可怪しい。
と、俺は謁見の間を前にしながら、そう考えていた。
ロキの手が回っていたため、ワルハラ宮の中では雑兵すら配置されていないザル警備であったのだが、コレは明らかに可怪しすぎる。
「この先、小宇宙を感じない。……待ち構えてないのか?」
大方、完全武装のドルバルが居るのかと思いきや、不思議とそんな感覚は全くしない。念の為……と考えて、扉に手を当ててソっと意識を集中してみるが、
「……やっぱり、ドルバルは居ない、か」
先ほど思っていた通りに、やはりそれらしい人物は居ないようだ。
とは言え、ドルバルが姿を消した――と言う訳ではないらしい。眉間に皺を寄せながら、更に広い範囲を調べるように感覚の手を広げていく。
そうすることで、ドルバル自体の反応を確認することは出来るのだ。
まぁもっとも、その反応は謁見の間よりも更に奥。当初の最終目的地に設定していた、
「オーディン神像の眼の前、か」
狭苦しい謁見の間よりも、広々とした場所で待ち構えることを選択したのか? それとも、端からロキ達神闘士を信頼しきっては居なかったのか? はたまた隙を突いての、ヒルダ救出を警戒でもされたのか……
「まぁ、全部かな?」
可能性の話をするのであれば、上記の3つはドレもが当て嵌まるだろう。
しかしそうなると、作戦の成功確率は極端に低下したと見なければならない。
何せ、現在のアスガルドにおける最大戦力と、少なからず拳を合わせなければならないからだ。
果たして、俺に、ドルバルと闘う事が出来るのだろうか?
悩むように口元に手をやりながら、思わず漏れる溜息。眉間には皺が寄ってしまい、それだけでこれから先の事が不安で一杯に成ってしまう。
とは言え、前向きに考えれば広い場所でドルバルと相対出来るのは、自由に動き回る事が出来るといったメリットが有る。
時間を稼ぎつつ、ジークフリード達の到着を待ってヒルダの救出を行う。要は、囮役を俺がヤレば良いのだ。
……まぁ、出来ればヤリたくはない役だが、ヤラない訳にもいくまい。
落ち込みそうに成る気分を無理矢理に押さえ込み、眼の前の扉に手を掛ける。
ドルバルはオーディン神像の場所に居るため、一枚隔てた隣の部屋には人の気配も何も――
「……あれ? 人は、居る?」
部屋の奥……と言っても、壁に寄り添うような形でだが、中に誰かが居ることだけは解った。しかし、それは恐らくドルバルではないだろう。小宇宙を感じないし、一般人か?
不思議に思い首を傾げるが、こんな状況下で、こんな場所に、何故人が居るのだろうか?
ギィっと音を鳴らし、ユックリと扉を開けた俺は、中を覗き込むように顔半分だけを部屋の中へと向ける。
「居な――居た」
グルっと視線を彷徨わせた後で、謁見の間の奥、壁に掛かっているビロードに隠れるように、一人の人物が居る。
見つけた後でも、こんな所に、何故? と、思わずにはいられない。
俺は周囲を警戒しつつ、ゆっくりと中へと入ることにした。
「其処の人、隠れてないで出てきて下さい」
色々な疑問が尽きないが、たとえ今のような状況下でも、誰かれ構わずに攻撃的になる必要はないだろう。
俺の声に反応してか、隠れるようにしていた人影が姿を表した。
「だ、誰ですか?」
怯えるように声を震わせて現れたのは、一人の女性――その格好から見るに、恐らくは侍従だとでも言うのだろうか? 俺やヒルダよりは歳上なのだろうが、それでも十分に少女と呼べるような年格好である。
相手に妙な感情を抱かせないように、落ち着いた表情を崩さぬように努めて、相手の質問に答えていくことにする。
「聖域(サンクチュアリ)から来た聖闘士、クライオス」
「聖闘……士?」
言葉の意味を考えているのだろうか? 女性は眉根に皺を寄せながら、尚も訝しげな表情を浮かべている。
「こ、ここは、教主様の謁見の間ですよ……。な、何をしに来たのですか?」
「広い意味で答えるのなら、ドルバルに会いに来た――とも言えるけれど、何故と言うなら貴方の方もそうじゃないですか? 何故、こんな時にドルバルの謁見の間に? そもそも、貴女は誰なのですか?」
「わ、わたし!?」
柔らかい口調を心掛けたつもりだったが、よもや逆に質問をされるとは思わなかったのかも知れない。女性は此方の質問に慌てたように、肩をビクッと震わせた。
「わた、私は、ヒルダ様の侍従です。ヒルダ様の捜索状況を、教主様にお聞きしようと思って、この場所に……」
ヒルダの侍従? 自己紹介としては普通だが、その言葉が本当ならば、この眼の前にいる人物が、俺が今朝方に捕らえられた切っ掛けを作ったということになるな。
「ヒルダの安否を聞こうとして、ドルバルの所に――で、そのドルバルは?」
「そ、それが、この場所には居られないようでして」
「ん、そうですか」
どうやら先ほど感じたように、ドルバルはこの先に居る可能性が高いようだ。
しかし、此処に来た理由が、ドルバルに御伺いに、ね。随分と行動的な人物なようである。
「ヒルダはまだ、残念ながら見つかってませんよ」
「そ、そんな……ヒルダ様!? あぁっ何故こんなことに!?」
「安心してください。ヒルダは救出しますから」
「ホ、本当ですか! 本当にヒルダ様を――っ」
感極まった様な素振りで、此方に駆け出そうとしてくる女性だったが、その動きは急にピタッと止まる。先程までの表情が嘘であるかのように、目を細め、此方を伺うような瞳でジロジロと見つめてきた。
俺が自己紹介で口にした、『聖闘士』という言葉が何であるのかを思い出したから、か?
「あの、聖闘士ってまさか……。ヒルダ様を攫った罪で投獄されたっていう」
あぁ、ソッチに飛ぶのか。
と言うか。攫った『容疑』じゃなくて、攫った『罪』に確定してるわけ?
「まぁ、色々と否定したいところですが、概ねソレであってますよ」
「ッ!?」
肩を跳ね上げ、解りやすいくらいにオロオロとしだす女性。
半ば、『こんな反応をするだろうな――』と理解はしていても、いざされると若干心に傷を負う次第。
「そ、それじゃあ、貴方が」
「一応言っておきますけど、俺はヒルダを攫ってなんか――」
「ヒルダ様を手篭めにしたという、悪童っ!」
「手篭めってなんだ、オイ!」
「ひぃッ!?」
聞き流す訳にもいかない言葉が耳へと入り、ついつい声を荒らげてしまったのだが。しかし、『手篭め』って……俺は、まだ数えで11歳だぞ? いくら早熟な聖闘士だって、そんな発想しないっての。
「……取り敢えず、手篭めにはしてません。する予定もありません」
「だ、だって……ワルハラ宮で働いてる人達の中では、結構有名な話で」
「俺と、ヒルダの年齢を考えてから、モノを言うようにして下さい」
「……え? えぇっと……うん、それは確かに、その通りですね」
口元に手をやりながら、チラチラと此方を見つつ納得をする女性。これはアスガルドという、周囲から隔絶された閉鎖空間故に起きた事件なのか? それとも、この世界に於ける必然ゆえの出来事なのか? 一度自分の身辺お含めて調査するべきかもしれない。
説明が功を奏して、奇妙な誤解を解くことに成功した俺ではあるが、だからと言って何がどうしたという訳もない。
此処で油を売って時間を無駄に費やし、ヒルダの命を危険に晒すわけにも行かないだろう。
「さて、誤解が解けた様で何よりなんですが、今ちょっと急いでましてね。スイマセンけど、俺は先に行かせて貰いますよ」
「先にって……この先には、オーディン神像の在る、広間が存在するだけですよ?」
「其処に、恐らく俺の探している人物が居ますから」
「それって、ドルバル様のことですよね? だったら、私も一緒に行ってもいいでしょうか?」
「……は?」
一瞬、本気で、『何を言ってるんだこの小娘は?』と思ってしまい、表情がピシリ――と硬化してしまった。
しかし、直ぐにドルバル=今回の悪玉といった考えをしていなければ、当然の反応かもしれないと思い直し、表情を繕うようにする。
「いや、いやいやいや、出来れば遠慮して貰いたいんですが?」
「で、でも、ドルバル様に会いに行かれるんですよね?」
「えぇ。それは確かにそうなんですが」
「だったら、私も行きますよ。ヒルダ様の事を、直接お伺いしたいですし」
何を思ってか、ムン胸を反らす様にしながら力強く言ってくる女性。
ソレをすれば、貴女の命が危ないですよ――と、直接に言ってあげた方が良いのだろうか? しかし、例え言ったとしても、ソレを素直に聞き入れるかどうかは解らないし、な。
いっその事、昏倒させてしまうべきだろうか?
「――あ、でも……貴方はヒルダ様の救出の為に、ドルバル様に会われるということは、その報告か何かでしょうか? となると、私に教えてくれた内容は、現在の最新状況ということに?」
「……え、えぇ、まぁ、そうなりますね」
「だったら、潔くヒルダ様の部屋の掃除でもしてるべきかしら」
物騒なことを考えた俺が言うのも何だが、どうにも調子が崩れる。独特のリズムをもった、ちょっと変わった人物なようである。
途端に自身の言葉を翻し、ブツブツと普段の仕事に思いを回し始めている。
「まぁ、そうして頂けると助かります。どうであれ、今日中には結果が出ますから」
「ほ、本当ですか!? ヒルダ様は、本当に!?」
「えぇ、このままと言うことは、決して無いでしょう」
言いながら、俺は内心で『どんな結果になるにせよ』と、繋げるのであった。
「――そうですか。でも、そういうことでしたら。今の私に出来ることは」
「ただ、待つことですね」
「待つ?」
「ソレ以外には何もやりようが有りませんよ」
正直、今直ぐに避難をして欲しいのだが、無為に恐怖感を植え付けるような事を言う必要はないだろう。
「……解りました。正直手持ち無沙汰な気がしますけど、我慢して待ってみます。私、コレで失礼させていただきますね。……今のうちに掃除でもしようかしら?」
アッサリと納得をしてくれたのは幸いだが、妙に切り替えの早い人物なようである。
顎先に人差し指を当てながら、女性は「むむむ」と唸って歩き出す。
だが直ぐに
「あ」
と声を出すと、クルッとこちらへと向き直ってニコッと微笑んできた。
「すいません、申し遅れまして。私、侍従のイーリスです」
「……クライオスです」
「いやですねぇ、ちゃんと覚えてますよ♪」
まるで近所のおばさんのように、手をパタパタと動かして笑みを浮かべるイーリス。俺は何やら違和感を覚えずにはいられなかったのだが、どうにも言葉にすることが出来ない。
眉間に皺を寄せて考え込もうとするが、
「――では、こんどこそ失礼致します」
イーリスはそんなこと等お構いなしであるかのように、ニコニコ笑顔を向けたままに謁見の間より退室をしていく。
「兎に角、変な人……だったな」
と、そう小さな呟きを漏らすのであった。
もっとも、俺はこの時の自身呟きの内容と、そして現状に些かの疑問も感じていた。まぁ残念なことに、その疑問が何であるのかに関しては、考えている余裕もないため放置することに成ったのだが。
侍従との会話は、取り分け進展が在るわけでも、いい話が聞けたわけでもなかった。言ってしまえば、時間の無駄でしか無かったとも言える。
対して時間を食った訳でもないが、とは言え囚われのヒルダにしてみれば一分一秒を争うような状況だろう。
自身の先行きに不安を感じながらも脚を動かし、唯只管に前進すること意識を向ける。
謁見の間の奥にある連絡扉から、更に長い廊下を抜けた先。
薄暗さが、外からの陽光で徐々に明るさを取り戻していく、その先で
「待っておったぞ。聖域の聖闘士よ。確か、クライオスとか言ったかな?」
予想の範疇であったが、完全武装のドルバルがその場所に立ち尽くしていた。神闘士としての闘衣を身に付け、肩から白い外套を纏っている。
「完全武装でお待ちとは、ロキ達が勝つとは思ってなかったのかな?」
「ロキか……。ヒルダの暗殺を命じた折、貴様に手傷を負わされたと聞いてしまってはな。配下の神闘士が総出でお前を襲うのならば話は変わるであろうが、一対一に拘るようでは勝てはせぬと思っておったわ。――とはいえ」
薄っすらと笑みを浮かべた状態で、ドルバルは力強く一歩足を踏み出してきた。その瞬間、突き抜けるような威圧感が俺の頬をビシビシと叩き出す。
「よもやウルやロキだけではなく、ジークフリード等を仕留めに向かったルングまでが敗れるとは、思いもせなんだがな」
「ジークフリード達を舐めすぎだ。それに、信念って奴の違いも在るだろうさ」
「ほう、信念とな?」
「彼奴等は、ヒルダこそがアスガルドに必要な人間だと、心の底から信じている。ただ単に、今現在の状況に文句を言って、ソレに反発するだけのルングでは、心の置き場所も、ソレを支える強さも違って当然だろう」
「信じる……か。詰まらぬことを申す奴よな、貴様も」
ドルバルは途端に、ガッカリしたように眉間に皺をよせる。
「ルングの敗北は、ただ奴が弱かったに過ぎん。心の強さ? 愚かしいことを申すな。仮に貴様の言が正しければ、今のこの状況をどう見る? どう解釈をするのだ?」
腕を大きく振りかぶり、ドルバルは俺にその存在を教えるかのように背後のオーディン神像に腕を向けた。
「ヒルダは儂に捕らえられ、もはや自らの意志で動くこともままならぬこの状況を。――見るが良い!」
指し示された先、オーディン神像の眼の前だが、その場所には虚ろな瞳をしながら薄手のローブを身に付けただけのヒルダが居る。
「ヒルダ……ッ!」
極寒の地であるアスガルド、そのアスガルドの寒空の下で半日?
アレでは、とても一日なんて持たないぞ?
ウルの奴の言葉をそのまま信用したつもりもなかったのだが、しかしこの状態はあんまりではないだろうか?
「ドルバル! ヒルダをこんなッ!」
「今のヒルダは、我が術中に落ちて五感の全てを失っておる。但し、このアスガルドで何が起きているのか? それだけは理解出来ているのだろうがな」
「五感を?」
ドルバルの説明に、俺は自分の修行時代のことを思い出した。
……まぁ、ほんのチョット前まで修行時代だったのだが、その頃にしょっちゅう五感を奪われていた事を思い出したのだ。
脳裏に薄ら笑いを浮かべるシャカの顔と、当時の感覚が思い出される。
「一応は予想出来ていたことだけど、お前……ヒルダみたいな普通の子供に、そんな酷いことを……!」
右も左も上も下も判らなくなり、匂いも音も光も味さえも感じなくなる。
自分がそうなっていた時の事を客観的に見たことはなかったのだが、もしかしたらヒルダは、五感を奪われる以上のことがされているのではないだろうか?
「予定は多少狂いはしたが、貴様を始末してしまえば後はどうとでも成る。元々、直ぐにどうにかなると考えての計画ではないのだ。未熟以前のジークフリード等や、白銀聖闘士程度の貴様に敗北する神闘士など不要。新たに次代の神闘士を育成し、アスガルドを、世界をこの手に収めてくれるわ!」
「悪いけど、そんなことはさせない」
「ほう。この儂を止めるか?」
「思い通りには、させる訳にはいかないからな」
腰を落とし、構えを取り、ギュッと拳を握りしめる。
ジークフリード達が現れる気配は未だにない。理想は、俺がドルバルと対峙した時にはジークフリード等に何処かで隙を伺っていて欲しかったのだが、残念なことに今の状況ではソレを確認することも、待つことも難しい。
そもそも、ヒルダの状況的に待つ訳にもいかないだろう。
肌に感じる威圧感だけでも、ドルバルの実力がヒシヒシと伝わってくる。
戦わなくても解る。奴は強い。
この世界で生活する中で薄れていた恐怖感が、体の奥からジワジワと顔を覗かせようとしているのが嫌でも感じてしまう。
しかし、逃げない。
大丈夫、大丈夫なはずだ。
ドルバルの強さが本物だったとしても、俺は毎日聖域に居る黄金聖闘士の動きをこの眼で見てきたのだ。あの、化物とも形容できる連中の動きに比べれば、ソレ以外のことなんて何てことはない。
「見るんだ、よく見――」
瞬間、閃光が走った。
遠間からドルバルの拳が、光のように放たれる。
俺はその光の如き拳を、確かに目で捉え……
ゴォオオオオオオン!!!
為す術もなく盛大に吹き飛ばされていった。
――あぁ、空が白い。