・Scene 32-3・
「では第一回暗黒生徒会を始めたいと思います」
夕餉の時刻もとうに過ぎた夜遅く。聖地学院内にあるハヴォニワ屋敷内のサロンに集った人々の前で、アマギリはおもむろにそう宣言した。
当然、同じテーブルを囲っている誰もが何を言っているんだと言う顔で彼を見る。とりわけ、リチアの細い目は白けたそれだ。
「ナニ訳の解らない事を言ってるのよ暗黒王子」
「こういうの、形から入れって昔誰かに言われたんですよ暗黒生徒会長」
「誰が暗黒よ、誰が」
芸風を変えずに切り返すアマギリに、リチアの額に青筋が浮かぶ。隣に腰掛けていたアウラが苦笑を浮かべて仲裁に入る。
「落ち着け暗黒リチア、話がズレてるぞ」
「いえ、暗黒アウラ王女も巻き込まれていらっしゃいますが」
「腹黒マリア様も」
「……ユキネ。今何か違う言葉をつけなかったかしら?」
「気のせい」
ねめつけてくる主の視線を、ユキネは楚々とした態度で回避する。
一人場の空気に乗り遅れた感のあったワウアンリーは、腹黒はむしろ言った当人の方があってるんじゃないのかと思った。この暗黒の空気が蔓延する空間で口にする気にはとてもなれなかったが。
「で? これ以上くだらない話を続けるんだったら私帰らせてもらうわよ?」
会話がテーブルを一巡した事で気が済んだのか、リチアが面倒そうな仕草で手で空気をを払って、アマギリに先を促すように行った。
「ああ、スイマセン。何か、家族と友達が同じテーブル囲んでる空気って、慣れないなぁって思いまして」
悪乗りし過ぎましたと、アマギリは苦笑した。
「王子一人に王女二人、次期教皇が一人。冷静に考えれば、学院でも取り分け濃いメンツが揃ってますもんねぇ」
アマギリの言葉にぐるりとテーブルを見渡したワウアンリーが、簡単とも呆れともつかない息を漏らしながら言った。
「一番下っ端は聖機師見習いのワウだけどね」
「うう、明日になれば正式な聖機師なのに……」
主の夢や希望を切り捨てるようなぞんざいな言葉に、ワウアンリーがさめざめと涙を流した。
「私も別に、次期教皇と言いきれるような立場じゃないんだけどねぇ。教皇を選出するための枢機卿会議の流れって、結構流動的だったりするし」
「となると、次期女王が確定しているマリアが一番偉いって事になるのかな」
「お兄様、解ってて人を上座に座らせましたわよね」
「アマギリ様、形ばっかり気にする人だから」
「あー、外面取り繕うの得意よコイツ。たまに意図的に取り繕わなくてむかつくけど」
「……話、先に進めさせてもらうぞ?」
流石に個性的な人間が揃っていると言う事か、一度話がそれると修正が非常に難しいらしい。
アウラが苦笑交じりにそう切り出すと、リチアが頬を染めながら頷いた。どうやら、自分が一番わき道に乗りすぎていると気付いたようだ。
誤魔化すように咳払いをして、リチアはそれこそ生徒会役員会議の時のように背筋を伸ばして口を開いた。
「それじゃあ、議題なんだけど……」
「何故お兄様の寝室の窓からアウラ王女が侵入してきたか、ですわね」
リチアの言葉を遮るように、マリアがきっぱりはっきりとそう述べた。
「……へ?」
いや、そうじゃないだろうとリチアが目を丸くするが、マリアはニコリと一つ微笑むだけだ。
「ですわよね?」
「いや、えっと……」
「ですわよね?」
「……ちょっとそこの駄目兄貴、何とかしなさい」
まったくにべも無いマリアの態度に恐れをなし、丁度向かいに座っていたアマギリにリチアはキツイ視線を投げかける。アマギリは了解と頷いた。
「助けろ、従者」
「ここであたしに振るんですか!?」
「そのための従者じゃないか」
「家族間の問題くらい自分で解決してくださいよ!!」
ワウアンリーとしては当たり前の叫びの筈だったのだが、アマギリからは何故か使えないなコイツと言うような侮蔑の視線を送られた。まったくもって理不尽な主である。
ようするにアマギリは現実逃避をしているだけなのだが、ワウアンリーはその事に気付かない。
ユキネとアウラの年長組みが、同時にため息を吐いた。
「この屋敷に玄関から踏み込むと、強制的に”こちら側”の派閥扱いされてしまうと、兄君から忠告を受けていてな。私としても何を今更と思わないでもなかったのだが、そこは男の見得に付き合ってやるのも器量だとユキネさんに説得されてね」
いい加減埒が明かないだろうと、アウラが苦笑交じりに事実を口にした。
「うわ、初耳だよ、僕」
気遣っているつもりが逆に気遣われていた事に気付いて、アマギリは羞恥で顔が赤くなりそうだった。
その言葉に、リチアがニヤニヤと笑う。
「アウラもだったの? ソレ、私も来る途中に言われたわよ。案外意味も無くフェミニストよね、コイツ。今更手遅れなのに」
状況が理解できている従者二人は、アウラの言葉にああ、と頷いているだけだったが、新入生であるマリアは首を捻った。
「派閥……ですか?」
「生徒会に所属すれば、嫌でも解るわよ」
面倒そうに肩を竦めるリチアに、ユキネも頷く。
「今の所、7:3でこちらが不利」
「あれー、あたしが聞いたときは6:4だったんですけど。まぁ、友達少ないですからね、殿下」
「いや、単純にダグマイア・メストの努力だと思うが」
「外辺りは良いですからね、あの倅は。それから従者二号は黙れ」
事実だけを述べているつもりのアウラの言葉に、アマギリが憮然と応じた。男として微妙な気分になる問題らしい。マリアはそんな兄の家では見せないような様子を、溜め息と共に納得した。
「一人暮らしで随分と羽目を外してらっしゃったのですね、本当に……。一先ず解りました。その話は後でゆっくりと聞きますので、今は別の話をしましょう」
客人が帰ったら覚えておけよと言う妹の言葉に、アマギリの肩がビクリと揺れた。
「じゃ、本題に入るわよ」
リチアがやれやれと、壁掛け時計を見ながら口を開く。何だかここまで話を進めるだけで無駄に時間が掛かった。どうやら、ラピスは先に帰らせておいて正解だったらしい。
「本題か。……剣士の事で良いんだな?」
リチアの言葉に確認するように返すアウラに、アマギリが眉を顰める。
「ひょっとしてアウラ王女、もう先にお会いになりましたか?」
「お会い……? ああいや、昼間、森でな」
狩猟の許可を求められたと、アウラはそのときの事を思い出したのか、楽しそうに笑いながら続けた。
「ケンシ、と言うのは柾木剣士さんの事ですわよね? あのラシャラの従者の」
「ひょっとしてマリアももう会ったの?」
「ええ、午前中に学院長室で。―――思えば、少しはしたない真似をしたような気もしますが」
「何をしたのさ―――なんでユキネが顔を赤くしてるのさ」
自分の言葉に顔をしかめている妹にアマギリが首を捻っていると、何故かユキネが首をちぢこめていた。
「何でもない。……剣士、昼間も屋敷に来てた」
直ぐにキャイアに引っ張られていったけど、顔を赤くしたままそう続けるユキネに、ワウアンリーが目を丸くする。
「ユキネさんのところにも来てたんですか? あたしの工房にも来ましたよ」
午後は工房の片づけがあるからといって聖機神の設置作業から抜けていたワウアンリーが、そんな風に言う。
スワンから運び出していた資材の搬入を手伝っていたらしい。
「へぇ。まぁワウのところは何となく解るけど、何でウチ? 何か話した?」
言える部分だけで良いから教えてもらえないかと尋ねるアマギリに、ユキネは一瞬考えるように瞠目した後で、ゆっくりと口を開いた。その言葉の意味を、アマギリたちの態度を含めて、彼の少年の真実を推し量るように。
「聖機師の婚姻に関して」
それに関してどう思うか―――と言うよりも、どうして反対しないのか、と言う意味を込めていたように感じたと、ユキネはそう答えた。
「……へぇ」
楽しそう―――と言うよりもむしろ、アマギリの漏らした言葉は呆れ交じりのものだった。そしてそのまま、無言でワウアンリーとアウラの方へ視線を横滑りさせる。
「へ? え?」
何か怒られるような事をしたかと慌てるワウアンリーに対して、アウラは理解できたとばかりに頷いた。
「ああ、私も同じ内容の話をした。―――随分と、心配してされてしまったよ」
苦笑交じりに言うアウラに、アマギリは一つ頷いて応じた。ス、とワウアンリーを見据える。
「ワウ?」
「は、ハイぃ! えーっと、その、剣士との会話の内容ですよね? 何ていうか高地出身者とこっちの人の間に横たわる文化的風習の違いに関してと言いますか……」
「あっそ」
「え? 折角話したのに興味なし!?」
話の途中でもう良いとばかりに視線を逸らされたワウアンリーは涙目になる。
ユキネも含めて三人の証言を聞くだけに回っていたリチアが、考え込むように言った。
「良く解らないけど、つまり……そのマサキケンシとか言う、アレよね? 闘技場で見かけた小動物。高地の出身で聖機師の義務とか何も知らないって事?」
「それは―――どうなんだ?」
リチアの質問に、アウラは直接は答えずにアマギリに視線を送った。考え込むように口を閉ざすアマギリの横で、やはり聞き手に徹していたマリアが、鼻を鳴らして口を開いた。
「お兄様がそれほどお気になさるのですから、そんな単純な話ではないのでしょう?」
妹の質問にも、アマギリは口を開かない。
まるで沈痛そうな表情で、何かを深く考え込んでいる。
「―――お兄様?」
「ん? ああ、マリア―――どうした?」
「どうした、ではありませんよ。皆様お兄様のお話を聞くために集まっているんですから、お話してくださらないと場が進まないではないですか」
テーブルの下で膝を揺すられて、漸く自分がぼうっとしていた事に気付いたアマギリを嗜めるように、マリアは口を尖らせた。
「ホント、妹には弱いのね……」
その様子に、リチアはご馳走様とでも言いたそうな顔でぼやいた。口には出さなかったが、他の少女達も同様の思いだったようだ。
アマギリは場の微妙な空気に気付いて、一度咳払いをした後で口を開いた。
「まぁ、姫様方のご想像の通りかと」
「では、やはり剣士は」
吐き出すように述べられたアマギリの言葉に、アウラは眉根を寄せて声音を鋭くした。マリアも、母に似た隙の無い表情を浮かべて続く。
「話の流れから察するに―――異世界人、ですか」
「異世界人!?」
マリアの言葉に劇的な反応を示したのは、教会に籍を置くリチアだった。ユキネは瞬きをして驚きを示し、昨夜からの状況の推移を理解していたワウアンリーは納得したように頷くだけだ。
アマギリは、少女達それぞれの反応を確認した後で、ゆっくりと口を開いた。
「状況を全て並べて整理すればそれ以外の答えはありません。あの方、柾木剣士殿は異世界人の男性聖機師。昨夜従妹殿を襲った下手人の一味、僕は見て無いけど、恐らくワウアンリーが言っていた白い聖機人の搭乗者です」
「やっぱりあの白い機体は、剣士なんですね……」
「むしろ、現場に居たワウが初見で気づかなかった事に驚いたよ僕は」
観察力が欠けてるとジト目で睨んでくるアマギリに、ワウアンリーは冷や汗混じりに言い訳する。
「いや、その、ほら。貴重な男性聖機師をああいう仕事に使うとか、普通考えられないじゃないですか。―――それ言ったら、昨日殿下がスワンに来た事も驚きなんですけど」
「ウチは人手不足だからねぇ。ワウがしっかりやってくれれば僕が出る必要も無かったんだけど」
「嘘だぁ。あたしがどうなろうと、剣士が居ようが居なかろうが、絶対来てましたよね!?」
「気のせい気のせい」
まくし立てる従者を適当にあしらいながら、こんなところでどうですかと尋ねるアマギリに、アウラは苦いものを飲み込んだような顔をした。
「あの朴訥そうな少年がな……。俄かには信じがたいが」
信じる他無いと、アウラも状況から考察してそう理解していた。何よりも、アマギリが確信的な口調でそう言いきってしまった以上、いかに荒唐無稽であろうとそれはほぼ真実といって差し支えないとアウラには思えていた。
「ちょっとアマギリ、本気で言ってるの? 異世界人なんて、星辰の配置からしたってあり得ない話しなのに」
慎重深い上に慎重さを重ねたような所があるアマギリの言葉だ。リチアとて言い切られれば信じる他無いのは理解していたが、それでも常識が邪魔をする。
だが、アマギリはそんなリチアの気持ちを察してか、苦笑して自らを指し示した。
「―――僕が居るのに?」
「殿下、異世界人ですもんねー」
「そう、言えば……」
ワウアンリーの苦笑混じりの言葉に、リチアは忘れていた事実に気付いた。
アマギリ・ナナダンは異世界人である。余りにも空気に馴染みすぎているお陰で忘れがちになるが、それが事実なのだ。
「じゃあ、何? あの小動物はアンタのお仲間だったりする訳?」
呆れ顔―――むしろ失念していた自分に呆れているかのような顔で、リチアは投げやりに尋ねた。
「それなんですよねぇ」
しかしリチアの予想に反して、アマギリはここに来て言葉をあいまいにした。
「どれなのよ」
コイツが言葉を濁したら絶対碌でもない事になる、と信じて疑わないリチアは、いいから纏めて全部吐けとアマギリを睨む。
「いや……」
それでもアマギリは言葉を濁した。リチアが益々不審そうに眉を顰めたところで、アウラが口を開いた。
「つまり、仲間な訳だな?」
確定的口調でそう述べたアウラに、アマギリは視線を逸らして答えない。
マリアが焦れたように口を開いた。
「どう言う事なのですか? お兄様が知り合いだと仰るのでしたら、あの方の事をお兄様は”記憶している”と言う事になりますわよね」
それが、事実だとすれば。
マリアの中にある予想図が浮かび上がって―――きっと彼女は知らぬ間に、恐怖を覚えていた。
だって、アマギリ・ナナダンは自身の名前すら覚えていない、昔の事をまるで思い出せないのだから。
普段の様子からは気付けないが、少なくとも自己申告では、アマギリは記憶喪失なのである。
ふとした弾みに限定的に知識が浮かび上がる事はあるようだが、それらを正確に並べなおして一つの記憶として成立させる事が出来ないと、他ならぬアマギリ自身がそう述べていたのを、マリアは覚えていた。
「アマギリ様?」
主の不安な気持ちを察したのだろう、ユキネが、アマギリに―――姉としての態度を口調に込めて尋ねる。
家族に心配を掛けてはいけないと、そういわれている事に気付いたアマギリは、漸く微笑らしきものを口元に形作って応じた。
「うん。―――うん、そうだ。僕とあの方……剣士殿は、恐らく何処かでつながりがあるんだと思う」
そんな気がする。
そう、事実を認めた。
「お兄様……」
その言葉に、マリアが不安を隠しようも無い呟きを漏らす。
誰もが一様に次の言葉を捜しながら黙り込み、場の空気を、重たいものが満たした。
女性陣が一様に言葉に詰まってしまった事を察したのか、アマギリがいっそさばさばとした口調で言った。
「ま、だからといってどうなんですけどね。剣士殿は異世界人。僕も異世界人。近いつながりがあるかもと言っても、僕は彼個人に関しては生憎と記憶にありませんし、向こうがどうなのかも解りません。―――今後どうなるかはさておき、今の所は何も状況は変わりませんよ」
何も、変わらない。
聞かれてもいない事を口にしているという自覚はアマギリには無かったし、誰もその事を指摘する事は無かった。
「ようするに、面倒ごとがそのうち起こるから、心構えを決めておけって事でしょ」
「殿下が問題を起こすのは何となく想像できますけど、剣士はなー」
「確かに、あの子には善的なもの以外感じなかった」
「同感。剣士は、良い子」
ただその言葉が引き金になったかのように、皆一様にそれまでの沈痛な表情をやめて、空元気のような明るい空気を作り出す。作り出そうと、努力していた。
その空気にアマギリは安堵の吐息を漏らし、それから、自分の膝の上に置かれていた小さな手の事に気付いた。
腕を辿るまでも無く、隣に座る妹のものであると解っていた。
不安気に、惑うように。
そっとその手を―――その権利が、あるのだろうか。
逡巡は一瞬で終わり、アマギリはその手をそっと握り締めた。
妹はなんら驚いたような態度も示さず、ゆっくりとした指の動きでアマギリの手を掴み返す。
ここに居る。
今は、まだ―――”まだ”としか言えない自分が、その日初めて恨めしいものだと、アマギリにはそう思えた。
・Scene 32:End・
※ 今後無い組み合わせだろうなぁと悪乗りし過ぎたら前半と後半のギャップがエラい事になった。
因みにユキネは暗黒書記長。たぶんいちばんえらい。