・Scene 32―1・
小型の浮遊式の台座に乗せられて、物言わぬ鋼の骸―――聖機神が闘技場へと運ばれてくる。
闘技場の一角、一段高い位置にある石舞台の上で、それを設置する責任者として作業を見守っていたリチア・ポ・チーナは小さく嘆息する。
「何とか間に合いましたね」
傍らに寄り添った従者―――今年度から聖地学院に入学する事になったので黒い制服姿だったラピスが、ほっとしたように息を吐きながら言う言葉に、リチアも微苦笑を浮かべて応じた。
「そうね。アレを積んでいたラシャラ・アースのスワンが襲われたって聞いた時はどうなる事かと思ったけど、コレで無事に明日の叙任式は―――あぁ?」
「ど、どうしたんですかリチア様?」
言葉の最後にドスを聞かせるような音を響かせたリチアに、ラピスが一歩たじろいた。
闘技場の最奥に設けられた舞台の上まで上がった聖機人を仰ぎ見るように見ていたリチアの目線が細く極まっている。
その視線は、聖機神そのものではなく、その足元辺りに固定されていた。
台座が所定の場所で停止して、ゆっくりと周囲のエナを振動させながら降着してくる。
リチアは固定作業のための作業員が囲む聖機神に、足早に近づいていった。
「何でアンタが聖機人と一緒に居るのよ、アマギリ・ナナダン」
「やぁ、リチア先輩。お疲れ様です」
台座の上で現場監督のように回りの作業員達に指示をしていたつなぎ姿の少年―――アマギリが、近づいてきたリチアに綺麗な笑顔で話しかける。リチアの額に青筋が浮かんだ事にラピスは気付いた。
「やぁ、じゃないわよ。昨日屋敷に連絡を入れても出ない、朝呼び出しを遣わせても不在、と思ったらアンタそんな格好で何やってんの」
早口で一気にまくし立てるリチアに、アマギリは肩を竦めて薄く笑った。
「そりゃあ、アレですよ。生徒会長閣下が聖機神が届くかどうか心配してたって話をスワンからの搬出作業中に聞いてたんで、良き後輩として先輩のご心配を取り除くために、ね」
「何でアンタがスワンから聖機神を搬出するのに立ち会ってんのよ!! あんた、まさか昨日留守にしていたのって、行ってたんじゃ無いでしょうね、スワンに」
「はは、外出許可も取ってないのにそんなの出来る訳無いじゃないですか」
「でも今……搬出作業中って、アマギリ様、仰ってましたよね」
二人の言い合いをそばで聞いて、ラピスが苦笑交じりに呟いた。
そんなラピスに優しく―――ラピスにだけ、不必要に優しげに笑いかけながら、アマギリは応じた。
「それはホラ、ウチの気の利かない従者が迷惑を掛けてないか心配でね。様子を見に行っていたって言う事にすれば誤魔化せるじゃない」
「誤魔化すって自分で言ってますよ殿下……」
降着した台座の除去作業を監督していたワウアンリーが、頬を引き攣らせて突っ込みを入れてくる。
「そう言う所が気の利かない従者だよなぁ」
「何でそこで自分が反省しないのにあたしが怒られるんですか!?」
「そのための従者じゃないか。主のために泥を被るとかが主な仕事だろ?」
「違いますよ!! って言うかユキネさんにはもっと優しくしてたじゃないですか!!」
唐突に周りの目を気にせずに始まった凸凹コンビの漫才に、リチアは深々とため息を吐いた。隣に居るラピスに聞こえるように投げやりに呟く。
「仲が良くて良いわよね、こいつ等……」
そういう意味で言えば、アマギリとリチアも充分仲が良く見えるんだけどなとは、ラピスは思っても口にする事はなかった。
実に気が利く従者だった。
「で、アンタは本当にスワンに火事場泥棒しに行ってた訳ね。―――それとも、襲った側?」
聖機神の固定作業がひと段落つき明日の式典用の飾り付け作業が始まる頃、リチアは面倒くさそうにアマギリに尋ねた。相変わらずのつなぎ姿で、その平凡な顔立ちを加えるとそこら辺の使用人にしか見えないアマギリは、さて、と首を捻りながら応じた。
「メリットが無いのにそんな暇な事はしないかなぁ」
「……メリットが有れば襲うんですね」
その時は自分も巻き込まれるんだろうなーと、視線を遠い所に逸らしたままワウアンリーが呟いた。アマギリは無視した。
「じゃあ、何のメリットがあって火事場泥棒になんて行ったのよ」
「火事場泥棒で固定なんですね……」
ラピスが冷や汗混じりに呟いた。リチアは聞かなかったことにした。
「まぁ、何ですかね。建前としては愛すべき従者の保護とかそんな感じで」
「言った!今建前って言いましたよ!! しかも実際、思いっきり腹黒い私用でしたよね! 病人居る前で物騒な言い争いはじめるし!!」
立ち上がって指を突きつけオーバーアクションでがなりたてるワウアンリーに、冷たい視線と共にアマギリは笑いかけた。
「あんなの言い争いには含まれないって。ちょっと小粋にウィットに飛んだ軽妙な掛け合いだっただけじゃないか」
「棒読みで言ってる辺り、確信犯よね」
「もうすっごかったんですから。場の空気最悪、一触即発って感じで。剣士が助かって良かったー!! って爽やかに負われそうな空気が、台無しでしたもの」
冷めた表情で突っ込むリチアに、ワウアンリーはええ、ええと何度も頷きながら応じる。
「ケンシ?」
ラピスは聞き慣れない言葉に首をかしげた。アマギリが薄く笑いながら遠くを指差して応じた。
「あれだよ」
「あれ?」
指を指した方向、全員が注目する先。
円形の闘技場を囲う雛壇上にせりあがった観客席の最上段の縁の辺りに、三人の人影があった。
「あれ、ラシャラ・アースよね。施設の見学かしら?」
「あ、ホントだ。アレですよリチア様。あの隣に居る男の子」
眦を寄せてピントを合わせるように遠くに居る人影を見ていたリチアに、ワウアンリーが言う。
リチアが、ああ、と頷いた。
「あのペットの子犬みたいなヤツがどうしたのよ」
「不敬ですよ、先輩」
見たままの率直な感想を述べるリチアに、何故かアマギリが棘の混じった言葉で口を挟んだ。
「なんでよ?」
「……何ででしょうね?」
首に皮製のベルトのようなリングを巻いている事から使用人待遇の従者である事は間違いない。
アマギリ自身も、自分が何故そんな風に言ったのか不思議だった。
「何訳の解らない事言ってるのよ。―――まぁ、良いわ。あの小動物がつまり、ケンシって名前なのよね。男の従者なんて珍しいけど、それがどうかしたの?」
「それはそうなんですけど……えっと」
微妙になった空気を払うように尋ねたリチアに、ワウアンリーはどう答えたものかと慌てる。助けを求めるようにアマギリに視線を振ると、彼は淡々と答えを口にした。
「今の所はどうもって感じですけど」
「何よ、ソレ。アンタが含みを持たせた物言いをするときって、大抵碌でもないことが起きる前兆だと思うんだけど」
「うわー、絶望的な信頼関係……」
容赦の無いリチアの言葉に、ワウアンリーが頬を引き攣らせるが、当の本人達にとって精々この程度では、ちょっと小粋にウィットに飛んだ軽妙な掛け合いに過ぎないらしい。言った側も言われた側も平然としたものだった。
「早い話が、近日中に二年前の僕みたいな立場になるんじゃないですか、ね」
アマギリは何て事の無い風に口の端をゆがめながらそう応じた。
「二年前の、アンタ……」
その言葉に、リチアは二年前の今頃―――アマギリ・ナナダンが聖地に現れた頃の事を思い出す。
二年前。
聖地へ向かう航路の途上で聖機人の襲撃を受けるが聖地に報告を行わなかった。
編入初日にクラスの男子と言い争って打ち負かす。
剣戟の訓練中に傷害事件になりかける事故に巻き込まれる。自力で回避成功。事後調査を自分で受け持ち自分で勝手に打ち切る。
生徒会主催のイベントで遭難―――と思ったら捜索隊の船を狙い威嚇射撃。
聖機人に乗って捜索隊の前に姿を現す―――と思ったらその聖機人が爆散。
確実に死んだと誰もが思ったのに、平然と生き残った。しかも無傷。オマケに正体不明の発光現象まで発生。
「―――思えば、初めから今と変わらず可愛げのない後輩だったわね、アンタも」
当時の有様を思い出して眉をしかめるリチアに、アマギリも皮肉気に笑って応じた。
「先輩も、初対面から無駄に高圧的で態度でかかったですよね」
「アンタには負けるわよ」
「いえいえ、僕如きでは先輩には適いません」
「あの、周りの人がビビってるんですけど……」
フフフ、と暗い笑みを浮かべてにらみ合うリチアとアマギリに、恐る恐るワウアンリーが言葉を掛ける。
どうやら休憩中だったらしい作業員達は揃ってドン引きだった。
リチアが髪を払うように顔を上げて、言った。頬が微妙に赤い。人目が合ったということを忘れていたらしい。
「ようするに、何? あの小動物を中心に、あの頃の馬鹿騒ぎがまた起こるって訳? 勘弁しなさいよ」
「もう遅いですよ、始まっちゃってるんですから」
嫌だ嫌だと首を振るリチアに、アマギリは薄い笑みを顔に貼り付けたままで応じた。
「今年一年は、きっと去年の平和が涙が出るくらいありがたいと思えるくらい、騒がしくなると思いますよ」
「剣士だけじゃなくて、マリア様とラシャラ様もいらっしゃいますもんねー」
ワウアンリーが苦笑混じりに言う言葉に、リチアは溜め息を吐いて続く。
「コイツと、ダグマイア・メストもね。―――そういえば、昨日ダグマイアと連絡が付かなかったのも、もしかしてその辺の事情じゃないでしょうね」
リチアが眦を寄せながら問いかける言葉に、アマギリはさて、と笑って肩を竦めた。
その態度が肯定であると受け取って、リチアは今日一番の大きなため息を吐いた。
「学院はどうしても内に篭りがちで閉鎖的な環境だし、多少の刺激だったら目を瞑りたい所だけど……」
そう言った後で、もう居なくなってしまったラシャラたちの居た場所へと視線を送るリチアに、アマギリも続く。
「多少で済めば、良いですけどね」
その他人事のような言葉を、リチアは遣る瀬無い呆れ顔で切り捨てた。
「アンタが言うな」
※ まだ、小動物。野生的な部分はまだ見てないのです。