「――O gloriosa Domina, excelsa super sidera, qui te creavit provide, lactasti sacro ubere」
プリメラ嬢が帰国した翌日、絶対に文句を言うつもりだった。
半ば騙されて死地に向かいかけていたのだからその程度は当然の権利だと思う。
知ったその日に教会で文句を言わなかったのは、遊びまくっていた癖に言うことだけは言う、という行動が相手に反撃の糸口を与えかねないからだ。
昨日が土曜だったため日曜日になっていたその日、教会のアデットを訪ねた俺たち三人――休息日だからどうせ暇してるはず、浅海のその言葉を信じて昼飯の後来てみれば教会の中から錬金術師の歌声が聞こえてきた。
何の曲かはわからないが、流行の歌でないことは確かだろう。
感想としてただ上手いと思った――感情に訴えかけてくるような、力強くも繊細な、女性的な柔らかさを感じさせる優美な歌声だった。
性格に似合わず素晴らしい歌声に聞き入りかけていると、先頭を歩いていた浅海の手によって扉が開いた。
中を覗くと、修道女姿の金髪の美少女が祭壇の上で歌っているのが見えた。
こちらに背を向けていたが声からも彼女本人であることは間違いないだろう。
「……こんにちは。随分と見苦しいところをお見せしてしまいたね」
歌が終わると少々照れたようすのアデットがゆっくりと祭壇から降りてこちらにやって来た。
「貴女の趣味って歌だったの? 割とうまかったけど、神父の手伝いじゃないでしょう?」
適当な席に腰掛けた俺たち、木製の椅子が微かに軋む。
「私もピアノを少々嗜んでいますが、先程の歌唱力はなかなかのものとお見受けしますわ。経験は何十年ですか?」
「ああ、確かに上手かった。何を言ってたのかもわからなかったけど俺も感心したよ」
頭を掻きながら照れているアデットは、らしくないくらいに恥ずかしそうだった。
「いえ……フェルゼン神父が主催する聖歌隊の方々のお手伝いをすることもあるので、少々練習を……私の趣味というわけではないのですが、長い人生ですから多少の経験はありまして。お褒めに与かり恐縮です。それより、今日は皆さん御揃いで何か……懺悔でしたらいくらでも聞きますよ」
うっかりして最初の目的を忘れるところだった。
懺悔すべきは俺たちじゃなくてコイツ、つまり言っている本人だと思うのだが彼女はそれに気付いた様子さえ見せない。
「いや、確かに用事って言えば用事なんだけど……『霧海』とかいうのに俺を突き落とそうと考えてたろ?」
すると、彼女は何でもなさそうに平然と聞き返してきた。
「はい、そうですね。それが何か?」
まるで悪いことをしている意識がないのだろう、彼女レベルまでくれば悪意がなくても仕方ないがそれで被害者が納得できるわけもない。
何しろ俺にしてみれば殺されかけているのだから、はいそうですか、と答えられるわけもない。
「何ですか、じゃないだろ? 俺を吸血鬼の前に引っ張っていって何させる気だったんだ」
「はい、退治に協力してもらうつもりでした」
何の屈託もない笑顔で爽やかにそんなことを言っているシスターは果たして正気なのだろうか?
というか、もう少し隠せよ……こっちの気が殺がれる。
「……」
「もしかすると、断るつもりですか?」
浅海と綾音は最初から俺が行くかどうかで、自分達がついて行くか行かないかを判断すると決めていたようで俺たちの間に割って入る様子はない。
教会の中にわずかな沈黙が流れた。
「――というか、俺みたいなズブの素人がついて行って何の役に立つんだよ? 確実に足手まといになるし、特殊技能なんて……その、一つくらいしかないじゃないか」
俺の技能など自分の努力で身に着けたものではなく、そもそも生まれついてのものらしい『魔術を無効化する』能力と『魔術の起点を探る』能力だけ。
本を使えば確かに魔術も使えることにはなるが、魔術を使うだけならアデットだけの方が断然上だろうし、俺が役に立つ要素はほとんどないと思う。
そして、彼女もその点は確かに同意する。
「そうですね、仮に相手が体術と魔術を頂点まで極めたごくごく普通の吸血鬼なら連れて行くなど暴挙以外の何者でもないと思いますよ。ですが、今回の相手は所詮、霊体の延長線上のような身体を魔術で括りつけた亡霊のたぐ……」
「おい、ちょっと待て。さらっと何言ってんだ!」
「? 何か?」
「体術と魔術をその頂点まで極めてるのが普通の吸血鬼?」
「ええ。イフィリルのような幼児体型はそもそも体術を極めるなど不可能でしょうから例外として、典型的な連中はどちらも極めていますよ。特にその典型といえるキャッスルゲート卿などはまぁ……他の星への移住を考えるような人ですから肉体的な強さが次元違いです。噂によればオリハルコンさえ素手で引き千切るそうですから」
その言葉に傍から見ていた二人が思わず噴出しそうになった。
「ちょっ、冗談でしょう? オリハルコンを素手って……はじめて聞いたわ」
「……生命の規格云々ではなく、その身体自体が機械か何かで代用でもされているのですか? とても人間の体の延長で可能なことではないと思いますが」
オリハルコンっていうのはそんなに堅いものなのだろうか、二人の驚き方はかなりのものだった。
「なぁ、オリハルコンって?」
「現在最も高い強度を誇る金属で、錬金術が生み出したものの一つです。イフィリルの作り出す武装をはじめ、様々な魔術師が装飾品や武器にして持っていますね」
要するに鋼鉄の数万倍程度の強度を持った金属、と考えれば良いのだろうか?
よくわからないがすごく堅いものらしい。
それを素手で引き千切るのがプリメラ嬢の御主人……って、爺さんじゃないのか?
「話が脱線してしまいましたが、今回私が討伐する予定の吸血鬼はそんな規格外の怪物ではないのでご安心を。相手は霊魂を魔術で世界に押しとどめた吸血鬼で、恐らく公明さんが触れただけで消えてしまうでしょうから……」
「はい? 俺が触れただけで退治できるの?」
「ええ、実に簡単でしょう? それに、相手の攻撃は肉体がない分限定されますから相手にもならないでしょう。ね、ついてきて損はないと思いません?」
「いや……その前に聞いてもらいたいことがあるんだ」
「? 何でしょうか?」
その後、例のマリアさんのことをアデットに話した。
俺が何度か死にそうになったりしそうなことや、偽りの月がどうとか、色々と話してみた。
聞いているアデットは割と真剣だったが、浅海が未来からやってきたというのはあんまり信じていなさそうだった。
「―――と、そういうわけで俺が行くのは危険じゃないか?」
顎に手を当てて考えていたアデットは即座に明快な回答を示してくれた。
「公明さん、先程の話の通りですと――公明さんがついてこなければリリエンタール卿を滅ぼせない、ということになるのでは? 仮称『未来の玲菜さん』の話を検討すれば、むしろ貴方の介入は必要な流れに感じますが?」
確かに解釈の仕方一つでは……というか、あいつも確かに俺に行けと言っているな。
いや……そもそも行かなければ死ぬ可能性なんて欠片もないのに、どうして俺が行かなきゃならないんだ?
「あ……いや、確かにそうだけど……それでも俺は全力で拒否する、そもそも一つしかない命を粗末に出来るか!」
「では、あれが暴れて人間が死んでも構わないのですね? きっとたくさん被害が出ますよ、私も死ぬかもしれませんし、後世にはどれだけの人が死ぬか……薄情者、人類の敵、大量殺人者……ああ、お気になさらずに。これはただの独り言ですから、非人間、屑……」
こんなことを言う人なんだよな……自分の品性は棚に上げて俺が世紀の大悪党みたいに扱われる、これはあまりにも理不尽だと思う。
だが、確かに俺が協力すれば何とかなるというのなら、そして絶対に俺は安全だというのなら協力するしかない……か?
未来の預言者がそういっているのなら、確かに可能性はあるわけだし、放っておいて人が死ねばアデットの言う通り俺がその責任の一端を負わされる気がする。
それに、彼女が死ぬかもしれないと言われれば確かに協力せざるを得ない気がした。
「ああもう……わかったよ! 本当に勝算があって、俺を絶対に生かして連れて帰るって約束できるなら協力しても……」
「では、そのようにお願いしますね。お二人もそのつもりのようですが?」
「ええ、勝てるのなら協力してあげるわ」
「私は世のため人のために……」
と、結局協力することになってしまうのであった。
「では、夜は出歩かないで下さいね、最近は物騒ですから」
「? は?」
「いえいえ、当日までに怪我などされては大変ですし、世界とやらの妨害は恐ろしいですから気をつけるべきだと思っただけです」
「ああ、そんなことか」
「それはそうと――公明さん、文化祭では何をします?」
「? いや、クラスでやるのは確か喫茶店じゃなかったか? お前も教室にいるんだからそれくらいは聞いてるだろうし、そもそも会長はお前」
まったく、何を聞いてるんだか……意外に話を聞いてない奴だ。
「いえ、そうではなくて……オカルト研究会の企画です。ちょうどメンバーもそろったことですし、何か……」
すると、急に浅海が立ち上がった。
「ごめん、美容院の予約があったの忘れてたわ。じゃ、そういうことで頑張って」
綾音まで立ち上がって教会を去ろうとする。
「私はそもそも貴女に無理に引き込まれただけなので、こんな無意味なことには協力しかねます」
「……俺も、今日は予定が……」
最後まで残っていたらどうなるかもわからないので取り敢えず脱出を……
三人が教会の外に歩き出したとき、後ろから呼び止める声が聞こえてくる。
「そうですね。今回は少々奮発して、凄腕の占星術師を招いての占いや色々な企画を考えているのですけど? 協力していただければ、ご褒美に一キロほどの金塊でもどうです?」
思わず立ち止まった俺と浅海はその言葉に騙され、仕方なく付き合ってくれた綾音も一緒に研究会の出し物に協力することになったのであった。