・Scene 34-5・
混乱が思いのほか長続きしなかった理由は単純だ。
自身の只一人の主が、自身よりもよほど混乱していたから。
驚愕も戸惑いも、まるで隠せずに―――手の震えばかりは相手に見えない位置だったのは幸運かもしれない―――ダグマイア・メストは、対面した男の言葉の意味を図りかねている。
その同様をありのままに示した後姿を見て、ダグマイアの忠実なる従者であるエメラは混乱から立ち直った。
処は、生徒会塔役員別個室の一つ。
生徒会役員にはその特権の一つとして生徒会塔内の一室が与えられる。
そこを利用して雑務を遂行せよ……と言うことなのだが、実際に使われる例は少ない。少なくとも、エメラとダグマイアが聖地に入学してからは、一度も使われていなかった。存在すら忘れられていたと言っても良い。
何しろ先代当代と生徒会長がワンマンを発揮して一人でほぼ全ての仕事を片付けてしまうお陰で、役員の諸氏にまで仕事が降りてくることは殆ど無いのだ。例外があるとすれば、役員自らが仕事を提案する時のみ。
そう言う時にしたって、そもそも役員の地位に着く人間は専用の屋敷を確保しているケースが多いから、やはりこの部屋は使われない。
そして、今がその珍しい例外だったりする。
ダグマイアを呼び出し、挨拶もそこそこに、分厚いファイルを示してきた部屋の主。
それは、ハヴォニワ王国王子アマギリ・ナナダンその人だった。
「それは、どう言う……」
明らかに震えた、少なくと口にした本人以外にはそうと聞こえる声で、ダグマイアが問いの言葉を口にした。
漸く、先だってアマギリが口を開いてから既に数分は経過してからだった。
その不審を咎めるでもなく、その理由を問うことも無く、執務席に腰掛けるアマギリは、ニコリと一つ笑って応じた。
「あら、聞き逃したか。じゃあもう一度繰り返すけど―――」
それを、良くないペースだなとエメラは無表情の中で思っていた。
やはり、こんな誘いに初めから応じるべきではなかった。頑として止めるべきだったと思う。
―――ダグマイアはきっと、何時もどおり聞き入れてくれなかっただろうけど。
それでも止めておけばと願ってしまう自身の浅ましさをエメラは恥じた。
優先するべきはダグマイアの意思。それ以外のものは炉端の石以上の価値にもなりはしない。
ダグマイアの意思、その結実が見せる全ても、等しく彼に与えられるべきものだから。どのようなものであっても。どのような結末であっても。
そうして何時ものように、止めて当然と言う意思を止めない事が当然なのだと言う意思で塗りつぶした。
現状は、何時ものように最悪な状況。誰が見たとしてもそう答えるだろう。
だが、エメラだけはそう答える事は許されない。例えダグマイア本人すらもそう思っていようが―――エメラだけは、決して。ダグマイアの勝利以外を望む事は無いのだ。
だから眼前の悪魔が悪夢への誘いの言葉をかけてきたとしても。
「―――僕と、手を組まないか?」
決して、自分から引く様に進言する事など出来なかった。
「ウチも少し手が足りなくてね。借りられる手なら猫も杓子もって、ね。ああ、ダグマイア君が猫だなんて言ってないけど」
「……はぁ」
場を移し、立ち尽くす主従二人を来客用のソファへ誘ったアマギリは、自らも向かいのソファに腰掛けて、そんな風に言った。
間の抜けた返事はダグマイアらしくも無い取り繕った部分の一切無い言葉で―――つまり彼の混乱をより一層エメラに伝えてきた。
ダグマイア・メストは未だに混乱状態にある。
何しろ従者であるエメラ自身がダグマイアの隣に腰掛けている事実になんら異を唱えないのだから、混乱してない訳が無いだろう。
エメラには、アマギリが意図的にダグマイアを混乱させようとしている事が解っていた。
それはエメラが優秀な知性を持っているから―――ではなく単純に、今まで幾度も似たような事があったからだ。
混乱し、思考の方向を誘導し、そして罠に嵌める。
アマギリ・ナナダンが使う典型的な手段の一つだ。
そしてダグマイアが典型的に引っかかる罠の一つでもある。
止めたい。是非とも止めたいとエメラは思う。出来るなら今すぐ話を打ち切ってダグマイアを廊下に連れ出しアマギリの企みを明かして聞かせるか、それともこの場で話を遮ってエメラ自身が交渉してしまうかを行いたい。
だが、不可能。エメラは何処まで言ってもダグマイアの従者でしかないのだから。
それゆえ何時ものように、ダグマイアが罠に掛かる様を間近で目撃するしかないのだ。
「さきほど、手を組むと仰られていましたが、正直意味が解りかねるのですが」
―――その質問の仕方は、悪手です。
言いたい。溜め息混じりに忠告してやりたかった。ダグマイアのためにも。
この場で取るべき正解の選択肢は”興味が無い”と言って話を速やかに切り上げると言う一つしかない。
問い返すと言う質問は最悪の悪手だ。自らが受身になると認めているようなものではないか。
問題に対しては常に正面から向かい合うと言うダグマイアの精神が悪い方向に働いている典型的な場面と言える。
―――エメラにとっては、見慣れた光景だった。
「いやさ、ダグマイア君も当然耳にも目にもしていると思うんだ。―――柾木剣士の事だけど」
「柾木剣士、だとっ……!?」
―――そこで直ぐに答えを返してはいけません。貴方が例えその正体がどうであったとしても、たかだか一”使用人”の名前を覚えているなんておかしいじゃないですか。
この場合は、一つ首を捻って先の言葉を引き出す程度で充分だろうとエメラは冷静な顔のままそう考えている。
知っているような素振りを少しでも見せれば、そこに突っ込まれてしまうから。
「あれ、ダグマイア君も何かあの少年の関係でトラブったのかい?」
「いえ、それは―――」
「まぁ、それも当然か。何しろダグマイア君にとっては国主に当たる人間の従者に当たるんだから。キミみたいに真面目な人間にとっては、ああいう氏素性の知れぬ人間が国主の傍に居るのは我慢なら無いんだろう?」
「え、ええ―――その、通りです」
―――ほら、来た。
こうやって答えられないと解っている質問を繰り返して、場の主導権を完全に握る算段なのだ。
毎度の事だが、最早完全に遊ばれている。
ダグマイアにとって、アマギリ・ナナダンと対峙する事は常に真剣勝負なのだが、アマギリにとってはダグマイアを相手にする事は娯楽の中の更に余興程度の扱いにしかならないのだろうと、エメラは正確に理解していた。
立場の違い、視点の違いと言うものだ。
ダグマイアは対峙した瞬間からが勝負と思っているが、アマギリは対峙した段階で既に勝負は済んでいる状態を用意している。
既に確定した結果が予め用意されているのだから、直接対面した後のやり取りは完全に余興だ。
エメラにとっては忌々しいほど見事な手腕と言えた。悲しいかな、彼女はその事実が理解できてしまっていたから、ここから勝ちを目指すのが不可能だと言う事が解っていたから。
後は、いかにダグマイアに害が及ばないように負けるか、それしかないのだ。
ダグマイアの心を傷つけないように、折れてしまわないように、後ろを振り向かないで居てくれるように。
―――できる事なら、ダグマイアにはアマギリの事など忘れて欲しいと思うのだ。
敵対するのならば、せめてラシャラ・アースや柾木剣士のような者であって欲しいと言うのがエメラの望みだった。
彼女達ならばきっと、ダグマイアが望む対等な”敵”であってくれるだろう。敗北に名誉が残るだろう。
……勝利?
エメラは心の中ですら嘘がつけない性格だった。その問いは非道と言える。
ともかく、敵対するのであればダグマイア自身と同様の根が真っ直ぐな者達が良い。
アマギリ・ナナダンは頂けない。こんな化け物とはそもそもまともに付き合うべきではない。
勝っても負けても、きっとダグマイアは心に深い傷を負ってしまうだろう。アマギリがダグマイアにもたらす物は陰性のものしかあり得ない。達成感など持っての他だ。
勝利はむなしく、敗北もまた屈辱。
いや、違うか。
屈辱すらも許されぬ、”優しい”負かし方をしてくれる事だろう。天上に住まうものの慈悲の深さを持って。
それは、ババルン・メストやユライト・メストと同じやり方だ。
あの二人と同じように、アマギリはきっと、ダグマイアには絶望以外はもたらさない。
「だからさ、知っての通りあの少年は余りにも不審だ。僕も従妹殿の傍には置いておきたいとは思えない。―――見た感じ相当の身体能力を有している事から考えて、只の従者である筈も無いだろうしね」
「そう、ですね―――」
「勿論背後関係を調べるのはお互い充分にやってると思うけど、まぁ、百聞は一見にしかずと言うか、直接その力を確かめてみたいじゃない?」
「そう、です……ね。良く解るお話です」
アマギリが、柾木剣士の事情を理解できない”筈が無い”。
此処まではダグマイアは理解できているだろう。では、その先は?
当然理解できる。
つまりアマギリは、話の流れから表向きは断れない誘いを利用して、別の何かをダグマイアに対して仕掛けようと考えている―――そこまでは、読みきれる。
では、その別の何かとは何か。
それは、ダグマイアには解らないだろう。
解らない以上、エメラとしては踏み込むべきではないと思うのだが―――困った事に、ダグマイアは自らを誤魔化す事が得意だった。否、自らを誤魔化さなければ無関心の只中に置かれていたこれまでを生き抜けなかっただろう。身に付けた、必要悪だ。
―――ともかく、ダグマイアは自己の保身の一環として当たり前のように、”そんなものは気にする必要は無い”と意味を置き換えてしまう。
解らないではなく、解る必要が無いのだと、そうやって自らを守ろうとする。
何と哀れで―――だからこそ、愛おしい。狂わんばかりに、エメラは切々とそう思う。
「それで、この企画を利用して―――ですか」
「そ。これなら上手い事立ち回れば、公然と喧嘩を吹っ掛ける理由になるだろ? 舞台は僕が整えるから、ダグマイア君には是非人を用意してもらいたくてね。キミほど、他の男性聖機師に顔の聞く人間は聖地には居ないからね」
「っ……良いでしょう。私もあの使用人の存在は気に掛かっていた所です。その力の一端、危険性を理解する事が出来るのならば占めたもの」
「そう言ってくれると助かるよ。僕なんか未だに外様扱いだから、こういうときに使える人材が少なくってさ。―――尤も、今の聖地学院の空気なら、わざわざ仕掛けなくても舞台さえ用意すれば必然的に状況は成立する気はするけど」
―――ああ、決まってしまった。
初めから決まりきっていた答えに、何時ものようにたどり着いてしまった。
ダグマイアの考えている事は解っている。アマギリの計画を利用して、自身のかねてよりの計画を実行に移す魂胆だ。
―――でもダグマイア、貴方は気付いているの?
その思考は、あくまでアマギリの計画の”表向きの部分”だけを前提条件として進めようとしている事に。
きっとアマギリは、ダグマイアの考えを読みきって、こう考えている。
”釣れた”と。
あからさまに”これから貴方を利用してやります”と、これほど解りやすい挑発のされ方をすれば、ダグマイア性根から言って受けて立とうと考えるしか出来ない。
そこをまた、何時ものように突かれたのだ。
つまりは、ダグマイアのリアクション―――更に言えば、ダグマイアのリアクションにより生じる”別の誰か”のリアクション、それがアマギリの目的だ。
ダグマイアでは、気付けない。
アマギリが自身を見ていない等と考える事が出来ないダグマイアでは、絶対にたどり着けない答えだ。
だが、ダグマイアが決意してしまえば、エメラに否応は無い。
否、決意する前から、エメラに否は無いのだ。
彼の選択肢は何時だって同じだと、エメラにはもうずっと前から解っているから。
そして、それに従う事こそがエメラの望み。
誰も彼もが見ようとしないダグマイアの事を、自身だけは見つめ続けようと決めた時から、エメラの選択肢は他に無かった。
何時か最後に、決定的な最後を―――いや、最後の時ですら、気持ちが変わる事は無いだろう。
※ いやさ、最後に羽根を生やして重力で押しつぶすとかだと、そりゃあデュアルやらGXPやらと変わらないって事は解ってたけど、
良いのか、アレ?
物質変換は兄貴の方の数少ない個性じゃなかったのか。
天地剣が最後にアッチに変わるってのは、天地無用のオマージュなんですかね?
まぁでも、アレだね。
復活させて何がしたいの? とか常々疑問だったけど、復活”したい”ってのが目的だったとは、流石に盲点だよねー。
復活して何がしたかったんですか、ホントに……orz