「さぁ、その文字をなぞる前にちょっとしたレクチャーをしましょうか。物が燃える現象についてです……当然、科学的に考えればそれは酸素による燃焼であることはお分かりですね?」
それくらいは高校生ならわかる、ごくごく当たり前のこと。
「ああ、紙とかに含まれている炭素や水素が酸化されるときの熱が炎なんだろ?」
紙の主成分はセルロース、植物の体を作っている素材がこれで、炭素や水素が組み合わさって出来ている。
当然、燃やせば二酸化炭素や水に姿を変えるわけだ。
火は当たり前だが物質ではなく、二酸化酸素や水が生成する際の化学反応で生じるエネルギーが光やらの関係であのように見えているに過ぎない。
だから、誰も物質としての炎には触れない。
「ええ、そこまで分かっておられるのならあまり突っ込んだことを語る必要はないかもしれませんね。では、ごくごく普通の状態では紙は酸素が存在する条件下でもまったく燃えない訳ですが、酸化反応を起こすためのきっかけが必要だから……ということはわかりますか?」
当たり前だ、そこら中で紙が勝手に燃え始めれば命がいくつあっても足らなくなる。
学校などすぐに燃えてしまうだろうし、新聞配達など放火と同じことになってしまう。
つまり、きっかけになるものが無ければ紙は燃えないし、木も燃えない。
「言っていることは簡単なことだろ? その理由は俺達が暮らしている条件下では紙が酸化される温度にないからだ……仮にもっと大気の温度が高ければ燃える。スペインだかポルトガルだったかで、気温が40度以上になった一昨年の夏に山火事が頻発したのはそういう理由だろ。当然、乾燥してたのもあったけど火が熾きたのは熱のせいだ」
「そうです。正確には反応を起こすのに必要なエネルギーが加えられれば良いわけですが、単純にいってしまえばそういうことです。では、私たち魔術師がものを燃やす上で必要なものは何でしょう?」
「ライターみたいな点火源だよな。温度が高ければ良いわけだから。虫眼鏡のレンズで熱を集めるのと同じだろ?」
「酸素が十分にあると仮定すれば、そしてトランプカードが湿っていなければ、それで答えは正しいです。つまり、私たちはその熱を加える必要がある……魔力とは体が作り出す一種のエネルギーであることはご理解頂けていますね?」
「ああ、まだその使い方や存在はわからないけど、その話は聞いた。なんでも魔術を起動させる燃料みたいなものだろ」
「ええ、生物の授業を聞いていればわかると思いますが、酸素を使った化学反応を体内で行うことで私たちは熱を作り出しています、あるいは電気も……魔力もこれに似たものでして、単純な魔術である炎を熾すものの場合は魔力を熱に変換して直接物質の酸化反応を促します」
「高熱をぶつけるわけか?」
「極端にわかりやすく言えば、他の魔術理論を一切無視すれば、そういうことです。物を作り出す技法である『赤い石』も原理は似ていますが、あれは原子レベルでの核融合や核分裂に伴う途方もないエネルギーをほとんどゼロに変える幾多の魔術式を組み合わせた触媒です」
「なるほど、宇宙が出来たときには水素だけが存在していて他の元素は後で出来たって聞くからな。そういえば、シャーペンの芯からダイヤモンドも作れるのか?」
ダイヤモンドとシャーペンの芯は同じ元素から作られている。
一般にこれらは同素体といわれていて、構造が違うためにまったく別の性質を示すが元素は同じという意味でそう呼ばれる。
「魔術理論を発展応用すれば可能でしょうね……ですが、金を作るための触媒はその目的の他には余り応用が利くものではありません。そのために作られた魔術式の塊ですからね」
「大は小を兼ねないわけか。ゲーム機で別なハードのソフトを使えないのと同じ理由と同じだと考えて良いんだろ?」
つまり、あの賢者の石はゲーム機で金を作るためのソフトなら動かせる。
だが、例えばシャーペンの芯を同じ炭素で出来ているダイヤモンドに変えるソフトは動かせない。
導入できないというのが正確なところかもしれない。
「確かにそれは的確だと思います。ですが、触媒はその目的のためなら素晴らしい力を発揮してくれます。私でさえそれ無しでは直接物質を金に変えることは不可能なのですから」
「なるほど、魔術式ってそういう意味か。要するに魔力を目的とする反応や現象を起こすのに使いやすいエネルギーに変換して、対象にぶつけるのが魔術式の役割だな」
「ご名答。魔術式とは私たち魔術師がその構築理論を長年にわたって学び、身に着け、自分にあった構築方法を探すことで得られる技術です。これを文字や護符に置き換えて行う場合、または儀式で行う場合もありますが基本的には頭の中で行う場合が多いですね」
「暗算みたいなもんだな、あるいは哲学か?」
「ええ、それは良い例えだと思います。口に出す呪文、つまりは頭のサポートですがこれもよく似ていますから。ただ……綾音さんや玲菜さんのような天才はこれを怠る傾向にありますね」
「? いや、よくわからないけどあいつらって才能があるんだろ」
「ええ、溢れる才能が大成する邪魔をしないか心配なほどに」
「はぁ? なんで才能に溢れているのに大成の邪魔になるんだ」
「彼女達のような魔術師の魔術は確たる理論の上に立っているというよりは、ほとんど感覚でなされる傾向が多いからです。感覚で魔術を行使するほどの才能は素晴らしい、それを成すのは吸血鬼の王侯貴族と一部の魔導師の系譜に連なる名門、指折りといわれる天才だけですから。ただの魔術師としてはそれでも出来過ぎですが、かの名家を継ぐ者にしてはまだまだ修行不足……公明さんくらい普段から『基本以前のこれ以上ないほどの初歩の初歩』を大事にしてもらわないと困りますね」
「基本以前って……容赦の無い毒舌だよな、お前は」
「諌言をくれる友は先陣を切る勇士と同等な価値がある、とこの国を治めた昔の名君が言っておりましたよ」
家康だったか?
確かにそんなことを言っていた殿様はいたけど、悪意のある拡大解釈だな。
「屁理屈を……口が悪いのと人を思って批判するのは違うと思うけど……兎に角、要は基本が大事だから原理から教えたんだな?」
「ええ、本来は原理を無理に理解する必要はないのですが、自分が何をしているのか理解できていない人間は結局何もしていないのと同じですから、わざわざ説明したわけです。基本的なものは科学的な視点からでもある程度その原理に迫れるものが多いですから、理解しやすかったのでは?」
「ああ、わりに簡単だった。他の魔術もそんな感じに意外に科学的なヤツなのか?」
「魔術と科学は古い時代に別れた兄弟ですから、割と古典的なものにはそういうものもありますね。しかし、全てを考えますと科学的なものから非科学的なものまで多種多様、それは司る元素や使う魔術に起因すると思ってください……中には説明が不可能な哲学的なものまで存在するくらいですから、あまり科学にばかりも頼れませんよ」
魔術と科学の歴史、これは一般的な見地から言われる意見の一つだが二つの相反するものは兄弟のようなものだ。
有名な話ではあるが、あのイギリスの偉大な科学者ニュートンも魔術に並々ならない興味を示したといわれ、俗に『あの時代最大の科学者であり、最後の魔術師』と呼ばれることもある。
魔術と科学が兄弟だといわれる原因は簡単だ。
例えば日照りの続く村に雨が降るとしよう。
この村は長く続く旱魃を取り除くために、人々が考えうる限りの様々な試行錯誤を何度も繰り返していたという前提だ。
ここで、雨が降った事に対して人々の中には原因を知りたいという気持ちが芽生える。
それは一部の人間かもしれないが、例えば一人は自分がした行動あるいは雨が降る絵を描いた、などのジンクスや呪いに求め、やがてはそれが発展した生贄儀式など答えに求める。
他のもう一人は雨が降る直前の雲の動きに注目する。
わかると思うが、儀式に求めると魔術が生まれる。
雲の動きに求めると、天文学や気象学に繋がる。
そう、科学と魔術の根本はほとんど同じ……自分たちの身近な現象の『原因』を知りたいということがその発祥なのだ。
だから、アデットはその原因を知らずに魔術を使うことを嫌ったのかもしれない。
「自分が何をしているかを知ることか……確かにな。それで、これも聞いておきたかったんだが、俺が魔術を使えるのはこの本の力なのか?」
自分の持つ重い本を指差しながら聞く。
「ええ、貴方の特異体質は私の見たところでは『魔術式を強制的に解除する』ことにあります。ですが、これは数少ない例の一つで……神字によって刻まれた、すでに物に刻み込まれた特別な魔術式は解除できないようですね。あるいは研究次第では可能なのかもしれませんが、今のところはその気配がありません。因みに、玲菜さんのあれは完成されていない魔術式の例ですからまた扱いが違ってきます」
「だから、アイツの呪いは簡単には解けないのか……よし、取り敢えず要点を全部聞けたみたいだから、実際にやってみて良いか?」
「ええ……まずこの薬を飲んだ後、軽く深呼吸をして落ち着いてください。私の血液を原料に作った薬で、貴方が魔力の存在に気付くための手助けをしてくれます」
差し出されるのはガラス瓶に入った赤い水。
いわれた通りにそれを飲むと、椅子に座ったままで二回ほど深呼吸し、体をリラックスさせた。
水の味はまるでなく、色以外はただの水と同じだった。
「眼を閉じて、貴方の考える瞑想をしてください……瞑想とは即ち『メレテ・タナト(擬死化の技法)』、己を顧みるように……自らの精神を高め、高揚させ、天の頂に上る気持ちで」
『メレテ・タナト』? 何だ、それは?
そう思いながらも瞑想を開始する。
数分間が過ぎたとき、俺の中では十分にも感じられた時間……部屋の中には時計の音だけが響いていた。
「それくらいで良いでしょう、次にゆっくりと目を開けて……目標を捕らえてください。トランプのカードを見つめ、距離を考え、それを燃やそうと考えてください……強いイメージが一時的に精神を高揚させ、その魔力が高まります」
その指示に従って、ゆっくりと目を開けたとき……俺は目の前にあるトランプのカードに集中した。
あれを燃やす、この体から作り出した熱が……あれを完全に燃やす。
「イメージは固まったようですね……そのまま一気に字をなぞってください」
その声は、三度目にしてようやく俺に届いていた……それに従って、一気に開いていたページの字をなぞる。
文字に指が触れた瞬間、何かが奪われていく感覚が体を包む……指先から血液が流れ出したような気がする。
痛くはない、まるで蛸の吸盤でもくっついたかのようにしっかりと文字に吸い付いた指がまるで他人のもののように感じられはしたが……力をいれて、一気に引いた。
その瞬間、ブロックのトランプが炎上する!
「え……!」
俺のイメージがその場に再現されている、一瞬端が燃えたと思ったら……一気に燃え広がってトランプがただの炭に変わる!
ただライターで焼いたようにしか見えなかったが、確かにそれは俺が起こした奇蹟。
それを見ていた錬金術師は小さく拍手した。
「うん、本来どんな素人でも出来て当たり前なのですが……貴方のような特殊な体質の人がそれを成功させるのを見るのはまたハラハラして良い余興になりますね」
古の魔導書の写本……これを使えば、ただの人間にも俺と同じことが出来るというが、彼女は術の成功を素直に褒めてくれた。
「中途半端に燃え残っていない辺りはイメージが固まっていた証拠でしょう、まだ体力は有り余っていますか?」
ブロックの上にあるトランプの残骸を見聞しながら、こちらに聞いてきた。
体の状況を確認する……確かにちょっとした疲労を感じるが、軽いジョギングの後のような感じで体力自体はまだ有り余っている。
「大丈夫だ……大した疲れはない。まだ続けて魔術を使うのか?」
俺が立ち上がると、そのままトランプをセットしようとしていた彼女もそれに合わせたように立ち上がった。
「ではお聞きしますが、何かしら今までとは違う変化がお分かりでしょうか? あるいは、魔力を使ったときに何か変化をお感じになられた?」
俺は素直に本をなぞったときの感想を伝えた。
「……なるほど、それではまだ不完全ですね。あと三回同じ作業をすれば、今日は終了にしますから今度は魔力を使う瞬間に注意していてください。それと、深い瞑想を行うように」
そういわれたので二、三回目を行うが、確かな手ごたえはまったく感じられない。
そして、最後の一回……俺は瞑想についての知識を聞かされた上で、もう一度深く瞑想に入った。
瞑想とは洋の東西を問わず、自身を死に近づける技法、意図的に死滅心境と絶望認識を作り出すもの。
ここで大切なのは自身が『生きている』こと、つまりは『俺』という存在を感じること。
『俺』という存在は『存在している俺の体』とは違うものなのだとか……存在とは触れられないもので、魔術師の一部が研究するのは『究極根拠』あるいは『至高』についての完全な知識……とかなんとか難解なこと。
彼女に言わせれば実に単純なことらしい、ここは神がいる世界で神以上の存在は星辰、それ以上の存在は宇宙……星辰はこの星のことで、俺達を含めた地球に住む全ての存在根拠。
そして、その星辰は宇宙を存在根拠とする。
では、宇宙の存在根拠とは?
つまり、宇宙はどうして始まったのか、ということ……最初から存在することはない。
存在とはそれに先立つ起源や原因が必要なもの、つまりその原因が存在しなければならない。
魔術の最も根源的な理念であり、科学と根幹を同じくすること……何がその原因か?
何かしらの答えが無ければ、この世界の誕生を証明できない。
それを証明することが出来たとすれば、それは完全な『解』であろう。
しかし、今までの究極的な探求でもそれは掴めない。
だが、それでも『無』は存在しない……それが最大の問題だ。
これを証明するとした場合、宇宙の全ての知識があっても足りない……全ての終焉に触れる必要はないが、その流れを掴む必要があるのだ……と力説される。
錬金術も魔術も、彼女の操る全ての神秘は全ての源と言っても過言ではない宇宙の存在根拠『至高』を証明するためだけに身に着けたものらしいから、その研究課題については熱くなっているようだ。
存在することは存在しないこと……その一部を知れば全てを知ることが出来る、魔導師の中にはそれに触れた者がいるとか、いないとか。
……
…………
熱くなってるところ悪いな、お前の言っていることは意味の分からない電波な話のような気がしてきた……俺の頭じゃ理解しきれない。
正直に言って、俺にはもう、意味のわからない話だ。
ただ、俺も瞑想しているうちに不思議な感覚を覚えていたのは事実だ。
眼を閉じていたとき、体の疲れと相まって……不覚にも本当に眠りかけた。
その瞬間、俺は自分の肉体を失ったような感覚にとらわれた。
まるで死んでしまったような喪失感と浮遊感……幽体離脱とは違う、実に深い恐怖を内包した感覚が背中を襲う。
いや、すでにその背中というものがどこなのかもわからなくなるような不思議な感覚だったのだ。
「――公、あき、さ……ん、き、公明さん?」
体をゆすられて、ぱっと目が覚めたとき……肩で息をしていることに気がつく。
生き返った? いや……世界がまるで違って見える。
自分という生命がここにいる事実がこの上ない喜びに感じられる……なんて綺麗な世界なんだ。
自分の立てる物音を聞くだけでもうれしくなるほどの感覚、これは異常な感覚であるはずなのに高揚感が抑えられない。
「……アデット、お前の言いたかったことはよくわかった……確かに、これはすごい……世界がまるで違って見える」
俺の肩に手をかけていた錬金術師はその言葉を聞いて、自分の椅子にゆっくりと腰を落ち着けた。
「……なるほど、漸く魔力の存在に気がつかれましたか。公明さんのような特殊な血統の方にしては、まぁ標準的な記録ですか」
そういう彼女の顔からは一瞬垣間見た驚きの表情は消え、すでにいつもの冷静さを取り戻していた。
自分の体の中に溢れる魔力というものの存在を感じる、体内をめぐる小さな流れ……そう例えることしか出来ないエネルギーの存在を感じる。
「それでは、最後の一回はもう結構。別段威力に差が出るとも思えませんが、もしもということもありますから……それで、魔力というものをご理解頂けたようなのでそれを使う方法を教えましょう」
魔力とは生命力に直結するエネルギー、それは東洋での気が最もわかりやすい言葉らしい。
生命力に起因する要因であることは自身の魂の成長でそれを強めることが出来るという証明なのだとか……要するに、今まで通りに自身を律する法を作り、自身の体を鍛えるだけ。
ただし、瞑想もやり方がわかってきたのなら追加しても良いのだそうだ。
あまり魔術を学んでいる実感もないは仕方ない、俺が普通の魔術師ならそれにあった鍛え方があるのだそうだが、特異体質ゆえに基本的な方法が一番手っ取り早いというのだから。
「公明さん、その本をたまに使ってみてください。魔力を強制的に奪う本ですが、それは使い方を示す最もわかりやすい方法ですから。ただし、害のない魔術のページだけ指定しておきますから、それを試してみるだけですよ」
「ああ、わかった」
「それに、決してその本の力に溺れてはいけません。貴方自身の力ではないのですから、本当に必要なときだけそれに頼ってください。貴方は魔術師ではない……それを決して忘れないでください」
「そもそもこれに頼るほど困る時なんて永遠に来ないよ、来てほしくもないし……でも、俺を魔術師にしないなら、どうしてこんなことを?」
「魔力の使い方を知る術の中でそれが一番簡単だからですよ。それに、貴方はただ魔力の存在を知っただけ……今までと何かが急に変わったわけではありません。だから、一年かかると申し上げました」
「なるほど……確かに俺のなかの流れは心もとないな、水道をしっかり閉じることが出来なかったときによく似た程度しか感じない。アデットたちの流れはどんな感じなんだ?」
「私、ですか? そうですね、公明さんが言われるように水に喩えるなら……この世の全ての海洋、といったところでしょうか」
「……冗談だろ?」
彼女は冗談めかした態度で続けた。
「どうでしょうか? まぁ量が重要なのではなく、その質が重要なのですからどうでもいいことですが……見ていてください」
そういうと、残っていたトランプをレンガの上に重ねて置き、再び自分の席まで戻って座る。
「おい、何するんだ?」
彼女は指先で小さく何かの形を描きながら、聞いたこともない異国の言葉を発した。
「――morte」
たったそれだけ……紡がれた言葉はトランプの束を一瞬で灰にして、消滅させた。
50枚近いトランプが燃えたわけでもなく、空気に溶けたように消え去ったのだ。
「……お前、今のは?」
見せ付けられた魔導師の魔術に唖然としながらも、彼女に聞いた。
「公明さんが使ったものと同じ種類の魔術です、多少は威力が上ですが」
「はぁ? いや……威力が断然違うだろ? 何処がちょっと上なんだよ」
しかし、彼女は首を振って否定する。
「わかりますか? 応用の問題です、仮に二つのガラス管に水を流す実験をしたとしましょう。このとき、ガラス管に屈曲や細い場所があるのが貴方の使っている本です。対して、私の紡いだ術は真っ直ぐな上に短い……つまり最も効率の良い流れ方をする訳です。実際の実験での差は時間ですが、無駄にかかる時間の分威力にも差が出るのが魔術だと考えてください。私たちが使った魔術、流した魔力はそう違わないのですがその効率が違う……だから、実際は量だけでなく、その質が重要になる。そもそも魔導師レベルにある術者はその魔力量が膨大で、使い切ることなど稀です。覚えて置いてください、その本は普遍的な式に過ぎず、無駄が多いということを」
この本に描かれている魔術式は魔導師ベルラック自身にあったものに過ぎないわけだから、俺に最もあった魔術式ではない……つまり、他人のマワシで相撲を取るみたいなものか。
ただし、原本たるアマルガストはその名を広く知られるだけのことはあり、普遍的でありながらも専門的、矛盾を矛盾でなくした完成品。
アマルガストのページはどれをなぞっても、その人に最もあった魔術式に即座に変換されて起動する。
つまり、流す魔力の量さえ同じなら誰が使っても威力に大差は無い。
ただ、アマルガストが術者から奪い取るのはその魔術を起動させる上で最低限必要な魔力、それ以上の魔力を流せばそれなりに威力は上昇する。
アデットがさっき俺に精神を高揚させろ、と言ったのはそのためらしい。
魔術式とはつまりそういうもの、式がその人間にあったものでない限りは必ず無駄が生じ、魔力は無駄に消費されることになる。
だから、魔術師達は自分達に最もあった式を探し、それを自分のものにする。
故に多くの流派が存在し、多くの情報を持つ大派閥に人々が集まる。
今の状況を招いている根本の原因を一つ知ることが出来て、俺の疑問も一つ消えた。
「ああ、他人の力を自分の力と勘違いするなって言う指摘は確かに正しいと思うし、俺も気をつけたいと思う。お前もなかなか良い事言うよな」
「どこか失礼だと思いますが、話の続きです……魔力を使いこなせばそれだけで本など必要ではなくなります。私や玲菜さん、綾音さんは自身で式を織り成し、自身で奇蹟を行使する者。対して、貴方は借り物を使うだけ。ですが、貴方も自身で奇蹟を行使する必要があります……借り物などではない自身の奇蹟、それは貴方のうちの魔力を使いこなすことが出来たときに発揮されるでしょう」
「……借り物か、確かにこの本はそうだな。でも、体を流れる魔力って言うのは俺のものなんだな」
「ええ、それが貴方の力。全ての人に流れる源泉への道……魔術など用いなくとも、その流れの果てに、名だたる魔術師が数百年かけても知ることがなかった全ての真理を知ることさえ出来ます……それを目指せとは言いません。ただ自身の存在を深く考え、矜持を高く保ってください」
「ああ、よくわかってない部分もかなりあるみたいだけど、その言葉はお前語録の中で一番本気っぽい」
「……玲菜さんの口の悪さが伝染しました? 流れをうまく使い、それを蓄えれば長寿を実現し、発達した運動神経を得ることも可能。それだけのインセンティブがあれば、必死になってくれますね」
「まぁ、な。それより、聞いても良いか?」
「はい?」
「この本って吸血鬼の著作だろ? どうしてお前が持ってるんだ」
彼女はゆっくりとした動作で紅茶に手を伸ばし、自分のカップに注いだ。
それを一口飲むと、語りだす。
「ああ、それですか……ベルジュラック卿は創り出すことが趣味という魔術師で、それを保持することには興味がないのです。彼女は自分が創った危ない武装を方々の魔術師に売り渡す……その兵器がたまに表の市場に出ることもありますからそれをオークションで回収したのです」
「おいおい、こんなのがオークションに出品されることがあるのか?」
「稀にありますね。そういう場合は各地の駐在員が情報を本部に伝えて競り落としますから、流出することは無いと思ってください」
「なら……安心ではあるけど、その『ベルラック』って一体何考えてんだ? 自分の創った最上級の武器を流してもったいないとか思わないのか?」
「彼女はいつか世界を壊すほどの兵器を創れる日を待ち望んでいます。彼女はそれ一辺倒の武闘派ですが、破壊と再生という二つの要素が平行して存在していることで世界が成り立っているという理論を唱えておりまして……つまり、天秤が刹那的に破壊の側に傾くことで、それを補正するための限りない再生が一瞬、世界の理への道を開く……らしいですよ。ですから、それを達成し得ない武器などに価値は無いのだそうです」
「破壊と再生が天秤を成してるって……正しいのか、そいつの考えは? そのためなら世界を滅ぼす価値があるって思うのか? これはお前個人の考えを聞いてるんだが、これは達成可能なのか?」
「さぁ、人を生き返らせるほどの奇蹟さえ武器の力だけで達成するような、怪物じみた吸血鬼の言うことですから……私にもわかりませんね。何より、実験など不可能なことでしょう?」
それはそうだ、実験のために世界を破壊するわけにも行かないのだから証明など出来ないだろう。
「そうだな……じゃあ、今日はすごいものをありがとう。お前に言われたように、あとで色々試してみるよ」
「ええ、それではまた明日……私は生徒会の所用が残っておりますので、玲菜さん達によろしくお伝えください」
「ああ」
そういって、俺はその部屋を後にした。
時間を見れば、三時間をあの部屋で過ごしていたことに気がつく。
○○○○○
ああ、どうしてこんなことになるかな……?
「ちょっと良いもの持ってるじゃない、私に貸しなさいよ」
浅海はそう言って、俺が貰った本をその日のうちに奪い取った。
まるでジャイ○ン、『お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの』と言わんばかりの傲慢さ。
「いや、ちょっと待てよ。それはアデットから貰ったもので……大体、お前らには必要ないんだろ?」
「あら、こんな高いものが必要のない訳ないでしょう。こういう価値のあるものは持つべき人間が持ってはじめて意味があるのよ」
浅海はそういうと、本を持って階段を上っていった。
今日はもう体力切れだったし……明日返してもらえば良いか。
「ったく、ワガママなヤツ」
そう呟きながら、俺も自分の部屋に行き……気持ちの良いベッドに転がった。
魔術を使ったためだろうか、体がだるい。
すぐにまぶたが落ちる。