・Scene 34-4・
油断した。今やその考えも遅い。
咄嗟の事に頭を真っ白にさせたキャイアを放って、アマギリは状況を理解しかねている剣士に視線を向けた。
「剣士殿、これ、他には誰に見せた?」
ペンダントを指し示して、そう尋ねる。
「え? あ、えーっと、マーヤ様と、学院の職人さんと、後はユライト先生だけです」
「へぇ、ユライト先生。あの人は何て言ってた?」
質問の意味を吟味させる間も与えない速度で、アマギリは剣士への質問を繰り返す。
「何か、顕微鏡でのぞきこんでましたけど、別にとくには……」
「顕微鏡。そのときの顔は?」
「顔って……珍しそうにしてましたけど。あ、ちょっと嬉しそう……だったかもしれません」
「―――なるほど」
「あ、何か久しぶりにキレのある殿下」
剣士の言葉に、アマギリは何を考えているか良く解らないような茫洋な顔で、一つ頷いていた。従者の横槍は初めから無視していた。
その態度に不安を覚えたキャイアは、尋ねずにはいられなかった。
「あの、ユライト先生が、何か?」
「いや、別に。相変わらず勉強熱心だと思って」
その、何の色も感じさせない返事に、キャイアは背筋に不快な空気を感じる。この男は嘘をついている。直感的にそれを理解した。
何気ない会話の、キャイアには解らない何処かに、彼が注目すべき要素が見つかったのだ。
『斬らせてくれるだけで良いんですけど』
そう口にしていたのを、キャイアは覚えていた。
平然と、本人の目の前でそう言い切れてしまう男だった。
穏やかな顔で、従者に虚仮にされながら。アマギリ・ナナダンと言うのはそれが真実だ。
『あの者は、身内と定めたもの以外の全てに対して容赦が無い。そして悲しいかな、我等はヤツの身内とは言えぬらしい。―――まぁ、妾がそうである事を拒んだゆえでもあるのじゃが。あの者にとって身内と言うのは須らく自らが保護する者であるという想いが強いようじゃしの。……妾はマリアと違って過保護は好かぬ』
過保護。
敵対者、否、それ以外の踏み入ってくる全ての者まで値踏みし、必要とあれば排除を躊躇わない。
そしてどうやら、アマギリにとってユライトは敵に当たるらしい。
キャイアには全く理解できない話だったが、 事ある毎にユライトを排除する隙を伺っているのを、キャイアは知っていた。
あんなに穏やかで好印象の人に、どうしてそこまで悪意を向けられるのか。
それは、見たとおりに対立状態にあるダグマイア・メストや、国家間的に対立しているババルン・メストに対して向けている悪意よりも、よほど強く本気の感じられるものだった。
その理由が理解できないから、キャイアはアマギリが恐ろしいと感じていた。
「アマギリ様、ひょっとしてユライト先生とも喧嘩しているんですか?」
剣士が冷たくなった空気をまるで読まずに当たり前の質問を行う。アマギリが答えるより先に、ワウアンリーが口を挟んだ。
「ああ剣士、そんなに怯えなくても平気だって。この人、所詮ちょっと口が悪いだけの只のシスコン兄貴だから」
「何でそんなに今日は強気なんだよお前!」
「最近のあの体たらくを見せられてれば、恐れの一つも沸いてきませんって今更……」
「一度お互いの立場について根本から話し合う必要がありそうだなチクショウ。―――ああ、剣士殿。僕は別にユライト先生と喧嘩した事なんて一度も無いから、安心してくれ」
ただ、対立しているだけだ。
笑顔と共に剣士を安心させるような言葉を言うアマギリの内心を、キャイアは明確に察していた。
キャイアにとっては過去より親しかったメスト家の人間に仇名される事など、たとえ他国の王族だったとしても以ての外だったから、当然それを事前に防ごうとするための行動をとった事もある。
即ち、単純に自身の主に告げ口したのだ。
アマギリ・ナナダンは我が国に害をなす危険ありと。
しかし、主の返答はキャイアの安心を満たすものではなかった。
『幸いと言うべきは、あのものは基本的に確信がもてない時―――すなわち、確実、堅実に勝てる勝負以外には絶対に手を出さないという事じゃな。故に、いかに九割九分”黒”と言えても残りの一分を埋められなければあの者は直接的な行動には出ぬ。それでも、チャンスが目の前にきたら躊躇わずに動くじゃろうが―――今はそれほど心配する必要もあるまい』
そう言っていた。
でもそれなら、チャンスがあれば迷わず実行に移すだろうとキャイアが問うと、ラシャラは単純明快な答えを返してきた。
『そうであったとしても、あやつは関係の無い人間に実害を出すようなやり方はせぬ。心配する必要もあるまい』
ラシャラ・アースは冷静な態度でそう結んでいた。
つまり、ラシャラは仮にアマギリがメスト家の人間を害してもそれを許容すると言っているのと同じだった。
現実的には、避けられないなら受け入れるしかないという事なのだが、キャイアは個人としてその判断は許容できなかった。
キャイアはダグマイアの事を想っていたから。
それゆえに、思考は必然的に、ダグマイアを優先して考えるようになっている。
たとえいくらかの要素で疑いを覚えたとしても、それを否定する要素を優先的に探すほどに、キャイアはダグマイアへ向ける想いを大切にしていたのだ。
何故だか今日は道化のような態度を良く見かけてしまっているが、それに油断してはいけない。
目の前で笑っているこの男は、アマギリ・ナナダンなのだから。
そんな風にキャイアが思って居た時、一瞬、アマギリと視線が絡んだような気がした。
気のせいだろう。アマギリは相変わらず穏やかな顔で剣士と会話を続けていた。
「そのペンダントだけど、そう言う訳だからこの世界で修復するのは諦めた方が良い。首紐の代替品でも用意した方が早いし―――そうだな。ウチの妹とその従者が似たような物を作ってくれた事があるから、参考に聞きに行ってみたらどうかな?」
そんな言葉を最後に、ワウの工房での会話は終了した。
空が茜色に染まり始めた学院の中庭をナナダン屋敷へと行く道すがら、改めて主の言葉を胸に思い起こし決意を新たにするキャイアの傍で、剣士がポツリと言った。
「アマギリ様、本当にマリア様の事が心配で仕方ないんだね」
「はい?」
「だってマリア様の話を振られるたびに、必死で話を難しい方に逸らしてたもん。真面目な顔してたの、ワウが言ってた通り、本当にユライト先生の話をしてた時くらいじゃないかな」
それは。
朗らかな調子で剣士が語る言葉は、どういう意味だろうか。
”冗談”に紛れて本音を忍ばせていたと―――キャイアは少なくともそう理解していた。
しかし剣士の言葉を受け取るならば、冗談だと思っていた方が”本音”であり、真面目な顔をしていた時こそ冗談になってしまう。
「そんな、馬鹿な話が……」
アマギリ・ナナダンが妹を思い煩って調子を乱すなど、普通有り得ないだろう。
だが剣士は更に続ける。
「今だってさ、俺達にマリア様のところへいくように仕向けて、最近話してないって言ってたから、きっと話題作りにしたいんだよ」
それはまたポジティブな曲解の仕方をするものだと、少なくともキャイアにはそう思えてしまう。
だが天然であるが故に物事の真理を突くような考えをする剣士の言葉であるから、嘘と切って捨てるのもキャイアには難しかった。
従者に虚仮にされ、不貞腐れる姿。
冷徹に敵性存在を排除しようとその要素を積み重ねる外道の有り様。
どちらが果たして真実なのか。
よもや、こういう思考にキャイアを嵌める事を計算づくで先ほどまでの会話は合ったのか。
生憎と、キャイアには答えを出す事は出来なかった。
「ホント、何なのかしらあの人……」
「只の家族思いの良い人だって。自分のために動いてるのが大半だけど、結局俺たちの質問にもしっかり答えてくれてたしさ」
「アンタ、何か随分あの人の肩持つわね」
アマギリを擁護する言葉を続ける剣士に、それを否定したい気分だったキャイアは眦を寄せて問いかけた。
剣士は初めその言葉に目を丸くした後、何処か遠くを見るような目で続けた。
「アマギリ様、何か親戚の人に雰囲気似てるからさ。俺の家、住んでた村中どころか宇宙中に親戚いるんだけど、あからさまに見た目からして堅気じゃない人とか、性格の悪い人とか裏表の激しい人とか悪い人も一杯居たけど―――悪党だけは、一人も居なかったし」
だから、あの人も大丈夫だと。剣士は笑顔でそう言っている。
その呆れるほど素直な笑顔を見てしまえば、何もかもすっ飛ばして信じてしまいたくなる。
だが、キャイアもこれで二年ほどアマギリの行状を眺めているから、幾ら剣士の直感的な言葉といえども、素直に信じる切るのも難しかった。
アレは確実に”悪党”と呼べる類の人物だとしか思えない。
「あ、信じてないな? 絶対キャイアにもそのうち解るよ」
「だと、良いわね……」
元気に頬を膨らませる剣士に苦笑交じりに返事をして、キャイアは天を仰いだ。
本当に、解る日が来れば良いのだけれど。
いや、それが解るような事態は訪れない方が良いのか?
結局、キャイアにとってアマギリは混乱を呼ぶ存在であると言う事実は、その日も何も変わらなかった。
※ どれだけ俺設定叩き込もうと、あの公式チートな人たちの中に混ぜると、『ちょっと変わってる』くらいにしかならん事に最近気付いた。