・Scene 33-1・
「何か、女子の皆さんがやたらと騒がしかったけど、何かありましたか?」
お昼時。珍しく呼び出しを受けて向かった生徒会長執務室で、アマギリは通りがかりに見た学院内の浮ついた空気を部屋の主たちに伝えた。
室内にはリチアとアウラの姿が当たり前のようにあり、しかし何時もなら来訪者を出迎えてくれるラピスの姿は見当たらなかった。可動式の書棚を隔てたリチアの私室の方にでも居るのだろうか。
「恐らく、剣士のせいだろうな」
「剣士殿?」
ソファに腰掛けてのんびりと寛ぐ体勢だったアウラがアマギリの疑問に応じた。執務机で書類を纏めていたリチアも続く。
「あの剣士さんとやら、今日から学院で下働きをする事になったんですって」
「ああ。若い男は貴重ってヤツですか。―――あれ、小動物からさん付けにレベルアップしてません? 僕の事は最初から最後まで呼び捨てっぽいのに」
昨日までのリチアは、柾木剣士の話題が上がるたびに彼の人を”小動物”と評していたのに、何故か今日は丁寧に名前にさん付けである。アマギリが指摘してみると、何故かリチアは苦虫を噛み潰したような顔で噛み付いてきた。
「なに、アンタ。女子に様付けされて喜ぶ趣味でもあるの? 男性聖機師っぽいといえばぽいけど、はっきり言って趣味悪いわよ」
「そんな趣味無いですよ、ダグマイア・メストじゃあるまいし。ってか、何ですか。何時に無くアタリがきついですけど」
「そこでダグマイアの名前を出す意味はあるのか?」
書類を胸に叩きつけられて驚いているアマギリに、アウラが苦笑いを浮かべて事情の説明を始めた。
「ラピスがちょっとトラブルに巻き込まれてな」
トラブル。
内容を語られずとも、眉を顰めたアウラの表情を見て、アマギリはその意味を察した。
「ああ、そう言えば、今年からあの子も学院生でしたっけ。女子ってその辺陰湿ですもんねぇ」
近づきたくない領域だわと、わざとらしく首を振るアマギリに、アウラも苦笑交じりに頷く。
「特にラピスは、既にリチアの従者として将来が約束されているという所もあるからな」
「失礼な話よね。それで体よくラピスを排除できたとして、そんなヤツを私が傍に置こうと思うとでも本気で思ってるのかしら」
「そういう考えが及ばないから苛めになんて走るんでしょうけど。―――で、ラピスさんは平気だったんですか?」
口々に感想を述べる先輩方の話に肩を竦めながら、アマギリは確認するように尋ねた。
何しろ、聖地学院などと言う閉塞した空間で行われるような苛めである。
しかもソレを実行するのはどちらかと言えば頭を動かすより体を動かすのが得意と言うような聖機師見習いばかり。脳よりも反射神経の判断を優先してしまうような生き物である。
”思い付きの碌でもない判断”で踏み外してはいけない階段を平気で踏み外してしまう可能性も高いのだ。
「まぁ、その人の大事なものを隠すという些細な悪戯程度―――無論、あくまで隠した本人達の基準では、だが―――で済んで、その辺りは一安心だったのだが」
「物理的な意味で、同性だからこそ男よりも酷い事とか平気で出来そうですしね」
ラピス本人には怪我一つ無かったと聞いて、アマギリはやれやれと安堵の息を漏らした。その後、憮然とした顔で指でペン回しをしているリチアに振り返る。
「生徒会長閣下が機嫌悪いのはどっちが理由なんです? ラピスさんが苛められた事? それとも、それを剣士殿に助けられた事ですか?」
「っさいわね」
図星を突かれたと言う態度そのままで、リチアはアマギリの言葉を切り捨てる。
「つまり、どっちもな訳ですか。まぁ、王族の従者とかやってる生徒には避けて通れない道ですし、仕方無いんじゃないですか。ウチのワウとかも、結構苦労してるみたいですよ」
「いや、ワウのそれはお前が何もしなければどう考えても避けられた苦労だと思うのだが……」
したり顔で語るアマギリに、アウラが冷静に突っ込みを入れた。アマギリは聞きもしなかった。
押し付けられた書類を適当に捲りながら、アウラの向かいのソファに腰掛ける。既にそこが彼の定位置だった。
「―――結局それで、剣士殿が下働きを始めたんでしたっけ?」
新規生徒会役員保護のための特別予算の内約と言う、市井の通常の学校であれば絶対に見られない要綱が記された書類に注釈、訂正を書き加えながら、アマギリは誰にとも無く尋ねた。
因みに、この部屋で本来の用途―――生徒会の活動―――を行うのはリチアとアマギリだけである。
アウラは何もしない。ただ、居るだけである。たまに自分の学業の課題を行っている時はあるが。
アマギリも一年以上前はアウラと同様のごく潰しだったのだが、以前幾つか行事ごとが重なった時に、流石に限界を迎えつつあった"一人生徒会”のリチアの仕事を横から掻っ攫って以来、容赦なく断りも無く唐突に仕事を回されるようになった。
事実上、行事関連以外の通常の生徒会業務を行っているのは幾人もの生徒会役員の中でリチアとアマギリの二人だけだったりする。
リチアがその性根から周りに仕事を任せないせいである。そう考えれば、現状仕事を押し付けられる事のあるアマギリは、リチアから格別に信頼されているとも取れるのだが―――生憎と二人がその事を正しく認識しているかどうかは神のみぞ知る、と言うヤツである。
それを疑問に思っているのも二人の様子を知っているアウラとラピスくらいだろう。
閑話休題。
「ああ。何と言うか私には言葉に困るが、剣士はあれで庇護欲を誘うタイプ―――とでも言うのか? 特に上級生達が見かけては色々と”可愛がっている”らしい」
「アレは剣士さん本人と言うよりも、その後ろに居るラシャラ・アースとかが目当てなんじゃないかしら」
「それもあるだろうな。どうも、メザイア先生も剣士の事を甚く気に入っているらしいから、その傍に居ればと言うのもあるのだろう」
私見を積み重ねる二人の言葉に、アマギリは苦笑してしまった。
「最終的にそういう打算的な部分が出てくるのが、毎度の事ですけどさすが聖地学院って感じですよね」
無邪気に騒いでいるだけのように見えて、必ず何処かで利益を求めている部分がある。大なり小なりとこの学院に通っている人間なら持っている要素だとアマギリが嘆息していると、リチアが鼻を鳴らして応じた。
「アンタがこの学院に現れた時みたいに、悪戯におどろおどろしい方向に行かないだけマシなんじゃない?」
「―――片棒を担いでいた我々が言えた義理でもないだろうが、道理だな」
「どうせ僕はあの方みたいに陽性なカリスマはありませんよ」
内に潜んで網を張る方が好みだと嘯くアマギリに、アウラは片眉を上げた。ソファから少しだけ身を乗り出して、アマギリに尋ねる。
「前から疑問だったんだが―――どうしてお前は剣士を指す時に丁寧な言い回しをするんだ?」
「へ?」
真面目な顔で問われて、アマギリは目を丸くしてしまった。
丁寧な、と言われてもアマギリの中では柾木剣士の事はごく自然に扱っていた筈だ。
「何か変でしたか?」
「変、と言うほどでも無いかもしれんが、”剣士殿”と継承をつけたり”あの方”と評してみたり、まるで同等以上の存在として扱っているようだぞ」
「あ、それ私も気になってたわ」
アウラの言葉に、リチアも我が意を得たりと頷いた。アマギリは逆に口元を押さえて眉根を寄せた。
「意識してなかったなぁ。―――言われると確かに、僕らしくも無い様な」
「そのもの言いは、惚けているのか真面目な話なのかどっちだ?」
お前の場合それが解り辛いと半眼で問うて来るアウラに、アマギリは肩を竦める。
「両方、ですかね。自分でも少し驚きました」
柾木剣士と言う存在を敬意を持って扱う事に、まるで疑問を覚えていなかった。
「―――やはり、お前と剣士は昔からの知り合いと言う事なんじゃないのか?」
アウラが聞きずらそうに、しかし話を逸らしようも無い聞き方でアマギリに言う。
「そうすると、柾木剣士の方がコイツより立場が上の人間になるのかしら。―――あの小動物がねぇ」
「いや、そう驚く事もないかもしれん」
想像がつかないと言うリチアに、アウラは言った。
「剣士とアマギリは、実際似た空気を持っている。我等ダークエルフ以上に森に祝福される気配。体の使い方も何処か似ている。―――そして、そのどちらにも言える事だが」
柾木剣士の方が、”深い”。
「―――深い、ですか」
ぼうっとしたような顔で、アマギリはアウラの言葉を繰り返していた。
「ああ、深いな、アレの懐は。傍による全てを引き付けて離さない、大樹の如き包容力があの子にはある」
「大樹か。言いえて妙ってやつですかね」
「―――たいして話もしてない筈でしょうに、解ったような口を聞くわね」
アウラの言葉に頷くアマギリに、リチアが口を挟んだ。
言われてみればそうかもしれないし、そうではないと言い訳したい自分もあった。
―――あの輝きに似たものに、かつて憧れていた記憶がある。
「それとはまた、違うけど」
何処までも清廉にして潔白だったそれと比べて、正樹剣士の秘めた物はまた別だろう。むしろ、そんな完璧超人が何人も居てはアマギリも堪らない。
何しろ彼の人が完璧すぎたお陰で、遠く辺境に居た自身にすらお呼びをかけねばならに程に当時の―――。
「どうした?」
「―――いえ」
フラッシュバックのように湧き上がった誰かと誰かと何処かのイメージを、首を振って追い払う。
「遠めに見てれば解るじゃないですか、皆、剣士殿の傍に居ると生き生きとした顔をしてますしね」
「遠目、ね。アンタらしくもないじゃない、遠巻きに眺めるだけなんて」
「そうですか? でも別に直接話す機会なんてありませんし、仕方ないでしょう」
アマギリの言葉は、何処か言い訳がましい。
この男の本領を発揮すれば、必要とあれば”機会”なんて幾らでも作り出す事がかのうだろうに、それをしようとしない。
自身の過去に繋がる可能性の高い人物に対して、随分と消極的な態度。一日二日どころか、そろそろ柾木剣士の存在を認識してから一週間もたつと言うのに、未だに遠めに見るだけ。
手をこまねいているようにすら見える。
リチアはかまを掛けてやろうかと、ニヤリと笑って言った。
「まさかアンタ、妹に泣かれたりでもしたら怖いから、あの小動物と距離を置こうとか思って―――」
言葉は最後まで口にされる事はなかった。
リチアは何度か口をまご付かせた後、一つ大きくため息を吐いて首を振った。
「ごめん、忘れて」
「何ですか、いきなり」
人をからかおうとしておいてどんな言い草だとアマギリが文句を言おうとしたら、今度はアウラが少し言いづらそうに口を開いた。
「いやアマギリ。そんな愕然とショックを受けた見たいな顔をされれば、誰だって口を閉ざすと思うぞ?」
「はい?」
言われて思わずと言った仕草でアマギリは自身の頬を押さえてしまった。
表情?
愕然としたなどと、どんな顔だそれは。と、言うか何にショックを受けたんだ。
「意識して無かったってけど、図星だったって事でしょ? ホントに妹には甘いわよねアンタ」
やってられないと背もたれに体を預け天井を見上げるリチアの態度に、アマギリは漸く自身が衝撃を受けていた(らしい)理由を悟った。
少し前の夜の、少女の不安そうな顔を思い出す。
迷子のような、置いてけぼりにされた、一人取り残されたかのような心細そうな少女のそれだ。
―――つまりそれを、見たくないのだ。このアマギリ・ナナダンは。
「顔、赤いわよ」
「―――絶対確実に気のせいですから放っておいてください。後生です」
リチアの指摘に、アマギリは顔を隠して肩を落としてため息を吐いた。対面のソファに座るアウラが、微笑を交えて口を開く。
「変わったな。いや、変わって行くなと言った方が良いのか。―――そう情けない顔をする必要も無いんじゃないか? 以前の暖簾に腕押し、柳に風といった態度だった頃に比べれば、ずっと好ましいと思うが」
「そうそう、どうせ”こんなに他人を気にかけてるなんて自分らしくも無い”だなんてくだらない事考えてるんでしょうけど、それで良いのよ。そういう、”らしくなさ”ってのを積み上げて人間は成長していくんだから」
アウラに続いて、リチアまでも何処か優しい声音でそんな風に語る。
気を使われている、むしろ労わられていると解ってしまえば、アマギリには返せる言葉も無かった。
「それに、それほどらしくないと言うものでもないと思うぞ。お前は懐に抱えたものに対しては初めから優しい人間だったからな」
「ワウアンリーもアレで、嫌な事は絶対にしないタイプなのに、何だかんだでアマギリの言う事には従うものね。慕われてるみたいでよかったじゃない」
初対面の時のユキネの扱いを思い出したのか、懐かしそうに話すアウラに、リチアも続く。
アマギリとしてはそういう褒められ方をしてもただ恥ずかしいだけである。
「何ですか、今日呼び出したのは人を羞恥プレイにかけるとか、そういう意図ですか?」
憮然と―――表情もちゃんとそうなってるか定かではなかったが―――して口を尖らせるアマギリに、リチアはまさか、と肩を竦めた。少しやりすぎたかと微苦笑を交えるアウラが答える。
「丁度良い機会だから、昼食を共にしないかと主ってな」
「丁度?」
なにがどう丁度だと言うのかと首を捻るアマギリの背後で、入り口のドアがノックされる音が聞こえた。
「すいませーん、昼食の出前に参りましたー!」
元気で明るい少年の声が、ドアの向こうから聞こえた。
思わずと言った態度でアマギリはリチアに視線を送る。タイミングがよすぎないかと言う疑問の視線にも、リチアは肩を竦めるだけだ。
「別に、アンタのために呼んだわけじゃないわよ」
「最初に話しただろう。ラピスだよ」
「―――ああ」
アウラの言葉に、アマギリは漸く状況を理解できた。
なるほど、だから自主自立を旨とするリチアは機嫌が悪かった訳で―――。
そんな風に考えているうちに、扉は開かれた。
「お弁当三人前、お届けにあがりました!」
かくて、当たり前のように。
彼等は出会う。
※ そう言う訳で原作編開始から数える事十回目で漸く真主人公との会話シーンが出来そうな。