・Scene 30・
「んじゃ、戴冠式は何の問題も無く終わっちゃったんですね」
「アンタが居なきゃ、大抵のことが問題なく片付くって証明よね」
「僕の替わりに僕に良く似た僕の母がその場に居たと思うんですけどね」
「……まぁ、少し空気がぴりぴりしてた事は否定しないわ」
桜が芽吹く少し前。
放課後の生徒会長執務室で、最早そうであるのが当然かのように、アマギリとリチアの歯に衣着せぬ言葉の応酬が繰り広げられていた。
ラピスの入れたハーブティーのカップを片手に交わされる会話の議題は、先日行われた、シトレイユ皇国の新女皇の戴冠式についてである。
各国の王侯貴族が参列して行われた―――そうであるのだからつまり、この生徒会長室に集まった人間の殆どが、その場に参加していた。
リチア然り、アウラ然り、従者に過ぎないラピスも、リチアに付き従いシトレイユまで足を運んでいる。
出席しなかったのは、アマギリだけである。
「しかし、てっきりお前は出席すると思っていたのだがな。葬式の時は参列していただろうに」
「そういえばあの時はアウラ王女は居ませんでしたね。シュリフォン王陛下はいらっしゃいましたが。―――まぁ、葬式の時は母上の代理でしたし、今回は母上が直々にお出ましでしたしね。お呼びじゃないですよ、僕は」
アウラの素朴な疑問に、アマギリはなんて事は無いと応じる。実際言葉どおりの理由で、アマギリは戴冠式当日は聖地の屋敷でおとなしくしていた。
「だが、ワウアンリーの姿を向こうで見かけたぞ。お前の従者だろう、彼女」
「ああ、ワウね。でも結界工房の礼服着てたでしょ、あいつ。聖機神の管理名目ですよ。ユライト先生も一緒だったと思いますが」
「ええ、二人とも戴冠式にいらっしゃったわ。―――聖機神、戻ってくるのは来週よね。それまでワウアンリーも向こうに居るんでしょうし、アンタひょっとして、その日まで従者無し?」
「ユキネ先輩も卒業されてしまったからな」
アウラの言葉どおり、ユキネ・メアはほんの十日ほど前に、聖地学院を卒業している。今は正式な聖機師として、本来の主であるマリアの傍へと戻っている。
因みに今年の卒業式は例年より一週間ほど早かった。
理由は、シトレイユの戴冠式で聖機神を使用するから、運び出す前に卒業式を行う必要があったからだ。
「ま、ユキネは元々妹からの期限付きのレンタルでしたしね。それは仕方ないとして、まさか従者の予定に合わせて主人が振り回される必要も無いでしょう。ワウには精々、僕に恥を掻かせないように動いてくれれば良いですけど」
「むしろアンタがユキネさんに恥を掻かせないように大人しくしてなさいよ。ユキネさん、どうせマリア王女と一緒に一週間後には戻ってくるんでしょう?」
「―――それは、同感だな」
リチアの鋭い指摘にアウラが深々と頷いた。
「それにしてもアマギリ。何も起こらなかったのかと先に言っていたが、何か起こる事を想定していたのか?」
話しも一段落つき、リチアが執務机で作業を再開し、またアマギリが当たり前のように書棚から取り出したファイルを眺めだした辺りで、一人手持ち無沙汰となっていたアウラが思い出したように尋ねた。
アマギリはパラパラとファイルを流し読みしたままで応じた。
「ええ。あれだけ各国のお偉いさんが集まってるんですから、爆破テロの一つや二つ、起こっても仕方ないと思いますよ。中継で戴冠式の様子見てましたけど、警備の主目的が対聖機人戦を想定しているような動きですからね。こっそり爆発物を持ち込むのとか、結構簡単に出来そうでしたし」
戴冠式の様子を伝える中継の映像では、何機もの聖機人がローテーションで飛翔し、航空艦艇が回遊しながら周回警備に当たっていた。しかし、時折映る歓喜に揺れる市街地の様子を写す場面では、殆ど警備の姿が見えない。
「狙撃のしやすい屋外での戴冠とか、オープンカーに乗って市街をパレードとか、僕なら躊躇わずに撃ちますね」
「……やっぱ、アンタが居ないから平和のうちに終わったんじゃ無いの」
暗殺しやすそうでしたねとあっさり言い切るアマギリの言葉に、リチアが呻いた。その後、アウラが興味深そうな顔で頷きながら続いた。
「その辺り、異世界人と我々との認識の違いだろうな。”てろりずむ”……だったか? そう言った発想は我々には出来ない。確か、その言葉を伝えた異世界人が言うには”これだけ文明が発達していて未だに会戦主義とか有り得ない”との話しらしいが」
「ああ、その話し解るかもしれません。初期段階文明のそれも最初期の状態の割りにこの世界は技術が発達してますから。普通もっと、大量破壊兵器とか面制圧を主題とした作戦とか出てきても不思議じゃ無いのに、その辺の発明がまるでされて無いってのは、どうにも。聖機人みたいに個人単位の力量に頼りすぎる不便な兵器を使い続けているところとか、正直理解に苦しみますし」
「その、文明の発達が抑制されているのはお前らのせいだろ、みたいな事を言いたそうな目でこっちを見ないでくれる? 否定できないのが忌々しいから」
半ば世界を管理する立場にある教会の教皇の孫であるリチアが、額を押さえながら言った。
「確かに。これ以上この方向に話を続けると異端者として排斥される恐れもあるからな。―――大体そもそも、あの場で暗殺事件など起こしてもどの国にもメリットは無いだろう?」
「いや、そんな事は無いですよ。と言うか、誰にとってもメリットしか無いと思いますが」
「何?」
あっさりと言い切ったアマギリに、アウラは目を丸くした。
しかし、アマギリは何てことも無い風に話を続ける。
「大国として抑えの役割を果たしていたシトレイユが冬眠状態になってもう一年以上ですし、いい加減、何処の国も―――小国間だと特に、歯止めが利かない状況ですし。今なら”ちょっとした”きっかけが発生してくれれば、皆喜んで飛びつくと思いますよ」
調停役として小国に睨みを効かせていたシトレイユも、王不在で一年以上身動きが取れなかった。
その間に、元々問題を抱えていた国同士の関係は悪化の一途をたどっている。それこそ、何か一つでも事が起これば会戦になだれ込むような不安定な状況にまで。
「最悪、本当に参列者皆殺しってのは否定できなかったと思うんですよね。聖地隣接の三国が主導する国際情勢を打ち破り、自国を最大限躍進させる、何て考えてた人が居た場合、そいつはそれなりの賭けに出る必要もあったでしょうし。とにかく大国に混乱を引き起こして時間を稼いで、その間に広げられるだけ版図を広げる。―――そういう意味で、各国の重鎮がこぞって出席した戴冠式は、良いチャンスだったと思いますしね。味方ごとやっちゃえば、犯人の特定にも時間が掛かるじゃないですか」
大国の戴冠式で発生したテロ事件に端を発する、ジェミナー全土を巻き込んだ大戦。三国の威光により築かれていた偽りの平穏は打破され、新たな秩序を構築しなおすまで、その争乱は続く。何時までも、何時までも。
その容赦の無いデストピアのような未来にアウラは苦い顔を浮かべる。
悪趣味な妄想―――そうと切り捨てられるほど、実際に平穏な国際情勢では無いのだ。
「まぁ、あの宰相閣下がそんなヘマをする筈無いんだけどな……」
「何?」
「いえ、何も」
ぽそりと呟かれた言葉に瞬きするアウラに、アマギリは苦笑して肩を竦めた。
リチアもアウラも、アマギリの言葉を否定できない未来として受け取っていたようだが、それを告げたアマギリ自身は、そんな事は有り得ないと確信していた。
大国による抑えが利かなくなり、好き勝手に蠢き出した小国たち―――しかしそれらは、巧妙に管理された不安定だった。
内情悪化、国境紛争、利益対立。それら全て、偶発的に連鎖発生している事態の諸々を詳しく精査してみれば、何者かの意思の介入を透けてみる事が出来る。
暴発直前、そのギリギリの状態を維持するように、巧妙に立ち回っている者たちの姿があるのだ。
その正体を探っていけば―――自ずと、その姿は見えてくる。
ババルン・メスト。シトレイユ皇国宰相の地位にある男。
恐らくは自らの目的を満たすために、それを起こす日のために。
ただ、邪魔をされないように時間を稼ぐために。それだけの理由で世界を混乱させようとしているのだろう。
そうまでして、求める物は。
アマギリには全く想像ができなかった。戴冠式に出席し、ババルンと言葉を交わしたフローラにも、やはりわかりかねるものだったらしい。
なにかをするつもりは有る。それだけは確実。
通信機越しに言葉を交わしたフローラは、それだけをアマギリに伝えていた。
「それにしてもアンタ、自分の家族が死ぬかも知れなかったなんて話し、良く平気な顔で出来るわね」
黙考にふけるアマギリに、リチアが嫌そうな顔で言った。アマギリの言葉が実現していた場合、自身もこの場にいなかった可能性があったのだから、当然ともいえるだろう。
「ま、何も起こらなかったからできる話しでもありますし。―――ついでに、その辺りは母上もご承知でしたから。だから、三人居る王族のうち、一人は残して置いたんだし」
「―――混乱を最小限に抑えるため、か。女王に何かあった場合は、速やかにお前が玉座につく」
「僕も若輩とは言え、流石にマリアがトップに立つよりはマシでしょうから。―――とは言え、そのマリアを戴冠式に引っ張っていったって事は、母上には何も起こらないって確信があったんだと思いますよ」
「そりゃ、そうよね。あのフローラ女王が正当な後継者である実の娘と二人で参加したんですもの。何も起こるはず無いわ」
冗談めかしたアマギリの言葉に、リチアがようやく納得がいったという顔で頷いた。アウラも息を吐いて微苦笑を浮かべる。
「それにしても、新たな王の誕生や、卒業や入学という新たな始まりを告げる輝かしい季節だというのに、素直に祝福も出来んとはな」
「その辺は、仕方ないんじゃないですか。個々の親愛、個人の友誼より、僕らみたいな立場だと、どうしようもなく国家の利益を優先する必要がありますから」
「祝いごととはまつりごと。友情よりも愛よりも、国益こそが第一ね。―――ま、アンタは少し行き過ぎだと思うけど」
アマギリの言葉に、リチアが嫌そうにため息を吐きながら応じた。アマギリも苦笑しながら頷く。
「ただの転ばぬ先の杖ですよ。大体、国益に縛られるってのは大なり小なり、この学院に通う全ての人間に言える事ですし」
各国の聖機師候補生たちを集め教育を施す機関である聖地学院。
即ち、其処での教育が終了すれば、各々元居た国家へと帰還し、其処へ仕える事となる。
その時は、席を並び技を競い合った学友たちと、剣を向け合う事も有り得るだろう。
例えどれほどの友情を抱いていたとしても、敵対したとあらば戦うしかない。
それが国に仕える聖機師の定めである。
「昨日の友は、今日の敵ね。卒業式が終わったばかりの時期に話す無いようじゃないわね、コレ」
リチアが空気を入れ替えるように手を払った。アウラも仕方が無いと苦笑を浮かべながら頷いた。
それを受けて、アマギリが話を纏めるように手を広げていった。
「ま、何か世界滅亡でも企む悪の大魔王でも出てきて、それに世界が一つになって立ち向かうみたいな構図にでもならない限り、この問題は解決しないんでしょうね」
「そんな都合の良い話がある訳無いでしょう」
アマギリの戯言に、リチアが面倒そうに応じた。
馬鹿馬鹿しい夢物語。聞くまでも無いと。この日のこの会話は、これで終わりだった。
春休みが終わり、新しい一年が始まる。
その少し前の、その日が始まる少し前の、ある日の平穏な日の事である。
・Scene 30:End・
※ 二ヶ月近く英単語のスペルミスに気付かないとか割と久しぶりに自分に笑えたと言うか。
初めはちゃんとやってた筈だよなぁと思って見返すと、ちゃんとしてたのはホントに初めだけだったし。
まぁ、さて。
気を取り直して次回から遂に本編の時間軸に入ります。
と言っても今回の話から既に片足くらい本編の内容に突入しているんですが。
漸く、漸く次回、ヤツが出るぞ……