・Scene 32-2・
「お帰りなさいませ、お兄様♪」
「……お帰りなさい」
物凄く綺麗な笑顔の妹が居た。
傍に控える、半月前までは従者だった女性は、何時ものように表情は少なかった。
「やぁマリア、ユキネ。随分と早い到着だね」
対するアマギリは、腰が完全に引けていた。
半開きのドア、覗き込んだ屋敷の玄関ロビー。
時刻は、日も沈み、大抵の場所で夕食まで済んでいるであろう、そんな時間。
明日の聖機師叙任式式典のための式典会場の設営作業と、その後に幾つかの書類仕事を片付けていたら、帰宅するのがこの時刻になってしまったのである。
その結果この世に現出してしまったものが、この四半年ぶりに会う妹の素敵な笑顔である。
仁王立ちして腕まで組んでいる。
「ええ、ええ。早く到着しましたもの。それはもう、予定としてお伝えしておいた昼過ぎの到着よりもほんの一時間ほども早い到着となりましたわ。―――お兄様は随分遅いご帰宅ですわね?」
アマギリの頬を冷や汗が伝った。
間違っても、妹が本日聖地に到着する事を忘れてた何て言えなかった。例えそれが真実であっても、絶対に言えるはずが無い。
最近、半月以上一人での行動が多かったから時間にルーズになっていたとも、言えそうに無い。
「うん、まぁ何ていうかね。アレだね。入学シーズンだし、生徒会の役員としてはやる事が多くて」
だから存在自体を忘れてたとかそう言う事ではありません。事故です、事故。
無理だよなーと思いつつ、差しさわりの無い事情を説明してみた。妹はニコリと頷いた。
「へぇ、それはそれは。ご苦労様です事。わたくしも新たに生徒会の役員になる事は内定していますし、後学のためにぜひお聞かせくださいませ。一体全体、二日二晩も屋敷を留守にして、あまつさえ長旅を越して辿りついた妹を出迎える事もせず、何処を遊び歩いていらっしゃったのか」
「いやぁ、ホラ。それは何ていうか、色々とね、色々……」
確実に怒っていた。主に後半の理由で。
ばらしやがったなと、ロビーの奥のほうに控えていた侍従長を睨みつけてみると、すまし顔で視線を逸らされた。
考えるまでも無くマリアのほうがアマギリよりも上位者だったりするので、そちらにつくのは当然と言えば当然かもしれなかった。
女所帯では肩身の狭い兄である。
「何をよそ見してらっしゃるのですか?」
「スイマセン、何も見ていませんレディ」
言葉が一々刺々しく、そして鋭い。視線は従者のものも含めて氷点下のブリザードだったので、会場設営の力仕事―――といっても殆ど指示だけだが―――をしてきた後の疲れた身にあって、散々な状況だった。
さてどうしたものか。
はっきりと割り切りの効いた性格のように見えて、この妹は根に持つと深い。
何が恐ろしいかと言うと怒りが収まったと思って安心していると、忘れた頃に話題を持ち出してきたりするのである。最悪のタイミングに被せるように。
故に、出来るならこの場で確実に、今後のために是非とも不評は濯いでおきたいのだが―――さて、どうしたものか。
「―――プッ」
「ちょっ、リチア様、声出したら駄目ですってば!」
「ゴメっ―――なさい、でも、ちょっともう限界……」
最初に噴出すような音と、それを止めようとする慌てた声。
アマギリが半開きに開いたドアの影、玄関ホールに居るマリアたちからは見えない位置から、それは響いた。
マリアが突然聞こえてきた声に目を丸くする。
「? どなたかいらっしゃるんですか?」
アマギリは直接は答えずに、半開きのドアを全開に押し広げた。
「貴女は―――え? 教皇家のリチア様?」
「おひさし、ぶりねマリア王女っ。くふっ」
収まらぬ含み笑いのままマリアに答えるのはまさしく生徒会長のリチア・ポ・チーナだった。
リチアはニヤリと嫌な笑みを浮かべて、アマギリに指を突きつけながら言う。
「なに、アンタ。普段アレだけ偉そうな態度取ってるくせに、家じゃ妹に頭が上がらない駄目兄貴って事?」
「ほっといてください。―――それから頬が引き攣ってるそこの従者! 後で覚えとけよ!」
「何であたしだけ!!」
唐突に怒鳴りつけられたワウアンリーが悲鳴を上げる。なんてことは無い、ただの逆切れである。
「ワウアンリーまで。―――お兄様、何故この方達がこんな遅い時間にここにいらっしゃるんですか」
もう充分に遅い時間だったから、男の暮らす屋敷に良家の子女が訪れるべき時間とは言えないだろう。
一歩踏み出し問い詰めてくるマリアに、アマギリはたじろきながら応じた。
「ああ、それは、ホラ……」
「ワウアンリーは、今日からウチで暮らすんだと思う」
マリアが乗り出した分だけ上半身をのけぞらしていたアマギリを遮って、ユキネが淡々と正解の半分を口にした。
その言葉に、マリアはワウアンリーの顔をじっくりと眺めた後で、一つ頷いた。
「……そういえば貴女は、お兄様の護衛聖機師でしたっけ」
「そういえば……でしたっけって。何か、この王家の人たちはあたしに対する愛が足りませんよね」
ぞんざいな扱いにワウアンリーはさめざめと涙を流した。しかし、誰も相手にしなかった。
マリアもあっさりとワウアンリーから視線を外してアマギリに向きなおす。
「それはさておきお兄様、何故リチア様が我が家にいらっしゃるのか、ご説明を」
「チッ、やはり盾役にも使えないか……」
「ちょっと殿下!?」
さり気なく吐き捨てるように呟くアマギリの言葉に、ワウアンリーが突っ込みを入れる。
「お兄様、お話を逸らしませんように」
「ああ、うん。何ていうか僕も淑女としてこの時間はどうよって思ったんだけど、鉄は熱いうちに打てとか即断即決とかがこの人の長所みたいなものだし」
ここは一つ勘弁してくれないだろうかと苦笑するアマギリの態度に気勢を削がれて、マリアはリチアのほうに曖昧な視線を送った。
リチアはマリアの視線を受けて、余裕たっぷりに微笑んで応じた。
「ごめんなさいねマリアさん。家族の団欒に割り込んじゃって。少し個人的に、あなたのお兄様に確認したい事があったから」
なるべく、急いでと付け足すリチアの言葉に、マリアの心がささくれ立った。
「確認したい……個人的に、ですか」
「ええ、個人的に。出来れば人払いをした上で、二人きりで内密に、ね」
「それはそれは……随分、ウチの人と仲が宜しいんですのね」
「そうね。放課後は殆ど二人(と他数名)で一緒に過しているし、まぁ、他人とは言えない(が、特に恋愛関係には無い)関係かもしれないわね」
半眼で問いかけるマリアの態度こそが望んだものだったとでも言いたいのだろうか、リチアは清清しい笑顔を浮かべていた。明らかにからかい交じりである。
「うわぁー、場が混沌としていくなぁ。あたし帰っても良いですか」
「いや、キミの家ここだから。つーか逃げるな。むしろ僕が逃げたいんだから」
「アマギリ様は、完全に自業自得だと思う」
にらみ合う―――と言うか、一方的にマリアが突っかかっている形だが―――二人の女性の間を蟹歩きですり抜けて合流した外野三人が、口々に言う。
「いや、僕もこういう状況は予想してなかったんだけど。―――あの二人って相性悪いのかなぁ」
「似たもの同士で気が合いそうな感じですもんねー」
「気が強いのは同じだけど、ベクトルが違う気がする……」
「いや、どっちかと言うと年季の差じゃない?」
「外野。特にお兄様、黙りなさい」
流石に好き勝手言いすぎたらしい。マリアが凄い目でアマギリを睨んでいた。
「いやホラ、二人とも忙しそうだったから、僕はお暇しようかと」
「なに他人事みたいに言ってるんですか!」
既にホールの中央辺りまで後退していたアマギリに、マリアが怒鳴り声を上げる。
「っていうか、お暇するのは僕等じゃなくて僕だけなんですね……」
「頑張って」
「あたしに何を頑張らせるつもりなんですかユキネさん!!」
「あんた達、楽しそうで良いわね」
一つ言葉が生まれればどんどん状況が混沌としていくこの状況に、唯一外の人間であるリチアが感嘆したような呆れたような声で言った。元々彼女の責任が大きいのだが、気にするような柔い少女ではなかった。
「あの二人って、何時もあんな感じなんですか?」
ガミガミと擬音が出そうな顔で説教をするマリアとひたすら平身低頭するアマギリを指差しながら尋ねるリチアに、ユキネは冷静な顔で一つ頷いて応じた。
「実は週一のペースで通信で連絡を取り合っている」
「うわ、必ず水曜だけ生徒会長室には顔を出さないのって、ひょっとしてそれが理由?」
「ちょっと姉さん、そういう話他所に広めないで!!」
平然と身内の暴露話をするユキネに、アマギリが顔を赤くする。
「お兄様、人の話聞いていますか?」
「いやだから、聞いているけどそれどころじゃないと言うかですね」
「……つまり、私と話す事ははどうでも良い事と」
「誰も言って無いよそんな事は!」
その情け無い顔に、リチアの心底楽しそうな笑みは益々深まり、状況は更に混沌の様相を呈してきた。
「お前達、そんな所で何をしているんだ?」
そんな空気を凍りつかせたのは、ホールの中央階段の上から響いた女性の声だった。
「あ」
「あぁ……」
「うわぁ」
「ア……アウラ?」
銀色の髪のダークエルフの女性が、二階、東塔との連結口の方から、ゆっくりと歩いてきていた。
「む、リチアも居たのか」
「居たのか、じゃ無いわよ。何でアウラがアマギリの屋敷に!」
考えるまでも無いことだが、使用人たちが詰める一回を除く東塔上部はアマギリの住居である。
「お兄様、どういう事ですか! 私は午後一杯屋敷に居ましたが、玄関からお客様を迎えた記憶はありませんよ!!」
突然の来訪者に沸き立つ玄関ホールを冷静な目で見下ろしていたアウラはマリアの姿を確認して、なるほどと頷いた。
「珍しくこの時間でも寝室のほうに姿が見えなかったので降りてきたのだが―――そうか、今日からマリア王女がいらっしゃるのだったな。すまない、邪魔をした。上で待たせてもらおう」
あっさりとした一言を述べて、アウラは通路の奥に姿を消してしまった。
玄関ホールに取り残された者たちの間に、実に気まずい空気が流れた。
「……いま、寝室って言いましたよ」
「と言うか、何処から入ってきたのよ。―――しかも、口ぶりから言って常習犯よね」
ボソボソと意見を交換するリチアとワウアンリー。顔は興味津々なそれだった。
「何でこのタイミングで来るかな……」
無論、ここにリチアが居る理由とほぼ同様であろうことは理解しているが、タイミング的に何かの運命的な悪意を感じない訳にはいかない状況だった。
そして、もう諦めたという口調でアウラが消えた連結口を眺めながら呟くアマギリの背後で、空恐ろしい気配が満ちる。
振り返る。振り返った後で、アマギリは後悔した。
―――別に俯いている訳でもないのに、前髪に隠れて表情が見えない妹の姿があった。
何故か光源が下にあるようにすら思える迫力のある影のつき方である。
「―――ユキネ?」
「はい、マリア様」
尋ねる姫。応じる従者。
従者の方は、微妙に表情が引き攣っていた。流石に怖いらしい。
「どう言う事でしょう?」
「……主家の方のプライベートには、例え多少思うところがあったとしても、口を挟めないかな、と」
つまり、不定期に現れる夜間の来訪者の存在自体は把握していましたと、そういう事である。
元従者の裏切り(?)にアマギリが慌てて付け加えた。
「いや、待て。その口振りだと僕とあの人がナニかしてるみたいじゃないか!」
「お兄様は黙ってなさい」
「―――ハイ」
一撃で切り捨てられる、どうしようもなく家では肩身の狭い兄だった。
「さてユキネ。私の聞きたい事はそう多くはありません。主家の名誉を守ろうとする貴女の忠誠を嬉しくは思いますが、今は真実を述べる事こそがそれを果たす一助になると知りなさい。そう言う訳なので―――知っている事を全部話しなさいな」
「初めと最後で言っている事違っているじゃないか!」
「男が細かい事言ってるんじゃないわよ。ユキネ先輩。私も友人として上司として、この節操なしの素行については常に気に掛かっていたのですが―――」
「アンタも自重しろよ!!」
「えっと、一番初めにアウラ王女がいらしたのは―――」
「冷静な顔で始めないでくれ!!」
追求、突っ込み、追及、突っ込み、説明、突っ込み―――夜も遅いと言うのに騒がしい限りである。
その様子を静かに見守っていた老執事は、少しの嘆息をした後でそっとその場を離れた。
新たな主人を迎えての新たな仕事場。
きっと今後何度も、このような騒がしい毎日が続くのだろう。
老人は、僅かに口元を緩ませた後、せめて同性である自分くらいは、この場の唯一の男である少年の味方をしてやろうと思い、話の流れを断ち切る一助を呼ぶべく、客人に紅茶を振舞うように使用人たちに差配した。
追求は未だ続き、少年の悲鳴は消える事は無い。
そも、何故彼等、彼女等が自分たちがこの場に集ったのかを思い出すのは―――まだ少し時間が掛かりそうだった。
※ 流石にラピスまで配置するのは無理でした。
しかし、流れるに任せて書いてみたけど、想像以上にカオスになったような。