「あのぉ」
「はい、何でしょうか」
困った風に問いかける少年に、背筋を伸ばし直立不動の体勢を取っていた男が丁寧な口調で問い返した。
その物言いに、岡持ちを両手で抱えた少年の表情は益々混迷を深めた。
「あの、俺何か粗相をしたでしょうか、えっと……」
「アマキ―――リ、……です。アマキリ・ナナダン」
「あ、いえ、お名前は存じてますけど。アマギリ様は何で、その……」
何と言えば解ってもらえるのか。言葉に詰まった少年は、踏み込んだ生徒会長執務室内を見渡して、助けを求める。
が、助けを求めようと思っていた室内に居た二人の少女も、少年と同様に直立不動の男を見上げて唖然としているようだった。
妙な空気が、昼の生徒会長執務室の中で充満していた。
困った顔で岡持ちを抱えた少年。その少年に対して気を付けの姿勢で立つ男と、そしてそれを唖然と見上げる二人の少女。
―――事の流れとしては単純な話である。
少年、この日から学院の下働きとして勤務を始めた柾木剣士が、その仕事の一環として昼食の出前を部屋の主であるリチアから承った。
リチアが弁当の配達人に剣士を指名した理由は、その日の午前中にトラブルに巻き込まれていた自身の従者であるラピスを、傍を通りかかった剣士が助けてくれたからである。その礼を述べようと思っていたのだ。
因みに、ラピスの一件をリチアに伝えたのが、彼女と同様にソファの上で唖然としているアウラである。
そしてアウラは、剣士を呼ぶのならどうせならもう一人呼んでみると面白いのではないかとリチアに提案した。
そして呼び出されたのが、室内に踏み込んだ剣士に丁寧な言葉遣いで応対を始めたアマギリである。
アマギリの態度は劇的だった。
剣士が部屋に踏み込んだ瞬間、気だるげに腰掛けていたソファから即座に立ち上がり、直立の姿勢を崩そうとしない。表情も、何時も浮かべているような、世の中を皮肉っているような不敵なものではなく、生真面目で、何処か緊張感に満ちているものだった。
まるでと言うか、完全に目上の人間に対する所作であった。
「―――とりあえず、だ」
固まった空気を破り、一番初めに状況把握に動いたのはアウラだった。咳払いと共にアマギリを見上げて口を開く。
「アマギリは一旦座れ。剣士が困っているじゃないか」
「いや、でも……」
アウラに言われて、アマギリは目を瞬かせた後で困った風に漏らした。
それは、今まで自分が取っていた態度に気付いていなかったかのような態度である。
でも、―――何だろう。
なんと言って否定したかったのか、アマギリ自身にも解っていなかった。
だと言うのに、柾木剣士と言う名の少年を目の前にしてしまった瞬間、礼節をもった行動を取るべきだと、体が疑う事も無く自然に反応してしまった。
そうとも、柾木と言う名の少年を、恐れ―――畏れとともに礼儀を示すのは、当然の事だ。
とは言え、理由も解らずにそういう行動を取る事を気味悪く思う自分が居る―――”増えた”―――事も確かなので、アマギリはアウラの言葉に逆らうような事をせず、一つ息を吐いてソファに身を降ろした。
失礼と言う言葉も無く、本当にただ座り込んだだけだったので、周りの空気は相変わらず微妙なものだったが。
アウラはその姿に苦笑を浮かべ、立ち尽くす剣士を労わるように言葉をかけた。
「わざわざすまないな、剣士」
「いえ、そんな。生徒の皆様のお世話をするのが、俺の仕事ですから」
アウラの言葉に、漸く気を取り直した剣士ははきはきとした態度で返事をする。
場の滞った空気を払拭してくれるような、元気で気持ちの良い声だった。
それで固まったままだったリチアも漸く思考を持ち直したらしい。口の端を持ち上げて楽しそうに剣士を見上げた。
「へぇ、これが貴方達の言っていた、ねぇ」
リチアは貴方達、と言った所で一瞬だけアマギリに視線を送るのだが、アマギリは浅い姿勢でソファに腰を下ろしたまま、無言のままだった。
アウラは二人の間に交わされた一瞬の空気に気付きながらも、何も言わずに苦笑して剣士にリチアを手で示した。
「リチアの方は剣士には初めてだと思うから紹介しておこう。リチア・ポ・チーナ。彼女は現法王の孫にあたる」
「柾木剣士です」
アウラの言葉にならって、剣士はリチアに深々と頭を下げた。リチアが面白そうにそれを見たまま、言った。
「よろしく、剣士さん。―――それにしても聞いていたのとは随分印象が違うわ。そうね、まるで野犬みたい」
何処か反応を見て楽しもうと言う魂胆が透けて見える挑発染みた言葉だったが、言われた剣士の態度は朗らかなものだった。頭をかいて笑っている。
「ハハハハハ、良く言われます」
しかし、朗らかに笑う言われた当人に比べて、聞いていた者たちのほうがむしろ目を尖らせた。
「不敬ですよ、先輩」
「ふけ、……え? ああ、いや、そうだ。失礼だぞリチア。剣士は野犬などではない。例えるなら誇り高き狼だ」
一瞬自身よりも早く反応したアマギリに驚きつつも、アウラは強い口調でリチアを断じていた。
「野生の生き物には変わらないでしょう?」
一介の少年に随分と肩入れしている。そんな親友の態度が興味深かったのだろうか、リチアはさらに楽しそうに笑って言った。
アウラはげんなりとした顔で溜め息を吐いた後で、剣士に言った。
「やれやれ……。スマンな、少々口の悪いやつでな」
「正直な方なんですね」
謝罪するアウラの言葉も、しかし剣士は笑って受け流す。本当に言葉どおりの感想しか抱いていないようだった。その裏表の無い態度が、アウラには心地よく感じられる。
「まぁ、な。―――さて……」
―――特に、裏表の激しい男が直ぐ傍に居るとなると。
チラ、と向かいの席に座る男に視線を移して、アウラはどうしたものかと首を捻ってしまった。
元々、アマギリをこの場に呼んでみようと思い立ったのはアウラ自身である。
現状彼女が知りえる手札を何どう並べ立てて考えようとも、アマギリと剣士の間に何かしらの関係性が伺える事は確実である。
しかも何故かアマギリは、剣士との接触を避けているように見える。
スワンで始めて会った時ですらそうだった。病室で起きぬけの剣士の姿を一瞥したきり、その後は顔も合わせずにアウラと共に聖地へと帰還してしまったのだ。
情報は力だ、あらゆる情報はあって損は無いと高言しているような男が、そう言った情報収集に対して消極的な態度を見せているとなると、そこに何か大きな意味があるように見えてきてしまう。
だからこそ、アウラはこの場にアマギリを呼んだのだ。
無理やりにでも二人を会話させてみれば、何かその裏側にあるものが掴めるのではないかと考えて。
しかし、その結果が少々想定外の事態を呼んでしまったから、アウラは今こうして言葉に詰まってしまっている。
あの普通ではない状態のアマギリの態度を見てしまうと、この状況を用意した自身の判断の正否を疑ってしまう。明らかに普通ではなかった。
礼儀と言う言葉と慇懃無礼と言う言葉がほぼ同様の意味を持っていると考えているとしか思えないアマギリの常の態度を知っていれば、先ほど見せた”本物の敬意”を込めた姿勢と言うのは異質と言う以外に表現が見えなかった。
自分は、開けてはいけないものの蓋を開けてしまったのではないか?
少し前の夜に見た中睦まじい兄妹の様子を思い浮かべて、そんな想いが深まる。
それゆえ、アウラはこの後どうやって場を進めるべきなのか惑っていた。
アウラが言葉を濁した事で、再び停滞しかけた場の空気を、リチアが一つの嘆息と共に打ち破った。
「アマギリ、アンタはこの野生動物の事をもう知ってるんだっけ?」
不言実行、当意即妙。果断で男気溢れる性格のリチアは、親友が口ごもっていた部分をはっきりと理解したうえであえて切り込んでいった。ほぼアウラと同じ内容を吟味した上で、こうして踏み込むことを選ぶ辺りが性格の差と言うものなのだろう。
そして、リチアの問いかけにより視線を一身に集める事になったアマギリは―――一瞬だけ瞠目したあと、目を開けて口を開いた。
「まぁ、そうですね。スワンで会って、あの時以来、かな」
語る動作にあわせて肩を竦め、表情を斜めに構えたものに変え、そして背もたれに体を倒す。
つまりは、何時ものアマギリ・ナナダンの姿がそこにあった。
「従妹殿―――ラシャラ女王にもう聞いているかもしれないけど、改めて自己紹介しておこうか。アマギリ・ナナダンだ。どうぞ宜しく、柾木剣士殿」
それでも、先に自分から名乗ったと言う事実が、作って今の、普段のような態度を取っているのだと親しい二人には知らしめていた。
しかし、たいした言葉も交わした事の無い剣士にそれを知る由も無く、何処か安心したような顔を隠しようも無く、アマギリに頭を下げていた。
「はい、アマギリ様の事はラシャラ様から聞いてます。えっと、ハヴォニワの次の王様になるんですよね」
様付けされて名を呼ばれた事に、片眉を跳ね上げる事だけで遺憾だと示した後で、アマギリは苦笑して応じた。
「何を教えてるんだあの子は。―――大体それを言っちゃうと、次期ハヴォニワ国王よりも初代シトレイユ公国公王になる可能性のほうが高いんだけどね」
「はい?」
「いや、こっちの話」
言葉の意味が理解できないと言う態度の剣士に、これは今晩辺りにラシャラに話した内容が伝わるなと思いつつも、アマギリは苦笑するだけで受け流した。
そんな風に笑えるようになって、漸くアマギリ自身も普段の自分が取り戻せてきていると自覚が出来た。
アマギリ・ナナダンとして相応しい、あらゆる要素を利用し尽くそうとするような油断ならない態度。
そうあるべき、そうするべきだとしっかりと思う。ともすれば意識し得ない何かに引きずられてしまいそうになりながら、今の自身のあり方で居続けるために。
自分は、アマギリ・ナナダンなのだから。今は、まだ。―――まだ、今は。
それをしっかりと認識した上で、目の前の少年の姿を認識する。
柾木剣士。異世界人。アマギリ自身の感覚が訴える所によると、恐らくは自身と同郷と思われる人間。
今はラシャラの駒となったが、そのままで収まるのか。彼自身はその事をどう思っているのか、これからどうしたいのか。
そもそも何故―――異世界人がこの時期に此処に居るのか。
初めラシャラ暗殺を企む襲撃犯―――早い話がメスト家の側に居た以上、理由が無い筈が無い。
一つずつ、確認していかなければならない。アマギリ・ナナダン。ハヴォニワの王子として。
「それより、スワンで一瞥した以来だったけど、その後は体のほうはもう平気なのかな?」
「はい、もう全然平気です!」
あの時はお世話になりましたと元気良く返事をする剣士に、アマギリはそれは何よりと笑いかけた。
その笑みを見て、ああ何か企んでるなコイツ、何時もどおりで良かったと思えてしまう辺り、アウラとリチアの心境は微妙なものだった。
「そう? 今日なんか、随分重たそうな荷物抱えて走り回ってて大変そうに見えたけど、無理してない?」
「いえ、あのくらいは。鍛えてますから」
「鍛えてる、か。僕はてっきり筋肉増強用のナノマシンでも入れてるのかと思ったけど、違うのかい?」
何気ない態度で言葉を重ねていくアマギリに、剣士も含まれた単語が示す意味に気付かなかったらしい。笑顔のままで首を横に振る。
「あはは、俺はそういうのは使った事無いです―――あ、でも。怪しい健康ドリンクとかは昔から飲まされてましたけど。アレ疲れたときに飲むと凄い効くんですよね」
「へぇ、健康ドリンク、ね」
飲まされていた、と言う部分だけを記憶の角にとどめたまま、アマギリは次の言葉に続けた。
「やっぱり高地は変わってるねぇ」
「高知? 俺の家があるのは岡山ですけど……」
「オカヤマ?」
「高地の集落の名前か何かかしら?」
剣士の言葉に呟いてしまったのは聞き手に回っていたアウラとリチアだった。
二人に指摘されて漸く剣士は言ってはいけない―――と、言い含められている―――事を言ってしまった事に気付き、慌てて訂正に移る。
「あ、いえ、違います。高知! ……じゃなかった、高地です。俺高地出身ですから!! は、ハハハハハハ……」
その慌てた態度自体がそれが嘘だと伝えているようなものだったが、理知的な二人の乙女は礼儀正しくそれに突っ込む事は無かった。
アマギリは素直すぎる剣士の態度に苦笑した後で、アウラに視線を送った。アウラが頷いて口を開く。
「さてアマギリ、これ以上引き止めると剣士の仕事の邪魔となるんじゃないか?」
「そうですね。ご苦労様でした剣士殿。―――部屋の外で待ち構えてる娘達にも宜しく」
「―――はい? えっとそれじゃあ、失礼します」
正にやらせと言うしかないアマギリの言葉に剣士は目を瞬かせつつも、それ以上聞くことはせずに一礼して生徒会長執務室を後にした。
―――部屋の外、閉じられたドアの向こうで悲鳴が上がったのが聞こえた。
「―――筋肉増強用ナノマシン、と言うのは?」
弁当箱の蓋を開きながら、アウラは何気ない風にアマギリに尋ねた。
「千年位すればこの星でも当たり前になる技術―――ってトコですかね」
「ようするに、その言葉に首を捻らなかったあの野生動物はクロってことでしょ」
部屋の間仕切りとなっている可動式本棚を開きお茶を汲みに来たラピスから茶碗を受け取りながら、リチアが面倒くさそうに言った。
「ご明察。ついでに、通常の異世界人は自身の知りうる異世界の知識を残らず文章化する義務と言うものが発生しているので、それらの文章を僕は閲覧した事もありますけど―――人体に投与可能なナノマシン技術にまつわる事例が書かれた文章は一つも無かった。まぁ、この星じゃあ現状僕と彼以外には意味が理解しかねる言葉ってなるんでしょうね。いや、あんがい結界工房辺りを覗けば知ってる人もいるかもしれませんけど。―――そんな感じで、アウラ王女としては満足ですか? こんな結果ですけど」
「いや……ウム」
弁当箱を持ち上げ表情が周りから見えないように師ながら言うアマギリの口調は、何処か苛立ちを交えていた。
アウラは、そういう態度を取らせる原因を作ってしまった事に少し申し訳無さそうにしながらも、言った。
「普通、記憶喪失だった場合自身の過去への標が見えたらもう少し喜ぶものだと思うが」
「普通じゃないから、アマギリなんじゃない?」
いっそ面倒くさそうにリチアはアウラの抱いた疑問を切り捨てた。
話が深い方向へ進めばまた先ほどのような姿を見る事になるかもしれないのが、嫌だったからかも知れない。
アマギリはそんなリチアの思いに気付いて少しだけ感謝の視線を送った。
リチアは鼻を鳴らしてアマギリから視線を逸らした。
感謝なんかされる謂れは無い。自分が望んで―――いや、これ以上考えるのは止そう。
一人で何かを振り払うように首を振るリチアの態度に疑問を覚えつつも、アマギリは苦笑を交えてアウラに言った。
「ま、僕の記憶に関しては必要な時にはきっと戻ると思いますしね。剣士殿が回りまわって疑っちゃうくらい純粋な人柄で、ついでに異世界人って事実を改めて確認できた事だけが今回の収穫って事で」
「その必要な時とやらを思うと、中々恐れを抱かずに居られんのだがな」
記憶が無い(らしい)本人にそんな適当なことを言われてはアウラも苦笑するしかない。やれやれと首を振って、目の前の食事に集中することにした。
「僕としては、アウラ王女が剣士殿の事を非常に高評価だった事の方が気になりますがね」
「ああ、そうね。それは私もだわ。初めてじゃない、アウラ。貴女があんなに男の事でムキになるなんて」
「っ―――! 私は、別に」
アマギリの茶化すような物言いが発端となって、その後は暖かな空気が場を満たした。
それこそ何時ものように、くだらない言葉の積み重ねで過ぎていくだけの時間。
きっと皆こう思っていた。
いつかとか、必要なとか、そういう日が来なければ良いのにと。
※ まぁ、剣士君ですし。誰とでも仲良くってトコで。
あと、結局アウラ王女とはフラグ立て切れなかったなぁと思う今日この頃。
好感度マップで言えばナカヨシで終わる感じだよねきっと。