・Scene 31-2・
妙な事になったなと、アウラは夜の森の中、聖機人を飛翔させながら嘆息した。
警備隊の一員として聖地周辺を回遊していた途上に受け取った緊急信号。
発信源はシトレイユ新国王ラシャラ・アースの座乗艦スワン。聖地学院へと入学するために聖地へと進路を取っている途上であった。
その最中、何者かによる聖機人を用いた襲撃を受けたとの連絡だ。
その襲撃自体は退けたと聞いていたので、通常速度で警備艇をスワンに向けていたのだが、その途中に今度はアウラ達が所属不明の飛行艦艇の存在を発見してしまう。
偵察を兼ねて自ら聖機人に乗り込み出撃したアウラは―――何故かその所属不明艦の乗員、即ちラシャラ・アースの乗るスワンを襲った者達の一員と思しき少年を救助してしまった。
救助、である。確保ではない。
その少年は自ら生身で所属不明艦から身を投げ出していたから、傍まで接近していたアウラは、咄嗟の判断で聖機人でその少年を保護してしまった。
そして、状況整理も兼ねて救助した少年ともどもスワンを訪れて―――その結果が、現在の状況である。
保護した少年は致死性の高い風土病が発症していた。
ロデトレシアンと呼ばれるそれは、人間の持つ抗エナ作用の過剰反応から来る呼吸不全、果ては心機能の不全に至る危険もある病だ。
少年は病状は既に末期手前まで来ており、手遅れとなる前に治療を施す必要があった。
故に、その特効薬の原料となるトリアムと言う植物が、必要となったのだ。トリアムは深い森、水辺に近いところに群生している。
アウラはトリアムを探すために、同じくスワンを訪れていた聖地学院教師メザイア・フランと共に捜索に出たのだ。
そしてメザイアと二手に別れ、アウラはこうして森の中に点在する小さな池の一つを目指している。
「この辺りに群生があったはず……」
木々の合間を潜り抜け小さな泉の前へと出たアウラは、聖機人を停止させて周囲の様子を伺う。
森の狭間にある静かな、透き通るような泉。
天上に輝く満月に照らされて、さながら光り輝く舞台のように見える。
だが、その美しさに囚われている暇は、今は無い。アウラは素早く、しかし見落としが無いように慎重に、泉の周囲をつぶさに観察していく。
―――。
ザワリとも、音すらさせず。
それに気づく事が出来たのは、アウラが一流のいくさ人であったが故か。それとも、ダークエルフの超常的な直観力ゆえか。
それとも、その一瞬に漏れ出した、まごう事なき明確な殺意によるものか。
全身の神経があわ立ち、握り締めた聖機人の操縦桿に、培われ鍛え上げた回避の動作を実行させていた。
急反転、同時に最大速度で背面飛行。波紋を浮かべながら泉の中心まで引き下がる。
アウラを襲ったもの。
それは、触れるものに抗いようも無い死を与えるであろう、巨大で、醜悪な意匠を持った大鎌による一閃だった。
「何者だ! ―――っ!?」
敵襲。回避から敵影の認識までにそう判断する猶予は充分にあった。
だが、襲い掛かってきた敵の聖機人の姿を目にしたアウラは驚愕せざるを得なかった。
『良く避けたわねぇ』
起動中の亜法結界炉同士が干渉する事によって起こる局地的な全方向通信が、その嘲るような言葉を伝えてくる。
女の声。聞くからに、歳若い。聞き覚えなど、アウラにあるはずが無い。
夜よりも深い闇が形を持ったかのような、悪魔のような禍々しい姿。
「黒い、聖機人……?」
正当なる手順を踏んで聖機師となったものは、その顕現する聖機人の意匠から属性に至るまで全てを教会に登録されている。
そのデータは金銭的なやり取りを介して閲覧が可能であり、そも、各国に配備される聖機人にはその情報が登録されている。対峙するものが何者で、いかなる組織に所属しているか、直ぐに解るようになっているのだ。
無論、ある手順を踏めば聖機人の外観程度は偽装する事が出来る。だが、その方法を使って外観を偽装すると、”その方法を使って偽装している”と言う事実だけは直ぐに判明してしまう。
故に目の前の聖機人が偽装行為を行っているのならばアウラには一目でわかる筈である。
だが、その兆候は見られない。目の前の聖機人の正体が、アウラには解らない。
全く見たことも無い、感じた事の無い強烈な亜法波を発している黒い聖機人が目の前に確かに存在していた。
そしてそれは、殺意をむき出しにして、アウラに襲い掛かってきたのだ。
「早いっ!!」
黒い聖機人は鎌を流しもったまま突撃を仕掛けてきた。
突撃の速度に載せて鎌を持たぬ開いた左手を、その鉤爪の様な掌を一杯に広げ、アウラの緑色の聖機人に叩きつけてくる。
「―――ぐぅっ!?」
鈍い音、軋む金属の呻きに合わせて、凄まじい振動がコア内部のアウラを揺らす。
『アッハハハハハハッ!!』
うめき声を漏らすアウラを嘲笑うかのような、甲高い笑い声が泉の中心で響き渡る。
黒い聖機人はその手でアウラの聖機人の頭を掴み上げ、あろう事かそのまま腕力に任せてアウラの聖機人を泉の向こうにある巨木へ向かって投げつけた。
姿勢制御の間に合わない凄まじい圧力。アウラは、その緑色の聖機人はなす術も無く巨木の幹に背を打ちつけた。痛みが熱すらを持ってアウラの背中を襲う。
シートからずり落ちそうになる体を、握り締める操縦桿を支えにして持ち上げて、アウラは正面を睨む。
泉の中心で、鎌を振り上げる黒い聖機人。ボロボロの黒い外套のような装甲が、亜法波に揺れて怪しく揺らめく。
それは間違いなくアウラを死へと誘う死神の姿にしか見えなかった。
黒い聖機人が、身を前傾に傾ける。
来る。そうと思った瞬間には敵は既に眼前へとあった。
無様な横転による回避。
間に合うか―――!?
死すらも覚悟した、アウラの咄嗟の判断。振り下ろされる鎌の速度。それよりもほんのわずかばかり、アウラの行動速度が勝った。
ギィンッ、と。劈くような音が衝撃すらを秘めて泉のほとりの雑草を巻き上げる。
回転しながら跳ね飛ばされる、ほんの数瞬前までは確かにアウラの聖機人と共にあった鋼の腕。
片腕を犠牲にして、アウラは何とか窮地を脱した。
泉の対岸へと距離を取るアウラ。それを獲物を追いかける猟犬のように追いかけ機体を翻す黒い聖機人。
そして漸く、大木が切り倒された自らを認識し、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
重い振動音は、アウラの聖機人が装備していたボーガンより放たれたエナの光弾の連射音にかき消された。
牽制にもならぬとは承知しながらも、まずは状況を好転させるためにもアウラは引き金を引いていた。
黒い聖機人は、幾つもの光の筋を或いは避け、或いは手にした鎌で弾き飛ばしながら、アウラ目掛けてその身を前進させる。
その速度は、先ほどまでの突撃の時となんら代わりは無い。
拙い。
牽制などするまでもなく、場を離脱するべきだった。
アウラがそう気づいた時には、全てが最早致命的な状況だった。
突撃の速度に載せて横凪に振り払われた大鎌。今度こそ、アウラに回避する術は無い。
アウラには、その一撃を回避する事は不可能だ。
故に響き渡る死神の笑い声に怖気を覚えながら、アウラは鈍いきらめきを放つその刃に体を差し出さなければならない。
―――それを、許さないという意思が介在しない限りは。
ゴォンッ!!
『なにっ!?』
「―――っ!!」
打ち合わされた銅鑼の音の如く。
それは泉に飛沫を撒き散らしながらかき鳴らされた。
鎌首がアウラの聖機人のコアに叩きつけられる、その間隙。差し込まれたのは果たして。
装飾の一つも無く、実用性以外の何一つも必要ないと宣言するかの如き無骨さの、聖機人の身の丈すらも越える長大な槍だった。
槍は垂直に、鎌とアウラの聖機人の間に突き立てられている。
『お前は―――?』
それに何の意味があろうか。
突き立った長槍の石突に爪先を立てて、小豆色の聖機人が腕を組んで争いあう黒と緑色の聖機人を睥睨していた。
無形の威圧感―――と言うよりは、行動の不条理さに、黒い聖機人の聖機師が言葉を漏らしてしまうのも無理は無かった。アウラにも、いまいち状況が理解できていない。
小豆色の、特徴の無い聖機人。尻尾は生えているから、それなりに優秀な聖機師が操っているのだろう。
見覚えは―――何処かで一度、見かけたような気がする。否、そう感じる。視覚からの理解ではなく、肌で感じる特徴的な亜法波によって、アウラはそう理解した。
そう、この亜法波は―――。
『黒、か。まぁ、禍々しさでは僕もたいして変わらないか』
男の声。聖機人のぶつかり合う戦場に、男の声が介在すること事態が異質。
しかしその男の声は、異質であるが故にそこに存在するのが当然と感じさせるような男のものに聞こえた。
「お前、まさか―――!?」
驚愕しながらも、それ以外の答えは無いなとアウラ自身も気付いていた。非常識の場が似合う男の聖機人など、アウラは一人しか知らないのだから。
些か聖機人の外観が何時もと違うような気がするが、それこそ、外観を偽装しているのだろう。行動自体が本人の証明のようなものだから、まるで偽装の意味を果たしていないのが、いっそのことその男らしかった。
「アマ―――」
『ワタシはダグマイア・メストであるっ!!』
「―――は?」
『―――は?』
ここが戦場。死の一歩手前に居た事も忘れて、アウラは目を丸くして声を漏らしてしまった。
どう考えてもアマギリ・ナナダンが乗っているとしか思えない小豆色の聖機人の搭乗者が、アマギリ・ナナダンの声でダグマイア・メストだと名乗った。
意味が解らない。
一つだけ確実にアウラが理解できた事は、この男がアマギリ・ナナダン以外の何者ではないという事実だった。
だからと言って状況が解決する訳も無いが。
だが、自称ダグマイアはアウラの混乱を解決する気はまるで無いらしく、偉そうに腕を組んだまま黒い聖機人に向かって声を張り上げ続ける。
『作戦は既に終了した!! 戦闘を終了し速やかに撤収しろ!!』
「……んん?」
お前は何を言っているんだと突っ込んだ方が良いのだろうか。
戦闘の熱が消え去り微妙に空虚に感じるようになった空気が、アウラには痛かった。
そもそも、何故ダグマイア・メストの名前が出てくるのか―――そう、疑問に感じたのは、しかしアウラだけだ。
ギッ、と。不快な金属の軋む音が、槍と鎌との間で唸る。
『お前が―――』
苛立ちの混じる、黒い聖機人の搭乗者の声に、アウラの神経が引き締まる。
間断も無く、操縦桿に回避の思念を伝える―――それは、今度は間に合った。
『ダグマイアの訳があるか―――ッッ!!』
怒号一閃。後方に跳躍して逃れるアウラ。
槍ごと圧し折ろうとばかりに放たれた力任せの斬撃。アマギリは力の流れに逆らわず、起用に聖機人の脚を使って石突を倒し、それを持って槍を半回転させて機体の前に跳ね上げる。
両手で掴み、垂直一回転。構えなど一つも用意せず、そのまま機体の重量を載せて鎌を振り払って無防備な体勢になった黒い聖機人に刺突を放つ。
『っ! ―――調子に、乗るな!!』
しかし、上空からの刺突を黒い聖機人は上半身だけを捻って回避する。その捻りの動作と共に手首を返して、斜め上方、アマギリ目掛けて大鎌を振り上げる。
しかしアマギリは地に突き落とした槍を撓ませ、聖機人で棒高跳びでもするが如き動作で反動をつけて大鎌の刃圏から逃れてみせる。飛びず去るその一瞬でしっかりと槍を回収している様は最早曲芸とも言うべき技だ。
『このっ、猿か何かかお前は!』
黒い聖機人から明確な怒りの篭った声が響く。
しかし、森の合間に着地した体勢のアマギリの聖機人は余裕の態度そのものだ。槍を肩に担いで、巨木に背を預けてみせる。
『生憎、動物では蛇に例えられる。その辺り、ダグマイア・メストから聞いているんじゃないの?』
『何? ―――そうか、お前』
怒りを薄れさせ驚愕に揺れる黒い聖機人の声に、アウラは先ほどの訳の解らないアマギリの言葉の意味を理解した。つまりは、そう。それがアマギリがこの場に居るという理由でもあるのだろうと言うことも。
この男は、恐らく下手人の首魁がダグマイア・メストだとほぼ確信していて―――先の戯言を通して、それを確信したのだ。
「……相変わらず、悪辣な事だ」
ぼやくように、アウラは呟いてしまった。
そして同時に、こうも思う。
下手人の正体がダグマイア・メスト―――メスト家の人間であるなら、この事件はシトレイユ皇国の内乱に他ならない。そうであるなら、他国の―――シュリフォンの人間であるアウラには、個人的な感情は差し置いて、迂闊に介入する訳には行かない。
尤も、何を思ったか向こうから突っかかってきたのだから、最早引き下がる訳にも行かないが。
この事態を収め、保護した少年を救い、絶対に詳しい事情を聞く必要があるだろう。個人としての人道的な思いと共に、シュリフォンの王女として公的な面から見ても、外交上の強い道具になるであろう情報の入手は必須といえた。
とにかく今は、味方―――おそらく、きっと、多分、確証は無いのだが―――のアマギリと共に、この場を退ける事が先決。
『―――そうか、お前がハヴォニワの龍か』
黒い聖機人の搭乗者は、納得したように言葉を漏らした。
そして何を思ったか、アマギリに向かって構えていた大鎌を下げた。
「なに?」
ふわりと、黒い聖機人が重力に逆らって浮遊した。
『あ、おい!』
アウラとアマギリが戸惑ったように声を上げるのも聞かずに、黒い聖機人は木々よりも高い位置まで上昇を続けた。そして、ふっと体を翻して、森の中のアマギリを見下ろした。
『今の所お前に関わるつもりは無い。―――坊やに騒がれるのも面倒だしね』
―――言うが早い。黒い機体は身を翻して、闇夜の中へと消えて行った。
突撃の時にも見せた高速の機動。気勢を削がれて出遅れてしまったアウラたちには追いかけるのは難しいだろう。
「―――助かった、と言うほか無いのか」
アウラは片腕を切断された機体を制御して、泉のほとりに上がる。
『おっとり刀で駆けつけてみれば、何だか良く解らないんですけど―――僕はてっきり、スワンが落とされて森に逃げ込んだラシャラ皇女でも居るのかと思ってたんですが。何でアウラ王女が居るんです?』
映像回線を開いた私服姿のアマギリが、気だるげな顔で首を捻っていた。首にはやはりと言うべきか、聖機人を擬態させる属性付与クリスタルを掛けていた。
「それはこちらの台詞だよ。何故お前がこんな所に居るんだ」
『酷いなぁ、助けて差し上げたのに』
アウラは、状況を推察しているに違いないくせに惚けた顔をしているアマギリの態度に安堵を覚えてしまった。
「お前の事だから何となく理解しているのだろうが―――色々と事情が込み入ってしまってな。すまないが、私は少し降りる。トリアム草が必要でな」
『トリアム? それって確かアレですよね、天日で乾燥させて冬場の保存食になる。鮮度の高いうちに市場とかに持っていくと高値で売れたりして、昔は貴重な収入源だったような―――確か、何かの薬に使えるとか……誰か、病気の人間でも?』
相変わらず鋭い。そして無駄に知識が多い。
アウラは疑問と言うよりは確認を求めるアマギリには答えず、機体をコクーンに戻して泉のほとりに降り立とうとした。
『ちょっと待った』
「―――どうした」
アマギリがそれを、鋭い声で制止した。通信映像の中のアマギリが、視線を下に―――恐らく、レーダーに目を落としているのだろう、眉を顰めて続けた。
『何か近づいてくる。恐らく聖機人だけど―――あれ、でもこの亜法波って』
首を捻るアマギリの態度に疑問を覚えて、アウラもレーダーに表示される情報に視線を映した。そこに見えた数字に、なるほどと頷く。
「問題ない、メザイア先生だよ、それは」
『メザイア? メザイア・フランですか? ―――なんでこんな所に』
「それは、お前が言えた義理では無いだろう?」
首を捻るアマギリに笑い返して、アウラは機体を降りた。
トリアムの群生は、果たして、直ぐに見つかった。
「とりあえずは、これで―――」
一段落。
本当にそう言えるのか?
今、この場で何か解決した事が一つでもあるか?
トリアムは見つかった。
だが、少年が助かるかはまだ解らない。
敵から逃れる事は出来た。
だが、撃退した訳ではなく、その正体も解らない。
そもそも何故アマギリ・ナナダンがこの場に居る。
アマギリが述べた下手人の名を、どう判断すれば良いのかも未知数。
そして最悪の可能性ではあるが、アウラ自身が襲われたという事は、スワンも再度襲撃を受けている可能性もあるのだ。
早々にトリアムを回収し、メザイアに事情を説明し、スワンに引き返す必要があるだろう。
トリアムの回収に向かうアウラの視界の端に、アマギリの聖機人が警戒するように空に槍を構えるのが見えた。
「……アマギリ」
―――その聖機人はメザイアだと。アウラがしっかりとそう述べたのに、アマギリは警戒している。
意味の無い行動をしない男の、意味を理解できない行動。
胸に一抹の不安が過ぎる。その正体がつかめない事が、アウラには何よりの不安だった。
悩みに嵌れば行動に躊躇いが生まれる。それは避けたい事だと、アウラは首を振ったあとで、気分を入れ替えるべく夜空を見上げた。
漆黒の夜空。満天の月は未だ高い位置にある。
―――夜明けは、遠い。
※ 思えば聖機人が出てくるのがすっごい久しぶりな件。
まぁ、ある意味原作どおりと言えば……。
人形さんも漸くでてきたし、これでメインどころは出切ったって処でしょうか。