そしてその後、何時間たったのか?
俺を呼ぶ声に目が覚める……その場所はどこかの洋室。
ベッドの上、やわらかいベッドの上にいる自分は今まで夢を見ていた。
そうに決まっている、そう思えば、気分も晴れやか……になるはずだった、部屋の中にいる人々を見るまでは。
「――あら、目が覚めましたか?」
獣の足を何かしらの『剣』で切り飛ばした金髪のクラスメイトは暗闇が覆い隠している空を背景に、窓に背を向けて俺に聞いてきた。
制服とは違う、黒いブラウスとスカート……縁起の悪いことにまるで喪服のようだ。
「……」
「……」
ムスッとしたまま、黙っているのは足を切り飛ばされていた浅海と獣に投げ飛ばされていた綾音。
二人とも制服とは違う、シスターが着ているようなカソリック風の服を着ていた。
沈黙――俺達は互いに見合ったが、何を言うべきかがわからないようだった。
「あの、公明さん? まことに言い難いのですけど、背中の怪我と体中の打ち身、どういうわけか魔術が使えないもので、その……自然に治るのを待ってくださいね」
「え?」
そういわれて、包帯の巻かれた背中を触るとすさまじい痛み! まるでナイフでも突き刺さっているようだ。
「痛ぅ――!! でも……あれは夢じゃなかったんだな?」
思わず触った背中には包帯が巻かれていて、彼女達が手当てしてくれたことがよくわかった。
気付けば自分の服も男物の寝巻きに変わっていたのだから、ちょっと驚く。
「……」
俺達は互いに視線を交わらせ、お互いの顔を見た。
誰も何も言わなかったので、みんなが沈黙した。
「……だから言ったでしょう、貴女がやったって、無理だから止めろって!」
突然、沈黙を破った浅海が綾音を睨みながら言った。
驚くことに切り飛ばされていた足は完治している。
服の上からでも足が綺麗に繋がっているのがよくわかる。
手術でもここまで早く完治することはないだろうに、どういうことだ?
「ふん、信じられない! あれを全て私のせいにする気なの? ずうずうしいわよ、吸血鬼」
文句を言われて、綾音は優美に眉を吊り上げて切り返した。
しかし、どんなに優雅に振舞ったところで相手といがみ合うことに変わりはない。
険悪な空気……二人はかなり前から知り合いだったのだろうか。
「まあまあ、そういう喧嘩は止めて公明さんにもお話をして差し上げなければ。洗脳してしまうというのでしたら、黙っていても構いませんけど……人道的配慮から、それは駄目なのでしょう?」
金髪のクラスメイトは日頃から笑みを絶やさない優しそうな顔のまま『洗脳』だとか、『人道的な配慮』だとか物騒な言葉を吐きながら俺を見つめた。
ちょっと背筋が冷たくなる。
昨夜の光景を見れば、誰だってそうなるに違いない。
「……そうね、貴女がしなさいよ。アデット」
浅海は綾音を睨む視線を外さずに、俺への説明を放棄した。
個人的にはこいつに一番聴きたいことが多いのだが。
「そうですね、そこの吸血鬼は自己中心的で嘘吐きですから。シュリンゲル卿が言った方がいいかもしれませんね」
綾音も視線を逸らした方がまけとでも言いたげな表情で、浅海と睨み合っている。
「それでしたら、私が。まず、どこから話しましょうか?」
どうにも頼りにならない二人の変わりに、自分しか言う人間が居ないことへの不満も漏らさない金髪の少女はカウンセラーが言うようにこちらに配慮した言い方で語りかけてきた。
「……俺にもよくわからないけど……取り敢えず、あれは何だったんだ? あの怪物は?」
そう言った俺を浅海の射殺すような鋭い眼差しが捕らえる。
お前……綾音に負けたぞ、いいのか?
「わかっていらっしゃると思いましたが、あれはそこの玲菜さんですよ」
思ってはいた、聞いたあとで言えば嘘っぽいがあの状況でそうでないといわれる方がおかしい。
しかし、通常なら受け入れがたい話なのに、どうしてここなら俺はこんなにしっかりと受け入れられるのだろう?
「浅海、お前……人間じゃないのか?」
失礼だとは思った。
だが、聞かないわけにはいかない質問を、俺を睨みつける碧の瞳の少女にした。
しかし、その答えは彼女の口からではなく他の場所から与えられた。
「公明さんも失礼ですね。見ての通り、彼女は人間です。ただ――今は呪いを受けているために『人狼』と呼ばれる吸血鬼の一種に酷似した魔物になりますが……あれは本人の意思ではありませんから、許してあげてください」
やさしげな彼女の顔がはじめて曇った。
同時に悔しそうな顔になっているのは浅海と綾音。
自分が彼女達を傷つけた訳ではないと思いながら、昨夜の説明を求めることにする。
状況もわからず、こんな場所に居る現実を少しでも理解したかったのだ。
尤も、聞いたところで理解などすでに超えているとは感じていたが。
「なら……あそこでお前らは一体何を? それに、綾音は? お前らは一体何なんだ?」
わずかな沈黙の後、少女達の視線を受けて一番冷静な金の髪が語り始める。
「――そうですね、わかりやすい言葉で言えば、私たちは流派こそ違いはありますが、魔法使い……私たちの世界では面倒なので『魔術師』と一括りにしますが、わかりやすく言うと確かに魔法使いと言った方がいいでしょうね」
出てきた言葉は最初から理解や常識を打ち壊すものだった。
魔法使い、それは御伽噺を聞いたときのような空虚な印象ではなく、実体を伴ったリアルな言葉として俺の耳に届いた。
「魔法使いって……冗談、じゃ、ないんだよな。昨日のあれを見れば、俺だって信じないわけには行かないし……」
そうだ、昨夜の綾音、傷が治った浅海、狼の足を切り飛ばしたシュリンゲル――あれを人間の技といわれて納得など出来ないが、魔法といわれると不思議なほど納得できた。
魔法、見たことはなかったがあったとしても俺はおかしいとは思わない。
仮に自分の目で見れば、宇宙人でも、恐竜でも、地底人であろうともちゃんと受け入れて、信じるのが俺という人間の流儀だからだ。
しかし、それは普通の人間とは違うと思う。
そう思っている人間は多いとは思うが、その全てがこれを受け入れられるとは思えない。
俺の答えを聞いて、シュリンゲルはがっかりとした表情で呟く。
「物分りがよろしいですね。てっきり現実逃避されるかと思いましたが……どちらにしろ、人が悩み苦しむところが見られず本当に残念ですね……」
金髪のクラスメイトは少し期待はずれ、そういう顔をしながら俺にそう言ったのだ。
そう、ニコニコしている少女が本当にがっかりした表情で俺の苦悩が喜ばしかったのに、と漏らしたのだ。
コイツ――思っていたより、ずっと悪人なのだろうか?
「……世界のどんな手品師だってあんなの無理に決まってるし、どういう特撮でも再現できないだろ、あれは。俺は幽霊とか信じないけど、自分の目で見たものは信じるからな」
俺の考えを伝えると、非難の声はすぐに上がった。
「単純な人ね、コーメイは。昔からそうでしたけど……いつか詐欺にあいますよ」
綾音はちょっと面白くなさそうに口を挟んだ。
昔から俺のことをお人よし過ぎる、そういっていた彼女はこんな無茶苦茶な話を受け入れてしまう俺がどこかおかしい、そう言いたかったのだろう。
実際、俺も口ではそう言ったのだが……心のどこかではやはり夢みたいな現実より、現実に近い夢であってほしいと思い続けてもいた、それは確かだと思う。
「五月蝿いな、それに綾音、お前のあの動きや銃とかは?」
頭のモヤモヤを消し飛ばせるように話を変えることにした。
すると、再び金髪の彼女が答える。
「そこの綾音さんはこの街の古い術者の家の方で、この国固有の魔術に詳しい人です。因みに先ほどは、綾音さんと玲菜さんが少し勝手な真似をしていまして……ですよね?」
眼鏡から覗く青い瞳にジトッとした視線で見つめられた二人は口々に非難を展開する。
「あれは……アヤネが、実際は大した腕でもないくせに『私なら呪いを解ける』っていうから、つい……」
「ほら、すぐに私に責任を押し付ける! 何様のつもり? 貴女がもう少し我慢できれば、私の家に伝わる技法でその程度の呪いなんて」
仲がいいのか悪いのか、昨夜は殺意も感じられた二人の仲は思っていたよりいいのかもしれない。
「と、まあ……このような事情で私の目の届かない街外れの小屋で儀式を行おうとして、大失敗したわけですが……貴方も運がいいのか悪いのか、その呪いを解く手段として私たちの前に現れた」
意外な言葉に思わず耳を疑った。
「は? 俺がその呪いを解く手段? お前ら、一体何の冗談だよ?」
落ち着いた話し方で、俺に理解させようと彼女は続けた。
「わかりませんか? 私はさっき、貴方の傷は魔術では治せない、そういったのですが?」
傷口の痛みを感じながら、はっきりとその言葉を思い出した。
確かにそういっていた。
「確かにそういってたけど、それがどういう……」
俺が言い終わるかどうかというとき、彼女は話を続ける。
「確かに魔術が効かないのは貴方だけではありません。例えば、私たち自身も結界や武装、その他の技術によって直接その効果が現れないようにすることはよくやります。少々長くなりますが、一応説明しますね。まず……」
彼女が言うには、魔術に携わる者達にはいくつもの派閥があって使う魔術様式やその基盤に据える元素が違うとかなんとか。
それで、その代表的な六つの派閥――霊媒師、錬金術師、魔術師、方術師、呪術師、占星術師たちの組織が中央にあって、多くの人々がそれらに学んでいるのだそうだ。
シュリンゲルは騎士と名乗ったが、騎士は凄腕の錬金術師の中から出ていて、分けるなら錬金術師になるのだとか。
ただ、彼女の場合は同時に魔術師でもあるそうで、籍があるのは錬金術協会ということになっているとか。
浅海は本家本元の魔術師、綾音は方術師に分けられるらしい。
尤も、綾音の家は今派閥を抜けているからもっと複雑な分類になるらしい。
綾音の家はいうなれば、一つの枠にとらわれることが愚かしいからどれでも勉強してみたい、という方針に先代から宗旨変えをしたらしく、派閥に捕らわれずに色々な流派を取り入れた自己流の魔術流派を作り上げようとしているらしい。
だから浅海は綾音を雑種呼ばわりするらしいのだが、最近はいくつかの分野を学ぶ魔術師も少なくないというのでその批判はわりと的外れなのだそうだ。
それで、その六大の派閥も昔から何度も抗争や同盟を繰り返していたこと、吸血鬼との接触で彼らとの戦争に突入したこと、これらの要因により元来の真理の探究以外に戦闘に特化した魔術の研究も盛んになったのだそうだ。
その過程から派生した技術に対魔術結界、及びその他の技術があるのだとか。
「それに、玲菜さんが狼化したときのような吸血鬼の類は通常の武器だけでなく、多くの魔術さえ効きにくい――」
吸血鬼――伝承によく出てくる怪物でその起源を辿れば古代ギリシャやメソポタミアにもその原型を見るというが、現実の吸血鬼もおそらくその辺りを起源にする怪物なのだそうだ。
真祖と呼ばれる八十四の吸血鬼が六大派閥、その他の小派閥及び個人レベルの魔術師たちが掃討を目指している怪物でこの名簿が作られた100年前の時点から今までに四十九の吸血鬼が殺されたらしい。
八十四の吸血鬼について厳密には『四人の王族、十六人の貴族、六十四人の兵卒』という意味で『四王』、『十六侯』、『六十四騎』の三階級に分かれているとか。
名簿が作られたことからもわかるように、彼らは増えない。
彼らが増えた唯一の原因が滅ぼされたからだ。
原初の吸血鬼、それが吸血族の王……彼は人間との間に子供を作ることが出来た。
だが、その子供達を孕ますことが出来る女は希少な血族の人間、それも才気溢れる人間だけ。
故に子供の数は二十しかいなくて、魔術師との抗争中に重傷をおった王は世界のどこかで眠りについたのだそうだ。
彼はまた子供に殺されたとも、魔術師に殺されたとも言われており、長い歴史の中登場していないことからもすでに滅びたといわれる。
その代わりに王におさまった者が『魔王』とも呼ばれた王の子で魔術師であった真祖、『メイサ』という名の吸血鬼。
その知は果ての真理にも届くといわれた魔術史上最高の魔導師でありながら、人間ではないことから彼らと敵対した堕落を好む魔物。
最も偉大な原初の魔導師でありながら、人間達の迫害と差別が原因で魔術師たちと袂をわかった末、自らが忌避した吸血鬼たちの元に戻ったのだそうだ。
それが原因か、メイサは幾多の魔導師を堕落させて吸血鬼になる技法を伝えた。
メイサの助言なくして吸血鬼になることは出来ない。
最も不老不死というシステムに通じた者の助言こそが、不老不死への最後のパスポートであり、王による生殖以外で増えなかった吸血鬼の数は一時、二百さえ越えた。
だが、助言を得ても吸血鬼になるだけの儀礼を行えるのは魔導師の称号を得るほどの才気あるものだけ。
強大な怪物の出現に恐怖した世界中の魔術師が狩りを始めると、大きな戦争が始まった。
それは千数百年にわたった戦争――多くの人々が世界中の闇の部分で争った。
殺された人間、吸血鬼合わせればその数、数十万にも届く魔術師が地上から消えた。
不毛な戦いの果て……和平に傾いた吸血鬼側が和睦を申し出ることになった。
条件は『真祖をこれ以上増やさないこと』、『人間が吸血鬼狩りを止めること』……六大派閥のうちの三つが抗争状態にあった当時、おおよそ百年前、彼らは和睦する。
その証として、お互いが行った調査で作られたのが八十四の吸血鬼の名簿。
自ら和睦を申し出たメイサの指示もあり、その居城によっていた吸血鬼の全てがそれに名を連ねた。
それは即ち、世界の吸血鬼の全て。
だが、すぐに派閥間抗争が強大な指導力を発揮した指導者の登場で収束されると吸血鬼に闇討ちを仕掛けるという、卑怯とも取れる協定違反が行われた。
それは朝から始まった戦い――吸血鬼たちの多くが力を失う時間、幾多の兵を従えた軍隊が一気に彼らの城を攻めた。
対する吸血鬼たちの結束は固く、その拠点でもあったコーカサス山麓で激戦が展開された。
しかし、あらかじめターゲットとされて最大戦力を当てられた吸血王メイサが騎士たちとの戦いで敗死したため、戦線は一気に魔術師側に傾き、都合あわせ12時間の激戦は魔術師達の勝利で幕を閉じた。
拠点の陥落で生き残った吸血鬼の全てが世界中に散った。
吸血鬼がその力を発揮できない朝から始まっていた戦争が夜に近づいたとき、全ての吸血鬼が反撃すれば自らも敗北することが必定であった魔術師側もそれを追いかけることが出来ず、一人一人が最強の魔導師といっても差し支えなかった吸血鬼たちが恨みを抱いたまま世界に隠れ住むという最悪の事態が到来してしまった。
彼らは最強、なぜならその存在にダメージを与える術があまりにも少ない。
生き残った吸血鬼をそれ以降も狩ることが出来たのは幸運だったが、未だに生き残っている吸血鬼は三十五――三人の王族、十六人の貴族、十六人の兵卒。
王を失ったために彼ら自身の中にも派閥が作られ、勢力争いまで始まり、その数はたったそれだけまで減ってしまった。
しかし、わずかに三十五の吸血鬼は強力。
決して狩ることが出来ない魔王メイサを狩った騎士、シュリンゲルでさえ夜ならば勝つことも出来ないと言わしめるのがその三十五の内の十九。
事実、狩られたうちの四十八は古い真祖、新しい真祖のどちらにも含まれなかった彼らの僕たち――魔導師出身の吸血鬼はメイサの協力により己の使い魔をいくつか作った、同じく吸血鬼となったそれらのこと。
ドラゴンやオーガ、人狼、そういった存在。
不老不死というプログラムを存在のうちに内包する彼ら吸血鬼には不老不死というプログラムが作り上げる『生かそう』とする力を打ち破るほどのダメージで無ければ通らない。
彼らの不老不死というプログラムは世界という後ろ盾を得た世界の真理、ゆえに真理を打ち砕くほどの、世界の理を覆すほどの奇蹟でなければダメージは通らない。
昨夜の綾音の馬鹿みたいな一撃はその力『対抗力』というものに打ち勝てなかったから、その傷はすぐに再生されたのだとか。
しかも、近代兵器は一部の魔術師が作り上げるものを除けば効果もなく、魔術さえそのほとんど、魔導師でもある彼らに匹敵するほどの術者の攻撃でもなければまず通らないといわれる。
それを貫通する数少ない武装こそ騎士が持つ武装なのだそうだ。
だから、足を刎ねられた浅海の足を繋げるようになるまで時間がかかったとか。
「ですが、貴方はそのどれでもない。貴方は生まれながらに私たちとは違う特性を持っていらっしゃる……つまり、魔術の効かない体」
「魔術が効かない? 俺が?」
思いもよらない言葉に頭の中が大混乱に陥りそうだ。
俺がそんな化け物みたいな連中よりすごいというのだからびっくりしても当然だ。
「ええ、古い文献にはそういう例も記されていますが、存命しておられる方は私の知りうる限り貴方だけです。どこか外国に親戚の方はいらっしゃいませんか?」
居ない、外国にはそんな親戚は聞かない。
「いや、そういうのはいないけど……」
「なるほど……この国も考えようでは古い移民の国、それもないではありませんね。文献では中東あるいはその近辺で数名のお話がありまして、その血族の方かと思っていましたが、確証はないのですね。では、これはお願いを込めての質問ですが、玲菜さんを助けるために協力していただけませんか?」
「協力って?」
「玲菜さんの呪いは強力です。今まで発作を抑えていた薬の効果はほとんどなくなり、眠れない夜さえある……その一番の薬となるのが貴方の血液です。直接飲ませろとは言いませんが、とりあえずそれで発作を抑えて、その後に呪いを解く上でも協力を」
どういう意味かよくわからないのだが、浅海が大変なようだったので彼女のことについて聞くことにする。
「眠れないって、満月の夜だけ?」
「いいえ、満月は呪いの力が最大になる日で、日々彼女は苛まれています。呪いは力を増していき……このままでは私の手で彼女を殺すことさえ必要になるかもしれません。ですから、ご協力を」
夜も眠れぬつらさ、人を殺めるかもしれない恐怖、自分が怪物に変わる屈辱。
そういったものは確かにつらいだろうし、俺も困っている人間が目の前に居て自分が協力すれば何とかなるかもしれないと、命の恩人に言われて断れるほど悪党ではない。
何より、そんなことを思いもしなかった。
「まあ、俺の命の恩人の頼みだし……命が懸かっているのなら断れないけど」
「どうも、深く感謝します。きっと玲菜さんも同じ意見ですよ、そうですね?」
自分のことなのだから、仕方がないと観念した浅海も俺にお礼を述べる。
「……どうも、ありがとう。篠崎君」
我の強い彼女がしおらしく例を述べる姿にちょっと胸が熱くなる。
そんな気持ちを誤魔化すかのように、俺の口が勝手に話し始める。
「なあ、お前らって、どういう友達? オカルト研究会の幽霊部員とその部長って……本当に俺を担いでるわけじゃないんだよな?」
そう、ちゃんと協力をするからには相手のことを色々と知っておかないとまずい。
オカルト研究会――絶対につぶれないお化け倶楽部、そこに名を連ねるのは目の前に居る三人なのだ。
学園の美女、美少女――そういった面子が部員でも誰も入りたがらない倶楽部は彼女達が魔法使いであることと関係があるのだろうかと思った。
「ええ。あれはおふざけといいますか、何か儀式を行うときのいい口実になりますし、空き部屋を自由に使える上に、人のあまり通らない場所がすぐに出来ますから、わざとそういう噂も流しています」
「それに、私とアヤネは友達じゃないわ」
さっきの態度はどうしたのか、自分が終生の好敵手と認めた相手を睨みつける浅海は強い否定の言葉を述べた。
当然、綾音もそれに負けては居ない。
「確かに、それだけは同意する必要がありますね。それにシュリンゲル卿と私も友達ではありませんし」
お嬢様である綾音が『舐めるなよ、このヤロウ!』くらいの気持ちを込めた視線で相手を睨み返していたのだから、彼女達は恐ろしい。
「? 友達でもないのか?」
恐る恐る聞いてみる、どうか綾音が本気で暴れだしませんようにと思いながら。
「二人とも照れていらっしゃるだけです、たまにお泊り会をしたりするほどの仲ですよ、私たち。特に、二人は一緒にお風呂にも入られるような……」
二人はどうでもいいでしょう、とでも言いたげな金髪少女がとんでもないことを口にした。
「そういう嘘は止めて! 気持ちの悪い!」
咄嗟に入るのは彼女の本当っぽい嘘に怒りを隠せない浅海の文句!
「同感です。こんな獣と一緒にだなんて、ひどすぎます!」
綾音もそれには同意した。
彼女達はやっぱり性格が似ていると思う、俺は。
「どっちが本当なんだ?」
ちょっとした意地悪で聞いた。
これくらいの反撃はいいだろう?
「生徒会長も勤めていて、命の恩人でもある私の言葉こそが真実ですよ……ほら、そう思われるでしょう?」
俺の顔に近づくのは金髪美人の顔……だが、少し近すぎるような気が……。
その怪しい瞳に、頭の中がぼうっと……。
「ちょっと! 顔が近いし、邪眼なんて使わないで!」
なんとそう叫びながら、綾音が投擲したのはナイフ――目の前の少女はさっと身を引くだけでそれを華麗に躱した。
その代わり、そのままナイフが白い壁に深々と突き刺さった!
ドスッ、と鈍い音が聞こえるくらいだからその威力がわかる。
すごい力だな……綾音。
華奢な体つきの彼女がいつの間にか俺の中では怪力になっていることに恐怖を感じる。
「まったく、玲菜さんを批判するわりに貴女もずいぶんと野蛮な人ですね。あれ、当たれば痛いですよ……多分」
肩を竦めたポーズでからかう少女。
当たれば痛いかもって……痛いに決まってるだろ!
どうやら、魔術師とやらの神経は相当変わっているみたいな。
ナイフをいきなり投げられても怒るでもなく、ふざけるとは本当に呆れる。
「くっ――これだから! 私、吸血鬼の交友関係を疑いますわ!」
叫びだしそうな綾音、まあ気持ちもわかるけど。
「とりあえず協力はするから、仲良くしような……お前ら」
「いやよ。口ばっかりで役にも立たなかった退魔師なんて当てに出来ないわ」
浅海、お前はこういうときくらいは俺の味方をすべきじゃないか?
どうしてそう喧嘩腰なんだ、相手が綾音のときだけ。
「私も嫌です。どうしてもというのなら、そこの吸血鬼に頭を下げさせて欲しいものね」
わがままお嬢、ここにも一人……とんでもない令嬢方だ。
ただ、一人だけは俺の言葉に同意してくれる。
その言葉に悪意は感じられない、のだろか?
「私は構いませんよ。何しろ、この街で一二番を争う面白い人たちですから。魔術師としての研究対象としてもすばらしい研究素材ですしね」
何とも意味ありげな笑い……すごく悪そうに見える。
流石に争っていた二人も、その笑みには恐怖を感じたらしく、争うのを止めた。
「あら、もう少しいがみ合ってくださった方が仕事らしい仕事が出来て私はうれしいのですけど。喧嘩はもうやめるのですか? 別に殺しあってくれても構いませんよ、それを止めるのが私の仕事ですから」
「……貴女はそこの吸血鬼よりも断然性根が腐っていますね、シュリンゲル卿! 私ももう少しで貴女の正体を見誤るところでしたわ」
綾音の攻撃目標が切り替わる。
結局、誰でもいいって落ちか?
「おっと、私は別に悪役でもありませんし、そういう敵意を向けられるのは嫌いなのですけど。どうしてもといわれるのでしたら……剣の錆になりますか?」
眼鏡から除く瞳は研ぎ澄まされた剣、部屋の空気が凍りつく。
口調は丁寧なのだが、プレッシャーが違いすぎる。
部屋にいた人間全てが緊張するほどのオーラだった。
彼女はそのまま続ける。
「私の剣……この世に斬れない物は何一つ存在しませんから、一撃で殺して差し上げましょう」
その瞬間の殺意は俺も身震いするほどだった。
事実、震える体を止めるだけで必死になるほどだ。
獣の前でもここまで怯えなかっただろうに。