あれから数日、俺たちもありとあらゆるコネを動員した捜索が続きながらも敵を捕捉することが出来なかった。
「あー、あれから全然情報なしかよ」
ソファーの上で地図を眺めながら綾音と俺、アイスクリームを食べている浅海。地図は×印だらけで、はずれの情報と探した場所を示していた。
綾音も俺の向かいの席で頭を抱えて考え込んでいるのに一向に敵の手がかりもつかめない。何とか使える程度の人探しの方法はそもそも探す相手の持ち物とかがなければ見つけられない、綾音自身そういう系統は修行不足で行き詰っているというわけだ。
「もぐもぐ……ふーん、アデットに叱られてもまだあきらめてなかったんだ。暇ね、本当に」
スプーンに取ったアイスクリームを頬張りながら、地図を一瞥した浅海が苦笑しながら言った。秋だというのに、何故アイスを食べるのか。
「貴女に言われずとも私は暇ではありません。でも、浅海……吸血鬼が来ているのだから害が一般人に及ばないうちに退治できるならその方がましというものじゃなくて?」
目の下に隈まで作っている綾音の言葉には力がこもっていない。命を粗末にするな、とアデットに説教されて吸血鬼捜索は中止かと思ったが、彼女はそれでも俺の意見を尊重してくれて、ここ何日も夜の捜索に疲労している。当然、俺自身も。
アデットも結局は他所から派遣されているだけ、地元の人間が自分達の地域を守ろうとすることに深く干渉する気もなければ無理やり止めさせるつもりも無いようだった。
「かもね。この件に関しては余所者だから別に反論する気は無いわ。他人の領地のことに首を突っ込む気は無いもの」
「? やけに大人しいですね、日頃の野蛮人ぶりはどうしたの?」
「捜査の行き詰まりはわかるけど、私に当たらないで欲しいわね……見苦しいわよ」
「ふん! 別に当たってはいないでしょう、自意識過剰」
「それはそうと、言った通り余所者が是非を言うのはルール違反だから黙っているだけよ。ここが実家の領地なら貴女たちに勝手はさせないけどね……ああ、涼しいときに食べるアイスは最高ね。キミアキ、バニラ食べる?」
「俺、チョコレート」
そう言うと、テレビのチャンネルを変える――ニュースといえば原因不明の橋の落下のことばかりで、このチャンネルでも専門家が構造に問題があったのではないかといって議論している。
綾音は橋の近くには彼女さえ意図的に近づかせないだけの何かがあったという。何かが現場に近づくことを邪魔して、結局現場の捜索が本格的に始まったために近づけなくなったし、魔術的な痕跡は全て誰かに消されていて判別できなくなっていた。
「私はバニラで」
今夜、もしも橋の周辺のマスコミや警察がいなくなっていれば近づいてみる価値があるかもしれないとアイスの注文と同時に告げる綾音。その意見には確かに同意だ。恐らく、何かしらの痕跡があるだろう。
いや、考えてみれば小夜さんが近づければ一番いいのだろう。彼女なら一発でわかるはずだから。
「OK、OK、待ってて。持ってきてあげるわけだから、あと一つおかわりするからね」
そうは言うが、アレは俺の家の冷蔵庫に入っている俺のアイスクリームであり、浅海のものではないのだが。
「ご勝手に……よく腹壊さないよな、あいつは」
「胃腸が壊れない代わりに頭が壊れてしまったのよ、きっと……それより、昨日小夜さん他私の情報網に怪しい件が六件も。先日は吸血鬼化した被害者を執行官に滅ぼされた後で情報も十分には掴めなかったけど……今回は先回りになるはずよ。それにしても、サーシャが捜索に長けているのは本当なのに彼らもまだ見つけれていないなんて……長引けば、数が増える一方」
「ほら、アイス。投げるからちゃんと取りなさいよ」
「お、っと。サンキュー……スプーンは?」
「ここよ、ほら。綾音も」
「……」
「私は感謝の言葉が聞きたいかな、綾音サン?」
「どうも……貴女のご厚意には深く深く感謝しますよ、玲菜サン」
「今度は注意される前に言おうね、綾音サン」
「……それより貴女もどうです? ルール上他人の揉め事には介入しないにしても、現に住んでいる以上は無関係でもないでしょう? 近所に突然大量の吸血鬼が出現すれば、困ることには変わりは無いんじゃなくて」
「はん、吸血鬼殺しを私が? あのね、私は貴女と違ってそういうのは素人、悪魔退治だって経験無いのに吸血鬼なんて敵に回せると思う? 第一怪我するのも嫌だし、私が死んだら貴女責任取れるの? 言っとくけど、お婆様の孫溺愛っぷりは半端じゃないわよ」
「無理に誘ってはいないでしょう。断りたいならご勝手に。ああ本当にすみません、臆病な負け犬に言っても仕方の無いことでした。忘れてください」
「……私を犬といったわね」
「狼と呼べば宜しい? 負け狼、というのはしっくり来ないのだけれど、どうしてもと仰るならそう呼ばせて頂くわ」
「……まあ、いいわ。いくら沸点が低くても何度もその手に乗るほど私も馬鹿じゃないの。あっ、ちょっとメール見るから話は中断ね」
「シュリンゲル卿ですか?」
「んなわけないでしょう。友達よ、友達。ほら、そっちは適当に捜索に出発しなさいよ。といっても、まだ六時だから相手は見つからないかもしれないけど……私もこれから遊びに行くと思うのよねって……あらら、私も相手が都合悪いみたい。ちぇ、おいしい店紹介しようと思ってたのに」
そのとき、呼び鈴が鳴った。
最初、それがテレビの音かと思って反応していなかったのだが、もう一度鳴るに及んで俺の腰も上がった。
「ん? あれ、テレビじゃなくて本当にうちの呼び鈴か。浅海、お客さんみたいだから取り敢えずここにいてくれよ。時間はあるんだろ? 親父の知り合いだと、お前と鉢合わせさせたくないし」
「失礼ね。でも、確かに暇になったから少しくらいなら時間はありそうね。というか、時間は余りそうよ」
そういう浅海を後に、すぐに玄関に向かう俺。問題は、相手が親父本人の場合だが親父なら呼び鈴は鳴らさない。
「殿方とは、とても俗ね。ご自慢のマクリールの家名もいよいよ当代になって地に落ちましたか」
「話中に煩いわね……そういう綾音こそキミアキと一緒にうろうろしてるじゃない。男友達の一人や二人いて何がおかしいって言うのよ。ああ、そういうこと。古い古いと思っていれば貴女、原始人だったのね」
「現代人です! それにあれはパトロール兼捜索よ、他意はありません」
「なら、私も他意はないわ。それに男じゃなくて女だし」
「ちょっと待って……浅海、幽かだけど……玄関の、この気配は」
「え?」
○○○○○
「どうも、こんばんは。お邪魔して宜しいかな」
扉を開けた先、夕闇の中に立っていたのは老人と少女。
青い服の少女を従えている老人を見たとき、一瞬その姿から鳥が立っているのかと思った。
二メートル以上の長身、長い銀髪を緩い三つ編みにした痩躯の老紳士。七十か八十くらい、年のわりに鍛えているのだが、あまりの長身のために不健康なくらい痩せて見える。
背中は曲がっておらず、姿勢はいい。本当に品のある老人だ。
老人が羽織っていた真っ黒い外套はまるで鳥の翼のような気がした。紅い瞳に立派な銀の髭、痩せているせいで余計に凛々しく見える知性的な顔にはいくつもの皺が刻まれていて、それがこの人物をして鳥、詳しく言えば鶴を思わせる要因だろうか。
老人の格好はまるで19世紀から時を駆けてきたかのような典型的なイギリス紳士といったふうな服装で、俺の知り合いには絶対にいないタイプだった。
ましてや、外国の貴族の知り合いなんて……ああ、まあいないわけではないがあの連中は別だろう。それに、ここまであからさまな貴族じゃないし。
老貴族に付き従っていたのは緩く波打つ艶やかな金髪を背の半ばまでふんわりと広げ、青いリボンをつけた小学生くらいの外国人少女。その肌も白く、青い長袖のブラウスが鮮やかな金髪に映えていた。
少女は黒いミニのプリーツスカートをはいていて、僅かに黒いソックスとスカートの間に覗くほっそりとした白い太腿が艶かしい。下着が見えそうなくらい短いスカートには流石に目のやり場に困った。大きな紅い瞳がとても印象深く、年下ながら大人っぽい顔立ちの美少女だと思った。
ただ不思議なことに彼女は俺の顔を見てはその度に視線を逸らすのだ。どことなく頬も紅潮していたような気もするのは、気のせいだろうか。自意識過剰な発言を許してもらえるなら、初対面の小学生に惚れられても対処に困る。
そのとき急に黒い帽子を脱いで恭しくお辞儀した老人にどう接していいものか混乱してしまう。それが原因で、少女から意識がそれた。
「あの……なんていうか、その、失礼ですが家を、その……間違えていらっしゃいませんか? 俺、ただの庶民ですよ」
帽子を被り直した老人は手から手袋を外して、こちらに握手を求めてきた。
「いや、間違いなどしておらんよ。君は篠崎公明というのだろう、私は今イリヤと名乗っている者だ。どうぞよろしく」
「はあ、どうも。こちらこそよろしくお願いします」
向こうが手を差し出しているので一応、こちらから握り返さないのは失礼だと思って握手に応じた。触れてみればわかる、とても大きな手だ。それに死人のように冷たい……まるで人間じゃないみたいだ。
「それで、あの……イリヤさん?」
「そうそう、紹介し忘れていた。青い服の彼女はアウグスタ」
「――っ!?」
突然振られたからなのだろうか、少女は何か言いたいことがある様子。だが、彼女の反論を聞く前に貴族が促す。
「ほら、君もご挨拶なさい」
「…………」
プイ、と小さく首を振った少女。
「早く、ご挨拶しなさい。ははっ、行儀が悪いと後でお仕置きするぞ?」
彼女はしばらく無言だったが、やがて軽くお辞儀した。一応こちらもお辞儀を仕返すが、彼女はただ目を逸らすばかり。それを見てか、イリヤは苦笑しながら取り繕う。
「いやはや……臍を曲げているのかもしれないな。私のことは呼び捨てにしてくれ給え」
「いえ、よくわからないうちに呼び捨てなんて失礼ですから。で、イリヤさん。本当に人違いじゃありませんか?」
老紳士イリヤは額に手を当てて苦笑する。
「いや、失礼。だが、君は本当に心当たりがないのかね? プリメラはここが面白い街だと教えてくれたのだが。もしや……君は彼女を忘れてしまったか」
「は……」
頭の中が真っ白になったとき、家の奥から駆けてきた浅海と綾音が叫んだ。
「公明! そいつから離れなさい!」
それは無意識の後退だった。俺の足はいつの間にか浅海たちの方に逃げていた。
玄関の外で老人は笑みを浮かべてその光景を眺めている。目の前の二人の殺気にはまるで動じない。
「逢魔が時などに失礼してすまないな。どうやらお嬢さん方を驚かせてしまったようだ」
静かに言った老人の言葉に二人が緊張する。
「貴方は……誰ですか? まさかスタニスワフ?」
結局のところ、二人も不穏な気配にやってきただけでこの老人が誰なのかよくわかっていなかった様子だ。
「いや、私はイリヤ・キャッスルゲート。後ろの彼女はアウグスタだ」
視界がぐらりと揺らぐほどの殺気の中、老人の言葉に二人が呆気に取られる。あまりに噂から思い浮かべていた相手と老人の印象が異なるために。
「待って。キャッスルゲート卿って、あのロリコン貴族でいいのよね?」
少しは遠慮した聞き方をすればいいのに……浅海は遠慮など知らないのか? だが、言われた方も言われた方というべきか、イリヤは怒るわけでもなく平然と答えた。
「ああ。ロリコン貴族といえばまあ私のことだ。それは間違いない」
こっちも遠慮して欲しい回答だ。
「そのロリコン貴族が、どうしてこの街に? 襲撃ですか?」
既に二人の殺気は完全に消え失せている気がする。場のみんな、この老人の前でまともな対応をすることの無力さを感じ入ったのかもしれない。
「まさか。襲撃なら黙って殺せば済む話だ。プリメラの相手をしてくれた御礼でもしようかと訪ねたのだが、実は昨日ある女性と奇妙な出会いをしてね……お嬢さん方に面白い土産話でも聞かせてやろうか?」
浅海の視線が後ろの少女にも注がれた。少女はまた視線を逸らす。
「……へえ、なるほどね。よくわからないけど、貴方の人形は魔術を使うらしいわね?」
「マクリール嬢……プリメラに会ったのならそれくらい聞かずともわかるだろう?」
「青――そういうことでしょう」
少女を見つめながら、浅海が問う。
一瞬、貴族は何と答えるべきか思案した。
「……君はなかなか面白いことを言うお嬢さんだ。まさか彼女が人形であることを見抜くとはね。といより、専門でもないのによく見抜けたな?」
とても恥ずかしそうにうつむいた少女は無言だ。
「いい勘してるでしょう。青機士は錬金術を使う人形遣い――青のド・ブランヴィリエ伯爵、通称サンジェルマン……噂通りね、アデットみたいな胡散臭い匂いがするわ」
胡散臭いなどといわれたことが心外だったのか、少女アウグスタは浅海を紅い瞳で少し睨んで、やはりすぐに恥ずかしそうに視線を逸らした。
「ふっ……錬金術師は胡散臭いか。私もそうなのだがね」
イリヤは笑いながら、答えた。
「それは失礼、でも実際貴方も相当胡散臭いわよ」
彼はその言葉により一層大きな笑いを浮かべた。
「実に耳に痛い言葉だな。尤も、その指摘は私も同意するところだよ。いや……お世辞抜きで君は本当に面白いお嬢さんだな。私は君のような面白い人間は嫌いじゃないぞ」
「どういたしまして。それで、御礼の件は? お金でしょう?」
「浅海……いえ、玲菜。貴女は少し恥を知りなさい」
まったくだ。
だが、綾音の言う通りにしたとしてもそもそもの相手が常識を知らない老人なのだから、真面目に対応するのも馬鹿馬鹿しくはないだろうか?
「正直者だな。そういうところは美徳と褒めてあげよう。だがね、大人の世界では自分の真意を隠しておいた方が物事はうまく運ぶということも知るべきじゃないかな……」
そう言いかけたとき、イリヤの姿が俺たちの目の前から消失した。比喩ではない、完全に消失していたのだ。
「へっ、あ……嘘。今、何したの?」
消失したとき、彼は魔術も何も使っていない。
「そんなっ! どこです、キャッスルゲート卿!」
俺も含めて三人が玄関の外まで出て探したのだが、いない。
「……仮に殺るというなら、君らなど一分の力で殺し尽くせる。そう、昨夜この手で殺したアーデルハイトのように」
「!」
声は背後から。
玄関に腰を下ろしていたイリヤの口から放たれたものだった。その目は本気だ。冗談などではなく、イリヤは本気でこちらを殺せる自信がある。
同時に、彼の目に気圧されたかのように浅海は冷や汗をかき始めていた。銃弾の軌道さえ見切る動体視力を誇る彼女が貴族の移動を捉えることが出来なかった、それだけで既に異常事態なのだ。
その上、とんでもない発言が聞こえた気がした。
「……どうやったの? いえ、それよりも今何て……?」
浅海だけじゃなくて俺にも、綾音にも聞こえただろう……アデットを殺したという、吸血鬼の声が。
「ん? アーデルハイトを殺したといったのだが?」
イリヤがポケットから取り出したのはレンズが割れ、フレームが折れ曲がった眼鏡。あの錬金術師が愛用していた品。
「首の根元から噛み切ったよ、実にうまい血で魔力も充実していた。そのとき私が調子に乗って齧ったものだから、首が外れたな……あははっ、あれは傑作だった。痙攣する体から臓腑を引き抜いてやったのだから……昨夜は君も随分と楽しめただろう、アウグスタ?」
貴族の呼びかけは俺たちの後ろに立っている少女に向けられた。彼女は大して面白くなさそうだったが、一瞬鼻で笑う。
「ふっ……そうですね。首が落ちて腹が裂けた、そんな死に方でした。彼女を想うなら、悲しんであげてください……因みに、止めを刺したのは私です」
さっきまで赤くなっていたアウグスタは、子供とは思えないほど恐ろしく冷静な口調で言った。恐らくアデットが殺されたというのは真実なのだろう、彼女やイリヤの話し方からそれがわかった。
「……」
俺は何かしら違和感があって、イリヤに殴りかかることも忘れた。
いや、仮に殴りかかっても貴族に勝つことなど出来るわけもないだろう。
「このっ……よくも、やったわね!」
自分の運命を考えれば、怒らずにはいられない浅海。彼女は俺が止める前に拳を振り上げ、全力で止めを刺したというアウグスタに向けて駆け出していた。
すると、何の冗談だろうか……アウグスタの身体がかすかに揺れたかと思った瞬間、殴りかかったはずの浅海の身体が空中で一回転して地面にたたきつけられていたのだ。
「――っ!?」
「いい踏み込みですが、貴女の動きは直線的過ぎます。優れた身体能力に頼り過ぎている、その点を改善しなければ呪いが消えたとき貴女は困難に直面されることでしょうね……」
特に何をするでもなく、服の乱れを直しながらアウグスタは言う。慢心しているわけでもない、勝ち誇っているわけでもない表情で淡々と語った。
「私を、馬鹿にしてぇ……!」
起き上がろうとした浅海にアウグスタは手を差し出す。
「こんな住宅街で貴女が暴れれば、大変なことになると思われませんか?」
「くっ……」
アウグスタの手をとって、何とか立ち上がった浅海は必死に怒りを抑えて拳を固めた。
「……それでは詰まらない告白も終わったようだし、昨夜アーデルハイトを殺した話でもしようか? 勝手に上がらせてもらうよ。そうだな、君は紅茶でも出してくれ。茶菓子は私が用意しているから」
まるで悪びれる風もなく、貴族は俺たちに向かって楽しそうに聞く。対照的に面白くなさそうな顔をしたアウグスタは無言だった。
「ふざけないで! 誰が貴方の茶番に……」
「ちょっと待ちなさい」
何やら考え事をしていた風な綾音が自体を飲み込めていない俺と浅海を落ち着かせようとした。
「何よ、何冷静に話してるのよ?」
「……シュリンゲル卿が死んだとして、騒いでもどうにもならないでしょう。それにここで大暴れするのはどう考えても無理、キャッスルゲート卿が戦闘を望んでいない以上無闇に暴れるのは得策とは思えない……それに、私は悪ふざけに付き合うつもりはありませんから」
「? 悪ふざけに付き合うつもりがない?」
「だから私は、アイツを殺すって言ってるんじゃない! 貴女、馬鹿?」
「……そういう意味ではないのよ。早く上がりましょう。それからキャッスルゲート卿、シュリンゲル卿と一緒にいたはずのサーシャはどうしたんです?」
「ああ、イオレスク君はナバケアを使い切ってしまったから数日は動けないだろうな。何、すぐに命の補給をすれば復帰することだろう……言っておくがね、私は別にスタニスワフやヨセフに肩入れするつもりはないぞ。殺したいなら殺せばいい、どうせ死んで当然の連中だ。そうだろう、アウグスタ?」
神経をどこかやられているんじゃなかろうか、そう思わずにはいられない貴族の言葉に浅海が震えた。
だが、俺は何故か怒りが湧いてこない。アデットが死んだというのが、あくまで言葉の上だけの情報だからかもしれない。現実感があまりにも希薄で、どうも実体がない気がする。
嘘、というのは違うと想う……アデットは死んでいる。それは本当なのだろうが、何か納得できないのだ。
「ええ。ですが、貴方だけが例外だと思われませんように」
「ふむ、やはり君は実に可愛い気のある人形だな」
「それはどうも……恐れ入ります」
月夜を歩く二人の影。
アンジェリカとスタニスワフが殺し合いを演じていたとき、当のスタニスワフを探す執行官サーシャと彼が無茶をしないように監視も兼ねた調停官アーデルハイトは連日の捜索をなおも続けていた。
戦いになれば一瞬、それで片がつくはずだ。目下、悔しいことに滅ぼす方法のない吸血鬼スタニスワフ――誰も彼を殺し得る手段を提示できない現状でサーシャに可能なのは封印して取り敢えずの事態の打開を図ること。
サーシャは封印専門の魔術師ではないが、上位吸血鬼さえ封印する道具が用意されている。これらを使えばスタニスワフ程度の小物なら確実に封印できるだろう。
だが、見つからないのではどんな武装があっても意味がない。およそ逃げることと潜伏することにかけてはどんな吸血鬼よりも優れたスタニスワフをわずか数日で追い詰めることなど土台無理な話だ。
仮にも五百年のうちで彼に触れた魔術師は十数人、彼を死刑にした人間の方がなお多いというふざけた現状。この状況が続けば、霧海が訪れてしまう。そう思えば余り時間は無い。
俄かには信じ難いことに、世に『人を生き返らせる剣』というものがある――ベルジュラック卿が人というものの本性を曝け出させるためだけに創った娯楽品、一人に対して百倍の穢れなき命を代価として差し出すことで死者を蘇生させるという、世界の法則を覆す神秘の剣。
当然だが、彼女はそれを自分が使おうと思って創ったわけではない。また、人の死を見たくて創ったわけでもない。あくまで人という種族の清廉さを見たくて、愛する者を救う手段がありながらそれを使うことが出来ない苦悩に打ちひしがれる姿を見たくて、苦悩に打ち勝つ人間を見てみたくて創ったのだ。
だが、条件さえそろっていれば、そんな人間はそういるものではないのかもしれない。それを得た時の君主は愛妾のために無辜の民を自ら虐殺した。そう、途方もない奇蹟の代償として生き返らせたい相手のために自ら剣を持って、百の命を奪わねばならないのだ。
後に、生き返った愛妾ともども怨みに思った者たちの手で王は討たれる……故にその剣を蘇生剣とは呼ばない――何時からか呼ばれる名を古いフランスの言葉にて『Avengier』、またの名を復讐剣。
吸血鬼の貴族一人を生き返らせるのに必要なのは最低でも十万人、条件次第では数百万人にも上る生贄が必要という。それ故に思う……霧海に幽閉された数十万の魂を使えば、リリエンタールの復活は可能なのではないかと。
六協会のどこも回収には成功していないそれをスタニスワフが保有している恐れがある。これは歴史的な流れから予測されることで、不死魔術の実験体であったスタニスワフがベルジュラック卿本人から受け取っている可能性は否定できないのだ。
もしも剣をもっていた場合のことを考えれば、少々厄介なことになる。
呪術師リリエンタール卿とは夢と現実をひっくり返そうとした、つまりは自分の夢に現実を浸食させて、現実となった夢の世界の王となろうと考えた男なのだ。
そんなわけのわからないことが現実に可能かどうかは疑わしい、だがその末端技術を応用したのが霧海という世界なのだからあながち否定も出来ない。
霧海の到来までにスタニスワフを封印しなければ、不測の事態が起こりえる……その危機感ゆえに二人の男女は急いでいた。
「ミルチャさん」
金髪碧眼の美少女、アーデルハイトが一緒に夜道を歩いていた紅の魔術師に呼びかけた。本名で呼ばれることが少ないサーシャには、むしろ彼女の呼び方は気に入らなかったらしい。
少し肩を竦めて、ため息をつく。
「あー、アーデルさん……サーシャでいい。もう何度もそう言ってる。貴女しつこい」
サーシャにはどうもこの少女は遣り辛い相手だ。横で揺れる長い金糸――風に靡く金砂の髪の錬金術師に一瞬目を遣りながら、使い魔からの情報を頭の中で整理していく。
街にはなったのはほとんどが鳥、一部には蛇などもいるが空からの捜索ほどに役に立つものはないだろう。犬たちは駄目だ。殺す相手の匂いを追いかけようとしても肝心の相手の匂いがわからないし、あれだけ人を殺す吸血鬼が死体を残さないのだ。
今のところは情報なし、その報告に舌打ちをした。その行為を自身への非難と取ったのか、アーデルハイトは薄く笑った。
「ふふっ、そう嫌がらないでください。別に悪口を言っているわけではないのですから」
いつも通り丁寧な物言いだが、呼び方を変える気は更々なさそうだ。やはり遣り辛い、サーシャのその結論は変わらないだろう。
「でも、その呼び方はこそ痒い。貴女、さっきから何見てる?」
歩きながらアーデルハイトが手にしていたのはA4サイズのプリント――警察のホームページからプリントアウトしたこの街の犯罪マップで、特に集中している場所に印が付けられていた。
「街の地図です、私も人探しは得意分野というわけではないので。一般の捜査機関の情報も案外ためになるものですよ」
確かに今までのスタニスワフなら他の犯罪者に対抗してより残酷な殺しをして醜い自己顕示欲を満足させたことだろう。
だが、今回の彼は慎重で人間が普通に追いかけても辿り着くのは無理だと思われた。
なぜなら、現行犯以外では逮捕できないからである。彼に血を吸われた者は死んでしまったのに、吸血鬼として生き返る……しかも、彼の僕としてである。
これでは傷害罪も殺人罪も立証できない、いやそもそも誰も被害届けを届けないのだから事件自体が発生したことにならないのだ。
そう考えれば、サーシャにとってアーデルハイトの行動は無意味に思えた。
「流石に何百年もこそこそ生きてきた吸血鬼、姿隠すのが上手過ぎる。このままだと、埒明かない……霧海の討伐は私の任務じゃない。でも、時間あれば手を貸してもいい」
気分でなんとなくそんなことを口にしていた。サーシャほどの執行官には相当な権限が与えられているが、今回の任務が済めば帰るのは覆せない。
それだというのに、思いつきで口にしていた。迂闊なことを言ったものだと自責したが、アーデルハイトの回答は思っていたものと違った。
「お断りします。あれはこの手で殺し尽くさねばならない相手ですから」
彼女は随分とはっきり言い切った。理由はわからないが、逆鱗に触れてしまったのかもしれない。サーシャを見つめたアーデルハイトの瞳は少し鋭かった。
「そう、それなら別にいい……漸く獲物。この近くの学校、に吸血鬼がいる。スタニスワフとは違うみたい、用意は大丈夫?」
微かに使い魔が感じた気配はただの吸血鬼とは思えない異質なもの。もしかすると当たりかもしれない。
「……少々眠いですね。薬を頂いた後で、少し時間をください」
アーデルハイトはポケットから取り出した薬剤を十錠も手に乗せ、それをすぐ近くにあった公園の蛇口で飲み干した。彼女の顔は本当に苦しそうで、暗がりでは気がつかなかったが血の気がない。
サーシャは後からそれについてきて、彼女を見ながらため息混じりに言った。
「身体悪いなら、無理しなくても私だけで殺せる。まあ、間違えて人殺しても責任取れないけど」
そう、もし間違っていれば巻き添えで人も殺す。それが彼ら執行官が血も涙もない殺し屋として恐れられる由縁、一人を殺して十人が救えるなら殺す、それが彼らの教えだ。
呼吸を整えながらアーデルハイトが吸血鬼の居場所に進もうとしたサーシャを押しとどめた。
「ですから、待ってくださいと言っています。私もミルチャさんを手にかけたくはありませんから」
冗談ではないらしい。苦しそうな呼吸も正常に戻りつつあり、その目には漸く生気が戻ってきていた。確かに、今の彼女ならそこそこ勝負になりそうだ。
「じゃ、それまでタバコでも吸ってる。葉巻吸うか? 貴女も別に気にしない年」
口にはタバコをくわえながら、アーデルハイトにも一本差し出すサーシャ。訝しげな表情の彼女はそれを受け取らない。
「女性の年を云うのは紳士としてはどうなのでしょうね……それで、ブランドは?」
「プラウダーレ」
「失礼ですけど、そんな名前は聞いたことがありませんね」
「もう潰れてる。故国で皆が吸ってた国営タバコ会社の在庫品……伝あって在庫品山のように屋敷に置いてある。吸って、気に入ったなら貴女に送る」
「結構です、タバコは身体に毒ですよ。禁煙した方がいいと思いますけど」
「ははっ、薬飲まないとまともに戦えない人の言う台詞じゃないよ……でも、このタバコはただの願掛け。いつもは吸わない、殺しの前たまに吸う」
タバコの煙が夜の闇に消えていく。安物の匂いが服についてしまうのではないかと心配する人間はここにはいない。
「儀式の真似事ということですか……なら、私の薬も似たようなものです。いいえ、これを飲めば痛みが治りますから、むしろそちらより重要です」
「そうか。なら、私も我慢する……逃げる前に用意整えて欲しい」
「当然です。もう、行けますよ」
そう、アーデルハイトは力強い返事を返すのだった。
夜の学園――秋葉学園初等部、お金持ちの子女が多いことで有名なお嬢様学校の併設小学校。月の光さえかき消すほどの闇がそこにあった。
広い校庭の隅にある滑り台、その上に腰掛けていたのは月を見上げる銀髪の吸血鬼。
アーデルハイトも、サーシャも、その校庭に足を踏み入れた瞬間にわかった……この吸血鬼はスタニスワフではない、と。
「なんだ……アンジェリカが漸く見つかったのかね、エンリル?」
滑り台の上にいた貴族は空を見つめたまま、足音の主である二人に問うた。即座に返事がないことで、彼は漸く自分の月見の席に割り込んだ闖入者を見つめた。
鳥のような貴族――鶴を思わせるほどに縦に長く、筋肉はついているのだが背が高すぎて痩せて見える老人は血のように紅い瞳をした本物の貴族。漆黒のマントを靡かせ、19世紀の倫敦から時間を旅行してきたかのような黒いスーツを着た老貴族は、銀色に輝く長い髪を緩い三つ編みにして、豊かな髭を生やしていた。
「おや、違ったようだな……こんばんは、そしてはじめまして、アーデルハイト女史。それにイオレスク君。君たちに会えて光栄だよ」
滑り台から下りるでもなく、高い場所から睥睨した貴族はとても優雅に一礼した。見ればわかる、彼ほどに血の匂いのする吸血鬼は姫君を除いて存在しないのだから。
「キャッスルゲート卿……いいえ、マルドゥーク教授、ですか?」
互いに相手を知っていても、これは初対面。サーシャも、アーデルハイトも、貴族ですら互いの顔を見たのはこれがはじめて。
だが、彼らは互いに相手を知った……見ただけで相手が誰かわかった。
「いかにも。だが、便宜上イリヤと名乗っている、イリヤで構わんよ。それからイオレスク君、君には伝達が行っているだろうが一応言っておく。サンタクルスの元老の訴追免状……勿論私に対するものだが、それがつい先日発せられた。戦闘は勘弁願うよ、アーデルハイトのお使いでわざわざ来たのだからね」
サーシャはその話を聞いて知っていた。認めるかどうかは別問題だが、悪いアイディアとも思わなかったことを思い出す。
「こんなところで何を? イリヤさんに依頼した用件はまだ先のはずです……どうしてでしょうね、貴方を見ていると頭が痛くなってきました」
「馬鹿者。私がここにいるのは、年頃の若い娘の匂いを嗅ぎに来たに決まっているだろう。実にいい匂い。甘酸っぱいようでいて、その花は蕾、芳しい香のようなものだ……食指を誘うよ」
「公爵、私も聞きたい……貴方は、この街で人を殺したか?」
殺意を孕んだ風に打たれても70か80にしか見えない老人に動揺はない。執行官に睨まれてもそれを脅威と感じないだけの余裕があった。
「この街では殺していない。強いてあげるとすれば、旅の前にアメリカで死刑囚を五十人ばかり食い殺したが……それが何か? 親戚でも混ざっていたのかね?」
アーデルハイトに怒りはない、サーシャにも。死ぬ運命にあったものが殺されたに過ぎないからだろうか。
「随分と雑食のようですね。噂ではイフィリルは善悪を問わず美しい処女、それも十代の人間しか餌食にしないほどに偏食だそうですが」
「不正確な情報だな。付け加えるなら、武勇と知略に優れ人格高尚な上、眉目秀麗な英雄の血も好む……私はそういう血は大嫌いなのだが、彼女は夢見がちだからありもしない幻想の英雄を愛する。性格のわりになんとも純情な少女だろう?」
「そうでしょうか? 英雄は優れているからこそ好かれるのだと思いますけど」」
「私は絶対に違う、男に惹かれるなどありえん。そうだな、彼女は吸血という行為に性行為を重ねるところがある。当然妄想だけなのだがね……医者の私が心理学的にいうならば、あれは色を好む」
「都合のいい解釈ですね。それにしても、どこで医者の免許など?」
「昔、ギリシャで……新しい境地を開拓するほどの衝撃だった。そう、医者なら色々と危ない妄想を膨らませることが出来ると思ったのが発端だったのだがな。思い出す、アスクレピオンでは実によく勉学に励んだものだよ。ああイフィリルの偏食についてだが、そういう意味では君たちの血はさぞ好まれることだろうな。美少女趣味も英雄趣味も根源は変わらないから。イオレスク君は駄目だが、女史ならば彼女の夜伽の相手になっても構わんぞ。私が許す」
「ふざけたことを……戯言は終わりにしてもらえませんか」
貴族の身体が滑り台の上から消えたと思うと、そのまま彼は華麗に地面に着地した。戦闘するつもりはないらしいが、それでも彼に対しての警戒を怠る二人ではなかった。
「何だ? 喧嘩をするつもりはないと明言したはずだが。何より、私は可哀想な身分だよ……世界中の私の持ち物を人質に魔術師どもが脅してくるのだから。いや、あれには困る。宇宙船を破壊するだの、工場を吹き飛ばすだのと……そういいながら金を脅し取る、これが正義を標榜する人間がやることかね?」
その言を受けて、一瞬肩を竦めて見せたアーデルハイトはにこやかに言った。
「そうですね、それについては同情する余地はあります。ですが、貴方のように危険な変態から治安を守るのも市民の役目、さっさと棺桶に帰ってください。警察機構に訴えますよ」
そう言われて彼は苦笑する。
「くくっ、随分な言い草だな……では逆に、私が目の前の少女を教育的に不適切な方法で矯正するのも自由なのだね? ついでに、イオレスク君に言っておくが君のご先祖にはいい加減私も我慢の限界だ。子孫の君にも多少説教せねば気が治まらん、わかるね?」
「わからない。どうして、先祖のことで私に責がある? それに、元老が訴追免状出した以上は私の管轄外。スタニスワフ追いかけるのに、貴方の相手する時間もったいない。アーデルさんも、呆けた年寄り相手に熱くなる必要ない」
「この老人はただの老人ではなく、変質者です。色々な意味でこれを放置できる相手ではありません……それに電話では散々人を愚弄してくれましたよね、イリヤさんは」
「それはこちらも同じだ、女史。人に金ばかり払わせて、言葉の上の礼だけで、はいそうですかと問屋が卸すと思うのかね?」
「持っている人が多く払う、税金と同じことです。ちゃんと払っていないでしょう?」
「税金ならいつも脱税している、追徴課税は受けたことがない……ああ、なるほど。そういう意味では私の金にも意味があるな。わかった、その件については私の負けのようだ。だがな、私を変態呼ばわりしたことについては謝罪を要求する」
「何を馬鹿な……それに、謝罪を要求するのは私も同じです。貴方の首を差し出しなさい、謝罪するとすればその後です」
「どうやら君と話しても平行線のようだ。ふむ……時にアーデルハイト、君はこの街に住んでいるのだね?」
学校の方を見つめながら、貴族は問うた。訝しく思いながらもアーデルハイトは頷いた。
「この学校、生徒は美しいかな? この国の少女の黒髪はイフィリルを思わせる、実にいい……そんな生徒ばかりなのかね?」
「それは……よくわかりませんが、世間で言うところのお嬢様学校だとは聞いています」
「宜しい、誠に宜しい。今度ここを買い取って、学費は無料、私の趣味の制服や水着を強制する学校に変えよう! 私が理事長になり、他数名の華を添えれば同志達にも生徒にも大人気。校則作りなどは実に楽しいものになるだろう……と思わんかね?」
「駄目……ああ、また頭が痛く……ミルチャさん、やはり街の平和のために見過ごせません。この変態貴族は屠っておく必要があります」
「公爵、貴方のはなし、聞いただけなら学校すごい赤字、になる。構わないのか?」
「当然だ、赤字など痛くも痒くもない……よし、早速買収を進めるとしよう。それと、いい質問をしたイオレスク君に意味のある情報を提供するとしようか……これを見給え」
貴族が差し出したのは首に掛かっていた赤い宝石のペンダント。アーデルハイトは知らないが、マリアと名乗った女性、アンジェリカ、イフィリル、斎木、スタニスワフが常に身に着けているモノ。
「何ですか、それは?」
宝石を見ただけでは何の効果があるのかもわからない。アーデルハイトとサーシャは軽く首をかしげた。
「吸血鬼の気配を消す道具、といえばわかるだろう? 私ほどの存在規模の吸血鬼が街に入り込んだことに漸く気がついたのは、単にこれのせいだ」
「何ですって……?」
「イフィリルが創った便利な魔法アイテム……狩人のエンカウント率をゼロにする働きがある。スタニスワフは確かに捜し辛い相手だが、あまりにうまく隠れすぎだと思わなかったのかね?」
「……公爵、貴方どういうつもり?」
「野暮なことを言うなよ。ヒントをあげなければゲームというものは面白みに欠ける」
「ゲーム? どういうこと? よくわからない」
「この宝石は私も製作段階で多少の技術提供をしていてね……実はこれを使えば、簡単な人探しの魔術でお互いの位置を確認しあえる優れものなのだよ。だから、私たちは仲間の居場所を容易に捜し得る。世界にいるイフィリル派の祖は中立も含めて25、件の薬と共に彼女が配ったのがこれだ。いわゆる我々の世界のゲームの参加資格だな。そこで提案だが、困っている君たちのためにこれをレンタルしてもいい。これを用いればスタニスワフを捜すなど容易だ」
「代償は? ただでそんなものを貸す貴方ではないでしょう?」
「ゲームだといっただろう? だとすれば差し詰め私は街の周りに出現する雑魚モンスター……私の身体に一太刀入れて見せろ。イオレスク、シュリンゲル両家に伝えた錬金術がどれほど子孫に受け継がれているのか、それを私に示して欲しい」
「……死んでも責任は負いかねますよ」
「それも一興だ、構わん。だが、墓は建ててくれよ。いつかイフィリルが泣きながら参りに来てくれるかも知れんからな」
「それは絶対にない。私も、そう断言できる。でも、公爵……元老院の訴追免状は?」
「無視すればいい。紙切れだ。それに、これはあくまで遊び……遊びに連中の許可が要るのかね?」
「やはりわからない人ですね、貴方は……」
「ところで……聞いておきたいのだが、イフィリルを傷つけたか?」
「――と、ここで彼女がYesと言ったのでな……殺した」
紅茶を口にしながら、貴族は楽しそうに語った。俺にはまるで遠い国の話を聞いているような感じだった。
お菓子と一緒に勝手に持ち込まれたオーディオプレイヤーがクラシックを奏でる部屋の中、みんなが無言だ。
長い話を聞いたからかもしれないし、彼女を殺した理由が詰まらないものだったからかもしれない。
そして、紅茶とケーキを漸く食べ終えた綾音が一呼吸置いて目の前に座っていたアウグスタに世間話デモするように語り掛ける。
「……それは随分と運がない夜でしたね、シュリンゲル卿?」
「はい?」
彼女の言葉を聴いて、思わず間抜けな声が出た。
「ちょっと待てよ、アウグスタはイリヤの人形だろ? それがどうしてアデット?」
「流石に専門だけはあっていい目をお持ちのようですね、綾音さんは」
俺を無視して返事をする少女。
アウグスタ、いやアデットらしき彼女は退屈から解放されたようなすがすがしい表情で返した。
「……???」
よく理解出来ていない浅海は混乱中。この分だと、回復までどれくらい掛かることやら。
「……イリヤさんが唐突に振った上、玲菜さんが勝手に勘違いをなさるから困っていたところです」
少女はイリヤを睨んだ。
「わからん奴だ。どうせ時間はあるのだし……暇つぶしにからかうのにちょうどいい少女がいれば、な?」
「私のことですか、それとも玲菜さんのことでしょうか?」
「どちらもだよ。紅い瞳がコンプレックスでずっと恥ずかしそうにしていた君、私が選んだ衣装を着るときに酷く嫌がっていた君、それにスカートから下着が覗きそうだったあのちらリズム、実に良かったぞ。興奮してしまったよ。何より、不完全な身体を完全にしようと性欲がな……はははっ、自分だけで解決しようとしなくても、いつでも手助けしてやるぞ?」
イリヤはやはり変態のようだ、楽しそうに……厭らしそうな視線をアデットに送り始めていたのだから。
「黙ってください……その視線を止めないと、刺しますよ。ごほん、唯一心配らしい心配をしてくださった玲菜さん、ご安心を。私が昨日死んだアーデルハイトの後継、彼女のホムンクルスです」
「ホムンクルス……いや、アデット本人じゃないのか?」
「いいえ、私は確かに本人ですよ。年齢が違うのは妊娠中に殺されたからで、この身体は前に比べてポテンシャルで勝る分不安定ですね。私は自分を創る錬金術師ですから……綾音さんは私を見て気がついたようですけど、公明さんにも前に教えませんでした?」
錬金術師アーデルハイトは語る、彼女の歴史を。
何時だったかも忘れるほど昔、まだフランク王国があったような時代。彼女が34歳のとき、アデットは錬金術師として第一の試練を乗り越えた。
第一の試練を超えた錬金術師はわかりやすい基準では小達人程度、得られる奇蹟は不老の身体。不老といっても吸血鬼たちのように延々と生き続けることが出来るような大層なものじゃなく、実際は何もしていない場合は二百年程度で身体が崩れ始めるらしい。
その体が持つ間に彼女はさらに第二の試練を超えようとした。
だが、それを乗り越えるには才能が足りない。迫る時間、崩れ始める身体、枯渇する一族の血……のしかかる問題はあまりに大きかった。
それを超える苦肉の策が後に彼女が最も得意とすることになるホムンクルス。
第二の試練を超えたのは五百年も後、十人目。
第二の試練を超えたものは人を超えるほどの知覚領域と身体能力を得る、それからは崩れ始める身体を変えては変え、延々と次の第三に挑んできた。彼女は未だにそれを超えていない。
だが、最も接近したときそれに触れた。
アデット、と俺たちが呼んでいたのはそのときのホムンクルス。初代アーデルハイトのように純粋な人間とまったく変わらない、それでいて年齢を調節する技術により本人より若返った、不老のホムンクルスだ。
毎度毎度のアーデルハイトの人格は別物、魂が微妙に違うのだ。
だが、俺たちが知るアデットは目の前の少女と同じ人、魂を直接移動させたのだとか。シュリンゲルの一族が延々と繰り返してばかりなのに着実に進んできた秘密は教えてくれなかったが、他の秘術を加えた上でそれをなしてきた。
それで、損傷が酷い身体を治すよりもホムンクルスを創って身体を交換しようとしていたアデットだったのだが、イリヤに殺されてしまった。止む無く未完成のホムンクルスに魂を移した……それが目の前の少女。
彼女はホムンクルスを創るたびに先代より必ず優れた素養のホムンクルスになる、そういう秘密の技法があるらしい。
だが、未完成だったため素養はあるものの力の起伏が不安定化。新しい成人女性型のホムンクルスを創るのは不可能ではないが、時間がかかって今すぐにどうにかできる状態ではない。
だから、彼女は少女で過ごさねばならないのだ。
で、イリヤはアデットを殺す気で戦っていたのだが、幼女の姿の彼女を見た途端……その姿に萌えたらしい。殺すのも止めて昨夜からずっと身体を触ったり、服を着替えさせたり、覗いたり、趣味の服を山ほど買ってきたり……アデットですら欝になりそうなくらいのセクハラが延々繰り返されたのだとか。
「ふむ。当然だろう、こんな可愛くて生意気な性格の少女を殺すことなど出来ると思うのかね?」
「いや、俺思うけど……アンタはやっぱり死んだ方がいいぞ」
「それで……実は深刻な問題があるのですが」
「ん? 何だよ、アデット」
「……実は、今の私にはホムンクルスを仕込んだ六月以降の記憶がないのです。スタニスワフがどうしてここにいるのか、何故あんなザコ相手にミルチャさんのような凄腕が派遣されているのか、どうしてイリヤさんのような変態に援助を願ったのか、一体何の援助を願ったのか……日記には書いていなくて、よくわからないのですが?」
何だか、とてつもないことを口走ってくれましたよ、このお嬢さんは。
「実は今日伺ったのも記憶を埋め合わせるために、身近な人から話を聞こうかと……あれ、どうなさいました?」