・Scene 34-2・
その日ほど驚いた事は無い。
フローラ・ナナダンは後にそう述懐する事となったその日の出来事は、夜半過ぎ、つもり積もった書類を捌ききって内裏の奥に引き上げようとしていた頃に舞い込んだ、一本の通信から始まった。
特級優先秘密回線第零号。
政庁機能を併せ持つハヴォニワ王城の一角、フローラの執務室にこのコードを用いて通信を送れる人間は数えるほどしか居ない。
それは彼女の親類縁者だけが開く事が可能な特別な回線だったからだ。
王族ともなれば縁戚にあるものも数知れず、されども、このような明らかにプライベートに片足を突っ込んでいるであろう時間に通信を送ってくるような度胸の持ち主など、限られている。
ゆえに、回線が鳴った―――それ専用の着信音で―――だけで、フローラには相手の顔がはっきりと浮かび上がった。
さて、と相手の事を認識した段階でまずフローラが行った事は手鏡を覗くことだった。
気の利いた女中が既に用意している化粧箱を開き、書類仕事で疲れた顔を誤魔化すように薄い化粧を施していく。
―――果たして通信の向こうの相手は、自身が常に着信音を聞くたびに、このような行動を取っている事に気付いているだろうか?
気づいた時の反応を見てみたい気もするし、気付かれたら負けだろうと女のプライドを賭けて思う。
特別な相手の前であれば常に最高の自分を演出して見せるのは、当然であり努力などと言う言葉にも価しない。
当然の事であるが、執務机の上に山と詰まれた書類も、床に散乱した紙ゴミも、勿論歯抜けになっていた書棚の本も全て整頓され終わっている。フローラには優秀な家臣団が味方に居るのだった。
手早く身支度を整えたフローラは、一つ息を吐いて呼吸を整えた。
部屋の中央に天上から映像通信用のスクリーンが降りてきて、それが数度光瞬いた後、通信相手の顔が大写しされた。
『お久しぶりです、女王陛下』
小奇麗ながらも簡素な装いを纏った少年は、返信に遅れた事を咎める事もせず、勿論フローラの美を褒め称えるような事は有りえる筈も無く、ただ自然な笑顔で挨拶の言葉を口にした。
フローラも、事前の事情などまるで無かったかのように、余裕のある嫣然とした笑みで頷き、応じる。
「ええ、お久しぶり。マリアちゃんがそっちへ行っちゃったから、もう連絡もくれないのかと思ったわ」
冗談とも本気ともつかぬであろう言葉で返されて、映像の中の少年は、一瞬虚を突かれた様な顔をした後で、困ったように苦笑した。
『はっはは……。まぁ、何ていうかそちらもお忙しいでしょうし、余り私用でお手間を取らすのもどうかと思って』
お忙しいでしょう? と、都合が”悪い”時ばかり相手に気を使う態度は何時もの少年のそれに見えたが、フローラには何処かその態度に無理を見ていた。
―――何か、あったか。
勿論聖地近隣でここ数日”色々”あったのは知っているが、それはある程度までは以前から予想できていた事だし、この少年が取り立てて問題としてあげる事とも思えない。
それに、少年は今何と答えた?
「”私用”?」
確認するように言葉を投げ返すフローラに、少年は何処か苦いものを口に含んだかのような顔で頷いた。
『ええ、その……相談をしたい事と言うか、ですね』
その言葉を聞いて目をむきそうになったのを堪えきった自分を、フローラは褒めて上げたかった。
このオトコが、未だ名も素性も知れぬ、他人を姦計に嵌める事にかけてはフローラにすら匹敵する、状況判断に関して極めて高い能力を有するこの少年が、よりにもよって”相談”。
しかも、それを布石に何かの罠を張ろうと言う風にも見えない、心底からの困り切った態度で。
―――何か、どころの話ではない。よほどの事が起こったのか。
フローラは多少浮ついていた自身の心を落ち着けて、表情を改めた。
これは恐らく、相当の判断力が求められる難問に違いないと気付いたからだ。
「詳しく聞かせて頂戴」
問いかける言葉の奥で、フローラの脳裏に幾つ物予想が浮かび上がる。
例えば、メザイア・フランに関してとか。
名指しで人を大量に動かしてでも調べろと、少年から指示があったと、聖地に置いてある情報部からも聞いている。
こちらでも幾らか調べてみたが、深く調べようと突っ込んでいくと、霧に惑うような状況に置かれている。
それゆえに何かあると言うのは解るのだが―――その内実が解らなければ意味は無い。
もしや、メザイア・フランの不自然な所在の転位から予想していた、”転送装置”の実在を遂に確信したと言う事か。
教会施設には聖機人大の物質を瞬時に転送する事が可能な瞬間転位装置でもあるのではないかと、聖地に居た筈のメザイアが自身より早く航行中のスワンに現れていた事実から少年はその存在を疑っていた。
確かにそれはあり得ない話しではないとフローラも思う。
以前から国内にある教会施設でも"居ない筈の人間が居る”、”居る筈の人間が居ない”と言う目撃情報が幾つか存在していたからだ。
その一端を掴んだのであれば大きな事実となるだろう。
もしくはメスト家に関する問題と言うこともある。
そういえば、遂にババルン・メストがシトレイユ最高評議会議長の座に着いたと聞いた。
シトレイユが想像以上に早く”詰み”になった事実は多少の驚きはあったが、だがまだ予想範囲だと思う。
先日の妙に拙速な行動に関して何かつかんだと言う事か?
それともラシャラが見つけたと言う異世界人の話か?
アレでラシャラの周囲には少人数ながら優れた能力の持ち主が揃っているお陰で、”居るらしい”と言う情報以外の何も入ってこない。
少年は既に彼の異世界人と接触済みだと聞いていたし、何か新しい、そして重大な事実でも掴んだ事も考えられる。
私的な事と言っていたし、少年の事情と照らし合わせて一番可能性が高いかもしれない。
何しろ、少年自身が異世界人なのだから。
『ええと、ですね』
脳裏に幾つものパターンを思い浮かべながらも表情には決して出さないフローラに対して、少年は少年らしくも無く、苦渋、窮状を示すそれを一杯に表しながら口を開いた。
「ええ」
小さい動作でつばを飲み込み、流石にフローラにも緊張が走る。
それから刹那の間隙を挟んで、遂に、少年の口からその”私的な問題”なる事情が語られた。
『妹に、最近避けられてるんですよね』
「―――は?」
『ああ、いえ。原因は予想がついてるんですけど、その、何ていうか。えーと、対処法が思いつかないと言うかですね』
「いや……あの」
『事前に手近な人間にもそれとなく尋ねてみたんですけど、皆、白い目で見るか、指差して哂ってくるかとかで忌々しいったらありゃしない有様でして、かくなる上は、フローラ夫人のお力添えを頂けないかなぁ……と』
少年は万策尽きた、と言う絶望的な表情でフローラに頭を下げてきた。
―――そんな事を相談されても、正直困る。
いや、有り得ないだろう。あり得ると予想できる人間がどうかしていると思う。
何をどう間違えたらこの少年から、”最近こじれ気味の妹との仲を取り持ってくれないか”等という言葉が出てくるのか。
「……本気で言ってる?」
『何がですか?』
「いえ、良いわ……」
フローラは脱力して執務机に突っ伏したくなったのを何とか堪えきった。
と言うか、どの口でそれを抜かしてるんだコイツ。
白い目で見たり指を指して哂っていたであろう少女達の気分を、フローラは今正に理解していた。
このガキ、もうちょっと人間関係の機微を悟る力を付けるべきじゃないかと、フローラは投げやりな気分でそこまで考えた後で、それが解らないからこんなに困ってるんだろうなぁと、どうしようもなく微笑ましいものを見た気分も味わってしまった。
妹と言うのはマリアの事で、マリアと言うのはフローラの娘である。
それは少年を取り巻く環境において、彼にとっては優先順位はそれほど高くない人間である筈なのに―――それをあろう事か、である。
これもある意味、”成長”と言うのだろうか。
オトコと言うよりムスコを見る目で、フローラは画像の向こうの少年をしみじみと観察してしまった。
自分の質問のもたらす意味も、何故フローラが呆れたような顔をしているかも、きっと理解できていないのだろう。
ただ、自分にとっての難問に頭を抱えている―――それも、”このままでは自分が嫌だから何とかして欲しい”などと言う曖昧で論理性の無い理由でだ。
常の少年を知っている人間であれば、全く考えられない類の話である。この少年が自らの弱みを四方八方に自ら言い散らすなど。しかも、無自覚で。
きっと今の少年の中では、妹との関係を修復する事は来るべき動乱への対策と同レベルで語られるべき問題に違いない。
よくもまぁ、抜け抜けと。
よりにもよって”オンナ”に別の女との仲を取り持って欲しいと頼むなど愚作中の愚作だ。
それすら気付かないほどに思いつめているのか―――単純に、初めからそのことに考えが及んでいないのだろう。普段の知恵が回る部分から忘れがちだが、まだまだ人生経験の足りない若造に過ぎない少年は、同年代の中でも取り分け情操教育が不足しているように見える。
妹から避けられている。
つまり、マリアが少年を避けている。
理由?
考えるまでも無い。近づいて、”さらに遠くなったら”怖いからだ。
マリアもマリアで、何処かその辺りの距離感を上手く掴めないところがある。
尤もこの場合は、マリアは自身がそこまで少年に惹かれている―――意味は色々として、だ―――事を認めづらいと言うところが大きいのだろう。
加えて少年が割合淡白な人間関係を好んでいるように見えるから、上記の部分を強く見せてもかえって事態を悪化させてしまうのではないかと言う思考も出来てしまう。
少年は元々、”そのうち居なくなる”と公言して憚らなかったから、気を悪くさせれば尚更それを早めてしまうのではないか―――つまり、早めたくないが故に。
そこに来て少年と関係性がありそうな異世界人など出てきてしまえば、戸惑いもするだろう。
それゆえに、マリアは距離の取り方を見失う。
何ともいじらしい、愛らしい話である。
―――他所でやれ、他所で。
これが自分の娘と”息子”の話でなければ、フローラをもってしても、まず間違いなく白い目で相手を見つめてそう言い切っていたに違いない。
何せこういう話は、本人達が大真面目であればあるほど、端から見ていれば滑稽に見えてしまうものだ。
事情が斟酌出来る人間であれば、尚更。
そして当然だが、フローラは最近になって少年が随分と未練たらしくなってきている事に気付いていた。
諦念交じりに、帰る、そのうち帰る、と繰り返していた頃が嘘のように、今の少年は”誰かに引き止めてもらいたい”と常にそう考えている部分がある。
その情けなさが如何にも少年らしくはあったが、しかしそれはフローラとしては面白くない。
此処に居たいなら居たいと、自分で言えば良い。
歓迎し、捕まえ、溺れ尽させて、二度と此処ではない何処かの事など考えられないようにしてやるのに。
きっとマリアも、同じようにしてくれる事だろう。
同じようにしてくれるだろうが―――それはそれで、フローラには面白い筈も無く。
目の前に居たら手元の書類でも丸めて投げつけてやるのになぁと、画面の向こうで困った顔をした少年を前に思うのだった。
大体、根本的な部分を既にフローラが知っている事を前提―――期待してこういう相談をするってどうなんだろうか。
ああもう、まったくと。
その辺り日頃から溜め込んでいる一切合財を纏めて投げつけてやりたい衝動に囚われつつも―――フローラは女の矜持に賭けて、少年を慈しんでやることに決めた。
少年の望むフローラ・ナナダンで居てやろうと、そう決めた。
―――そういう微妙に日和った行動こそ、実の娘に遺伝しているんじゃないかと言う質問はきっとしてはいけない事である。
「とりあえず、私の言える事は一つかしら」
机に肘をつけ、両手を組んでその上に顎を乗せて、フローラは何の気も無い風に言った。
『はい』
神妙な顔で頷く少年をはたきたくて仕方なかったが、我慢した。
「アナタの場合、言葉で説得するのは止めたほうが良いわよ。だって信用できないもの」
『……何気に酷い事言われてる気がするんですが』
「日頃の行いってヤツよ。そう言う訳なんで、言葉……聴覚に訴えかけるのはアナタには無理。視覚は、何時も顔をあわせているんだから今更だし、この際触覚にでも訴えて見なさいな」
『……触覚、ですか』
要領を得ない態度で繰り返す少年に、フローラは深々と、それしかないという体で頷いた。
勿論言葉を尽くして上手い事やれば解決する問題なのだが、そこまで手伝ってやる義理もないし、だったら後日経過を聞いたときに少しは楽しめるものでもないとやってられないというのがフローラの現在の心境である。
簡単な解決策など示してやるつもりは無かった。精々苦労すれば良いと思う。
―――それをたたき台に、自分の時には上手くやって欲しいなあと思うところも、少しだけ。
そんな事はおくびにも出さず、フローラは戸惑う少年にニコリと微笑んで続けた。
「いっそ抱きしめて耳元で囁くなりして、確かにそこに居るって実感―――体感させて上げなさいな」
『抱きしめ―――はぁ。抱きしめる……ですか』
そのまま考え込むように腕を組み始めた少年に、ああ、コイツ本当にこんなアホらしい事態に追い詰められてるなとフローラは理解した。
普通の状態なら失笑して鼻を鳴らす場面だろうに、真剣に考えている。
その姿を、成長したと評するべきなのだろうか。ある意味退化しているといった方が良さそうに見える。
もう通信切ってやろうかと思うほどの時間が流れた後で、少年はおもむろに顔を上げた。
『一つ、重大な事実に気付いたんですけど』
「なにかしら?」
真剣な顔になった少年に、微妙に白けた空気を感じながらも、フローラは笑んだまま応じた。
少年は重々しい仕草で口を開いた。
『そも、あの子と触れ合った事が、先日手を握った時以外存在しない事に気付きました』
「―――ああ、そう」
フローラは躊躇う事無く通信を切った。
そう言えば、自分は手すら握った事も無いなと気付いたのは、後の話。
※ ユキネさんはやっぱ人気ですね……なんて呑気なフリしてる場合でも無いと思いますので、少しのお付き合いの程を。
フォローと言うか注釈と言うか言い訳と言うか、そういう話です。
さて、このSSですが、テーマは『ひたすら長く』と決めてあったのですが、裏のテーマとして『奏楽2』と言うものがあったりします。
これは、長く書き続けるのだから、ある程度手癖で書ける、自分意慣れたやり方の方が良いだろうと判断したからです。
ですので、オリ主の設定、始まり方から原作への入り、各キャラの配置の仕方まで、大体1の方を意図的に踏襲しています。
気付いた方も多かったと思いますが。
が、流石に全部1と同じだとわざわざ新しく書く必要も無いですので、2ならではの縛りとして以下の三つを用意しました。
1・原作主人公と対立しない
2・原作終了までオリ主を関わらせる
3:原作ヒロインとオリ主の間で決定的な関係まで持っていく
で、皆様気になっているのは3の話だと思いますので、ここからが本題。
決定的な関係―――と言うことで前二作が限界で抱きしめるまでだったのでもう一歩先まで頑張ってみようかと思っているのですが、
今の所そのお相手として想定されているのが、上から順に、
妹>母ちゃん>生徒会長>姉ちゃん
と言う風に暫定順位がなってるんですよね。姉ちゃん四位なんですよ、困った事に。
そんなだから、この間の『(このままだと)姉さんは姉さんで固定かな』と言う呟きになるのですが、まぁ、これは完全な言い訳です。
妹は当初予定のヒロインですし、母ちゃんはまぁ、私の趣味ですが、生徒会長がねー。アウラ様とフラグを立てたいと思って出番を
増やそうとすると、何時の間にやら生徒会長と仲良くなってるという不思議。
会長今後は過労イベントもありますし、そのままデレ期突入もあるのかなーと言う感じもします。
それで、ユキネさんなんですが。この人、母さん共々三部の半ば辺りでもう関係が安定しちゃっててこれ以上変動させにくいと言うか。
まぁ、妹プッシュしてる面もあるので姉さんサポート役で割を食ってる部分もあるんですが、感想見させてもらっている限り、姉さん
もうちょっと前面に出した方が良いですかね?
少し色々考えて見ます。
で、長いですがもう一つ。
形として1のやり方と同じですので、原作イベントは基点にオリ主が居ない場合は原作どおりに強制イベントとして発生してたりします。
だからといって結果まで原作どおりって訳でもないですし―――早い話が、上で挙げたオリ主とフラグ立ってる人たちが原作主人公の側に
新たにフラグを立てるとかは、今の所考えてません。
あと、原作最後まで付き合う予定ですので、1の終わらせ方はやるつもりは無いって言うか、あんなの一度しか出来ません。
この辺信用度が低いのが前科者の辛い所ですが。
普通に原作イベント起こしただけのつもりだったんですけど、此処まで拒絶反応が多かったのは、正直予想範囲外でした。
こちらも少し、見せ方考えて進めていきたいと思います。
と、言う訳で、以上。