平沢病院跡――高笠市と甲山町のほぼ中間に位置する大きな元個人病院跡。
その敷地周辺に他の建物は無く、旧道を入ってしばらくいった場所にある森の中の廃墟。
かつてサナトリウムであった場所を買い取ったときに院長が改装を加え、その時代に周辺に病院が少なかったことから一時期患者が多く世話になった場所……怪談話はそんな場所に付きまとう。
院長の息子が執刀したある手術で患者が死亡した、原因は医療ミスであることは明らか……厳格であった父親の厳しい叱責は世間を誤魔化そうとした息子を責め立てた。
父親の叱責と患者遺族の追及で心身疲れ果てた彼はある夜、両親を殺害した後に自殺し……患者が残る病院に火を放ったという。
院長家族の生活空間と病院が繋がっていたことが災いした、仮に離れていれば息子は自宅だけを焼いていただろう。
自殺者の体を焼いた焔は患者5人の命を奪ったという……それ以後、この病院跡には自殺した息子とそれを恨む怨嗟の声が夜な夜な響き渡るという。
20年前から巷で語られる怪談――だが詳しく調べればわかること、競合する病院の建設や患者の争奪戦に敗れたこの病院がひっそりとその役目を終えたという事実しかこの場所には存在しなかったのだ。
落胆とともに導き出された真実は語る、怪談とは本来そういうものではないのか、と。
語られた怪談は偽り――だが虚言も年月を経れば事実と違わぬ信仰を集める。
多くの人間達の恐怖という名の信仰は一定の虚実さえ逆転させ、この場所は一部の魔術師が好む霊的なバランスが極端に悪い地域に姿を変えていた。
悪霊を引き寄せ、地磁気や時間の感覚さえ崩しかねない人造の異界……その場にやってきた車から降り立つのは雨峰秋継と綾音、わずかに遅れたのはバイクのアーデルハイト。
秋継の案内するまま、二人は彼に続く。
植物の蔦が覆う白い壁、割れた窓、埃が積もった内部には蜘蛛の巣も目立つ。
この付近の悪童がたまにやって来るというその場所は、秘密基地のような印象を与える実に静かな世界だった。
見る者が見ればこの場所には確かによくないものがいる、そう断言するだろうほどに場は乱れている……神という精霊に向けた人の信仰が彼らを力強い存在にするように、人の信仰の力はそれほどに強大なものだと認めざるを得ない。
ただ、数千年の時を重ねようとも幻想が歪めるのはそこまでのこと……大地の霊脈を移動させるわけでもなく、偽りの魔物を作り出すわけでもない、ただこの場を悪霊と呼ばれる人の残滓がうろつく環境にしているだけのこと。
彼らは直接人に憑くわけでもない、たまたま入りやすい人間に憑くだけだ。
一部の例外はあれ、ポルターガイスト程度のことで人が死ぬことは少ない。
影響があるとすればむしろ魔術師だろう、ここは霊媒師のような人間には実に面白い実験場となる。
殺された雨峰実篤は超一流の術者ではなかったが、霊に憑かれるほど未熟でもなく、また霊媒師の才能がない彼がそのような事態に陥ることは考えにくい。
その70余年の人生の中でよく修練を積んだ平均的な魔術師、それが彼でありその秘術が霊に関するものでないことは彼女達の間ではすでに周知の事実。
「俺がお爺さまを発見した現場、あの時は本当にひどい有様だったんだ。首とか、手とか、でもおかしかったんだ……まるで血が無かった。いや、一滴も零れて無かったって訳じゃなくてな、人間があそこまでばらされたら普通はこれくらいの量が流れるって予想から少ないらしい。医者の兄貴が言うんだから、そうなんだろうよ……」
正臣が去った後、秋継の口調は途端に変わった。
正臣の雰囲気がとてもこんな軽口を許してくれそうに無かったため、無理をしていた彼は正直にそれを二人に告げると以後この調子であった。
しかし、それは別に彼に限ったことではない。
公明とて正臣の前では実に礼儀正しく話す、そういう雰囲気の人なのだ。
自らの父ゆえにそれを知る綾音はそれをおべっかなどとは思わない、ただ目の前に血の跡がまったく残っていないその場所を見つめ、この事件を考えていた。
「他におかしなことは? 例えば、何かがいる気配や匂いはどうです?」
コンクリートの床は割れた窓から入った雨が汚したのだろう、埃に靴跡があったとしても見つけられない状態であり、魔術を使った後にわずかに残る残り香もすでに無い。
妖怪や怪物の類の臭いもすでに雨に流されたか、修練を積んだ綾音でも感じ取ることは出来なかった。
「いや、ないな。そもそも俺はまだ修行中でそういうのとかかわったこともないんでね……それより、あんた等は本当に平気なんだな? 辺りがこんなに薄気味悪いってのに」
直接の害を心配するわけではないが、気分が悪くなるほどこの場の空気が悪いことは事実だった。
しかし、綾音とアーデルハイトにはそれは当てはまらない。
「そうですか……シュリンゲル卿、そちらは何か気がつかれまして?」
自身と同じく周囲を見回していた錬金術師に問うた。
「いいえ、こちらは何も。ですが、これだけ綺麗に消えていては雨だけの影響ではないでしょうね。綾音さんも気がついておられるでしょうが、よく見れば壁の一部や床の破壊の跡は新しいもの……実篤さんの戦いの跡でしょう」
綾音もそれには同意する、確かに20年は放っておかれた建物で悪童達の溜まり場にもなった場所ではあるがいくつか見られる破壊の跡は人為的なもの、それもかなり新しい。
「おいおい……それは本当か? でも、あれでなかなかの術者なんだぜ、簡単にやられたとも思えないんだけどな」
「いいえ、残念でしょうけどシュリンゲル卿の指摘通りです……これは刀? いいえ、浅海の爪にも似ていますね。どう思われまして?」
壁に付けられた四つ並びの傷、よく見れば荒いが好敵手たる狼の爪が同じような傷をつけたことを思い出す。
尤も、その鋭さと深さにおいては雲泥の差もあることはそれを受けたものでもなければ知りようはあるまいが。
「……人間の指と間隔が似ています、素手でこれをしたとすればよほど鍛えぬいた術者でしょうね。いえ、『人間なら』……異常な力というだけのことですけど」
慎重に壁に触れた。
「無論、吸血鬼ならば行いうる攻撃ではあります。しかし、その場合は逆に浅すぎる。本当に、これは……」
壁の傷に自分の手を当てながら告げるアーデルハイト、それを聞いていた二人も深刻な顔となる。
「シュリンゲル卿、その吸血鬼がいたかどうかは感知できませんの?」
「いえ、実際に何の細工もしていなければ可能です。ですが、細工をしていれば私も彼らを発見できないでしょう。そもそも彼らが来た可能性はあるはずなのですが、だとすれば逆に動機が不明です。確かに雨峰が抱える土地は今綾音さんたちと私の係争の場ではありますが世界規模で動く彼らが辺境に興味を持つ訳もありません。記録への接続が目的なら、そもそもこんな事をしなくても私に隠れてやれば良いことですし、もっと良い場所は他にあります」
「あんたを狙ったってことはないのか? その巻き添えで、死んだってことはないのかよ?」
秋継の声はわずかな非難が込められている。
「ありませんね。私を狙いたいのなら直接私を殺せば良いだけしょう? 確かに、簡単にくれてやれるほど安い命ではありませんが、私が彼らならきっとそうするはずです。そして、これが決定的なのですが……あまりにも手口が回り道過ぎます。ましてや狙いが私であるのなら、係っている可能性が高いのは王の敵を討ちたい貴族――特に私を恨んでいる魔導師は名前が思い浮かぶ限りで10人ですが、そのどれとも殺し方が違います。また、死体を残すような間抜けではないでしょう」
「そりゃ、まぁ……確かにそうだけどよ、何か考えがあるのかもしれないだろ? あんたを殺すのに、何かその方が都合がよかったのかもしれないじゃないか」
「いいえ、私もシュリンゲル卿と同感です。王族ならいざ知らず、貴族は自身の手口を悟られぬように死体を隠すといいます。にも拘らず、こんな場所に死体を投げ出す方法は確かに彼らのものではないでしょう」
貴族達は一流どころか超一流の大魔術師、彼らがこんな辺境の魔術師をわざわざ呼び出して決闘するなどありえない。
また百歩譲ってそれがあったとすればそれは遊び以外の何物でもあるまい。
彼らは遊び程度で自分達の手の内を明かさない、それが長生きの秘訣だからだ。
故に、こんなところに死体を投げ出していく殺し方は吸血鬼ではない。
対立する魔術師としてもおかしい――そもそも、知りうる限りそんなものは存在しないし、何の恨みも持たないはずの流れ者が突然彼を殺すこともあるまい。
当然のことであるが、よほどの異常者でもない限り人は理由も無く人を殺さない。
そして、本当の異常者にこんな殺人は出来ない――ここで行われたような手がかりの少ない殺人を犯す場合に必要なのは計画だ、そんな計画を立てられる人間が異常であるはずがないのだ。
また、戦争とは一日二日で起こりうるものではなく、原因は徐々に貯蔵されていって爆発する……魔術師の戦いとはそうして起こるもの。
故に火種の段階で調停者がうまく納めれば戦いは起こらない。
アーデルハイトが広大な地域をカバー出来るのは各地に居を構える協会の魔術師が周辺の情報を伝えるからで、結界などで全てを覆い尽くしているわけではない。
しかし、それではおかしいことになる……実篤が平均的な魔術師だとすれば、人間の悪漢の一人や二人に敗れるはずも無いのだ。
普通の魔術師は少なくとも若いうちは体力に頼ることが多い、それは事実だが技が洗練され、幾多の経験を積むことで磨かれた純粋な魔術が老体となった魔術師に最後に残る武器。
経験値とその技術を持ってして、ただの一般人に敗れるなどよほどのことでもなければありえない。
当然、拳銃などを用いれば話は違うが、そならば証拠は残るし、アーデルハイトたちが痕跡を発見できないなどということは起こりえないのだ。
「考えれば考えるほど説明のつく理由が思い浮かびませんね、自殺でもないのですから……手分けして見落とした証拠を探しましょう」
綾音の提案は実に当然の選択だった。
現時点で思い浮かぶのは流れ者の魔術師が使い魔を連れて彼を襲ったというものだがそれを口にすることなく、先入観にとらわれない捜索をすることが必要に思えた。
尤も、二人は最初から兄妹の誰かを疑ってはいたのだが……三人を見て、その実力の程を知ればそれは無さそうに思えた。
父から誕生日に送られたお気に入りのスイス製腕時計を見れば時間は昼の4時、雨峰邸で無駄に時間を使ったことが理由ではあったが調査には十分な時間が与えられている。
何より、明日は日曜なのだ……雨峰実篤の遺言の件を錬金術師との話し合いで解決したいのは山々でも父にしかその権限は無い、彼女にはこちらしか担当できない以上は絶対に解決したかった。
綾音の提案に二人も同意するしかない、何より現場の気配の無さは魔術師が関わったとしか思えないのだから無視など出来ない。
秋継に至ってはそもそも自身の祖父を殺されたのである、断るわけも無いし、事件に深く関わっていればなおさら断れないだろう。
それから3時間も病院内を捜索しまわった。
○○○○○
「おい……話が違うぜ。俺はこんな……ああ、わかったけど、それだと……ああ。だから、そっちの責任だって言ってるだろうが! さっさと……」
「秋継さん、お友達ですか?」
「!? わ、ちっ……なんだよ? 脅かすなよな」
一瞬、驚いたがすぐに電話の相手との会話を止めると、電話を切った。
「あ、悪い。それじゃ……と。あんた、上はもう探せたのかよ?」
「いいえ、まだです。しかし、実際困りましたね……どうしたものか、難しい」
「なら、もう少し上を探してこいよ。俺も、もうサボらないから」
「そうですか? それでしたら、もう少し探してきますかね……」
それから、見落とした箇所など無いのではないかと思えるほどそれぞれが担当の場を見回った。
しかし、目立った収穫など無い。
黄昏時――そろそろ明かりが必要になった頃、再び現場を見回していた綾音は他の二人の帰還を待っていた。
休息も無く捜索するのは実に疲れる、アーデルハイトと彼女だけならば問題も無いが秋継がいるのだから強行軍というわけにもいかない。
何より、この証拠の無さ過ぎる現場で何かを見つけることは困難に思えた。
埃を被っていた机の上に置かれていたガラクタを掻き分けていたとき、肘が当たって一部のガラクタが床に落ちた。
正直、まったく証拠の見つからない現場にうんざりしていた綾音は腰をかがめてガラクタを拾い集めた。
机の下に落ちたガラクタを手にしたとき、机と床の間に挟まれていた奇妙な紅い欠片に気がつく。
綾音はガラクタを机の上に置き、その欠片を手にした……何かしらの魔術が込められた奇妙な水晶。
紅水晶は見るものを惑わすほどの美しい輝きを放ち、それを手にする魔術師をしばし夢の世界に誘おうとさえした。
手で握れるほどの小さな水晶なのになんという美しさだろう?
それだけでなく、それに込められた幾多の魔術は綾音の知的好奇心を十分に刺激した。
まったくわからないのだ、何かが施されていることはわかってもそれが何であるのかわからない……魔術師は研究者、求道者、なれば分からないものなど認めたくは無い。
ましてや、きっとこれは何かしらの証拠なのだから。
アーデルハイトに相談する前に十分自分で解析するつもりである――白川家は平安時代に端を発するこの国でも有数の名門、その時期当主たる彼女が知人とはいえ現時点では利害対立するアーデルハイトたちにこれを早々示すのは浅はかな気がしたのだ。
水晶を自分のポケットに押し込むと、時計に目をやりながら二人の帰還を待つ。
ただ、そのときに感じた違和感は何であっただろう? わからない違和感は錯覚だったのかもしれない。
「7時11分、まったくあの人たちは何をして……」
その瞬間、どこからか空を劈くような男の悲鳴が上がった。
聞き間違いなどではない、雨峰秋継のものだ。
咄嗟に上の階に走った綾音、階段を駆け上がったところでアーデルハイトと合流した。
彼女も上の階から降りてきた直後の様子、二人は顔を一瞬見合わせるとそのまま秋継の声がしたらしき部屋に向けて駆けた。
その疾走たるやすでに並みの魔術師などが追いつけるレベルに無い、二人の到着はまさに悲鳴が発せられてから数秒のことではなかったであろうか?
それほどの早さだった。
二人が駆けつけた部屋の床には小さな血溜りと切り飛ばされた人間の右腕が転がっていた。
腰を抜かして倒れた秋継の右腕は肘から先が無く、それが血の原因であることは明らか……驚愕した秋継の顔の先、すでに真っ青になり声さえ発することがかなわない状態の彼の視線の先に眼をやった二人も彼と同じく驚愕する。
泥で汚れた服を纏った赤い瞳の男たち、無精ひげを生やした不健康そうな二人の男が獣のように鋭い犬歯をむき出しにしてその真っ赤に汚れた爪で茫然自失状態だった秋継に襲い掛かったのだ!
『吸血鬼』――その単語を口にする間もなかった一瞬のうち……綾音も反応できなかったほどの速度で、消えたように駆けた錬金術師の足は秋継への攻撃を許すことなく、先に襲い掛かった男の顔を横から蹴り飛ばしていた。
それだけで骨など砕けたのではないかと思うほどの衝撃で男の体は無様な人形のように壁に床に叩きつけられ、ガラクタの中に消えた。
綾音もアーデルハイトが秋継の保護に回ったことに気がつき、残ったもう一人が襲い掛かる瞬間手元に取り出したナイフを弾丸のような速度で襲撃者の眉間に向けて打ち出した。
それが人間であれば当然そんなことをしなかっただろう、だが相手が人間でないことは匂いでわかった……穢れた血の匂い、これは相手が人でないことを告げていた。
眉間に向かって飛燕の速度で飛ぶ弾丸は誰にも弾けはしない、それはそこにあるべきであったかのようにあまりに見事にその場所に吸い込まれた。
ドンッ、と小さな爆発音。
頭に突き刺さったナイフはその余勢を駆って男の体を壁に打ち付けさえした。
いや、咄嗟ゆえに手加減も加えられなかったナイフは男の頭蓋を突き破り、壁にまでその刃を突きたてていたのだ。
赤い瞳の男は何が起こったのかを一瞬見回すようにして、その体をだらりと床に落とした。
その瞬間に無残に吹き飛ばされた頭から吐き気を催すような脳漿や血液、眼球が零れ、壁に血の線を描いた……それを見届け、男が床に座り込むようになった瞬間、彼の体はまるで灰になったように消えていき、そこには何も残らなかった。
机が吹き飛ぶ。
秋継の視線が綾音の神業に向けられていたとき、アーデルハイトに顔面の半分を砕かれた男が最後の抵抗とばかりに咆哮と共に起き上がり熊さながらの速度で、秋継の右腕を斬り飛ばした必殺の爪で、仲間を葬った綾音に襲い掛かった。
緩慢などとは程遠い、あまりに俊敏な怪物はしかし完全に迎撃の態勢に入った狩人の前では敵ではない……敵の命が未だ絶たれていない事を察知していた綾音が構えていたのは本来当たれば如何な怪物といえども無傷では済まぬ銀の矢。
いつぞやの夜の動揺は無い、相手が相手なら手加減など必要もない、機械の如く鮮明な精神、敵の寸部の動きも捉えるほどに研ぎ澄まされたハンターとしての直感は決して獲物を逃がしはしない。
男の鋭い爪が綾音の髪を揺らすほどに接近したとき、それは男が彼女に近づくことを許された限界であったのだと彼は知る。
妖魔を断罪する冷酷で美麗な方術師、同年代の同国人には並ぶものなき使い手の手から放たれたのは今あの夜に戻ったならばあるいは狼さえ沈黙させる銀の矢。
古き時代より契約という名の縛りにより彼女達に力を貸す神にも近い精霊の助力により織り成される一撃はただ無音のままに男の心臓を抜き、壁にそれが通り抜けるための最小の穴を開けるとそのまま夜の空に消えた。
それと同時に音が聞こえた……暗い闇の中で眼にする、綾音に襲い掛かった男の爪が彼女に触れる瞬間に灰となって消え去った光景を。
唖然とするしかない、修行も十分ではなく方術の基礎さえままならない彼にとって目の前で展開されたのはすでに夢の光景。
一瞬、彼女らしからぬほどに冷酷で氷のようであった瞳がゆっくりと日頃の彼女のものに戻った。
と、同時にその手の弓も消えた。
「……大丈夫ですか? 秋継さん」
彼の肩に手を触れるのはアーデルハイト。
「あ、ああ……」
それだけを何とか言い返す。
「シュリンゲル卿、あれは吸血鬼……ですか?」
壁のナイフを抜き取る綾音は、周りを警戒しながら吸血鬼狩りに聞いた。
床に転がる彼らが着ていた服を、ポケットの中身を確かめた後で灰も残らぬように焼き尽くし、綾音の言葉に答えた。
「……いいえ、それだけは断言できます。ですが……さっき最後に倒された男性、わずかに顔の瑕に再生が見られました。あれは説明できませんが、別な要因かと……というより、死体を操っただけではあれだけの身体能力の向上はありえません」
「……じゃあ……一体?」
綾音はナイフを抜き取った床に小さな水晶が落ちていることに気がつき、それを自分のポケットに押し込んだ。
どうやらさっきの戦いで落としてしまったらしい……しかし、未だ何かしらの違和感があるような気がしてならない。
それはアーデルハイトも同じではあったのだが、その正体はよくわからなかった。
彼女が見つめる秋継の腕……急いで病院にいけば繋げることが適うかもしれない、そう思うが早いか綾音に自身の杞憂かも知れぬ事態を告げた。
「夏彦さんと亜希子さんに何かあるかもしれません、秋継さんは私が病院に連れて行きますから綾音さんはお二人を」
少しでも細胞の破壊を防ぐために自身の魔術で彼の腕を冷やしながら秋継を支えたアーデルハイトの言葉に綾音も同意する。
敵が秋継だけでなく、夏彦たちまで襲う可能性は十分にある……襲撃が同時ならば、彼らが危ないことは確実だった。
「では、シュリンゲル卿……後は頼みます!」
集中力は十分だった、精神の高揚は魔力の消費を抑え、怪物相手故に遠慮も無かった……魔力の貯蔵は十分だ。
雨峰邸で待つ敵を周辺の民家などに逃がさないように考えながら、窓に足をかける。
そこに放られたのはアーデルハイトのバイクの鍵、確かに免許は無いが操縦の経験ならある……綾音はそれを掴むと一気に窓から夜の闇の中に飛び降りた。
○○○○○
夜九時、肝試しに向かう一行は良介の兄が運転する車で廃病院の近くまでやってきていた。
本来は自転車で行こうと思っていたのだが、流石に連続失踪事件が発生している現状で自転車に乗っていては、行方不明者捜索中の警官に呼び止められる可能性が高いため暇な上にこういうことが好きな良介の兄が運転手を買って出たのだった。
昔から思っていたのだが、良介の兄である圭介さんは本当に暇な人だ。
8人乗りの車内からはすでに真っ暗になっている外の景色が見えた。
車内にいる人間が多いために曇った窓からもその闇の深さが窺い知れる。
「じゃあ、早速例のお化け病院に行く順番を決めよう。ペアはもう決まってるから代表者のジャンケンで勝った奴から決めてくか。去年俺たちは行ったからわかると思うけど、目的地は前と同じ三階の部屋。行った証拠はこのデジカメでの記念写真を撮ってくること」
デジタルカメラを手に持った良介が簡単なルールの説明をした。
幸いなことに男性陣は一度行っているわけだからみんな目的の場所を知っている、四階建ての建物の三階にある広い部屋――何でもそこで患者が焼け死んだのだと噂に聞いていた。
「ふーん、肝試しってそういうことなの……それで、制限時間とかは無いの?」
浅海はなんだか面白そう、それを見るとなんだか嫌な予感がしてきた。
「それは無い、中をじっくり見たりしないと肝試しの雰囲気が出ないからな。走って戻ってこられても面白くないだろ? だったよな、アキラ?」
そういうルールだったはず、浅海の疑問に答えた俺は病院への道に車が通った跡を見つけて良介が何かしたのではないかと思案していた。
「そうそう、浅海さんもやっぱりこういうの怖い? 大丈夫だって、篠崎はここからの帰りに警官から逃げ切ったような兵だから幽霊が出ても何とかするよ、な?」
俺の肩をつつくアキラ……俺を置いていったお前らならパートナーを置いて帰るんじゃないか? と突っ込みたくなるのを必死に押さえながら首を振る。
「兎に角、さっさとジャンケンするぞ。それと、これが終わったら俺の家で飲み明かそうぜ」
親が海外旅行へ行ったという良介の顔は晴れやか、たまに解放されるとこうなる息子であの家は大丈夫なのだろうか?
「篠崎君、一番にしなさい。一番よ、一番……」
別に何番でも同じだと思うのだが、おかしなことに拘る浅海であった。