・Sceane 29-3・
「あの……殿下?」
ある日の放課後、聖地学院敷地内にあるワウアンリーの個人専用工房で、その主である筈の少女が、居心地が悪そうに声を上げた。
ワウアンリーの視線の先には、製図机を占領してそばに置いた情報端末と睨めっこしながら、何やら図面を引いているアマギリの姿があった。
まるでと言うかどう見ても、この工房の主人はアマギリにしか見えない堂々とした態度である。
アマギリは呼びかけられているのが解っているだろうに、顔も上げずに一回だけシャーペンを指で回した後に返事をした。まるで興味が無さそうである。
「何? 今良いところだから話しかけないで欲しいんだけど」
「あー。その気持ちは同じ技術屋として理解できなくは無いんですが、とりあえずあたしとしては、何で年が明けてからこっち、一人で工房に来る時間が増えたのかなーって聞いておきたいのですが」
大規模な機械の組み立ても可能な広い面積を持つ工房。
聖機師見習いであると同時に一角の結界工房の聖機工でもあるワウアンリーのために用意された彼女専用の空間である。
当然、学生兼技術士などと言う特殊な存在は聖地でもワウアンリーしか居ないため、そこを使用する―――訪れる人間はほぼ居ないと言って良い。
現状、この空間に居るのは主であるワウアンリーと、勝手に居座っているアマギリだけだった。
最近、多く見られる光景である。
放課後にふらりと訪れては、何時の間に用意したのか自分専用の製図机に向かって何かの図面を引いているアマギリの姿が。本来あるはずの、従者を連れ歩くのではなく、彼個人だけでそこに居座る姿がである。
「ユキネさんは……?」
「もう直ぐ卒業だしね、あの子。卒業式典とかの準備で微妙に忙しいんだよ」
「ああ、主席ですしね。―――だからって、何故こちらに来ますか、殿下」
ユキネが居ない理由は理解できた。だからと言って、アマギリが自身の工房を占領する理由にはならないだろう。と言うか、ならないで居て欲しい。
そんな気分を込めて恐る恐るワウアンリーが尋ねてみると、アマギリは深々とため息を吐いて、漸く製図机から顔を上げた。
回転式の椅子をくるりと反転させてワウアンリーに振り向く。物凄く他人を見下した顔だった。
「キミ、自分が僕の従者って事忘れてるだろ」
「あ~~~」
濁点の付き添うな呻き顔でワウアンリーは納得した。
そう、ワウアンリーはアマギリ・ナナダン王子の専属の聖機師なのである。お陰でここ一年、就職を決められなかった浪人確定の先輩方からの視線が痛い。とても痛い。ついでに視線だけではなく、たまに物理的に痛い目に合わされそうになる。
尤も流石にワウアンリーも尻尾突きの聖機人を顕現できる優秀と呼べる範囲の聖機師ではあったから浪人にしかなれないような聖機師に決闘を挑まれた所で早々負けたりはしないのだが。
だからと言って、望んでも居ない。全く絶対これっぽっちも望んではいない地位について周りからひがまれるのは実に溜まったものではないというのがワウアンリーの本音である。
そこまで考えていると、アマギリが半眼で笑ってるのが見えた。本音が顔に出ていたらしい。
「そうか、そんなに研究費減らされたかったのか……」
「スイマセンごめんなさい勘弁してください。此処へきて予算減額とか、機工人完成しないで終わりますから」
伝家の宝刀を抜いたらあっさりと服従するよく出来た従者だった。金の力には逆らえないと涙を流しつつ、ワウアンリーは話題を変えた。
「でも殿下、前はマリア様たちの誕生日の前とかにさらっと来るくらいだったのに、ホントなんで最近はよく来るんですか? 護衛名目だったら、一応あたしも納得はしてませんけど承諾はしてますし、呼び出せば良いじゃないですか。まさか、殿下にあるまじき遠慮なんて言葉を実行しまってるのでは……」
「ま、キミを呼び出すのを遠慮してるとかそういうのは有り得ないんだけど」
「無いんですね」
思わず問い返してしまったワウアンリーの言葉を、アマギリは笑い話にもならないと切り捨てた。
現実は無常である。
「単純に、こういう研究とかは僕の趣味だからね。趣味な行動にユキネ―――女の子を連れ歩く気にもなれなかったし、時季的に丁度一人で、良い機会かと思ってね」
「その気使いを是非ともあたしにも向けて欲しいのですけど」
呻くような言葉で本音を漏らしたワウアンリーに、アマギリは心外だという顔で応じた。
「幾つかキミの引いた図面のミスを指摘してやったじゃないか」
「やー、開発終盤のこの時期に指摘されると、それはそれで悲しいものがあるのですが」
「いや、一年前くらいに気付いてたけど、何か意味があってやってるんだと思ってたから」
「気付いてたんなら言ってくださいよ!! パーツ組んだあとに根本的な修正とか大変なんですから!!」
自分が悪いと解っていても、吼えたくなる気持ちは抑えられる筈も無い。何せ事ある毎に予算の減額を狙ってくる上司である。正直、この研究を廃案にしたくてやってるんじゃないかとすら思えてくる態度だからだ。
「っていうか、あたし何時だったか殿下の専門って生物心理学とかだって聞いた覚えがあるんですけど、何で工学系の知識まであるんですか」
「何で、ねぇ。―――何でか。そりゃ、アレだよ。必要だったから」
不貞腐れたような声で問うワウアンリーにアマギリは首を捻って答える。
「必要って……王子様が先進的な逆転磁場配位型の核融合炉の図面を引ける必要性が、何処にあるんですか」
「ああいう”原始的”な動力炉の知識とかでも、先進技術を理解する上での土壌になるしね。僕の目標は本来存在しない筈の無限ともいえるエネルギーを生み出し続ける神の如き―――……なんだったかな。まぁ、良いか」
「スイマセン、研究者的にその部分是非とも細かく聞いてみたいんですけど」
オーバーテクノロジーの世界の住人であるアマギリをして”神”等という酷く概念的な言葉が飛び出てくる動力。
技術屋としてのワウアンリーが黙っていられる筈も無かった。
「止めておいたほうが良いよ」
「止め……?」
しかし、アマギリの言葉は意外なものだった。
却下と言うならば理解できる。人当たりの良い当たり障りの無い会話はよく行うが、その実アマギリは秘密主義が徹底しているような男だ。自分の中で話せる範囲を明確に線引きしており、それを踏み越えようとすれば即座に否定を示す。
だが、止めた方が良い、等という他人に解釈を委ねるような言い方は珍しい。
ワウアンリーが何かの罠かと首を捻ると、アマギリが苦笑して言った。
「ワウってさ、結界工房の所属だろ? あの組織は先進技術の開発の促進を促すためにあると言うよりは、技術の先鋭化を防ぎ管理するためにある組織じゃないか」
「―――それは」
違う、と否定する事が出来なかった。
アマギリが”そう”と何かを決め付けている時に否定の言葉を言うのが無駄だというのも知っていたし、何より、その言葉が真実だったからだ。
「何をそんなに恐れているのか知らないけど、結界工房―――その上に位置する教会も、文明の発達と言うものを酷く嫌っている。このジェミナーが何時までも”不便”な亜法技術に頼っているのがその証拠だ。通信にしろ動力にしろ、亜法って言う微妙に扱いづらいとっかかりがあるのなら、そこからより便利な代替技術を発展させていくのが普通なのに、この星の歴史を読ませてもらったけど、何時まで経ってもその気配が無い。応用、と言う言葉を放棄しているみたいだ」
理由は解るけど、と付け足して、アマギリは言葉を切った。
ワウアンリーとしては、そう穿った言われ方ばかりをされてしまえば、返せる言葉は無い。
何しろ、彼女の専門こそがその亜法機関の代替手段ともいえる、高出力の蒸気機関や火薬などを利用した推進機関の開発なのだから。
そして、それらを研究テーマとして選んだ時、方々からの反対の声を浴びせられた。
一時は、査問委員会まで召集されそうになったのだから、事の重大さも解ろうというものだろう。
結果としては師である聖機工の口ぞえと、最大出力の制限を確約する事で許可が下りたのだが、あの当時の結界工房の紛糾を見ている立場として、ワウアンリーはアマギリの言葉を否定できない。
「まぁ、それはワウが僕の従者に着いてるって理由にもなってるんだけど」
「はい?」
ワウアンリーが数十年前の記憶を呼び起こしているところに、アマギリが悪戯っ子のような顔でそんな言葉を投げかけてきた。
絶好調に楽しそうな、ようするにワウアンリーにとっては余り見たく無い類の笑顔である。
アマギリは製図机の脇においてあったラップトップの端末をコンと叩きながら言った。
「あのねぇ、幾ら自分の工房だからって、外と繋がってる端末に何のロックも掛けてないのって良くないと思うんだ。過去の通信データ、読み放題だよ?」
言われて、言葉を理解した瞬間、ワウアンリーの全身が総毛だった。
「まさか―――」
「まさかも何も、何のために”ユキネを連れずに”ここに入り浸っていたと思っているのさ。図面なんか屋敷でも充分に引けるし、そもそも、安全を考えてここに居るって言う割には、僕は夜にここから帰るとき、君を護衛につけてない危険な情況を作ってるじゃないか。その辺の矛盾、少しは不思議に思わなかったのか?」
他人の端末を利用して堂々と他国(勢力)の情報を強奪する。
しかもそれを身内とも言える人間の伝手を利用して行うのだから、悪辣と言わざるを得ない。
ユキネが見ていれば必ず止めていただろう。だから、ユキネが居ないこの時期を狙ったのだ。
傍若無人に、ただ嫌がらせのように人の領域に居座っているように見えて、それは全て冷徹で意味がある行動だったのだと、今更ながらにワウアンリーは気付いた。
「さすが主幹研究員の直弟子。結界工房のデータベースへの直通アクセス件もある。本当は聖地の見取り図とかが見れれば良かったんだけど流石に無理だった―――まぁ、それは良いか。あ、一応言っておくけど、別にワウが結界工房に僕に関するレポートを定期的に提出してる事をを咎めようとかそういうつもりは無いよ? その内容にも感知するつもりは無いし」
淡々と、背信を咎めるような言葉を続けながら、アマギリの言葉の意味はしかしそれを否定していた。
「大分前にアウラ王女にも言われたけど、僕は所謂、現行のジェミナーの秩序を破壊しかねない存在だからね。それを間近で見張り、技術的な観点から考察が出来る人材を近づけようとするのは、何もおかしくない。―――と言うか、それを近くに置く事をこちらから言い出すことで、教会に対して叛意が無いポーズを宣言させてもらってるんだし。状況を利用するのもされるのも、今更どっちもどっちだよ」
「って、今ポーズって言いましたよね!?」
微妙に危険な発言だった。ワウアンリーの役目を理解していながら、簡単にそういう発言をしてしまうのがアマギリらしいともいえるが。
「ハハハ、気のせい気のせい」
「うわー嘘くさー」
「そうかい? 羽とか人形とか宝石とか、嘘っぽい伝説みたいな話を組織で追っかけてる人たちよりマシだと思うけど」
―――時間が止まった。正確にはワウアンリーが一方的に止めただけだが。
暫しの間が空いたあとで、ワウアンリーはとてもとても苦い顔でアマギリに尋ねた。
「……何処まで、お調べになりましたか?」
アマギリは肩を竦めて応じた。
「もう一歩踏み込んだら粛清対象になりそうな感じだったね。いや、原始的なネットワークだったから力技だけでどんどん奥へ進めちゃって、少し悪ノリし過ぎた」
「ああ、それは―――」
良かったのだろうか。ワウアンリーとしては悩みどころだった。
この高慢ちきな男がこう言っている以上、本当にこの世界に関する確信的な情報までは取得していないという事だろう。何処までの情報を手にしてしまったのか、真に不安ではあるが。
ようするにアマギリが言いたかった事は、調べようとした事実が発覚したら言い訳を宜しく、と言うことだ。
「今更ですけどあたしって、従者って言うか繋ぎ役って言った方が正しいですよね」
「うん、どちらからしてもね」
「そこは否定して欲しかったなー」
ガクリと疲れたように項垂れるワウアンリーに、事実だから仕方が無いとアマギリは笑った。
「因みに、何時だってお宅等のデータなんて全部丸ごとぶっ壊せるって警告って意味もある。ウチはもう許可したマスコミ以外に取材は許すつもりは無いから、その辺もちゃんと伝えておきなよ」
「ちょ、マスコミってあたしのことですか!? しかも気付かないうちに検閲されてるし!!」
従者を始めて、一年と四半年。
ワウアンリーは未だに、一方的に振り回され続ける毎日だった。
・Sceane 29:End・
※ 家族と戯れた後は従者と戯れよう……と言うかむしろ従者”で”戯れようと言うか。
何気にまた、前話から三ヶ月くらい飛んでたりします。