・Scene 31-3・
つまるところ最初の段階で躓いたのだと、彼は心のどこかで理解していた。
だが常からの事だったが、理解できていたからといって納得できている訳ではないのが、彼―――ダグマイア・メストの性質と言うものだった。
情勢は最悪、そう言う他無い。
勝手判断で飛び出して、あまつさえ一度失態を演じてしまったのだから、二度目の今、こうしてまた失敗を迎えそうな状況に追い込まれてしまえば、ダグマイアの脳裏に蠢くのは焦燥の二文字だけだ。
何が悪かった?
成功すると判断した作戦が失敗したのは、何が悪かったせいだ?
何故今更、キャイア・フランと件を打ち合わせる必要性が出てきた?
貴重な特殊任務用の聖機人が次々と討ち取られていくのは何故だ?
父の叱責―――否、明確な侮蔑の視線を浴びねばならなかったのは何故だ?
自分が―――否。
「叔父上が、使えない手駒など用意するから……っ!」
素性を隠す仮面の向こうで、ダグマイアは呻くように呟いた。
そうとも、確実に成功させられるような作戦すらまともに行う事の出来ない役立たずの手駒。
あんなものを押し付けられてしまえば、仕方が無い。仕方が無いとも―――今、自分が追い詰められている事も、仕方が無い。
全て、あの野蛮な異世界人が悪い。
ロデトロシアンが発病していたから、今頃はもうくたばっているだろうか。
だとしたら、いい気味だ。
叔父の内通によって、スワンのラシャラ・アースはご苦労な事に戦力を分断してまで、あの異世界人を治療するための薬草の確保に向かっている。
そちらには人形を向かわせた。
例え警備隊のダークエルフと言えども、あの殺戮人形には適うまい。
今頃は既に、シュリフォンの王女の命は尽きている筈だ。
その割りに、人形の帰還が遅い。そう、遅いのだ。
命令を果たしたならばすぐさまこちらの援護を行って然るべきだと言うのに、何時までたってもその気配が無い。
まったく、ふざけた話だ。
そんな事も出来ないから、また追い詰められる事になったのだ。
そう、今のこの状況は―――三機の聖機人で一機の聖機人を攻めたと言うのに、既に二機を落とされたと言う今の状況は―――その程度の自己判断もできないあの人形のせいだ。
ふざけた話だ。
このダグマイア・メストが確実に成功する作戦を考案していると言うのに、どいつもこいつも足を引っ張ってばかり。
そう、ダグマイア・メストは最善を尽くしている。
それゆえに、ラシャラの護衛聖機師キャイア・フランを追い詰める事が出来た。止めを指す事だって容易かった。
積年の―――最早、それがどんな感情であるかも解らない位、泥濘のように濁って積み重なってきた感情を爆発させる絶好の機会を手に入れる事が出来たのだ。
しかし、確実に果たされる筈だったその想いが、ここに来て暗雲が漂い始めている事に彼は気付いていた。
何故だ。
張りぼてを積み上げたようなガラクタ重機の大砲で吹き飛ばされるような情け無い部下が居たせいか。
否、父から預かっている手駒は優秀―――本来なら、父が主導する本命の作戦に参加する手はずとなっているほどの、腕利きだった。
それを無能と罵る事は、それを与えた父、ババルン・メストの事を―――否、否、否。
―――そうとも、結界工房のワウアンリー・シュメ、その存在を報せる事が無かった内通者である叔父の責任だ。
そうに、違いない。そうであるべきだ。
まったく持って忌々しい。
聖機師同士の戦いにあんなガラクタの鉄屑で割り込んでくるとは。
まるで、一機を囲んで多数でなぶり殺しを仕掛ける不逞のやからのような浅ましいやり方だ。
あの、素性も知れぬ不貞のやから、アマギリ・ナナダンの従者なだけある。
「アマギリ・ナナダン……」
その名前を思い出して、ダグマイアは焦燥の中に更に眉間の皺を深まらせた。
アマギリ・ナナダン。ハヴォニワの王子。忌むべき相手だ。抹殺すべき、排除すべき。
あの男が存在しているせいで、聖地学院の意志の弱い者達が惑っている。
まるでダグマイアとアマギリを天秤に掛けるかのような目で、態度を決めかねているのだ。
本来であればとっくの昔に掌握できていた筈の者達が、未だにダグマイアに靡いてこない。
由々しき事態。父の不況を買ってしまいそうな、由々しき事態だ。
忌々しい。
キャイアよりも先に、ワウアンリーを始末するべきか。そうするべきだ。そうしてしまえ。
従者を討ち取られたヤツの絶望に染まる顔―――。
”次は無い”。
ぞくりと背筋があわ立つ、その言葉が脳裏を過ぎる。
恐怖に、操縦桿を握り締めた掌が汗でじっとりと滲む。
まるで、踊り狂うように戦場を蠢き、敵を粉砕する龍の機影。
その姿を、恐怖と共に思い出す。
忘れろ。出なければ―――忘れなければ。今は、アマギリ・ナナダンなどどうでも良い。歯牙にもかけてはいけない。
そう、あのくだらない俗人などダグマイア・メストが意識を傾ける必要は無い。
そうとも、わざわざ自身が手を打つまでも無く―――だれかに、やらせてしまえば。
思考に逃げ道を見つけ、ダグマイアは意識を切り替える。
戦場となっているスワンの上層庭園部をを空中にとどめた聖機人から睥睨する。
格座したキャイアの聖機人と、元々ガラクタだったものがほぼスクラップになりかかったワウアンリーの乗機。
たいしてダグマイアの戦力は―――既に、自身の一機のみ。
援軍は来ない、配下は既に後退。
それでも、普通に考えれば優位な状況で、ダグマイアは取り残された一人故の恐怖を押し隠して、笑みを顔面に貼り付ける事すら可能だった。
一撃。
斬撃の一つも加えてやれば、それで全てが終わる。
後は悠々と、ラシャラ・アースを殺すだけだ。
だから、まずはキャイア・フランに止めをささねば。
常に自分の先を行く、あの幼馴染の少女を永久に視界から遠ざけるために。
自身こそがと証明するために。証明するために、不可能は無いと、つかめるのだと、だからこんな所で留まっている事は出来ない。
さあ、だから早く。
震える手をしっかりと握り直して、攻撃の意思を聖機人に伝えるのだ。でないと、思考伝達方式を採用している聖機人は、動いてくれない―――動いて、くれないのだから。
そうして、ダグマイア・メストは何時ものように。
他の全ての不安要素を心から押し流して、成功だけをイメージして、ただその一点だけを睨みつけて突き進もうとして―――。
―――だから、何時ものように。
「接近警報!? この速度は―――っ!」
それは当然のように、彼が見落としていた方向からの、横槍が入ったのだ。
夜の暗闇、空の向こう。森の上を滑るように接近してくる骨組みだけの船の姿。
予想し得ない速度で飛翔するその船が牽引しているものは、見間違いようも無い、待機状態の聖機人―――コクーンである。
誰だ。何処の人間だ。望遠カメラが接近してくる機影を拡大して映し出し―――その疑問は直ぐに解消された。
「ハヴォニワの紋章だと!?」
機首に堂々と、隠す必要も無く刻まれた、ハヴォニワの紋章。見ればコクーンの内にある聖機人の素体にまで刻まれているから―――正体を推測するのは、容易い。
事実、操縦席と思われるキャノピーの硝子越しに、見覚えのある男の姿が見えたのだから。
「アマギリ・ナナダン!!」
―――だから言ったじゃないか。”次は無い”って。
そんな言葉を聞いた覚えは、ダグマイアには無い。
だと言うのに、今まさに耳元で囁かれたかのように、ダグマイアの耳朶をその言葉が撫でた。
グイと、正面から加重がかかった事にダグマイアは気付いた。
何事かと思う間もなく、眼下にあったスワンの庭園が遠ざかっていく。
遠ざかって―――否、遠ざかっているのは、自身の操る聖機人。思考伝達により自在に動く聖機人が、この場所から離れるように、機体を飛翔させていたのだ。
「―――ドールめ、しくじったな!」
そんな言葉が、気付けば口から洩れていた。
そしてその後でダグマイアは、高速でスワンへと接近してくる船の後方に、緑色の聖機人の姿がある事に気が付いた。
それは正しく、人形に襲撃させた筈のアウラ・シュリフォンの聖機人だった。
そう、人形は失敗したのだ。
それゆえに、敵に増援が現れたのだ。
ダグマイアの戦力は、もう一人しか居ないのだ。
だから―――仕方が無い。
部下の無能故に、止むを得ず、望まぬ撤退を、ダグマイアは強いられているのだから。
ああまったく、忌々しい。
部下の無能、叔父の不義理、不快な男の横槍も。何もかもが忌々しい。
こんなにも努力して、確実に成功できる作戦を立てたというのに。
何時も何時も、最高の場面で最悪の邪魔が入る。それゆえに、望まぬ徹底を強いられるのだ。
遠ざかるスワン。逃した獲物。確実だった筈の栄光。待ち受ける叱責。屈辱。
「役立たずどもめ……っ!」
罵るように、吐き捨てるように。
―――確かな安堵を秘めて、その言葉は洩れ響いた。
※ 「今日のところはこれで勘弁してやるぜ!!」とか誰も聞いてないのに言ってる感じで。