月下に輝く氷の美貌――月光を総身に浴びながらこちらを見つめる相手は問う。
「小娘、妾はすでに名乗っておろう?」
彼女自身を照らす月の明かりさえ従えた超越者、彼女はその自信に満ち溢れていた。
全てを見下すが如き傲岸不遜な喋り方、しかしこれほど彼女に相応しい喋り方は無いだろう。
万物を統べるモノが纏うオーラはそれに当てられるだけで腰を屈めそうにさえなるのだから、それも仕方が無い。
「……」
浅海さえ喋ることなど出来ない。
彼女が恐れていた予感は完全に的中していたのだから当然だ。
「無礼な輩よな。小童、其方(そなた)――凡百の魔術師になど興味は持てぬが……まあよい。妾の前で名乗りを上げることを許して遣わす」
「……え? 俺か?」
「左様申しておる。原初の一人を前にして身に余る名誉であろうが、礼など要らぬぞ」
少女らしからぬ口調で語る月の皇女は腰掛けた膝の上のトランクに手を載せ、脚をぶらつかせていた。
「偉そうに……お前な、一体何様だって言うんだ」
事情もよくわからない俺はついそう言っていた。
言われた少女は一瞬目が点になり、そして手を口に当てて上品に哂った。
心底面白いものを見たといった様子の氷の女神の哂い。
静かな建物にソプラノの声が木霊し、見るものを虜にする美貌が髪を揺らしていた。
その裏で浅海は顔面蒼白だったのだが、この時点では俺もそれに気がついていない。
「人間の如き下等種族に其方のように豪胆な者がいようとは、真今宵は稀なことも在るものよ。良かろう、其方が妾を生意気と抜かすならそれも一興……俗世の言葉なれど『タメ口』とやらで構わぬぞ」
俺の目の前で、彼女は小さなトランクを撫でながら静かな声でそう告げた。
ようやく哂いも収まったらしいが、確かに感じるのは空気の冷たさ。
特にどうということはない、ただ挨拶に過ぎない会話なのにとても周りが冷たい。
浅海の表情を見れば深刻さはよくわかる。
確かな殺意を持つ相手に感じた本能的な恐怖が彼女の体を震え上がらせていたのだ。
「どうして、こんな場所に……いるの? 吸血鬼、それも大貴族が」
その言葉を聴いて、彼女はわずかに笑んだ。
「非礼な小娘と思うておったが、小童と違い妾を知るか……それもまた一興よな。小娘、俗世には『冥土の土産』という代物がある、と妾も見聞きしておる。世の習いによれば、それには答えてやらねばならぬとか……故に一つだけ答えて遣わす――」
少女は自分の小さな薔薇色の唇をか細い指で広げて見せると、その可憐な容姿に似合わない鋭い犬歯をこちらに示した。
「――妾の所領ヤズルカヤの神域周辺には古くよりこのような怪物の民話が語られておった。妾らが神祖と呼ぶ存在がそれじゃ……永遠の長寿と引き換えにほとんど数を増さぬ連中、山野に隠れ住み隠者のように生きる世捨て人……下らぬ。世の力の顕現たるその神秘を使うことさえ知らぬ愚物じゃ」
口から指を離すと、ゆっくりと自身の胸に手を当てた。
「メイサがその秘法と共に滅びた以上妾らも増える術は持たぬ点では変わらぬ。あれは人を選ぶゆえな。じゃが、考えてみるが良い……妾はその最初の一人。共に開発した秘法ゆえその全ては頭の中に入っておる。それゆえ、下等種族を妾の僕程度には格上げしてくれようと研究をしておった……もう、これで土産は全てじゃ。察しがよければ気付こう?」
浅海が息を呑んだのがわかった。
いや、俺にはよくわからないんだが。
「吸血鬼を作る吸血鬼……に貴女が成る?」
「小娘、それには答えぬが……古よりの伝説とはやはり実際に起こらねば意味を成さぬと思わぬか? これは一つの実験、この女がその実験の証……全て理解できたであろう」
少女吸血鬼の哄笑はその瞬間に一段と高まったかに見えた。
いや、要するに……え!?
「小童、其方から逝くがよかろ……」
俺に視線を移したベルラック、その瞳の紅は闇の中で爛々と輝いてさえいた。
「レナ、私はレナ・マクリールよ……」
俺に向けられた吸血鬼の視線が、自分に注意を戻させようとした浅海の言葉につられて彼女に戻った。
「マクリール……水時計(クレプシドラ)? 時の魔導師か」
「……ええ」
「……左様か、惜しいの」
ベルラックは顔に手を当てて、悩んでいる風に首を振った。
「なにが、残念なのよ」
「愚鈍な小娘よな。それを妾の口から言わせるのじゃから……先ほど冥土の土産、と申したであろう?」
手に持っていたトランクを開ける、その瞬間にその中から飛び出るのは数十の剣。
「!?」
どれも同じもので、それが刃を俺達に向けたまま宙に浮遊する。
剣を見つめながら、彼女は言った。
「ファティーフという……ただ一つの例外を除いた最強の剣、妾の使い魔じゃ。よく目を凝らしてみるが良い」
そう言われて、浅海は驚愕した。
「うそっ……こんなことって……反則よ」
俺には見えなかったが、その剣を持つのは神にも匹敵する強大な精霊たち。
地上にはありえないほど厚い鎧に身を包み、白い髭を生やした老騎士――それは剣の化身、剣が持つ魂だ。
普通、物が年月を経て魂を持つことはありえる、月の魔力か人の魔力か、あるいは土地の力が介在すればそれはありえることだ。
だが、これほどの力を持った剣の化身など在り得ない……まったく同じ顔をした彼らの一人一人の力は一本だけでも浅海の全魔力の数倍、あるいは数十倍であえあった。
十字架剣ファティーフ――吸血鬼ベルラックこと歴史上最高の付与魔術師ベルジュラック卿の創り上げた最強剣。
魔術師たちをして、その破壊力においては最強と言わしめた剣――当然、剣である以上それは一本なら核兵器には遠く及ぶまい。
それどころか、その他の兵器にも遥かに劣る……が、それこそが魔導師ベルジュラック卿をして最高の付与魔術師と言わしめた究極の反則。
それは剣を生む剣、一年の年月を経れば同じ剣を生み出す魔法の剣……存在年数は約1300年――単純計算でもおよそ2の1,300乗……すでにその本数は兆の桁さえ超えるだろう、それらの全てが一つの意思を持ったベルラックの使い魔。
無限と言っても構わない武装の中のわずか数十本が持つ破壊の空気が部屋の生命を凍えさせる。
未だかつて、伝説にある魔術師しかその剣を折った者はいない……それもわずかに7本。
数十の剣など、すでに死亡宣告と同じでしかない。
「今宵、妾の最高傑作に貫かれる幸運に感謝するのじゃな」
「ちょっと、ベルラック卿……」
「命乞いなど聞かぬ」
そして、彼女が手を振った瞬間、二十を越える十字架剣は金縛り状態の浅海に向けて雨のように降り注いだ!
「くっ……!」
意思を持っているかのように、宙を舞う剣に体も動かぬ浅海は思わず目を閉じて死を覚悟した。
「何やってんだ、浅海! 伏せろ!」
思わず体が飛んでいた。
浅海を剣から守るために俺の体はその瞬間、剣より一瞬早く彼女の体を突き飛ばしたのだ。
「きゃっ!」
剣の届かない場所に突き飛ばされた浅海――これでいい……
その瞬間に俺の体に突き刺さるのは二十三の剣――天下最強の剣士、それが二十三人がかりで俺を殺しに来たようなものなのだから、その全ては見事に急所を抜いた。
背中、腕、脚、腰、頭……体中に激しい痛みが走り、体中が毒に侵されたみたいに熱くなる。
視界はその瞬間に真っ暗になった。
○○○○○
串刺しのオブジェ――そんな公明を見下ろすベルラックは感心したように言った。
「……其方の武勇、褒めて遣わす。じゃが、結果も予期できぬ愚物……それこそ人が下等種族たる所以よ」
剣によってハリネズミみたいになっている俺をケタケタ笑いながら一瞥したあと、ベルラックは腰掛けていた窓から降りた。
降り立つベルラックを見つめた玲菜はそのときようやく感情を取り戻しかけていた。
「え……嘘、でしょう? 篠崎くん……何やってるのよ、起きなさいよ!」
倒れた公明に這うようにしてすり寄り、剣の犠牲になった彼の体に手を伸ばした玲菜は呆然としながら、バカみたいにその言葉を繰り返していた。
「起きてよ、ねえ、起きなさいよ! バカじゃないの、何でこんなことをしたのよ、庇われたって私全然うれしくなんてないんだから! 起きてよ、ねぇ、起きてってば……嫌だよ、こんなのって絶対に嫌なんだから」
必死に公明の体をゆする玲菜。
剣が地面まで貫き、彼の体を持ち上げることも出来ない玲菜はただ剣が貫いていない部分を揺らし続けていた。
「復活などありえぬ。死人を蘇生させるほどの理の改変が其方如きに叶うはずもなかろう。その奇蹟を為すは妾を含めたわずかな使い手のみじゃからな」
冷酷な死の女神は嘲笑を込めて、トランクから剣を召喚した。
次は三十――全てが十字架の剣ファティーフ、それの刃は全て玲菜に向けられていた。
「バカ! 起きろ、この!」
泣いている玲菜はそれでも公明の体を揺らし続けていた。
「逝くがよい」
侮蔑、その表情は他を見下す吸血鬼貴族のものだった。
「――んですって……この、化け物! よくも、こんな……許さない。もう許さないから!」
それを受けてか、憎悪の眼差しでベルラックを睨みつけた玲菜。
彼女を支配したのは怒り、自分を助けようとして死んだ間抜けな男と動けなかった自分と、間抜けな男を刺し殺した吸血鬼への凄まじい怒りだった。
部屋の空気は灼熱を通り越して、氷点下にまで下がる。
涙を流していた瞳は哀れみと慈悲を捨て去る。
そして、その瞳は薔薇より赤く、血よりも紅く、夕暮れよりなお赤く、焔よりさらに紅く染まった。
その瞬間の玲菜が帯びた空気は人間のものではない、殺意と暴力が本能の獣のものに等しい。
それに気がついたベルラックは僅かに驚愕するが、再び不遜な表情に戻る。
「妾を殺す? 下等種族の分際で……図に乗りすぎじゃ」
宙を舞う剣は必殺の刃――ベルラックという魔導師は武器を創ることにかけては世界の始まりから現在、遥か未来宇宙という世界の消滅に至るまで、それどころかあらゆる異世界においてさえ並ぶ者がない天才だ。
だが、いかに武器が一流でも所詮あの体格、使い手としての彼女は三流にも劣る。
同時に、彼女自身の身体能力も見た目が示す通り吸血鬼の中でも最も低い。
しかし、それでも彼女を打倒出来ないのは蓄積可能な魔力量の膨大さによる。
その桁は次元が違う、如何に歴史を積んだ吸血鬼といっても彼女ほどの魔力を有する者はいない。
ただの人間の数億人分の魔力――彼女が有する魔力は吸血鬼になる前からすでに人の次元ではない、それは特殊な生まれが原因の異常な魔力量。
古の時代、神と人が交わった結果が玲菜の目の前に立つ存在なのだ……吸血鬼自体よりさらに高次の存在がその起源なのだから、元よりその点で勝負することは愚かかもしれない。
しかし、魔力量が戦闘力をそのまま表すものではないというのも事実だ――仮に身体の強化について言えば、無限の魔力があったとしても実際に反映されるのはせいぜい百程度まで。
それ以上は如何に無限の魔力の助けがあろうとも、実際に体を鍛える以外に強化する方法はない。
ただ、彼女ほどの魔力があればそんなこともいえなくなる、無限の弾丸を放つマシンガンを相手にしていては勝機を見出すことも難しいかもしれない……
思考する一瞬の隙、ベルラックが送った合図で剣は目標を破壊すべく突撃した。
しかし、その瞬間に黒い影は剣など置いて走り去る。
疾駆した影は剣の雨が降り注ぐ瞬間に、その包囲網から走り抜けていたのだ。
「なっ!?」
風は剣をかわされた女貴族の眼前に瞬間移動したかと思うほどの速さで現れると、渾身の一撃をその顔面に向けてたたきつけた。
ものすごい音が狭い空間に響き渡る、凄まじい閃光が闇を晴らした。
その衝撃は女貴族が壁に衝突したときのもの……
戦車の装甲さえ凌駕する女貴族の対物理障壁は在り得ない事にただの拳によって打ち抜かれ、その美しい顔から首にかけて鋭い爪が抉った様に深い傷が残っていた。
その傷からはどす黒い血が糸を引いてさえいた。
ベルラックは驚愕した――相手を見れば実力の程は想像がつく、それが長い年月を生き抜いてきた彼女の能力なのだ……だが、今目の前で自分を殺そうとした女魔術師の動きはまるで人間ではなかった。
魔力による強化以外にも、魔術を使った強化も存在するがこのレベルまでの身体強化は彼女の知識にも無い……これはただ単純に魔術師の身体能力が次元違いであることを示している。
だが、そんな人間がいないことは考えなくてもわかることだ。
しかし、それでは一体……?
得体の知れない相手に覚えるのは警戒感。
わずかに冷や汗が額を流れる。
夜の光の中にあって、闇を纏うのは夜の貴族の特権のはずだ。
されど、目の前の魔術師はその定理を覆し、夜の力を得ている……吸血鬼と同じ赤い瞳と人智を超えた力を持って、最古の貴族ベルラックを圧倒していた。
だが、例え次元違いの腕力で攻撃したとしても、夜の貴族を傷つけるのはやはり難しい……ベルラックの顔の傷から溢れたどす黒い血が急に止まるとその傷口が時間の逆行のように塞がっていく。
それは時間のトリック――吸血鬼という種族特有の、世界の法則という後ろ盾を持つ一つの奇蹟だった。
「立ちなさい……これくらいでは殺さないから」
ベルラックを見下ろし、殺害予告を注げる魔術師は血走った眼で鋭い爪を構えた。
「……小娘、貴様……一体何もの……」
ベルラックの声に反応してか?
地面に突き刺さっていた剣は次々と再び浅海に襲い掛かった。
その瞬間、紡がれるのは時の魔術『クレプシドラ』。
「!?」
剣は再度的を失い、その主は数十の拳を受けて再び壁に打ち付けられる。
ベルラックにしがみついていたOLはまったくその二人に入り込めなかった。
「がはっ……」
吸血鬼の視力を持ってしても捕らえられない超音速の攻撃は嵐のような連打だった。
裂けた皮膚から飛び散る血液が地面に触れる前に、数十の鉄拳が体にめり込んだ。
脚、手、首……ベルラックの体はどの骨も滅茶苦茶に砕け、それが肉から飛び出てさえいた。
魔術によって痛覚を自ら麻痺させていなければ悶絶してもおかしくないダメージだろう、吸血鬼になったとはいえ彼女の体自体が圧倒的に弱いのだから気を失う可能性さえある激痛のはずだ。
例えば、神経が正常だったならばとても乱暴な生体解剖か拷問を受けているような激痛だったに違いなかった。
「まだよ、まだ……彼の何倍も、何倍も苦しみなさい!」
姿なく、声だけが聞こえる。
それを聞くはずの耳がその根元から千切れたとしても、頭蓋が砕ける鈍い音がそれを邪魔したとしても、確かに闇からその声は聞こえていた。
無残に破壊された紅い瞳の主が目標を探ろうとした瞬間に再びものすごい速度の拳が体を打ち抜く。
それは一気に心臓を抉り出すほどの一撃、次の手刀はそのまま首を切り飛ばした。
しかし、それでも闇がベルラックの体を再生させ、彼女を再び立ち上がらせる。
「障壁を抜いた拳、その魔術……見事の一言に尽きよう。じゃが、それでも妾を滅ぼすには足りぬ……がふっ、あ、ごほっ……」
立ち上がっていたベルラックの体は言い終わる前に頭頂から二つに切り裂かれた、しかし、それでも彼女の体は再生する。
繰り返し、繰り返し、果てることがないのではないかと思えた殺し合い。
その攻撃の間でさえ、剣は一度も姿なき相手を捕らえられなかった。
対して、玲菜の攻撃はダメージにさえなっていれば百度はベルラックを滅ぼしていただろう、だが、それらはまるで意味を成さなかった。
そして、何十か、あるいは何百回かベルラックを殺したとき、彼女は再び復活する。
「止めよ、拳で妾は決して滅ぼせぬ――いや、滅ぼし得る者もおるが……貴様には為せぬ奇蹟よ」
余裕のベルラックを見つめ、それでもなお闘争本能を高めようとする。
しかし、総身の魔力は凄まじい消費によってほぼ枯渇しかけていた。
「はぁ、はぁ……」
そう、肩で息をしながら膝をついて苦しんでいるのはむしろ玲菜の方なのだ。
彼女の魔術は尋常でない消費をもたらす、すでにベルラックに対して全力をつぎ込んでいる以上、その体力は見る見る削られていった。
「『クレプシドラ』の二つ名を継ぐ者レディ・レナ……其方の名は胸にとどめた。されど、この命まではくれてはやれぬ」
見る見るうちに、時間が遡っていくかのように体の骨が再生し、皮膚が再生、服さえも完全に復元する。
「黙りな……さいよ。私は、まだ戦えるんだから……絶対に貴女を、やって彼の弔いを……」
それを見つめる玲菜の眼にはいまだ衰えぬ怒りの焔が燃え盛っていたが、限界は近い。
それでも相手を殴ろうと、疾駆した瞬間――ベルラックの姿が彼女の影に消えた。
「え!?」
瞬間、自身の後ろから喉に爪を押し当てる小さな体。
少しでも動けば喉を裂かれる。
「『影渡り』という、一種の固有能力じゃ。妾は地上の誰より速い。時間を遅らせたとしても影を移動する妾より速くは動けぬぞ?」
「きゃっ!」
玲菜の後ろをとったベルラックはポンッと彼女の体を突き飛ばした。
咄嗟に反撃の蹴りを振り向きざまに放つが、それが当たった瞬間にベルラックの体は真っ黒いタール状の影に姿を変えた。
「くっ……なによ、これ」
スライムのように脚を絡めとり、体の動きを封じようとする影。
脚をとられて倒れてしまう。
それを見つめる黒い影が哄笑した。
「積みじゃ、食い殺してくれる」
「う、る、さ、い!」
脚を絡め取った影に拳を突き刺すと、そのまま叫ぶ。
「――The light of the sun shine on the darkness!」
闇が蒸発するかのような瞬光が足を絡めとった影を消失させる。
敵の追撃を受けないためにもすぐに立ち上がり、周囲を見回すと瓦礫の影に座っている吸血鬼の姿を捉えた。
「嗚呼、良いな……妾にそこまで抵抗する其方、実に傑出しておる。凡百から頭一つは抜き出ておる……妾に服従するならば召抱えて遣わすぞ」
「黙りなさい!」
「……見事な覚悟、と褒めよう」
失念していた事実に驚愕せざるを得ない、ベルラックはそもそも魔術など何も使っていない。
使ったのは彼女が持っていた武器の一つに過ぎないのだ。
「させる……、ものですか!」
その瞬間、見開かれた瞳が金の輝きを放った。
「ふん、魔眼か……あ、ば、くっ……」
急に苦しそうに胸を押さえたベルラックは、そのまま地面に崩れるように倒れた。
同時に、玲菜も倒れた。
「はぁ、はぁ……どう? 心臓麻痺を想定してる吸血鬼、なんて……いないでしょう?」
苦しそうに息をしながら、玲菜はベルラックに言い放った。
ピクリとも動かない相手、目をハリネズミになっている公明に移せば再び悲しみが彼女を支配した。
だが、そのとき響き渡るのはベルラックの嘲笑。
「!?」
思わず、倒れていたはずの相手に視線を戻した玲菜は驚愕する。
立ち上がって、嘲笑するベルラックがそこにいた。
「面白いものを持っておるな。彼の魔眼の系譜の最上位種が一つとは……そうあるものではない。抉ってくれようか?」
伸ばしたベルラックの手に形作られるのは処刑鎌……魔力を自身が一度作った武器に変換するというまさに彼女特有といって良い魔術。
魔導師ベルラックの大魔術は武器の製作だけではない……彼女は自身が作り上げたもの、自身が経験した現象、自身が想像したものをその魔力から作り上げる。
それはまさしく御伽噺の魔法。
そして、それを目にした魔術師に生存している人間は一人もいない。
「く……」
それを知るがゆえに、彼女は目を瞑った。
いや、体力の激しい消費によって気絶してしまったのだ。
○○○○○
浅海の首に鎌を当てるベルラックは哄笑しながら、魔法の鎌を振り上げた。
空間さえ断ち切る魔法の鎌、人間の作る盾などまったく無意味――霊魂ごと切断されて命など一瞬で奪われてしまう。
ああ、俺も浅海も終わりか……そう思っていた。
しかし、完全に絶えたと思った意識は不思議なことに未だに終わりを迎えない……体は動かないのに、体の中で何かが起こっている様子がわずかに伝わる。
広がっていた病原菌がじわじわと免疫機構に食われていくようだ、砕かれる毒は体の中で無害なものに変えられていく。
それが手に取るようにわかる、しかしまだ起き上がるには気力が足りない。
じっくりと体力を、魔力を体に集めて昏倒している精神を覚醒させようとした。
貯まっていた魔力は本を使ったためにわずかに消費され、剣が突き刺さった瞬間にほとんどが吹き飛んだ……しかし、どうせ小さな器だ……気をしっかり持てばすぐに回復する。
魔力が充実すればあとはただ、それを全てつぎ込んででも精神を覚醒させれば良い。
ベルラック……なんて凶悪な小学生だ、こんな奴は許せない。
魔力が万全になったことがわかる。
完全に一杯ということでもなかったが、これだけあれば覚醒には十分だと思えた。
一、二、三!
その掛け声とともに剣の呪縛を吹き飛ばしたのはほとんど無意識のことだった。
急速に意識が覚醒していくのがわかる。
「うぉぉぉお!」
手にはずっと前に浅海が綾音に撃たれたときの弾丸を加工した剣のキーホルダー――吸血鬼に対して効果がある、だから綾音はこれを使っていたはずだ、それなら絶対にこれは効く!
「なっ!?」
鎌を振り下ろそうとしていたベルラックに俺は飛びかかった。
振り向きざまに鎌を振ったベルラック。
もしもそんなものと手の中のキーホルダーがぶつかり合えば、小さな銀の欠片など一瞬も持ちこたえることが出来ないだろう。
だが、俺の体に触れた瞬間にその鎌自体が塵と化した!
「莫迦な!」
ドン! 音を立てて倒れこんだ俺とベルラック。
浅海は大丈夫、ちゃんと生きてるし気絶してるだけだ。
俺の手に握られた銀はベルラックの首にわずかに突き刺さっていた。
本来ありえないことだ、ベルラックの体を覆いつくす数々の結界はほぼ全ての攻撃を無効化し、本来彼女をありとあらゆる攻撃から完全に守っている。
浅海に砕かれた最強の対物理結界も完全に復活していた、それなのにそれをただの人間に何の魔術行使もなく貫かれた上、肌に銀の剣を突き立てた――ベルラック自身、一瞬何が起こったのかさえわからなくなっていた。
「……ありえぬ……なぜ、人間如きがファティーフを受けて立つ? ええい、邪魔じゃ、退け!」
「ぐはっ!」
片手で軽々と俺の体を投げ飛ばし、さっと体を起こすと、OLに渡していたトランクに手をかけて空に放っていた剣を呼び込んだ。
俺もなんとか体を起こすと、相手に向き合う。
同時に、床に落としていた本を手に取る。
その瞬間に、ベルラックの首筋に突き刺さっていたキーホルダーが急速に熱を帯び、白色の光を放ち始めた。
凄まじいまでの熱、ベルラックは悲鳴を上げてそれに手を伸ばすと自身の首の肉ごと抉り出し、それを床に投げ捨てた。
「ぎゃぁ……くぅ、よくも、よくも妾にこんな真似を……許さぬ……許さぬぞ、小童!」
俺を睨みつけるこの世で最も美しい吸血鬼の瞳には炎が燃え盛り、その殺意は空間の温度を一気に低下させたような錯覚さえ与えた。
咄嗟のことで痛覚を麻痺できなかった彼女の顔が苦痛に歪んでいる。
抉られた首からは血液がドクドク流れ始め、徐々に再生が始まる。
だが、先ほどまでの浅海の攻撃に比べればダメージ回復が遥かに遅かった。
銀には元々吸血鬼、それもベルラックのような桁外れの怪物を攻撃する力などない。
太古の昔、水を銀の器に注ぐと銀のイオンの力で水中の悪性バクテリアや微生物を殺し、食中毒を防ぐ働きがあった、その力とその神秘的な輝きが人々の信仰を集め、毒や食中毒防止の意味から器に用いられるようになった。
それは次第にそれ自体が聖なるものという信仰を集め始め、数十億に上る信仰が神に力を与えるが如く銀にも浄化の力を与えたのだ。
だが、勘違いしてはいけない、ベルラックはそれ以前の、その信仰さえ生まれる前から生きる吸血鬼で本来銀自体を持ってしてもダメージなど与えられないのだ。
しかし、錬金術師なんだからすごい細工のキーホルダーにしてくれ、とアデットに依頼したためそれにすごい細工が施されていたわけで……アレがただの銀の剣や武器でも何の魔術もなしにベルラックにはダメージを与えられなかったらしい。
そう考えると、このときは素晴らしく偶然が味方してくれていたのかもしれない。
「なぜ、なぜファティーフを受けて生きていられる? それに、何故剣が二十三も消失しておるのじゃ!」
夜の貴族、その中でも絶対者たる皇女は叫んでいた。
その美貌を持って全てをひれ伏させる少女は、目の前のあまりにも異質な人間に驚愕し、その精神の安定を欠いていた。
冷静さ、魔導師たる彼女がそれを失うなど数千年ぶりのこと……その上、彼女は恐怖さえ感じている。
在り得ない現象なのだ、目の前の事実は虚言であるかのごとく思えた。
幾千の年月、十字架剣ファティーフが敗れたためしはない――ファティーフは意思を持った彼女自身の使い魔、一年という時間をかけてそれにかけられた魔術によって二つに分かれ、延々とそれを繰り返してきた兆の桁にも届くほどの分身を持った一つの軍隊。
その威力において、魔術師に敗れるなど在り得ない――十字架剣は四大の元素を象った剣、その威力において並ぶ武装は少ない。
だが、目の前の人間は千年にも渡る神秘をたった一夜で崩壊させ、二十三もの剣を葬り去った。
それはすでに悪い夢だ、7本のファティーフを折った魔術師達でさえそれを折るために強力な技術や魔術を行使したのだ、それを何の魔術も無く消し去るなど在り得ない。
元来、力において圧倒的に弱い吸血鬼ベルラックにとって武装の敗北は自身の敗北にも匹敵する屈辱、目の前の正体不明の男に感じた恐怖は彼女が誕生して初めて感じるものだった。
その上、元々戦いに自身が参加しない彼女の体に数百年ぶりに届いたダメージが彼女に恐怖を呼び起こさせていた。
ゆえに叫ぶのだ、髪を振り乱して絶世の美貌を誇る吸血鬼が!
「なんなのだ、何だというのじゃ! 答えよ! なぜ、なぜ魔道を極め、吸血鬼となったこの妾が下等種族を相手に恐怖など感じねばならぬ?」
それは彼女が始めて相手に感じた恐怖を振り払うための絶叫か。
その瞬間に手に握られた、剣をとんでもない速さで目の前の男に向けてマシンガンのように連射した!
だが、その十八にも上った剣や槍、斧、ナイフは全てがかき消される。
一つは一度に五を突く槍、一つは空間を切り裂く鎌、一つは海を割る斧、一つは灼熱の炎を灯す矢――数十の神話を作り上げた武装、その全てがたった一人の人間を相手に消失していく。
目の前の相手は何の魔術も行使していない、それは魔導師である彼女自身にもよくわかる……だが、だからこそ納得など出来ない。
俺の目の前のタイルは矢のように飛んできた槍の衝撃波だけで粉々になり、振られた鎌はそれだけでコンクリートの壁をプリンのように削った。
それでも、この体にダメージはない……全てが届いていないのだ。
だが、俺にとってはそれも当然――魔術によって形を成したもは最初からなかったことになる、魔術が消滅するのだから俺にダメージが届いて良いはずがない、それこそが道理なのだ。
だが、普通の魔術師にとってこれは異常だ。
ベルラックの知りうる限りにおいてこんな無茶な現象はありえない。
神を殺した、悪魔も、人も、魔術師も、吸血鬼も、魔導師さえ……自身の理想を阻むものを全て破ってきた、敗北など知らない武装があった――その全てをこの男が崩壊させようとしている。
「ばかな……莫迦な、莫迦な!」
自身が持つ最強の武装を何の魔術行使もなしに消し去り、続けざまに放たれた全ての武装を消し去った相手に対する恐怖が最高潮に達した。
そのとき、俺は本を構えて相手に告げた。
「俺は篠崎、公明……ただの魔術師見習いだ。ベルラック……動くな、それ以上俺達に何かするつもりなら、この本の最強魔術でお前を道連れにするぞ」
彼女にしてみれば自身の作った本だ、ベルラックはそれを見て驚愕する。
「その本は……つっ、余計なものを! じゃが、その本程度で妾を殺せるとそう思うか? 最大魔術など使えば即座にミイラ、死んでしまうのじゃぞ? 相手が死ぬかどうかもわからぬのに、死ねば犬死。それで良いというか?」
叫ぶベルラックを俺も睨みつけ、精一杯の虚勢を張った。
正体のわからないものに恐怖を感じる、その本能からは彼女さえ逃れることは出来ないようだ。
「命は惜しくない……出来るさ。俺の命を使って最強の魔術を使えば、お前だってただではすまないはずだ。何しろ、お前の作った本だからな……だから、これ以上勝手な真似はさせない」
仮に冷静であったならベルラックは気がついていたはずだ、俺の虚勢に。
怖くて死にそうだ、足は震えている。
声が震えていなかったことだけでも奇蹟だ。
しかし、このままコイツに勝手を許せば浅海も死ぬ、そして俺も殺されるだろう。
そんなことになるくらいなら、必死に抵抗するのは当然だった。
わずかとはいえダメージまで負わされ、冷静さを失っている今のベルラックにはそれが判断できなかった。
仮に、吸血鬼特有の圧倒的な身体能力を駆使して俺を殺せば事は簡単に終わったはず、だが、経験豊かな魔導師であるために、そして自身が体力面において脆弱であることを誰よりも知るがゆえに、彼女は魔術による攻撃に固執していた。
普通なら、そうなった方が勝ち目が薄い……当たり前だ、彼女は最強の魔術師なのだから、魔術師として戦って勝てる人間などいない。
仮にミサイルみたいな威力の魔術ですら彼女の体に届くかどうか、あるいは届いたとしてもダメージになるかどうかなのだから……それこそが王道というものだ。
だが、俺に対してその戦い方は完全に間違っている、俺には魔術が効果をなさない……彼女は恐怖のために冷静でいられなかった、それは計算外のことではあったが俺の運が引き寄せた幸運だった。
それが、この場で俺が生き延びることが出来た要因だと……後に気がつく。
にらみ合っていた二人、そのときベルラックがふっと緊張を緩めた。
「――ウフフッ、アハハ……小童、いやシノザキ・キミアキ……妾に恐怖も感じず、畏怖することも無い魔術師……貴様の命は妾が預かろう。100年後の今宵その首貰い受ける、それまでせいぜい腕を磨くことじゃな」
「……は? いや、何だって?」
「百年の修練を妾が打ち砕く――そうでなければこの屈辱は雪げぬ。覚えておくが良い、妾が百の年月を待っておることを」
その瞬間にベルラックは咄嗟に呪文を口にすると、一瞬で部屋全体に途方もない数のまったく同じ剣を出現させた。
「え!?」
「万物よ、今宵を全て忘却せよ……フフッ、ハハ」
振られた手。
そして、全ての剣が四方八方から俺達に襲い掛かった。
剣が俺を串刺しにする寸前、窓から逃げていくベルラックの姿が見えた。
剣は俺の体に届く前に姿を消した、だが……緊張しきっていたからだが、そのまま崩れ落ちるのをとめることは出来なかった。
○○○○○
「……あれ? 私……なんでこんなところに?」
玲菜は目が覚めたような錯覚を覚えた。
まるで今まで何をしていたのかわからない……ああ、そうだった。
たしか肝試しの帰りに階段を下りようとしていたはずだ。
しかし、気がついたのは床が埃だらけの汚い部屋……
別に魔力の残り香は感じない、元々そういう場所だったのだろう。
それにしても、とても散らかった部屋だ、特に何処が壊れているわけでもないが散らかっている……どうしてここにいたのか? 考えても思い出せない。
しばらく考えてみる。
そして、目の前に倒れていた篠崎公明が幽霊に驚いていたことを思い出した。
不思議と彼を見た瞬間に目から涙が零れ落ちた。
「どうして、私が泣いてるの?」
悲しくないはずなのに、なぜか涙が出た。
目に埃が入ったからかもしれない、そう思いこむことにしたが、心の中ではどこか納得できない部分もあった。
しかし、気分を入れ替えることにする。
「ふふっ、幽霊で気絶なんてして……さっさと連れて行って、みんなの前で恥じかかせちゃお!」
彼の体を肩に担ぎ上げると、そのまま階段をさっさと歩いて降りていった。
担いでいた公明の首筋を見ても、いつも感じていた微かな欲望を覚えない不思議な夜だった。
静寂が支配する夜、実に美しい満月……アーデルハイトの抑制剤を飲んでもこれほど近くに人間の首があれば多少の欲情があるものだが、それをしてはいけないという意識が心から湧いてきて欲望を押さえつけていた。
そして、今恐ろしく魔力が不足していることに気がついた……狼になるのを我慢したために魔力を消費したのだろう、と思った。
「なに、私って……すごい精神力の向上じゃない? これも日々の努力の成果ってヤツかな」
階段をおりきると、後は病院を出て夜道を車まで歩いていくだけで足りる。
時計を見ればわずかに他の組より時間がかかってしまっているが仕方あるまい。
気絶してしまっている相棒がどうなるか……それを考えるだけで玲菜は笑いがこみ上げてきた。
蒸し暑くなってくる、それなのになんて気分が晴れ晴れしているのだろう?
まるで牢獄から開放された直後のような清々しさだった。
わずかに歩いて、道の入り口近くに止まった車に走っていく。
公明の腕を自分の肩に回して、彼の体を支えてここまで歩いてきて大変だった様に見えるように細工した上で玲菜はアキラたちが待っている車に向かった。
車のドアが開くと、首を長くして待っていた良介とアキラが顔を出した。
そして、二人は玲菜が運んできた公明が気絶していたことに気がつき……大爆笑と共に公明の体を運ぶ玲菜に駆け寄った。
「おい、公明! おいおいマジかよ、あの浅海さん……コイツ、本当に気絶してるんですよね?」
良介は脇をくすぐっても気絶したままの公明を見て、本当に楽しそうに玲菜に聞いてきた。
やらせでは無かろう、玲菜もかなり汗をかいている様子だ。
その上、公明がするにはあまりにもらしくない冗談だった。
「それより、早くそっち持ってよ。篠崎くん、病院の中で急に幽霊を見たって言って気絶しちゃったの、まったく大変だったわ。彼の体をここまで私だけで運んできたのよ」
愚痴を漏らす玲菜、多少はオーバーな演技だったが汗を多少ともかいていたためにそれは実に真実味を帯びていた。
促されて、アキラと良介は慌てて公明の体に手を伸ばした。
玲菜は公明を二人に任せて、悠々と車に引き上げていくのであった。
○○○○○
意識が覚醒していくのがわかる。
だんだんと感覚が戻ってきて……周りからのすごい視線を感じるのは何故だろう?
「……し、のざき、おい! いい加減、起きろよ!」
体を揺さぶられている……ああ、五月蝿いな! 起きるよ、だから少しだけ待て。
「ったく、浅海さんにまで迷惑かけて……来週楽しみにしとけよ、学校中の噂にしてやるからな」
良介が楽しそうにそう言っていた……俺が迷惑をかけたって? 何だ、それ?
「本当よね、私あのとき本当にどうしようかと思ったのよ」
浅海は自分がさぞ大変だったかのように語っている。
いや、お前……確かに大変だったけど、俺がどんな迷惑をかけたんだよ!
「いい……かげんに、しろよ……」
「ん? ようやく気がついたか、この小心者」
目が覚めると、俺は良介の家のソファーの上に転がっていた。
目の前にあるのはアキラの顔、浅海や良介、ショミンさんに真琴はそれぞれに飲んだり、食べたり、カラオケで歌ったり……
はっとして自分の胸を確かめる、気を失う寸前に剣が突き刺さった場所を触るが、まるで傷が無かった。
慌てて俺がそんなことをしたものだから、アキラは不審そうな顔。
「おい……本当に大丈夫か? 頭とか打ったんじゃ……」
「いや、そうじゃなくて俺の胸に女の子が……あ、いや、なんでもない。それより、浅海! 俺、なんでここに?」
良い気分になっていたのか、ビール片手の浅海は『ほぇ?』と間抜けな返事を返し、俺の顔を見るとちょっと意地悪そうな顔になる。
「何で、ですって? ふふっ、篠崎くんが幽霊を見て気絶したからでしょう。高校二年生にもなって、大丈夫?」
「はいっ? なんで俺が気絶なんてしたことに……?」
あ、そういう事で話を誤魔化したんだな。
なるほど、確かにあれを正直に言うわけには行かないよな……そうか、なるほどそれなら合理的な理由だ。
そうか、ここは話をあわせないと駄目だよな。
「あっ、いや……申し訳ない、鳥か何かの声に驚いて足を滑らせたんだ。幽霊じゃなくて。仕方ないだろ、頭を強く打って……ほら、ここにタンコブがあるだろ?」
剣を投げつけられて床に倒れたときのものだ、それを擦りながら幽霊でなく合理的な理由があったことを強調する。
しかし、酔っているのだろうか? あるいはこれも辻褄合わせなのか……浅海は目つき鋭く非難してきた。
「頭を打ったって? いい? 私は貴方を背負ってあんな距離を大変だったんだから……ほら、飲みなさいよ。私の酌が受けられないなんていったら、一発芸やらせるわよ。ねっ、みんな?」
その言葉に部屋の中が一気に盛り上がる。
生徒会長に通報するぞ、お前ら……しかも、辻褄合わせにしては……何だか浅海の目がマジっぽいのは気のせいだろうか?
いや、そんなはずは無い……そう、これは演技だ。
こんなところでベルラックの存在を話し合えるわけも無いから演技をしてるんだ。
浅海は素晴らしくうまく演技していて、この饗宴が終わったあとですぐにアデットに……いや、とっくに彼女に通報していることだろう。
恐らく、ここでバカ騒ぎに加わっているのもアデットの指示……なるほど、どういう意図があるのかわからないがそういう指示なんだな?
それなら、俺もこのバカ騒ぎに加わってやろうじゃないか!
「ほら、受け取って」
浅海からコップ一杯分のビールを注がれる、彼女の地元はビールの名産地の一つだから他の連中ほどには酔っていない様子だった。
それは幸いか、もしも酒乱だったら死人が出る。
「わかった、わかった……ほら、これで良いんだろ?」
ビールを一口、二口……あっという間に飲み干した。
歓声が上がる、最新の曲をチョイスしたマイクが俺に回ってくる。
ソファーから一気に体を起こすと、そのままバカ騒ぎの主役へと走って行く俺。
翌週、『幽霊病院で大恥をかいた篠崎くん』の噂が学校を隈なく覆い尽くしていようとは思いもしなかった俺は歌い、飲み、大騒ぎを楽しんだ。