・Scene 33-3・
疾駆する機工人が、車輪を重厚に響かせながら森の中を駆け抜ける。
舞い上がる粉塵と散乱した木々の枝葉が、ラシャラが立つ校舎屋上の庭園部からでも確認する事が出来た。
時折響く爆音と、その後に閃光が上がる。
その度に、どう考えても当たれば洒落で済むような事ではない破壊が既に充分な回数行われている筈なのに、開始から十数分過ぎた今でも、それはまだ収まる気配が無い。
「やれやれ、派手にやっておるのぅ……」
夕方の校舎の屋上でラシャラはそれを見下ろして、何処か感慨深げに呟いていた。何となく、黄昏時に見晴らしの良い場所で一人きり、と言う穏やかな空気に浸っているだけかもしれない。
眼下の森で行われている破壊の一因を築いたのが自分だと言う自覚は、まるで存在しなかった。
「他人事みたいに言ってるんじゃないよ、まったく」
呆れとも賞賛ともつかない声を背後から掛けられたのは、夕日を背に浴びていたラシャラが、自身の足元近くに人の影が伸びてきたのに気づいた時だ。
振り返る。
態度悪くポケットに両手を突っ込んで傍まで歩み寄ってきた少年の姿が、そこにあった。
ラシャラは破顔してその少年に声を掛けた。
「おお、従兄殿」
「おお、じゃないよ従妹殿。結局何なの、この騒ぎ。今朝ウチの姉さんが妙にエロ……もとい、色っぽかったのと何か関係ある訳?」
語った内容を思い出してか、ややげんなりとした調子で言うアマギリに、ラシャラは口の端を吊り上げて応じた。
「さて、妾にはとんと。どうも貴奴等の間で意見の相違があったようだが。―――それにしても、火薬兵器とは凄まじい威力じゃの」
木々を圧し折り森の一角に空白を作る爆発の威力を、まるで花火でも見上げるかのような気安さでラシャラは評した。
「つーか、機工人の操縦席にアウラ王女の姿が無かったか、今。自分の管理する森で何してんだあの人」
「余り深く突っ込んでやるな。何でも今まで味わった事の無い衝撃をその身に受けてしまった事で、少し錯乱状態にあるらしい」
「いや、適当なこと言ってるけど、それキミのせいだろ」
風に乗って飛んできた千切れた木の葉を払い落としながら面倒そうに突っ込みを入れるアマギリに、ラシャラは何だ知っていたのかと気楽に返した。
まるで反省の欠片ゼロの従妹姫に、アマギリは深くため息を吐いた。
「妹の情操教育に悪い事は、なるべく見えないところでやって欲しいんだけどなぁ」
「……見えなければ、良いのか?」
もう少し怒声混じりの言葉でも浴びせられるのかと思っていたラシャラは、只単に呆れているだけらしいアマギリの態度に、逆に戸惑ってしまった。
例え人に弱みを見せるのを由としないこの男であっても、少しは動揺すると踏んでいたのに。
事の起こりは単純な話で、将来へのための外貨獲得努力の一環として剣士に奉仕業務を行わせて、将来聖機師となる女性徒たちに対する印象付けをしようとラシャラが企んだ事に起因する。
そこで悪乗りに悪乗りが悪乗りし、気付けば只のマッサージだった筈のものが女性徒の肌を艶やかに、態度を艶かしくしてしまう脅威の産物に変貌した。
常識的に考えればこの段階で”自重”の文字が先に立つ筈なのだが、こと金の匂いの絡む問題になると、ラシャラの辞書からその言葉は消えてしまう。
尤も、そも”そういう”行為に需要があると言う時点で、学び舎としての聖地学院に些か問題があるような気もするが、それは瞬く間に評判となり―――そして一部の良識(?)ある顧客達からのクレームを受けるに至った。
そして結果が、機工人を持ち出しての追いかけっこである。
「まぁ、人間避けては通れない道の一つではあるからね。特に姉さんも、アレで一応は聖機師なんだし。何時までも生娘のままで居させてやる訳にもいかんでしょうよ」
「お主、その辺りに関しては見も蓋も無いのう……」
しみじみと呟くラシャラに、アマギリは肩を竦めて面倒そうに言った。
「男性聖機師ってのは爛れた生き物だからね。閨の作法すら授業に組み込まれてるような立場に押し込まれた人間が、今更、身内が性感マッサージを体験した事を聞いた程度で驚くもんか」
「出来れば、そこは淡々と言い切らずに驚いて欲しいのじゃが……」
明け透けな単語の連続に頬を赤らめたラシャラに、アマギリはニヤリと笑いかける。
「この程度で顔を赤くするって事は、キミにはこういう悪戯は早いって事さ。―――少しは反省しなよ?」
コン、と頭の上に握った手の甲を乗せてくるアマギリに、ラシャラは頬をむくれさせて呻いた。
親しい女性を”ああいう”状態にされて慌てふためいている所を笑ってやろうと思っていた魂胆を見透かされていたらしい事に今更気付く。
「むぅ。―――嫌らしい位に強かじゃの、従妹殿。少しくらい弱みを見せてくれれば、もう少し可愛げもあろうものを」
「それ、キミにだけは言われたくないけどね。ああいう素直な良い子を繋ぎとめるには、強請りたかりに脅迫とかじゃなくて、一度泣いて見せたほうがよっぽど有効だろうに」
「剣士の事を言っておるのか?」
そのまま忠告染みた事を言われてしまい、ラシャラが口を尖らせるがアマギリはさて、と薄く笑うだけだった。
視線は森の中ほどにまで発展した爆音と粉塵に固定されている。
何処かその瞳が寂しそうに見えたのは、或いは黄昏時の空気がそう感じさせたがゆえか。
「どうしたの?」
「何でもない。―――剣士の事じゃが、お主、どう見る?」
顔を向けていなくてもラシャラの視線に気付いていたらしい。問いかけるアマギリに小さく首を振って応じた後、ラシャラはかねてより聞こうとしていた事をアマギリに問うた。
柾木剣士とアマギリ・ナナダンは共に異世界人であり―――そして互いに、何かのつながりを感じているらしい事をラシャラは知っていたのだ。
先に剣士にも似たような質問をした事があったが、その時の剣士の答えは、”何か祖父ちゃんと親戚のオバ……オネエサンを足して割った様な感じがする”と言う解るんだか解らないんだかラシャラには判断に困る答えが返ってきていた。
因みに、アマギリがスワンにて眠り続ける剣士を見て第一声に漏らした”ヨウショウ”と言う言葉に聞き覚えはあるかとの質問には、知らない、との言葉が帰って来た。その祖父の名前とやらかとも思ったが、違うらしい。
これ以上剣士に詳しく聞いて見ようにも、剣士は余りにも天然、感性で生き過ぎているきらいがあるので、望む答えは返ってこないようにラシャラには思えた。
となれば、もう一人の人間に聞くしかない。
こちらもこちらで、まともに答えを返してくれるか確証が持てないのがネックだが。
「剣士殿、ねぇ」
ラシャラの問いかけから少し間を置いた後で、アマギリは自身に問いかけるかのように、小さく呟いた。
「どう、か。どうだろうな……。どうしようもないと言うか」
どうにもしたくないと言うか。
「従兄殿?」
何時に無く気弱に聞こえる呟きを耳にしてしまい、ラシャラは思わず言葉をかけていた。
アマギリは年下の少女の視線の意味に気付いたのか、僅かに苦笑して口を開いた。
「いや。―――剣士殿の事だね。まぁ何ていうか、純真で純粋で純情で、裏表のある行動ってのはどう頑張っても取れなさそうかな。多分、そういうのをする必要が無い生き方が出来るって理由もあるんだろうけど。個人的に言わせてもらえれば楽しそうな人生で羨ましい限りってとこだし―――そんなだから、従妹殿を自発的に裏切るような事は絶対にあり得ないと思うから、手綱の引き方に気をつけさえすれば、その辺の心配は入らないと思うよ?」
純と言う単語を三つも使って茶化しているのかと思えば、それは心底その人物に対して感嘆の念を感じさせる口調だったから、ラシャラは意外な気分を味わった。
どう考えても、陰謀家の気があるアマギリと、楽天家にしか見えない剣士との間では相互不理解による軋轢が起きそうに思えたのだが、そういう部分は全く見えない。
そも、自然と”姉”とすら評してしまうような女性に色々とされてしまったと言うのに全く剣士に対して怒りを覚えていないように見えることがこの男にしては異常に思えた。
アマギリ・ナナダンと言う男は徹底して身内に対して慈しみを見せる達だというのに、である。
―――まるで、剣士の行いを身内のお茶目な悪戯程度と受け止めているようですら、ある。
「身内、か」
思えば剣士も、アマギリの事を親戚の人間に似ていると評しているのだから、やはり何処かしらで繋がりがあるのだろうとラシャラは納得した。
そも、時期的にイレギュラーな異世界人が同時期に二人も居るという事実が異質だし、関連性を匂わせる。
キャイア等の戦いに秀でた人間からの意見でも、二人の動き方は似ていると言うことだった。因みに剣士の方が業が極まっているらしいが、それに関してはラシャラは門外漢である。
とかく、ここまで共通点があれば無関係と言う事はまずありえないだろう。
それゆえに、ラシャラは改めてアマギリに尋ねた。
「剣士の事じゃが―――良いのじゃな、妾の元に置いて」
正体を推察すればその有用性を理解できない男ではなく、ならば万難排して獲得に走る可能性が高い筈だったので、ラシャラとしては再度の確約を望まない訳にはいかなかった。
その想いが顔に出ていたのだろうか、横目でラシャラを見ていたアマギリは、フと苦笑した後で口を開いた。
「僕があの方を取るとか思った?」
「それは―――うむ」
ズバリ図星を突かれて言葉を濁すラシャラに、アマギリは困った風に笑った。
「少し前は、いやスワンから離れて半日くらいの間までは、間違いなくそうするつもりだったんだけど、ねぇ」
そこまで言って、森の中で未だに続いている木々をなぎ倒す爆発の連続を見やる。たまにチラリと姿を見せる、機工人の操縦席に居る人々を、遠い視線で見つめる。
「国際情勢を引っ掻き回す知識とか要らないから、もうちょっとああ言う時に上手く場を納める方法を知っておきたかったかなぁ」
「はぁ?」
「人の心はうつろ気で扱いづらいってこと」
その言葉はラシャラには全く理解できないものだったのだが、何故だか酷い惚気話を聞かされてしまったかのような気分を彼女は味わっていた。
眉根を寄せるラシャラに、アマギリは笑って首を振る。
「遠く離したい気もするけど、それをすると何時か何処かで酷い目に合いそうな気がするからさ、―――でも”今は”なるべく近くに居たくないし、ラシャラ女王がちゃんと管理できるって言うんなら、今のままで構わないよ」
アマギリはそこで一旦言葉を切った後で、視線を森から外し、体をラシャラと正対させた。
「剣士殿は貴女にお預けしよう」
言葉と共に、半直角の―――限られた一部の貴賓に対してのみ与えられる―――礼を行った。
状況の上だけで判断すれば、アマギリに剣士をどうこうする権利などある訳もないと言うのに、だが頭を下げられたラシャラには、彼がその言葉を言うに価する場所にいることに疑問を覚える事は無かった。
「―――うむ。丁重に預からせてもらう」
朧気に見えた二人の異世界人の関係性に敬意を評するかのように、ラシャラは然りと頷いて見せた。
アマギリは真剣な顔で向き合ってくれたラシャラの態度に満足の笑みを見せた後で、悪戯っぽく微笑みながら一歩後ろに下がった。
「じゃ、お互い確認したい事もすんだっぽいし、僕はこれで。―――学院長、後はお好きに」
「何?」
「私としては、部下の管理を怠った貴方にも責任の一端はあると思うのですがね、アマギリ殿下」
その穏やかなれど威厳を垣間見せる声は、日の光が沈む方向から聞こえた。
ふくよかな体格をした眼鏡をかけた老女。聖地学院の学院長を勤める女性がそこには在った。
「学院長……」
「やだなぁ、先生。ここは学校であそこに居るのは皆生徒なんですから。外に向けた役目なんかに当てはめずに、ちゃんと一人一個人の学生として扱ってあげてくださらないと。生徒個人の責任を、他の生徒が肩代わりできる訳無いじゃないですか。しかも向こうの方が先輩ですし。―――ああ、妹もここでは一学生に過ぎませんから、叱ってやってくれて構わないですよ」
唖然と目を丸くするラシャラに対して、アマギリの態度は先ほどまでのセンチメンタルに浸ったものとは対照的に飄々としたものだった。
「学び舎に通う学生の一人と言うのなら貴方にも、もう少し殊勝にすると言う事を覚えてほしいものですね」
もう諦めましたがと溜め息混じりに言う学院長に肩を竦めて、アマギリはその脇をすり抜けた。
―――脇を、すり抜けた?
「ちょ、お主……!!」
その行動の意味を理解し、叫びを上げて追いかけそうになったラシャラだったが、逆光に影を作る学院長の笑顔がそれを押し留めた。キラリと反射する眼鏡の奥で、瞳が見えないことがいっそ恐ろしかった。
拙いと、ラシャラの脳裏に危険信号が湧き上がるが―――最早、手遅れ。
「先ほどから随分他人事のようですが、ミス・ラシャラ?」
「あ、ああいや……奴等にも、困ったものじゃ、のう?」
言葉は丁寧そのもののはずなのに、震えが止まらないのは何故だろう。
気楽に後ろ手で手を振ってみせる従兄の姿が憎らしい。言い訳は、逃げ道は。その言葉を見つける暇も無く、学院長の口から決定的な一言が放たれる事となった。
「決着がつき次第、関係者全員私の部屋に来るように」
―――その後の結末は、語るまでも無いだろう。
・Scene33:End・
※ 姉さんは姉さんで固定、かなぁ。