。
しかし、彼女は悪びれもせず、恥じ入る風でもなくそのまま冗談で通す気らしい。
「やれやれ、怒らないでくださいよ……冗談じゃないですか。私たち魔術師の間では挨拶程度の軽い冗談ですよ。魔術師の世界に、この程度の冗談で怒る人は一人もいないくらいの軽い冗談だというのに……公明さんはセンスの無い方、ユーモアのセンスも無しに世の中を渡り歩くのは大変ですよ」
「絶対嘘だ! 試しに浅海にそう言ってみろよ、アンタ絶対に殴り倒される。いや、下手すれば殺されるぞ! 何なら、俺が証人になってやろうか?」
浅海にこの手の冗談など通じない、綾音に対しても同じこと……二人は潔癖症なところがあるから、笑って済ませるなどありえない。
というより、あんな笑顔であんな変態な要求をされてまともに受ける奴なんているのか?
仮に世界最高の錬金術師っていうのも本当らしいし、さっきの言葉を受ければこの変態さんは確実にそれを実行してくれるぞ。
そういう意味では、確かに目の前の錬金術師は綾音達よりも遥かに冗談の通じない大人ではある。
かなり嫌な大人だ。
「……それでは、この本について説明しましょう」
言った端から完全に無視したよ、この駄目錬金術師は!
『アマルガスト』……最初の吸血鬼を倒したという伝説の英雄、第七魔導師ザラス=シュトラが創ったといわれる人類最高峰の魔道書の一つで、本物の価値は国一つにも匹敵するとかいうすごい本。
アマルガストはただの一般人にも扱える最高純度の兵器、ただの一般人が魔術師や吸血鬼に魔術的なダメージを与える数少ない兵装の一つといって間違いない。
それは数多の魔術式が文字として組み上げられた神秘の書物、魔力の使い方を知らない一般人であろうともただ文字の上を辿るだけで古の時代において最上位とされた魔術さえ使うことが出来る。
それは強制的に魔力を奪うことで魔術を発動させる機能があるためで、一流の魔術師にも扱えない高度な神秘を行使できる代わりに魔力の蓄えのない一般人は一つの奇蹟を行うために命を奪われるとさえいわれる魔性の本。
『イフィリル写本』とはそのアマルガストをコピーしたもので、神さえ殺すといわれる第五魔導師ベルラックが創り上げたものの一つ。
最強の兵器造り、神話の武装さえ再現するといわれるその吸血鬼が創った神秘の結晶が俺の手の中にある本……なのだとか。
「と、まぁ……そういうわけですね。最古の吸血鬼の一人ベルラック、本名イフィリル・ベルジュラック卿は現在六つの協会が保管するだけでも四十七にも及ぶ神話レベルの武装を創り上げた天才付与魔術師です。それはその中では初期の作品といわれていて、彼女らしくないくらいに質の悪いものですので、あげても構わないでしょう。元々私のものですし」
「……なぁ、その話の通りだとこの本を使ったら死ぬだろ、俺? いや、間違いないくらいにあの世逝きだよな。正直に言え、この本は吸血鬼がらみの呪いの品なんだろ?」
「いいえ、大丈夫ですよ。それは彼女の神がかり的な才能をもってしても半分もコピーできなかった粗悪品ですから。完成度は贔屓目に見ても三十パーセントくらいでしょう。簡単な魔術だけなら魔力の消費も少なくて済みますから、今から使ってみましょう」
「? 今使うって?」
「ええ、魔力を使うには体がそれを認識しなければなりませんでしょう? 多少強制的であっても何度か使えばそのイメージが掴めます」
「本当に……死なないよな? 冗談でも仮死状態になったりしないよな?」
「ええ、死ぬことはありません。そのための体力づくりでしたから。サボっていなければ『多分』大丈夫です」
「……本当に怖いな、お前は。憶測で人を殺しても笑って誤魔化す気なのか!」
俺が本のページをめくろうとしても、うまくめくれないページが目立った。
「言い忘れていましたが、本当に公明さんがお亡くなりになられたら大変ですので使っても『取り敢えず』命は繋がる、そういう魔術だけを選べるように細工しておきました。今の魔力量を測る良い指標になるでしょう」
「涙が出るほどありがたい措置だよな……『取り敢えず』命が繋がるだけじゃなく、俺の体が『間違いなく』大丈夫なヤツだけにしてくれれば良かったのに」
「肝の小さいことを……いいですか? 戦士たる者、死に掛けることは最大の名誉の一つだと考えてください。かつてヴァルハラを目指した私の祖先は戦いでの戦死さえ名誉と考えていました。案外、貴方ならヴァルキリーが連れて行ってくれるかもしれませんよ」
北欧神話の主神オーディンは『神々の黄昏』と呼ばれる最終戦争のために兵士となる優秀な戦士を戦場でリクルートしたという。
魔法の神でもあるオーディンは自身が必要とする戦士を集めるためなら、魔法を使って一方だけに味方することもしばしばだったというのだから公平ではないと思う。
そんな彼の戦士集めを任されていたのは『ヴァルキリー』と呼ばれる女の死神たち。
彼女達は後の『ニーベルンゲンの歌』においてゲルマン人最高の英雄、オーディンの血を引くシグルズあるいはジークフリートの名で知られる男との叶わぬ愛を貫いたブリュンヒルドというヴァルキリーのイメージ……絶世の、あるいは傾国の美女のイメージを抱かれているが、伝説の通りだとすれば実際は全然違う。
彼女達は純粋な死神あるいは凶悪極まりない屍食鬼であり、美しい顔の下は浅海が狼化したときの姿もびっくりの怪物らしいのだから、本当に嫌な喩え。
思うに馬鹿でかくて、戦場の死体を鋤でかき混ぜていたような悪女に好かれるのは今よりも勘弁して欲しい状況だ。
特に、神や悪魔までいるときかされてからは……これが冗談に思えなくなった。
「……嫌な話だ。大体、俺がいつ戦士になったんだよ……じゃあ、取り敢えず……これ、なんて書いてあるかわからないけどやってみて大丈夫か? 当然、間違いなく、完全に、絶対に身体に問題が生じない魔術かって事を聞いてるんだからな!」
彼女は本を受け取ると、俺が指差していた魔術の正体を探る。
というより、彼女にはその意味不明な楔形文字みたいな文章が読めるようだ。
「ちょっとお待ちを……爆発など起こされては迷惑ですから。……なるほど、それは火を熾す魔術ですね。大丈夫です。ライター程度の火ですから、トランプでも燃やしてみましょうか?」
そういった彼女はブロックを取り出すと、それを床において、その上に接着剤でトランプを一枚ほど立てたまま接着させた。
彼女が別に椅子を用意し、二人はトランプを見つめる位置に椅子を置いてそこに座った。