・Scene 35-1・
女性徒に追い掛け回され、逃げ出す。
そして男子生徒に目をつけられ、逃げ出す。
逃げ出している最中再び女性徒に見つかり、男子生徒の堪忍袋の尾を切断し、囲まれ、そして。
―――何時の間にやら人の数も減り閑散としたダンスフロアーの片隅、立食用のテーブルが並べられているスペースの更に脇。
日頃の黒の制服姿とは違うドレス姿に着飾った聖地学院生徒会長リチア・ポ・チーナは中庭に続く連続窓に寄りかかり、気だるげな表情で呟いた。
「……馬鹿らしいったらありゃしないわ」
視線は窓の向こう、この新入生歓迎舞踏会の会場として利用している講堂の中庭に向けられている。
夜闇の中、中世シトレイユ風の建築様式で整備された、美しい中庭では、着飾った少女たちが輪を作ってなにやら盛り上がっているのが、窓越しのリチアにも伝わってきた。
無論、理由も解っている。
あの少女達の囲いの中心には男たちの姿がある。
あの場所に居るのは全て、本来ならばこの人が少なくなり楽団の演奏がむなしく響くダンスフロアーで踊りを楽しんでいるべき生徒達なのだった。
いや、ほんの数分前までは実際そうだった。
日頃無い着飾る機会に女子たちは色めき立ち、男子生徒たちは公然と女子たちに近づき放題。日頃何処か遠ざけられている感のある男女の交流の機会と会って、それ相応の賑わいを見せていた―――少なくとも、表向きは。
じゃあ、裏向きはどうなんだと言えば話は早い。
女子たちが着飾って居たのは単純にその姿を見せたい一人の男子が居たからであり、結局その男子にほぼ過半ともいえる女子たちが群がってしまえば、折角の機会を楽しみにしていたその他の男子達は面白くない。
しかも、目の前で女子たちを掻っ攫って行ったのが、自分たちと同じ生徒ではなくただのウェイター役の使用人であったなら、尚更だろう。
後は簡単だ。
詰め寄られ逃げ出した使用人が、主役の座を横から奪われて妬みの篭った視線で姿を追っていた男子生徒たちに因縁をつけられて、その現場を運が良いやら悪いやら、女子たちが発見してしまう。
初めは見えないところで分を弁えない使用人を”指導”するだけのつもりだった男子生徒たちも、此処まで大量の人目があっては陰険なまねは出来ない。
いつの間にか各々獲物を持ち出して決闘まがいの勝負ごっこをする嵌めになっていたと、それがここまでの経緯である。
けんしちゃ~ん、がんばってぇ~~~♪
そんな声が、中庭からわいのわいのと響いているのが解る。
普段の制服姿であれば、あそこまであからさまに件の使用人の事を贔屓したりしないであろう女子たちも、宴の熱気、着飾った普段とは違う自分たちの姿に浮されたのか、精一杯声を出して嬌声を上げている。
「こんな所に居たのか」
「おぅわっと、ちょっとアウラ王女、歩くの早いですって、うわ、また裾踏みそうになった!」
元気だことと、中庭の様子を遠めに伺い嘆息していたリチアの耳に、二人の少女の声が響いた。
一人は、優れたプロポーションの褐色の肌の持ち主のダークエルフの美女と、もう一人は普段はつなぎ姿が見慣れている少女だった。
「アウラ……ワウアンリーも。てっきり、外の騒ぎに付き合っているのかと思ったわ」
特にアウラは、と最後は意地悪い笑みとともにリチアは近づいてきた少女達に言った。
「あそこまで衆目の目を集めてしまえば、最早そう危険な事も出来ないだろうからな。わざわざ残る必要もあるまい」
何処か問われた意味からズレた回答をするアウラ。そのことを深く追求しなかったのはリチアの慈悲である。
「因みにあたしは会場うろついてプレッシャーかけとけって言われてまして……」
「プレッシャー、ね」
宮仕えの辛さですとため息を吐くワウアンリーの言葉に、リチアは面白く無さそうに会場を見渡した。
一部の要領の良い生徒達が人が少なくなって相対的にスペースの広がったダンスフロアーを優雅―――と言うには些か元気すぎるステップを刻んでいる。
エスコート役の男子生徒は特に楽しそうで、満面の笑みといった所だ。
それも当然だろう。
いかな特権階級とは言え、だからこそ普段は女性徒たちから距離を置かれ気味な男性聖機師たちにとっては、公然と自分たちから気に入った女性徒たちを誘う機会である。
しかも立場の差からダンスに誘われれば一般生徒の女子たちは断りようが無いから、男たちにとっては至福の時間と言えた。しかも上手くすれば王族方とも一曲を共にする事も出来るのだから。
コレが男子生徒全員が実行できていれば、この企画の考案者も上手い事やったと言えるのだが……。
「ガス抜き失敗って感じよね」
「―――むしろ、今正に爆発してますからね」
皮肉っぽく呟いたリチアに、ワウアンリーが言葉を合わせた。アウラが苦笑して応じた。
「考えとしては悪くなかったが、使用人の配置にまでは気が回らなかったのはヤツらしくも無い片手落ちと言った所だな」
此処には居ない誰かを指したアウラに、リチアの眉根がいっそうに寄る。
「……何か不機嫌そうじゃないですか、リチア様」
「別に」
恐る恐る尋ねたワウアンリーに、リチアは冷たく言葉を返した。そうしたら今度は、アウラが意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ダンスパートナーの雲隠れが、そんなに不満か?」
「誰がっ……!」
その不機嫌さをそのままに乗せられた言葉こそが、リチアの本音だった。ワウアンリーが謝るような口調で言った。
「ウチの駄目殿下、今日は何時も以上に周りの事が見えなくなってるんで、出来れば広い目で見ていただけると……」
「だから、別に私はアマギリの事なんて少しも気にして無いわよ!」
ワウアンリーの言葉に過剰反応するリチアに、それ以上の突込みを入れることはなかったのはアウラの慈悲と言うものだろう。
少しだけ面白そうに親友の態度を笑った後で、アウラはワウアンリーに視線を移して尋ねた。
「それで結局、アマギリは何処へ行ったんだ?」
今回のイベントの仕掛け人、アマギリ・ナナダンの姿は会場の何処にも見当たらなかった。
彼は、開会の挨拶を担当して最初の一曲を生徒会代表としてリチアのパートナーとして無難に勤めきった後、いつの間にか姿を消していた。
どうやら、ウェイターとして会場入りした剣士に視線が集中しだした隙を突いて、会場から居なくなったらしい。
無論、外で輪を作っている者たちの中にも存在しない事は、アウラも既に確認済みである。
「てっきり、男子生徒に気に入った女性徒を宛がいつつ、自勢力への勧誘に繋げるのだと思っていたのだが」
この状況では望み薄だがなと、人気の足りないダンスフロアーを見渡しながらアウラは言った。
「それじゃあダグマイアと連名した理由が説明できないじゃない」
「っていうか、アウラ王女も結構過激な発言するようになりましたよね……。ああ、ウチの殿下の悪影響が、蔓延していく……」
ワウアンリーの冗談のような嘆きはあえてスルーしてアウラは周囲を見渡した。
「―――ダグマイアは、居るな」
「見張られて動けないんでしょ」
壁際に背中を預けて瞳を閉じているダグマイアの姿を発見して呟いたアウラに、リチアが冷めた目で応じた。
「見張り?」
アウラは首をかしげた。
「近くの柱の角じゃよ」
一つの演奏が止まった空白期間のせいか、新たに現れた少女の声は殊更響いた。
「ラシャラ様」
ラシャラ・アースがダンスフロアーの中央から、リチアたちの傍に近づいてきた。どうやら一念発起して誘いに来ていた無謀な男子の威勢を買って、一曲付き合っていたらしい。
「そろいも揃って何を密談などしておるのじゃおぬし等。あちらの一塊が、仲間になりたそうな目で見ておったぞ」
そう言って、丁度彼女等が居る場所とはフロアを挟んで正対する位置にある立食スペースでたむろしている男子生徒たちを指し示す。流石の特権階級者たる男性聖機師たちを以ってしても、自身等の身柄を保障しているとも言える最高権力者たちに声を掛けるに足る勇気は中々持ち出せないらしい。
因みに、その男子生徒の塊の直ぐ傍に、誘われるのを待っている女性徒たちの一群が完成している辺りが、この学院の縮図を意味しているかもしれない。
「ラシャラ・アース。柱の角とはどう言う……?」
「見たままじゃよ、丁度ダグマイアのヤツからは見えない位置に、一人居るじゃろう」
「一人……ああ、と言うかアレは」
「毎年二月恒例の柱の影の主さんですね」
「なんじゃ、キャイアはやはり此処でもそんな感じだったか」
二ヶ月ほど前を思い出して苦笑するワウアンリーの言葉に、ラシャラはしたり顔で頷いた。
柱の隅で一人ダグマイアの様子を伺っているのはドレスアップしたキャイア・フランであった。
単純な話でダグマイアと踊りたいらしく、それ以外に彼女の行動に含むところは欠片も無い。護衛任務を疎かにするほどの一途な行動と言えるかもしれない。
「楽しそうで良いですよね、キャイアさん。それに比べてラジコン替わりにぶらつかされてるあたしと来たら……」
如何にも青春と言ったいじらしい姿を見せるキャイアと、陰謀策謀の度に何か役目を押し付けられている我が身を比べて、ワウアンリーはしみじみと溜め息を吐いてしまった。
「従兄殿もお主には特別甘えている所があるからの。マイペースそうに見えてアレで色々と周囲に気を使って生きているから、その辺りを少しは斟酌してやるが良い」
肩を落とすワウアンリーに、ラシャラが苦笑交じりに言った。
「それはなんとなーく理解してるんですけど、あの人の甘え方って可愛げが全く無いですしねぇ」
「私は普段のあのやり取りで甘えを見抜くお前達を尊敬するよ」
姿が見えないことを良い事に、ここぞとばかりにアマギリへの不満をぶちまけるワウアンリーに、アウラが感嘆して言う。聞く言葉をそのまま受け取れば、普段は虐げられて”いる”ではなく、虐げられて”あげている”と言う事になるのだから、伊達に九十年以上生きていないなと、男を立てるその配慮に無駄に感心してしまう。
「……アマギリは姿を消し、ダグマイアは―――見張り? のせいで身動きはとれず。結局今回のコレは何のための企画だったんだ?」
少なくとも表向きのガス抜きは失敗しているなと、アウラは丁度都合よくその場に集った者たちに尋ねた。
リチアが未だに不機嫌そうに応じた。
「ガス抜きの件が表向きって解ってるんなら話は早いじゃない。企画を主導したのはアイツ。なら、今のこの状況を演出したのも、勿論アイツ」
「うむ、使用人頭にも確認したが、剣士をウェイターに回すように指示をしたのも、他ならぬ従兄殿らしいからの」
「でぇ、先に挑発しておけば必ずダグマイア・メストは”自分のための”行動を取るでしょうし」
リチアの言葉に、ラシャラとワウアンリーが更に補足する。
アウラは少し考えた後、眉根を寄せて言った。
「つまり、ダグマイアを挑発し対抗的な行動を引き出し、動きの予想を立てやすくすると。更に、男子生徒たちが暴発するような現場を作り出す事を目暗ましとして付け加え、自身の真の目的の隠蔽を密にする―――か」
「後でちゃんと確認せねば解らんが、剣士も恐らくは従兄殿から何か言われておるぞ。―――幾らあやつでもこんな大騒ぎを引き起こしてしまうのが拙い事だというくらい察しておるからの、そうでもなければああはならん」
ラシャラはそう言って、中庭を指し示した。
そこでは、剣士を囲んで男性聖機師たちが木刀を振り回し―――更にそれを、女性徒たちが輪になって観戦している姿があった。
どうあっても、視線はそこへと集まる事となり、アマギリは自由に動けるようになるだろう。
「剣士すらも利用したのか―――アイツは」
アウラがこれまでに幾度か垣間見ていたアマギリの剣士に対する態度からすれば、アマギリが自身の謀略に剣士を巻き込むなど信じられない事だった。
アマギリは間違いなく、剣士に対して尊敬、尊崇とも言うべき感情を抱いている。並び立ち共に笑いあう相手ではなく、見上げ傅くべき人間であると定めているようだった。
それを、利用する。―――冗談めかして言う言葉にすら不敬だと表情を苦くする男が。
その事情を勘案すれば、一体此度の陰謀にどれほど重要な意味を秘められているのか、アウラは空恐ろしい気分を覚えた。
「あー、深く考えると馬鹿を見ますよ」
深刻な顔になりかかっていたアウラを見て、ワウアンリーが諦念混じりの言葉を告げた。
見ると、ラシャラとリチアも似たような顔をしている。
馬鹿馬鹿しいと、どの顔もはっきりと語っていた。これにはアウラも混乱してしまう。
「……どういう事だ?」
「どうもこうも無いわよ。馬鹿が馬鹿らしく、馬鹿馬鹿しい行動を取っただけ」
「あの者、案外不器用に生きてるからの」
「不器用なのはマリア様もなんですけどねー。あたしは最近屋敷が居辛くて困ってましたし、コレで解決するならもう良いですよ」
次々と、件の男にさも呆れたという態度を隠さずに言葉を重ねていく少女達。
その中で、アウラは気づいた事があった。
「マリア? ―――そういえば、マリア王女の姿がないな」
改めて会場を見渡しても、マリア・ナナダンも、当然その従者のユキネの姿も見当たらない。
そもそも、このイベントの開始の時からあの二人の姿は見かけていないなと、アウラは今頃気付いた。
―――そして、最近のアマギリ・ナナダンの姿を思い出した。
「なるほど、な」
微笑ましいものを思うかのような微笑と共に、アウラは理解した。
馬鹿馬鹿しい―――なるほど、まさしく。リチアが不機嫌になるわけだ。
「なによ?」
リチアが酷く不機嫌そうな顔をアウラに向けていた。思っていたことが顔に出ていたらしい。
「いや、別に―――だが、しかし、そうか。あのアマギリが、なぁ……」
「こういうの、成長したって言うんですかね……」
「損得勘定抜きでアホな行動をとり始めることを成長したと評するのも、のう」
「馬鹿が馬鹿らしく、極端から極端に振れただけじゃない」
しみじみと呟いたアウラにあわせるように、少女達が次々に感想を口にした。
「尤も、コレだけ派手に仕込んでおいて、本命の当人に逃げられているのだから、世話無いがの」
「場所さえ用意すれば来るって考えている時点で、まだ利益重視の発想から脱しきれてませんよね」
ラシャラとワウアンリーの言葉に、アウラは目を瞬かせた。
「―――ひょっとして、二人が居ないのは狙ってやっての事ではないのか?」
「当然じゃない」
アウラの疑問に、リチアは鼻を鳴らして応じた。
「アイツの今回の行動基底にあるのは、いかにして自分の行動を自然に溶け込ませるかですもの。逃げられて追いかけた、なーんて”特別な”行動を取ったら意味が無いじゃない」
「なるほどなぁ。舞踏会で兄が妹をエスコートする。―――自然な事だな。問題はアイツがそれをやると途端に不自然に見えることに、あいつは気付いていないと言う事だが」
「まぁ、ダグマイアが会場に拘束されてしまっている以上、こうなってしまったのは逆にアヤツにとっては幸運だったかもしれん」
「柱の影の主は座敷わらじか何かですか」
「浸かれておるダグマイアにとっては貧乏神かもしれんがの」
「っていうか、アイツ今回の件の真実を知ったら泣くんじゃないかしら。ちょっと可哀相過ぎない?」
「熾烈な情報戦のつもりが、実際は……ですしね」
好き勝手に言いたい放題言い尽くし、そして、全員そろってため息を吐いていた。
そして、宴の場から視点を移せば―――。
※ そんな訳で100話。
記念すべき話数の気がするんですが、アレ? 主人公の姿が……。
まぁ、今回は乙女会議ってノリで。次回はシスターとあれこれ