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No.1511の一覧
[0] Spell Breaker[暇人](2006/01/30 21:27)
[1] 第一話 『満月の夜に』[暇人](2006/11/10 02:08)
[2] 第二話 『月夜のアルテミス』[暇人](2006/11/14 21:33)
[3] 第三話 『夜の終わり』[暇人](2006/11/14 21:27)
[4] 第四話 『目が覚めると』[暇人](2006/05/09 21:36)
[5] 第五話 『偽りの夜は明けて』[暇人](2006/11/14 21:37)
[6] 第六話 『生き残るための選択』[暇人](2006/11/14 21:46)
[7] 第七話 『月の呪縛』[暇人](2006/06/19 11:53)
[8] 第八話 『感動の次には』[暇人](2006/02/11 17:29)
[9] 第九話 『アマルガスト』[暇人](2006/02/15 20:47)
[10] 第十話 『はじめての魔術』[暇人](2006/11/26 15:23)
[11] 第十一話 『ある日の出来事』[暇人](2006/05/31 23:32)
[12] 第十二話 『ある魔術師の悪意』[暇人](2006/11/14 22:44)
[13] 第十三話 『夜の始まりに』[暇人](2006/05/31 23:21)
[14] 第十四話 『吸血鬼』[暇人](2006/11/14 21:55)
[15] 第十五話 『バイバイ』[暇人](2006/11/14 22:00)
[16] 第十六話 『Another night』[暇人](2006/05/31 23:47)
[17] 第十七話 『夜明け』[暇人](2006/11/14 22:29)
[18] 第十八話 『噂』[暇人](2006/11/14 22:11)
[19] 第十九話 『アデット先生の魔術講義/ルーン』[暇人](2006/11/14 22:35)
[20] 第二十話 『銀狼奇譚』[暇人](2006/11/14 22:05)
[21] 第二十一話 『ある夏の夜に』[暇人](2006/06/03 09:20)
[22] 第二十二話 『霧海』[暇人](2006/11/09 02:42)
[23] 第二十三話 『回想/Doll Day 1』[暇人](2006/06/09 00:25)
[24] 第二十四話 『回想/Doll Day 2』[暇人](2006/11/09 02:57)
[25] 第二十五話 『回想/Doll Day 3』[暇人](2006/11/10 00:50)
[26] 第二十六話 『断れなくて 』[暇人](2006/06/25 15:46)
[27] 第二十七話 『真紅の魔術師 』[暇人](2006/11/10 01:17)
[28] 第二十八話 『目が覚めてみれば 』[暇人](2006/11/14 22:52)
[29] 第二十九話 『公園での出来事 』[暇人](2006/11/20 05:39)
[30] 第三十話 『悪夢の舞台へ 』[暇人](2006/07/18 20:25)
[31] 第三十一話 『路地裏の喧嘩 』[暇人](2006/11/10 01:09)
[32] 第三十二話 『路地裏の決着 』[暇人](2006/11/10 01:45)
[33] 第三十三話 『逢魔ガ橋 ・血戦』[暇人](2006/11/10 01:50)
[34] 第三十四話 『訪ねてきた吸血鬼』[暇人](2006/11/10 01:57)
[35] 第三十五話 『人々の夜』[暇人](2006/11/01 05:43)
[36] 第三十六話 『憂鬱な朝』[暇人](2006/11/10 02:04)
[37] 第三十七話 『時を統べる者』[暇人](2006/11/20 06:55)
[38] 第三十八話 『無限回廊・宴の始まり』[暇人](2006/11/26 16:20)
[39] 第三十九話 『最も高貴な一族』[暇人](2006/12/07 04:29)
[40] 第四十話 『風』[暇人](2007/01/18 07:53)
[41] 第四十一話 『伝承の最期』[暇人](2007/02/10 02:11)
[42] 第四十二話 『彼女達の日々/綾音』[暇人](2007/02/10 02:16)
[43] 第四十三話 『彼女達の日々/玲菜』[暇人](2007/03/01 01:45)
[44] 第四十四話 『謀り』[暇人](2007/03/01 02:14)
[45] 第四十五話 『勘違い』[暇人](2007/04/15 01:27)
[46] 第四十六話 『ふくしゅう』[暇人](2007/05/18 02:27)
[47] 第四十七話 『浅はかな悪意』[暇人](2007/11/20 01:29)
[48] 第四十八話 『招かれざる狩人』[暇人](2007/11/20 01:02)
[49] 第四十九話『銀の杖』[暇人](2008/03/23 00:38)
[50] 第五十話 『こくはく』[暇人](2008/04/03 07:30)
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[1511] 第三十話 『悪夢の舞台へ 』
Name: 暇人 前を表示する / 次を表示する
Date: 2006/07/18 20:25
「おい、大丈夫か?」

床に倒れこんでしまった綾音を助け起こした俺は、顔色の悪い彼女をさっきまで寝ていたベッドに移そうと抱きかかえた。

女の子だからだろう、抱きかかえた彼女の体重は本当に軽かったし、抱きかかえたときちょうど俺の胸の辺りにあった彼女の髪の毛からはまるでシャワーを浴びた直後ように高価なシャンプーの匂いがした。

急に抱きかかえられて驚いたのだろうか……綾音は一瞬呆然とした後、顔を真っ赤にして手をばたつかせて俺の腕から逃れようとした。

「ちょっ……手を放しなさ……きゃ」

抵抗しようとした綾音を落とすまいとした俺は急いでベッドの上に彼女の体を寝かせた。

「―――――ありがとう……ございます。でも、急に女性の身体に触れて、いきなり予告もなく抱きかかえるなんて、その……礼儀に反します!」

まぁ、確かにそれも事実ではあるが非常事態だろ……やっぱり変だ、いつもの綾音と違って今日の彼女は本調子ではない。

「あのな、床に倒れたままほっとけるわけないだろ。大体、ここはお前の部屋なんだし俺よりもお前の方がずっと重症なんだから」

「えぇ……ごめんなさい。私ったら、本当に変なことを……でも、次からは先に言ってからにしてください」

ベッドの上に寝かせた彼女の顔色を見てみれば、真っ赤で体温も随分と上がっている様子だ。

「まぁ、それは気をつけるけどお前も……」

これはやはりよほど体調が悪いのだろう……と、綾音を抱きかかえた腕に感じた妙な感覚――湿っている?

ゆっくりと右手を広げてみる……

「――おい、何があったんだ? これ?」

べっとりと赤い血で汚れた右手を彼女の目の前に差し出す――俺の右手は綾音の血液で濡れていた。

「……」

自分の血液が俺の手に付着していることに動揺したのか、俺を直視できない綾音。

「きゃっ…やめ……何をするの!」

俺は嫌がる綾音をうつ伏せにさせて、彼女の背中を見ようとした。

いつもなら瓦を砕いて余りある威力の拳が俺の顔を襲っていたのかもしれないが、今は力の感じられない拳がただ俺の目の前を通り過ぎ虚しく空を切るばかり。

俺に簡単に裏返された綾音の身体――その背中、特に腰の辺りに赤くて大きな血の斑点が一つ。

俺の拳よりもやや大きいくらいの範囲に渡って制服を紅く染めた鮮血は、よほどの傷であることを予感させた。

それを見られたためか、綾音の体から抵抗する力が失われていく。

「――一応聞いておくけど、昨日の魔術師は本物だな?」

「………ぇぇ」

肯定を告げる小さな声――ベッドが紅く染まることも気にせず、再び身体を反転させてベッドの上に座る格好になった綾音は服を捲って自分の腹部を晒した。

思わず目を逸らそうとしたが、彼女の手が掛かった服にはすでに背中と同じ赤い斑点が現れていたので何とか目を逸らさずにそれを見つめた。

白くて艶やかな彼女の瑞々しい肌……だが、その楕円形の傷口部分だけはまるで大きな痣の様になっていて、そこから血が滲み出ているのがわかった。

その血と同じくらいに赤い感情が自分の中に広がっていくのがわかる……いつもこんなに冴えていないと思うが、今だけは違う――何とか魔術師を追い払いながら大怪我をした彼女、俺に心配させまいと嘘をついていた彼女、そんな彼女をこんな目にあわせた相手への単純な怒りが湧き上がってくる。

恐怖と並んで怒りは原始的な感情の一つだ、単純で思慮の足りない感情。

魔術を学ぶ者ならば抑制しなければならない感情の一つだと教わったはずなのに、抑えられそうにない。

「あの野郎…」

見つける、あの野郎を見つけ出してぶん殴ってやる。

考えていたのはただの復讐――アデットならそんなつまらない事は止めておけというだろう、だが俺はそれが無意味かどうかを判断してやるほど損得勘定では動けない。

そんな俺の心情を察するように脚は勝手にドアの方へ走り出そうとしていた。

「待って……ください」

あの紅い魔術師を探すために街に出ようとした俺を寸でのところ呼び止めた綾音、すごく苦しいはずなのにベッドから起き上がって俺の腕を掴んで何とか止めようとする綾音……俺を止めようとする腕にさえ力が感じられないのは余程のダメージだったのだろう。

そう考えればたったあれだけで気絶なんてしまったことが悔しく、どうしようもなく自分に腹が立った。

確かに俺が助けを求めたわけじゃない、彼女が勝手にやって勝手に怪我をしただけのことだ……前にアデットはそんな魔術師は馬鹿だといっていた、無意味な危険を犯す魔術師はすぐに落命するから一流になれない、と。

確かにそうなのかもしれない、俺にとっては生死に関わる大事件だったが、綾音にとっては無視すればいいだけのことだったのだから……怪我なんてしなくても、ただ俺の葬式に来て線香でも上げてくれれば別に怨むわけでもないのに……彼女は救いようのない馬鹿だ。

でも、彼女にそんなことをさせたのはやはり自分だ、助けを求めていたわけじゃなくても彼女がそう思ったのならやはり俺は生きたいと思ったのだろう。

なら、やっぱり責任は俺にある。

「離せよ、俺はアイツを一回ぶん殴らないとお前に申し訳が立たない」

「……それだけのためにあの魔術師を探そうと?」

お互い相手と面と向かうことのない会話――俺はただ外へ続く扉を、綾音は自分が止めようとする男の背中を見つめて言葉を交わした。

「ああ。せっかく助けてもらったのに悪いけど、俺はアイツを許せない。不意打ちでも何でもして、絶対にこの代償は払わせる」

「無理よ。あの魔術師は私や浅海、そういった魔術世界の貴族の子弟の中でも指折りの暗殺者なの……貴方は彼の何百といる使い魔のうちの一つを滅ぼしたに過ぎないわ。隙を突いたくらいでどうにかできる相手では……それに、死んだら私は貴方を許しません」

真剣な声、反論など決して望んでいないことがわかるほどに切実な願いが込められている。

きっとこれを振り切って俺が走り出せば彼女はあの体を押してでも無理やりついてくることだろう。

そんなことになれば死体が二つになるだけだ……駄目だ、今そんな無茶なことは出来ない。

「……わかった……ごめん、頭に血が上ってた。俺もやめるから、お前もベッドにもどれよ」

振り返れば泣きそうになりながらも安心した表情の綾音――すぐに目を擦って零れ落ちようとしていた涙を誤魔化した彼女は、素直にベッドに戻ってくれた。

俺も何だかんだ言って怪我をしていた点は変わりない、緊張の糸が切れてしまうと再びわき腹の、チクチクと針で刺すような痛みが気になり始めた。

ベッドは綾音が使っているので、俺はさっきまで綾音が腰掛けていた椅子に腰を下ろして身体を休めることにする。

お互い、少々感情的になりかけていたために冷静になると浅慮な行動に対する恥ずかしさで顔が赤くなっていく。

交わすべき言葉も思い浮かばぬまましばらく沈黙が流れた。

「あー、その怪我だけど包帯とかあれば手当てしてやれるけど?」

ここ半年ばかりのドタバタや修行で生傷の耐えない時期もあったから、簡単な手当てなら目で見て学んだ。

勿論、俺よりも彼女の方がその技術も高いのだろうが背中の怪我などは流石に一人では治療が難しいと思うし、疲れているのならお礼を兼ねて俺が手当てしてやるべきだろう。

「え?」

「あ、いや待て。そういえばいいのがあった。ちょっと、そのまま待っててくれ……俺の本は……あった、あった」

俺の手荷物と一緒に置いてあった本を手に取ると、ページを捲って治癒魔術が記されている箇所を開いた。

それを見た綾音もなるほどといった表情で、自分から服を捲くって傷口を俺の目の前に晒した。

思えば、この魔術は最初何が起こっているのかよくわからなくて、アデットに聞くまでは意味のないものかとさえ考えていたものだが、こんな場面で役に立つとは……人生何があるかわからないな。

「ちょっと痛むかもしれないけど、手を触れるからな」

先程の警告通り、今回は先に触れる予告をしておく。

この魔術は別に触れなくても近づいてさえいれば成功するのだが、そもそも効率がいいわけじゃないからその低い効率を上げるために患部に術者の身体が触れた方が治癒の力が向上するのだ。

柔らかな肌に触れる瞬間、彼女の体がやや緊張して頬が上気した――まぁ、男が触るわけだからその反応は仕方ないか。

ベッドに腰掛け、膝の上に載せた本を空いている左手でさっとなぞった。

傷口に触れた右手の表面が熱を帯びたのがわかる。

少し熱い、まるでカイロにでも触れているようだ。

「ん、んうぅ……ぁ」

「痛むのか?」

「い、いいえ。その……少し独特の感触だったから、つい」

「?」

熱が引くと同時に手を離すが、綾音の顔はまだ紅潮している……思うに、この魔術は自分に使う意味がなくて感触はわからないのだが、それほど気持ちのいいものなのだろうか?

俺が触れていた傷口を見てみれば、先程の痣は綺麗に消えていて表面上完全に治癒したように見える。

あまり試す機会がなかったこの魔術の効率はイマイチわからないが、傷の深さによっては完全な治癒になっているかどうか気になるところだ。

「あ、ありがとう、ございます」

「いや、それより……治ったか? 正直、俺には意味のない魔術だから効果がよくわからないんだ」

少し自分の身体に触れた綾音は満足そうな表情で俺に返した。

「ええ、恐らくもう大丈夫だと思います。でも、こんなレベルのヒーリングを使えるほどに成長していたのね」

「まぁ、俺に出来ることはただ魔力の総量を増やすだけだから……やることがたくさんあるお前らと少し違うんじゃないか。アデットもペースが予定より速いって言ってたし」

「フフッ、そうかもしれませんね」

漸く落ち着きを取り戻してきた綾音は少しリラックスした様子だ。

「で、俺も本題に入りたいんだけど……あの魔術師はどうして俺を? それに、何でお前がアイツのことを知ってるんだ?」

これを聞いた途端に綾音の表情が少し暗くなった、俺がまたあの男を捜しに行くと思ったからかもしれない。

俺の瞳を見つめ、その真意を探ろうとした綾音はしばらく考えた末ゆっくりと口を開いた。

「わかりました……私が虚言を用いる天才を持っていれば貴方をより危険に晒さずに済むと思っていたのに残念です」

「……」

「あの魔術師ですが……名前はサーシャ、本名ミルチャ・アレクサンドル・イオレスク。通称『黄昏の王冠』と呼ばれる処刑人です」

「処刑人?」

「ええ。以前シュリンゲル卿が仰っていたと思いますけど、魔術師にもルールというものがあって、それを守らない人間は殺されるの。それで……禁を犯した魔術師や吸血鬼を裁く組織があって、それが『サンタクルス法廷』。彼は其処に所属する刑罰の執行者よ」

「……よくわからないな。どうしてそんな連中に俺が殺されかけなきゃならないんだ? それとも、俺……ルールを犯してた?」

「いいえ。それは私も一度疑ったけど、実際は吸血鬼を追いかけてきていて貴方をその吸血鬼と勘違いしたらしいの」

「……はぁ?」

「言いたいことは分かります。吸血鬼かどうか位あのレベルの執行官なら判別できて然り、しかし……今回の敵スタニスワフ・ポニャトフスキーなら話は別です」

「スタニスワフ、なんだって? おにゃこ…ふすき?」

「ポニャトフスキーよ。食人鬼スタニスワフ、あれは人間の体を料理しながら食べる異端の吸血鬼……私もそれほど詳しくは知らないけど、最も見つけるのが困難な吸血鬼の一人だとか……待っていて、父の書斎から参考になる本を取ってくるから」

立ち上がろうとした綾音、俺はそれを止めようとしたが親父さんの書斎に俺が入るわけにも行かず彼女が本をとってくるのを待つことになった。

すぐに戻ってきた彼女はベッドの上で本を広げて、その横に腰掛けた俺にその吸血鬼についての項を読んで聞かせてくれた。

『紅い髪の美女に気をつけろ、男の名前をした女に気をつけろ。一夜の宿を借りるならば気をつけろ、馬車に乗せてくれる優しい女に気をつけろ、お金を恵んでくれる女には気をつけろ』

『女の名は人食いの吸血鬼スタニスワフ。リリエンタールの殿様に仕える騎士の一人、されど騎士道精神など持ち合わせぬ怪物……』

どうにも不必要な情報が多い話が多かったが、相手について今までにわかっている情報は俺にも大体わかった。

吸血鬼スタニスワフとは700年近く昔のポーランドに現れた実在の人食鬼がリリエンタール卿に気に入られて、彼の使い魔と融合した果てにベルラック卿の秘術を持って兵隊種の吸血鬼に姿を変えたもの。

兵隊種の吸血鬼は以前に語ったように浅海と非常に近い状態で、貴族種ほどではないがやはり人智の及ばぬレベルの怪物。

紅い髪の女と記述されている存在なのに文章の中では『彼女』、『彼』とどちらともが見られたのは綾音にもわからなかったが、彼女(?)の能力によるものではないかと思われた。

その吸血鬼は食べた相手に化ける。

そう、スタニスワフという吸血鬼に形など意味がない……喰らった相手の社会的身分や家族、そういったものを利用しながら町に潜み、適度な時間をかけて新しい獲物を殺してその肉を喰らう最低の外道。

今まで何人もの狩人が追いかけながら途中で見失ってきた悪魔、それがこの街に潜んでいる……?

「……綾音、ソイツを見つける方法はあるのか?」

俺に問われた問題の解答を探してページをめくっていく綾音。

だが、彼女の持ってきた本にもその明確な答えは描かれていなかった。

「駄目、ただ事件を警察機構のように捜査していくしか方法はないようね。でも……正直、この件には関わらない方が貴方のためよ」

「何だって?」

「サーシャは私などより数段上の魔術師で一流の殺し屋、それが本気で追いかけているわけだから勝負はそれほど長引かないはずよ。無視していれば勝手に……」

「……本気で言ってるのか? 街の人が殺されてるかもしれないのに、お前は無視すればいいって言うのか?」

少々強い口調で言ってしまった、彼女は俺を心配してそんなことを言っていたのに、これから戦うはずの霧海に関係ある相手だったために俺も感情的になっていた。

怒鳴ったつもりはなかったが、彼女にはそう思えたかもしれない。

非難したつもりはなかったが、彼女にはそう思えたかもしれない。

「……」

思わず目を逸らした綾音。

「……悪い。そもそもこんな状態で言っても仕方ないことなのに、駄目だな俺」

「……いいえ、確かに私も少し冷たかったかもしれません。街での件はサーシャ自身シュリンゲル卿に何かしらの通告をしているはずだから、それは問題ないと思ったの。でも、わかりました……私たちも独自に調査を開始しましょう、構わないのね?」

「ああ。でも、いいのか?」

「貴方を助けに走った時点でこんなこともあるかと思っていたから……でも、浅海は誘いませんから。こんな危険に勝手に巻き込むのは私の矜持が許さないもの」

「それは俺も同じだ……綾音、恩に着る。ありがとう」

「―――いえ、私が勝手にしたことに対して貴方が恩に着る必要はないわ……だって、私はそんな貴方が……みたいだから」

「ん? 何だって?」

最後の辺りが聞き取れなかった、元気が内政か彼女が話す声は小さすぎたのだ。

聞き返された綾音は一瞬詰まって、気持ちのいい答えを返してくれた。

「もう! 貴方の人のよさが私に感染ったのよ、バカ」

その後、食事を持ってきたお手伝いさんをやり過ごしたりしながら何とか白川邸から脱出した俺は翌日からの捜索を約束したのだった。

○○○○○

白川邸での出来事、その四日前――彼女は家路を急いでいた。

習い事などが多い彼女は今日も学習塾で、このままでは帰宅時間が11時を少し過ぎるだろう。

彼女はずっと前からそれが不満だった、こんな忙しい青春時代を過ごすことがどれほど人生にとってマイナスになるかといつも考えていた。

そもそも彼女の通う学校にこれほど勉学に熱心な生徒がどれほどいるか……俗に言う『お嬢様学校』、お世辞にも其処は一流の進学校ではない。

有名な大学に合格する生徒もいるが、それでも進学校としてはむしろ二流だと思う。

この街で一番の学校に入れなかったわけではないと思う……下らない親の見栄に付き合わされて選んだ進路に今はただ憤慨するばかりだ。

ただイライラしていた、このままどこかに家出してやりたいほどにイライラしていた。

すでに10時を過ぎて11時はすぐ其処、遊び歩いている不良高校生や飲みすぎて路上に吐いているサラリーマンくらいしか歩いている人間はいない――それから彼女の自宅に近づくにつれ、さらに人は少なくなっていった。

今日はどうしたものか、家までの近道を通りたくなった。

3ヶ月前に痴漢が数件発生してからは通るのも避けていた道――でも、ここ1ヶ月の間に痴漢が出たとは聞いていない、何しろ件の痴漢は二ヶ月前に逮捕されたのだから。

月の下にあってなお薄暗がりの道、整然と並ぶ街路樹はもうじき葉を散らし始めることだろう。

道を歩く人間は彼女だけ――まるで世界にいる人間が自分だけになったようだ。

くるり、くるりと身体を回転させる……鞄を振り回して、まるでダンスを踊っているように回ってみた。

反転する世界の中にあって、月だけは回転することなく彼女を照らしている。

――嗚呼、綺麗な月

歌い出しそうな気分で回転しながら角を曲がったとき、足が止まった。

月も照らさぬ闇の中で誰かが座り込んでいる……痴漢か、あるいは病人か。

どちらにしろ関わりたくはない、こんな時間に厄介ごとは真っ平だ。

黙って引き返そうかと思った……だが、影からこちらを見つめる紅い瞳と視線が交錯した瞬間からそれは出来なかった――まるで自分を魅了するかのような瞳が闇の中で煌々と輝いている。

クチャ、クチャ、ボリ、ボリッ……肉とスナック菓子を食べるような気持ちの悪い音が耳まで届いた。

叫びだしそうな気分になったとき、雲から再び顔を覗かせた月がゆっくりと影を照らしていく。

だんだんと紅い瞳に近づいていく月光の絨毯――だが、それはどうしたことだろう?

闇が晴れない、瞳の回りの影がなくならない……いや、それどころか瞳の数が増えた?

一組だった瞳が、二組、三組……果ては数得られないほどに増えて彼女を拘束した。

真っ黒い、熊ほどの大きさもある影の塊……それも死の天使を連想させる途方もない数の瞳が影の表面に広がっている。

震えるだけで、声が出ない……喉まで出掛かってそれ以上は決して進めない。

駄目だ、殺される……逃げようとしても足は動かない。

鞄が落ちる、身体が麻痺したみたいに動かない。

クチャ、クチャ……ボリ、ボリ、ガリ、ガリ

不快な咀嚼音を立てる口はどこにあるのか、それもわからない黒い塊が再び影の中に消えた。

雲に隠れた月が怪物を闇の中に返した、同時に瞳の数が一組に変わり不快な咀嚼音が徐々に消えていく。

恐怖で失神しそうになった彼女の太腿辺りを暖かな液体が伝ったとき、初めて影が動いた。

いや、正確には紅い瞳だけがこちらに歩いてきた――最初は地面をこするような音、次に金属が地面を叩くような音、最後に人の足音……真っ黒い闇をドレスの代わりに纏った異国の美女。

真っ赤な長い髪がそよ風に靡き、死体のように白い肌が闇の中から覗く。

それは服を着ているというより、真っ黒い影から女性の頭と手足が生えていると表現した方が妥当だろう。

女性の身長は170センチを少し超えるほどで、よく見れば影が立体的な形を持って女性の身体の凹凸を表現していた。

理性的な顔立ちの女性で海外の貴族と言われればそのまま信じてしまいしょうな上品さが漂っている。

『やぁ、こんばんは……お嬢さん。今宵はいい月だな、オレもこんな夜には食が進む。アンタはどうだ?』

女性は見た目の上品さとは違って、どこか粗野な男のような口調だった。

だが、それでも女性の見かけの高貴さはそれを補って余りあるだろう。

震える彼女は女性の言葉に返すことが出来ない。

口が声を上げさせないのだ。

同時に、逃げ出そうにも脚が石にでもなったみたいでその場から一歩も動けない。

『はじめまして、オレはスタニスワフ。グルメな精肉業者で家具職人、料理人で貴族様に使える召使、ついでに舞台演出家で吸血鬼などというものをしている。アンタは……まぁ、どうでもいい。食えば判る事だからな』

『え?』

かろうじて、それだけを言うことが出来た。

『三人目で、漸くか……見かけは合格、しばらくお付き合い願うよ。それと……一応アンタが処女であることを祈ろうか。処女の子宮を抉り出して齧れば、熟れた林檎みたいに甘いからな』

影から生えた細い手が彼女の下腹部をすごい力で握った。

苦痛で顔が歪むが、身体の麻痺は解けない。

『漏らしたか? ヒャハハハハ、人生の最期にしては格好の悪い死に方だな』 

耳障りな高笑いが彼女の耳元で囁かれた。

抵抗できていれば女性の顔をひっぱたいていたことだろう。

『さぁ素晴らしき悪夢の始まりだ……オレは監督、アンタは主演女優。この舞台の上でアンタの素晴らしい演技を期待しているよ、お嬢さん。まぁ演技指導はちゃんとしてやるから心配は無用だ。じゃあ、娑婆とさよならだな』

その瞬間、女性の姿は消失した。

同時に彼女の目の前に数百の口が広がったのが判った……

○○○○○

思えばそれは夢だったのか?

あの夜、彼女は怪物のような女性に襲われた場所にそのままの格好で立ち尽くしていた。

かすり傷一つなく、まるで夢でも見ていたような気分だけが残った。

だが、その夜から全てが狂った。

まず、その夜差し出された夕食が満足に喉を通らなかった。

代わりに食べたいものがあったからだ……柔らかそうな人間の肉、自分の家族の身体に歯を突き立てたくて仕方がなくなった。

耳元で囁くように聞こえる声――何故そんな声が聞こえるのか疑問に思うことが出来ない声――が彼女に『殺せ』と囁く。

人間の解体の仕方は頭の中にある、どうすれば腐らせずにその多くを食べられるかも知識として頭の中にある、吸血鬼として相手をどう殺せばいいかも全て頭に入っている……彼女が疑問に思ってはいけない知識として、それは当然のこととして存在していた。

最初はうっかり包丁に手をかけて、眠っている両親の部屋を目指そうとしていた。

だが、部屋の目の前でトイレに行こうとした弟の足音を聞いてしまい断念する。

―――ヒャハハハハ、アンタは運がない女だな。オレならさっくり頚動脈を裂いて、血を抜いた後で解体するが……ここの家の冷蔵庫は大きい、肉が腐る前に全部食べられるぞ。金があるっていうのはいつの時代も便利なものだな。

耳元で不快な女の声が聞こえるが、声の主は彼女にとってわかっているのに疑問に思えない存在だ。

どうしてそれがいるのか、それがわかっていながら女性の言葉は真実のように聞こえる。

―――リリエンタール閣下の登場まであと少し……早く到着し過ぎた暇つぶしだ、アンタももう少し頑張れよ。飽きたらこの家の豚どもをオレがみんな食い殺すぜ? そうじゃなくても、腹が減って仕方ねえ……早く殺せよ、早く。

そうだ、お腹が減った……人間の血や肉じゃないと、この身体は受け付けない。

そんなはずはないのに、それが自分の常識のように感じられる……それは同時に倫理観と酷く相対する感情で凄まじいジレンマだった。

次の日は金曜日、学校は休みではなかったのに彼女は部屋から出られなくなっていた。

絶えず耳元で囁かれる虐殺の誘い、笑いながら殺し方を説明する女性の声――目は腐りやすいからさっさと食えよ、小腸や大腸は中身を始末せずに喰らいついたときが傑作だ……不快な言葉、常軌を逸した言葉をまるでそう思うことが出来ないほどに彼女の精神は疲弊していた。

次の日も、その次の日も……部屋にやってきた両親を中に入れることはなかった。

食事はやはり口に入れた瞬間に吐き出してしまう……水を口に入れた瞬間に感じるのは血の味と匂い、かぐわしき鉄の香り。

飲みたくて、飲みたくて仕方ない……彼女は乾きに耐えられず日曜の夜中、街に彷徨い出て……野良犬を叩き殺してその内臓や血を啜った。

脳天まで突き抜けるような甘美な快楽――誰にも見つからないようにしながらも、叫びだしそうだった。

この世にこれほどの快楽があると知らなかった――相手を蹂躙しつくし、全てを奪い取る最高の快楽……女性の高笑いはますます強くなった気がする。

犬の頭蓋骨を砕いて、脳味噌を啜っているとき……背後に聞こえた足音はすでに恐怖の対象ではなくなっていた。

この快楽――犬の命を奪っただけで死にそうな快楽だったのだ、人間なら……

耳元の声に諭されて、通りかかって彼女の毒牙に掛かった女子大生を殺すときは首にくらいついて血を吸うだけに留めた。

ピクピク痙攣していた体から力が抜けていったとき、漸く女性は彼女を褒めてくれた。

まるで主人に褒められた犬のように喜んだ彼女はそれだけで幸せを感じることが出来た。

血を吸われて死んだ女子大生は放っておけば彼女の下僕に姿を変えると、耳元の声が囁いた。

――ラック卿は処女と童貞にしか薬の効果がないと仰っていたからな、あの女も面がもう少しましならバラバラに解体してやっていたのに……その点アンタは本当に運がないぜ。だが、腹は落ち着いた……もっとうまい血を探そう。執行者に見つからないように、な。

その日の夜はこっそりと家に戻った後で、シャワーを浴びた。

乾きに悩まされない時間はまさに至福のとき――久しぶりに眠ることが出来た。

翌日、月曜日……恐る恐るやってきた両親に満面の笑みを見せつけ、彼女は学校へ走った。

世界は全て自分のものになった、そんな気がしていた。

だが、登校途中……殺して、脳味噌まで啜ってやりたい獲物がいた。

近所にある市立の商業高校の制服を着た同い年くらいの高校生、集団の中にあってその対象に対する渇きは異常だった。

――ああ、喰いたい。処女じゃなくても構わない……ぶん殴って、監禁して、手首、脚、乳房、尻……くらいの順で食っていくか? アイツの目の前でアイツの身体を料理して食ってやろう。安心しろ、オレは一流の料理人だ。アンタにも満足のできる味を提供してやるし、食えない部分はアイツの餌にしようぜ、ヒャハハハ。生かしたまま何処まで食えるか、生け作りの国でその記録にチャレンジできる名誉に乾杯だ。

うっかりその女子高生に気を取られていて、目の前を歩いていた柄の悪い中年男性にぶつかった。

高校生相手とはいえ相手は地元でも有名なお嬢様学校の生徒、相手も悪乗りしたのか路地裏に連れ込まれた。

声はこの男を滅茶苦茶に解体しても不味そうだから、無視しろという。

それは彼女も同意見だった、この男の体はきっと不味い……酒の臭いがする、タバコの臭いがする、健康状態は決してよくないだろう。

脂は多すぎるし、肉は堅い、強いてあげるなら上腕二等筋辺りは柔らからそうだが食えない部分が多すぎる。

黙ってその場から離れようとしたとき、男はしつこく彼女の肩を掴んだ。

鞄に隠し持っていた包丁で男を解体しようかと思ったが、それは止めた。

近所にある名門進学校の制服を着た異国人風の女子高生が男の腕を掴んで、投げ飛ばしてしまったからだ。

『朝っぱらから恥ずかしい事してるわね、オジさん。私の友達に手を出して……怪我してたら殺すところよ。さっさと行きなさい』

茶色いセミロングヘアの女子高生に一睨みされた男は一度渋ったが、もう一度彼女に片手でひねられたため、慌てて逃げて行った。

『あの……ありがとうございました。お名前を伺っても構いませんか?』

耳元の声が伝える。

――同志ロゴヨウィッツ? いや、地元の魔術師か……だが素晴らしい極上の獲物だ。逃すな、コイツはオレが直々に腹の中に収めてやる。

女子高生は屈託のない笑顔で切り替えした。

『お礼なんていらないわよ、でもどうしてもって言うなら喜んで受け取るけど。私は玲菜、浅海玲菜。貴女は?』

『玲菜さん? 私は……』

『そう。じゃ、これから学校だから』

『待って、あの……助けていただいた御礼もありますし、私とその、因果な出会いですけどお友達になっていただけませんか? 玲菜さん、とても格好いい方ですもの』

『えへへ、そういわれると照れるじゃない。いいわよ、よほどの理由でもない限り来るものは拒まないから。じゃ、お友達ね』

玲菜が去って行ったあと、彼女の口元には笑みが……この上なく美味そうな獲物に対する渇望とそれを得られるという期待で頭が一杯になっていた。

そう、あの魔術師を食い殺すのならもう少し兵隊を集めないと……今夜から忙しくなりそうだ。


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