「あ~、ほはよう」
眠たげな顔で食卓にやって来たのは浅海。
おはよう、も発音できていないパジャマ姿の同級生は本当に俺の視線が気にならないのか、第二ボタンまで外れている。
しかし、それも仕方の無いことかもしれない。
何でも数ヶ月ぶりのまともな睡眠だったとかで、なんと13時までの爆睡だったのだから、頭のネジも緩むというもの。
当然ながら朝食のフレンチトーストはすでに堅くなり、コーヒーも完全に冷めていた。
そんな朝の弱そうな浅海に対して、綾音は昼飯さえ食べて地下のスポーツジムで汗を流していたのだから何とも対照的だ。
因みにスポーツジムといったが本格的なものではなく、実際はただの広い地下室に簡単な健康器具がいくつか置かれているだけだ。
このアンバランスな家のことを考えればわかるだろうが、立派な地下室は戦争のときなどに使えるだろうと、まだ裕福だった曽祖父がわざわざ改築したもので、しょぼい健康器具は俺達の代になったときに親父が買ったもの。
腹が出てきた親父は適度な運動が必要だと医者に言われたのだそうだが、器具を買ってからすぐにほっぽり出していて、綾音が使うまでは俺もその存在を忘れかけてさえいた。
何とも似た者親子だと、自分でも思わざるを得ないな。
そんな俺はちょうど料理の本を買って帰ったところで、何ともタイミングの悪い浅海との鉢合わせだった。
俺の持っている本に気がついた彼女は馬鹿にするような声で言い放つ。
「なに? 料理の本なんて男の子らしくないわね、軟弱よ。それともコックにでもなりたいの? 料理人の道を志したいなら軟弱でもないけど、違うわよね」
昨夜の感動的な体験はどこへやら……堅くなったフレンチトーストを気にすることなく一口にする彼女はそんなことを言う。
はっきり言ってそれは偏見だし、今の時代を考えてないと思う。
何より、逆セクハラだ。
だが、まぁ……いくら他人が注意しても彼女がそういう家に生まれたのならそれも仕方ない。
自分以外の他人との交流は全て異文化交流である、そういう話を聴いたことがあるし、彼女自身国籍を考えれば外人だし。
まぁ男女同権だとか何とか言い出したのは欧米人なのだから何ともいえないが、浅海の家は如何にも保守的っぽいからそれも然りだろう。
「男らしいかどうかなんて関係ないだろ? 今日の食事もデリバリーって訳には行かないし、それにお前らだって一応客だから料理なんて任せられない。だから、俺が作る以外に誰が料理するんだよ」
「それって、暗に私が料理出来なさそうって言いたい訳? 体の良い言い訳よね、お客様には良いお持て成しが必要だからって言うのは」
心外、そんな顔で俺に文句を言う彼女。
女性は鋭い、俺の真意などすぐに見抜かれる。
「なら、お前って料理が得意なのか?」
見抜かれた以上は俺も気持ちを隠さない、出来るものならやってくれ……そう開き直ったくらいの気持ちで聞き返した。
「レトルト食品なら、ね」
そして、思っていた通りの答えが返ってくる。
レトルト? 絶対にコイツには料理は任せない。
前にテレビ番組で拝んだことのある、あの料理地獄を体験したいのなら任せるのも一興だろうが、料理の素人ほど恐ろしいものはないからな。
「却下だ。それなら俺と同じだし、アデットに言われてるから健康的な食事がしたい」
俺の師匠との約束、取り敢えずそれを守る努力をしなければならない。
最大限の努力をして、それでも果たせないのなら、彼女との約束を果たせないことは別に良い。
不可能ならば仕方ない、しかし努力もしないうちからあきらめることは認められない。
それがこのぐうたら男が持つ最後の信念だ。
堅くなったフレンチトーストを口にする浅海は、その答えを聞いて爆笑する。
噴出しそうになった食事をしっかり飲み込み、苦しそうにコーヒーに手を伸ばして、何とか笑いをかみ殺す。
苦しそうな彼女には申し訳ないが、俺は別にギャグのつもりは無いのだが。
ようやく落ち着いた浅海は、ソファーに腰掛けて本の中身を読み始めていた俺に魔術師としての『彼女』の恐るべき信条を語った。
「貴方がさっき言った事はアデットに云われたのよね? どうせ、健康がどうとかいうやつでしょう? 大丈夫よ、若いから。あの人や他の連中みたいな魔導師は最低でも百に届く老人ばっかりだから、古い迷信じみたことばっかり言うの。お婆様もそんな感じだわ」
あっけらかんとして、この魔術師はとんでもないことを口にする。
茶色の少女は自分の祖母まで迷信に被れているといったのだから、なんとも……親の教育が失敗しているとしか思えないな。
「お前……本当にあの人と同じ魔術師か?」
俺にそう聞かれた彼女は心外、そういう感情を表に出したまま続ける。
「そういうけど、悪いことしてる魔術師も多いからね。それでいて凄腕なんて、星の数ほどもいると思うけど。例えば、よくC国の独裁者の横に立ってる正体不明の外国人がいるでしょう? あれ、よく思い出してみなさいよ……面白いことがわかるから」
浅海が口にしたC国といえば近年も信じられない粛清の嵐が吹き荒れた社会主義を標榜する西アフリカの国、世界で最も住みにくい国の一つに数得られる砂漠の小産油国だ。
よくある話だが、C国も社会主義とは言いつつ実際は軍事独裁を布いている。
沿岸地域で発見された石油の売買に絡む怪しい噂や近隣諸国とのダイヤモンド鉱山の争奪で軍隊を出動させるなど危ないことを平気でするため、あまり良い印象を抱かれない。
そこの独裁者をしているナントカ将軍は自分が革命の英雄だとか言って、自分の肖像画だとか銅像だとかを国中に配置している絵に描いたような典型的な独裁者。
そして、彼の横に黒人上位主義国家には珍しく白人の顧問官が立っていたことを思い出す。
テレビでも名前は語られないが学者らしい白皙の老紳士だった。
そう――綺麗な赤い眼の。
「……え? ……ちょっと待てよ、嘘だよな?」
そうだ、あっていい訳が無い。
世界中の魔術師に命を狙われる吸血鬼があんなに表立って、悪事を働いているなんて。
「本当よ、本当……シュニッツェラー卿。吸血鬼の貴族で千四百年物……あれだけの悪事を重ねるようなのが指折りの強さなの、日々の健康がどうとか言うのは小さなことよ」
魔導師カール・シュニッツェラー……呪術界の永遠なる覇王。
最古の魔術組織でもある呪術協会の創設者の血を引く偉大な魔導師にして、世界最高の呪い屋。
その神聖な血統から、吸血鬼に身を堕とした今も協会内部に多数の支持者がいる呪術師。
その理知的な風貌に騙されていたが、魔術師の倫理観でも悪い事とされる悪事を重ねまくったとんでもない極悪人らしいから最悪だ。
魔術師同士の戦闘では必ず必要とされる対魔術結界、対物理障壁……そういった理論の元になる禁術を最初に得た男で、その特殊な魔術を纏った彼には近づけないのだとか。
「なぁ――どうしてソイツを退治しないんだよ。誰がどう見ても悪い奴で、何処にいるかまでわかってるんだろ? なら……」
「まぁ、そういうことになるけどね。実際のところ、シュニッツェラー卿に勝てる魔術師なんて世界に何人もいないのよ」
「何人もいないって?」
「人間の中にいたとしても4人くらいじゃない? だって、あの人の別名は『バロル』……知ってるでしょうけどフォモール神族の魔眼王、それに因んで呼ばれる人だから誰もかかわりたくないのが正直なところでしょうね。当然、私は絶対に近づかないつもりだけど」
バロルはケルト神話に登場する神の一人で、その瞳に見つめられた者は全て破壊されるという。
アイルランドの支配権を争った神々の戦い『モイ・トゥラ』の戦場において、自分の孫でもある太陽神ルーの放った魔弾『タスラム』にその瞳を砕かれ、バロル率いるフォモールの神々は壊滅したという。
こんな例えを出したのは、浅海の地元だからではなかろうか?
「バロルって、あの見ただけで人を殺すって云う?」
余談だが、フォモールの軍を壊滅させたのはタスラムに貫かれたために反転して、自らの背後に控える友軍を見つめたバロルの自身の魔眼であった。
神を殺す瞳、それはこの世界に実在するのだろうか?
「ええ、でも実際は魔眼じゃなくて……広域呪術結界と呼ばれる、人を殺す事だけに特化した直径数十キロにも渡る大結界を張るだけよ。まぁ魔術師にとってはそれが即死の結界でもないけど、一般人にとっては二分耐えるのも無理でしょうね」
大した事でもないかのように、さらりと言った浅海。
「……いや、結界を張るだけって……それ、魔眼より断然性質が悪いだろ。相手の前に立つとかどうとか言う以前の問題だからな」
数十キロといえば、近づくことさえ出来ない。
そんなものをでかでかと展開されたら、とてもではないが戦闘にすらならない。
「ええ、悪いわね。だって、吸血鬼は人間の事なんて家畜くらいにしか考えてないもの。仮に彼を攻めれば、大結界が発動してC国の首都圏に住む人間はみんな殺されるでしょうね……化け物じみた吸血鬼狩りでも絶対に手を出さない理由はそれ。前に退治に失敗したときにロシア西部の共和国で数万人が消えたのよ……『飢饉による餓死者』って偽装はされたらしいけどね」
おい、アデット……ここに痛い現実が発生したぞ、悪いことをして性格が矯正不可能でも卓越した魔術師はやっぱり腕が落ちないということだ。
お前には申し訳ないが……いきなり決心が折れそう。
そもそも、話が全然違うじゃないか。
しかし、待て、今はそんな独裁者の陰に隠れている男が問題なのではないはずだ。
そう、俺はそんな世界レベルの緊急事態を解決するわけではないのだから。
「……兎に角、だ! そんな訳のわからない危ない奴の話は忘れて――俺も言われた約束を一日目から破るなんてしたくない。確かに昨日はあれだったが、今日はあのおかしな薬のお陰で傷もだいぶ良くなったから絶対に守る」
「一日破れば同じでしょう?」
食事をあっという間に平らげた浅海は平然と言ってのける。
「うるさいな、それにお前だって怠けてて良いのか?」
そうだ、昨日あれだけ俺のぐうたらを罵りながら自分も同じでは格好がつかないだろう。
俺にそういわれた浅海は気がついたように窓の外を指差して、今までと違う生き生きした声で聞く。
「そうそう、そういえば、ここって広い庭だけど荒れ放題よね。私がガーデニングに使っても良い? 今度薬に使う薬草とか植えたいし」
ここの庭は確かにそれなりに広いのだが、庭師に任せる金もないし、自分たちで庭を整備するのも面倒なので荒れ放題。
春の初めではあるが、雑草がそこらじゅうに生え、とても良い庭とはいえない。
浅海がそれを何とかしたいというのなら別に構わないだろう、何より今よりも悪化することはありえない、はずだ。
「勝手にしてくれ、俺もこの本を見て冷蔵庫の中身と相談したいから」
本を眺めて、それなりの計画は立てた。
尤も、自分で食べるだけならまだしも、人に出すような手の込んだものは経験も無いから自信は無いが。
「ありがとう。そういえば、この家の家系図とかある?」
「ん? 鑑定○でもしたいのか?」
何も考えていなかった俺にそう返された浅海は苦笑しながら、それを否定する。
「違うって、ほら貴方の特殊な血液って、遺伝の可能性が高いから……家系図を調べれば、私の知っている魔術師とかの名前があるかもよ」
「なるほど……でも、ないぞ。そもそもあったとしても、俺の家ってぽっと出の成金だったから、捏造の疑いが高いし。よく言うだろう? 江戸時代には殿様だって、適当に家系図を作ったくらいだから、庶民がどんな無茶をやったか知れたものじゃない」
そう、有名な大名家の家系図でさえ一部に手が加えられているというのだから……庶民の家系図にどんなインチキが隠されえいるかは想像に難くない。
何より、俺の家系に魔術師などいたらそっちの方が驚きだ。
「そうなの? でも、ただの成金のわりには良いセンスしてると思うけど、この家の古いインテリアは」
曽祖父は当時この家を建てたときに、散々『西洋被れ』だとか『ハイカラ』だとか呼ばれていたみたいなのだが、確かに今の感覚で見れば味のある品も多い。
尤も俺は鑑定士でもないからそう思うだけで断言など出来ないし、おかしなセンスだと思うものの方が多い気がするのも事実だ。
「そうかぁ? あっ、そういえば家系図じゃないが、俺の曽祖父の日記やらの書籍が書庫に収めてあったと思うけど」
字が達筆すぎて読めない、あるいは読みにく過ぎて手にとっても数秒で放り出してしまうようなものばかりだが、書庫の中で埃を被っていたのが何十冊かあった。
よくもまぁ古本屋に売られなかったと思う古文書、本当に物を整理するのが下手なのは血筋かもしれない。
しかし、浅海のような人間は古文書のような書物にも価値を見出せるらしい。
「本当? いいわね、今日はそれにしようかな。それってどこ?」
「一階の突き当たり、親父の書斎の三つ横」
「じゃあ、見て良いのね?」
「ああ、でも盗んだりはするなよ」
「ちょっと! それってものすごく失礼だわ」
ふざけて言っただけなのだが、心外だったのかちょっと声が大きくなった。
「いや……悪い、ただの冗談だが」
「そう、ごめん。私もちょっと大人気なかったわ」
「そ、そういえば、ちょっと聞きたかったんだが、吸血鬼って一体何なんだ? いや、確かに今までにも話は聞いたけどよくわからなくて。狼男とかドラゴンとかも吸血鬼って言われても、なぁ? アレは完全に別物だろ、一般人の常識として」
「ああ、ソレ? 簡単に話すけど、真祖って言う吸血鬼が昔どこかで生まれたのよ」
吸血鬼とは不老不死というシステムを内包する生命のことを全てそう呼ぶのだそうだ、だから浅海も広義の意味では吸血鬼。
しかし、今問題になっているのは一人の真祖を発端とする狭義の意味の吸血鬼。
不老不死というシステムは最も強力である彼ら狭義の『吸血鬼』のような超越種にとっても完全なものではない、それを維持する代償として人間から奪い取る血液、実際はそれに含まれる生命力を直接奪うことが必要になる。
要するに食事を人間の血液で代用するということらしいが、ごくたまに吸血するだけで実際は生存可能なのだそうだ。
しかし、彼らにとって血液から奪い取る人間の生命力は自分の力を高めるだけでなく、一種の麻薬のような快楽さえ与える魅惑の食料。
故に一部の吸血鬼は必要以上に殺し過ぎ、また残りの全ての吸血鬼が自分の家畜として人間を飼って生きている。
長くなるが、この世界の吸血鬼が血を吸う場合にはいくつかのパターンがある。
一つはそのまま血を吸って殺してしまう場合。
実に単純なことだが、このとき血を吸われた人間の命はそれで終わる。
当然だが、もう一つは血を吸っても殺さない程度で止めてしまう場合。
このとき、血を吸われた人間はそのまま問題なく日常生活を取り戻せる。
だが、その二つに吸血鬼自身の血を与えるという行為が合わさったとき、最悪の事態となる。
血を吸われて死んだ人間に吸血鬼が自分の血を与えると、それは生ける屍……ゾンビとなって人を襲う吸血鬼の使い魔に変わる。
その体が滅びるまで、あるいは一定期間が過ぎるまでの間、吸血鬼の奴隷として思いのままに操られる人形、その肉体が動かなくなるまでそれは続く。
ゾンビは人間を捕える場合や魔術師との戦いに兵士として導入され、彼らに噛まれたからといってその人間がゾンビになるわけではない。
また彼らを生かすのは吸血鬼の血であり、ゾンビの体が滅びなくとも、定期的に血を与えない限りは自動的に一週間ほどでその命を終える。
生きた人間に血を与えた場合はおよそ一週間の間、その人間は一切の自由意志を吸血鬼に支配される人形と化す。
それは吸血鬼の完全な奴隷であり、その意思の赴くままに殺人でも、強盗でも、自殺さえ彼らの命令一つで実行する。
魔術師はそれに抵抗できるので、一般人がこの犠牲となる。
吸血鬼の多くはこうした人間を何人か飼っていて、定期的に彼らの血を吸い、また血を与えることでその支配権を維持する。
ゾンビにするよりも、こちらの方が遥かに便利なので吸血鬼の多くは無駄に人間を殺すことを好まない。
そして、吸血鬼に支配される人間はまさに『家畜』と呼ばれるそのままの存在でしかなくなり、彼らのためだけに生きることになる。
多くの吸血鬼はその土地の権力者を自身の家畜として飼っていて、その数は平均すると20人程度……吸血鬼によっては同性だけ、異性だけのような好みでわける場合もある。
聞かなければよかったような胸糞の悪くなる話だ。
そんな悪夢の原因を作り出したのが、浅海の言った最初の吸血鬼。
「ソイツが例の吸血鬼全部の親玉だろ?」
「ええ、正確には吸血鬼の最初の王様。そいつは人間の女に自分の子供を生ませて数を増やしていたの。特殊な血族だけが彼の子供を生むことが出来て、生まれた子供は例外なく真祖として生まれた。あ、一応コイツ等の見た目は人間らしいわね」
「混血なのに完全な真祖って言ってたよな? そいつらの一人が後で王様になったんだろ?」
「ええ、その通り。ソイツが二代目の王様で、魔導師をたぶらかして真祖の仲間にしたの。魔導師も人の子、死にたくないっていう気持ちはあるものだから簡単に堕ちていったそうよ」
秦の始皇帝が不老不死を求めたように、幾多の権力者がそれを求めた。
魔術を統べる偉大な賢者であろうとも、その誘惑に負けないことは難しかったのだろう。
しかし、だからといってさっき言ったような非道を行うことが許されるとは思わない。
「そこまでは人間なんだよな、元は」
「最初の王族は違うけど、魔導師出身者は全部そうね。取り敢えず、そいつ等はみんな人間型らしいけど。貴方が聞きたかったのはそのどっちでもない奴でしょう?」
「ああ」
「あれはね、人間を実験台にした真祖造りという実験の犠牲者たちなの」
「どういうことだ?」
「字の如くよ、魔術師との戦いで数を減らした吸血鬼は兵隊を欲したの。それで、自分たちが支配していた人間の中から素質がありそうな連中を改造して不老不死というシステムを無理やり組み込んだキメラを造り出した」
「造り出したって、どういう……」
「キメラって言えばわかると思うけど、人間っていう存在だけだと不老不死というプログラムをまともに扱えない、だから、別な要素を取り込んでソレを動かせるものを造り上げた。それが兵隊吸血鬼よ、全て昼間は人間で、夜は異形の姿に変わる怪物。ほら……私みたいでしょう? アヤネが私を吸血鬼と呼ぶのはそういう理由」
やや自嘲的に言った浅海の姿は印象的だ。
別に悲しんでいるわけでもない、その成り立ちがまったく違うのだから。
ただ、関係がなくとも似た境遇であることを自嘲したのだろう。
「それじゃあ、お話も終わったみたいだから……書庫に行ってくるわね。因みに言っておくけど、狼男やドラゴンは兵隊吸血鬼以外には存在しないわよ。使い魔に似た形の怪物がいることもあるけど、あのレベルの怪物は力が違いすぎるからやっぱり別物ね」
腰を上げた浅海が食器を台所に運ぼうとしたとき、彼女が突然咳き込んだ。
「ごほっ、がはっ!」
「おい、大丈夫か? そんな固いパンなんて食べるから」
手で俺を制した彼女は、口の中から何かを取り出した。
「あ~、苦しかった。アヤネのやつ、こんなので私を撃ったの? あれも相当頭がおかしいわね」
それは銀の銃弾……でかい。
それを弄ぶように手の上で転がすと、俺に投げてよこした。
勿論、ちゃんと拭いてからだが。
「あげる、純銀みたいだから価値はあると思うわ」
「価値があってもなぁ、こんなのどうすればいいんだよ?」
「溶かしてコインにでも変えれば? お守りにはなるんじゃない?」
「なぁ、銀って吸血鬼殺しじゃないのか? どうしてお前って大丈夫なんだ。それとも吸血鬼に銀が効くって云うのは迷信か?」
扉に手をかけた浅海にそれを聞く。
「ああ、ソレ? 銀が効果あるっていうのは本当よ。でも、大したことじゃないけど……さっきも言ったように私って正確には吸血鬼じゃないから」
「あれ? それっておかしくないか?」
「いいえ、勘違いしているのは貴方よ。私は狼になる吸血鬼が別にいたからそれに似ているって言っただけで、これはあくまで呪い。つまり、銀も日光も、雨も効かないの。人間と同じだから」
あ~、なるほど……そういえば言ってたな、狭義の意味と広義の意味ではかなり違うわけだ。
「そういえば、さっきシュニッツェラー卿の話をした時に『魔眼』の話が出たでしょう?」
「ああ、でもあれは結界なんだろ」
「そう、あれは結界よ。でも実は貴方はもうとっくの昔に魔眼を見てたんだけど、やっぱり気がついてないの?」
そういわれて、首をかしげる。
はて? そういえば、教会でアデットが顔を近づけてたけど……あのときの感覚だろうか?
俺がそのことを言おうとしたとき、浅海はそれを制す。
「アデットのあれは違うわ、ただの瞳術よ。因みに、あの大馬鹿錬金術師も未来予知か何かの魔眼を持ってるみたいだけど、実は私よ。私」
ドアから手を離し、自分を指差す浅海。
「? お前が俺に何かしたか? 狼になって殺そうとしたこと以外に」
「意外に根に持つタイプなの? 女々しい男って格好悪いわよ……それで、思った通り貴方にはまったく効いてなかったわけだ。やっぱりその体質は羨ましいかもしれないわね、多分貴方ならシュニッツェラー卿の大結界でも防げるわよ」
「よくわからないけど、俺にいつ使ったんだよ。まさか魅了の魔眼とかゲームじみたヤツじゃないだろうな?」
「あら、私に魅了されたの?」
イタズラっぽい眼で俺を見つめる彼女はどこか教会の悪魔に似ている。
「違う! 効いてないって言ったばかりだろ、何考えてんだよ!」
「何もムキにならなくても良いじゃない……冗談の通じない人。私の魔眼が何か知りたい? でも、交換条件も無くこういう秘密って教えられないのよねぇ」
何かを要求しているのはわかる、しかし譲歩できる限界も同時に存在する。
それを確かめるかのように、俺は失っても構わない条件を口にしておく。
「庭を使って良いって言ったろ?」
「それだけだと不足よ。工房を作らせなさい、この家の中に」
最低の要求、どこかのバカが宿屋を吹き飛ばした話を思い出す。
この家とその宿屋とどちらが頑丈かなど最早問題ではあるまい、そんな危険に巻き込まれること自体が死活問題だ。
「いや、そういうのは良くないと思うな。俺が思うに、そういう危ない核施設みたいなのは絶対にこの家の家風に合わないから嫌だ!」
断固否定された浅海は舌打ちをすると、すねた猫のような顔で扉を開ける。
「ちぇ、詰まらない男ね。秘密って言うのは共有してこそ面白みがあるのに」
浅海はそう言うとそのまま書庫まで行った。
これであきらめてくれることを祈るしかないな。
俺は彼女を見送ると、今日の食事を考える。
不器用そうな二人の料理を食べるのと、俺が自分で作るのを比べると、あの二人に任せる選択肢は存在しない。
何より、金に飽かして生活していそうな二人が節約料理を作れるとは思えない。
これも試練と思うことにしよう、ページをめくりながら冷蔵庫を開ける。
料理を考えるのは難しいな、いつもは適当なので済ませるのに二人の客を迎えると考えるものもある。
○○○○○
「まずっ――篠崎君、貴方は私を殺す気なの? ひょっとして昼間の仕返しに毒でも入れた?」
顔をゆがめて、俺の夕食を酷評する浅海。
手に持った箸が感情を表現する途中でへし折れる。
「焼き魚、マーボウ豆腐、その他も全て駄目。最低です、完全に落第ですね。切腹して、その本質を完膚なきまでに殺された食材達に詫びなさい」
綾音までそういう。
確かに、今日のやつは焼き加減を間違えていたのと、具が切れていなかったのと、微妙に炭になってたのと、失敗は多かった。
兎に角、よくはなかったが……努力点はくれても良いと思う。
「だ、だったら、お前らが作れ! 俺だってなぁ、別に料理が出来ないわけじゃないけど気を利かせて作ったから空回りしたんだよ!」
つい、声を荒げてしまった。
「逆切れ? まぁ、それはいいけど、貴方自身はこれがおいしかった?」
「いや……悪かった、これはさすがにまずいな」
「なら、今度からは私が作りましょう。こんなものを出されていては我慢の限界です」
綾音が茶を飲みながらそういった。
「作るって……綾音が?」
思わず聞き返す、当然、綾音は鋭い眼光で俺を睨みつけた。
「悪いの? 貴方まさか、この私に料理くらい出来ないと思っていて? この料理より出来の悪いものをこの私が作ると本気でそう思ってらっしゃるの?」
自信満々にそういう綾音、意外だ……彼女に料理という特技があったとは。
「そう強気に出られると信じるけど……無理していないよな?」
「花嫁修業の一環としてその程度の教養は積んでいます、どこかの野蛮人と同じにされたらたまりませんね」
気を抜いていたときに突然火の粉が散った浅海は声を荒げて反論しようとしたのだが。
「ちょっと! 私だって料理くらいならまったく出来ないわけじゃ……」
「なら、出来るの? 完璧な料理が出来るって言い切れる? 言っておきますけど、この私に食材の個性を殺したような料理を出すのならその場で貴女を叩き殺しますからね」
そう、綾音の自信に満ちた言葉を受けるとあの浅海でさえ完全に詰まった。
揺ぎ無い自信は一体どこからやってくるのか、彼女は久しぶりに好敵手を沈黙させた。
「……ごめん、そこまで言われると流石の私も謝るわよ!」
謝罪までさせるとは……やりすぎではないだろうか。
これでまずかったらどうするつもりなんだ? どこかに亡命した方が良いと思うくらいに反撃されるぞ。
「決定ですね、これから私が料理番です。洗濯は浅海、貴女がしなさい。コーメイは早く業者を読んで水道管とかの不具合を修理すること、良いですね?」
「……どうして、私が洗濯係なのよ」
「コーメイに自分の服を洗わせたい?」
「それは……仕方ないわね、わかった。わかりました!」
「なぁ、それなら俺も少しくらい手伝えることがあると思うけど」
「家主は黙っていれば良いの。お分かり? この私が家事も出来ない女だと思われていてはこの上なく不快です、絶対にその認識が間違っていることを証明しますからそれまで私の邪魔はしないでもらえません?」
「はい……わかりました、綾音さん」
「それと、もし修理業者を呼び忘れていたら地獄を見せてあげますからね?」
「あ、ああ。絶対呼ぶよ。忘れない、絶対に忘れないから」