・Sceane 29-2・
「この筒、髪留め?」
誕生日プレゼントだと手渡された天鵞絨の敷き詰められた箱に入っていたのは、皮製の土台に金糸銀糸を織り合わせた装飾の施された、豪華な髪留めだった。
「ええ、先日の私の誕生日の折に、お兄様に頂いたものも手製のものでしたので、私もそれに習ってみようと思ったので。一応、装飾部は私とユキネで行いました」
「僕が贈ったって、アレだよね。炭素結晶の試作品。アレはどっちかと言うとモノ自体よりも生成方のほうが肝心なんだけど。あれ、まだジェミナーでは開発されて無い技術だから、特許とっておけば役に立つよ―――って、前に言ったっけコレ。ワウの工房が使えるようになったお陰で、ああいう知識が生かせるようになったのはありがたいよ」
照れ交じりに解説するマリアに笑って応じながら、アマギリは首の裏側で纏めていた髪留めを解き、貰ったばかりの髪留めに付け替えた。ユキネがそっと背後によりそい、それを手伝う。
「こういうの貰うと、髪切らなくて良かったって思えるよね」
「お兄様、別に長髪に拘りがあるわけでは無いのですね。お会いした当初からそうでしたし、てっきり好きでやっているのかと」
二年前、マリアが初めて対面した当初から、アマギリの髪は無造作に伸ばされていた。今でもみすぼらしく無い程度に整えられてはいるが、前髪も後ろ髪も充分に長い。公務の時などは見栄えがするように結い合わせたりしているのだが、普段はそれを背に流して適当に纏めていた。
「ま、僕は見た目が地味だから、髪くらい長いほうがそれっぽく見えるしね。王宮に入る前は単純に、ど田舎だったから床屋とか無くて伸ばしっぱなしにしてただけだけど―――いや、気づいた時にはもう長かったかな。ってことは、昔からか」
「その辺りは、二年経っても相変わらずですか」
「いい加減、思い浮かぶイメージも具体的になってきたんだけど、細部がどうもぼやけると言うか。コレは本格的に外部からのロックが掛かってるって考えるしかないかなぁ」
アマギリ・ナナダンは記憶喪失―――と言うよりは、記憶”封印”状態にある。アマギリはこの二年の間に自覚的にそれを理解するようになっていた。
思い出せること、絶対に記憶できない事。見えない部分。自分の中にあるそういう部分が、明らかに人の手によるものとしか思えない区分けがされている事に気付いていた。
普通、頭の中に誰かの手が入っているのが解ればおぞましい気分を感じるのが一般的な感性だろうが、そこはやはりアマギリだった。
恐怖を覚えるよりも先に、諦めを感じていた。
解らないものは仕方が無い。その内解るさと、そういう気分である。
「……完成」
パチンと音を鳴らせて、半分に割れていた輪でアマギリの髪を纏め終えたユキネが、満足そうな声で言った。
「ん、ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
首もとの感触を確かめながら、アマギリは二人に対して礼を述べた。
「どういたしまして。中々お似合いで良かったですわ」
マリアもアマギリの背を覗き込みながら嬉しそうに言った。
兄妹中睦まじく、こうして誕生日の一日は過ぎて―――。
「それじゃあ、次は私からね」
「ですよねー」
にっこりと微笑むフローラに、明らかにアマギリのテンションが低くなった。もう嫌な予感しかしていない。
「あら、何だか失礼な反応ね」
「そりゃ、お年玉とか言ってシトレイユの国債押し付けてくるような親を目の前にすればね……。アレ、市場に放出したら戦争になるじゃないですか」
今年の年初め、ハヴォニワの王城で行われた身内だけの新年の宴の席上で、お年玉、等という名目で手渡された書類がそれだった。
王室費で購入していたシトレイユ皇国の国債の過半数が、何故かアマギリ名義に修正されていたのである。
「あら、持ってると便利よ。国さえ保てばずっと利子が入ってくるし」
「来年になったら紙切れになりませんかね、アレ。せめてくれるなら国内の有価証券にしてくれれば良かったのに」
それはそれで、全くお年玉としては相応しくないものを要求している兄に、マリアが苦笑混じりに言った。
「そう心配しなくても大丈夫ですわよお兄様。領土や軍や大公位などのアイデアは、事前審査で私が却下しておきましたので」
「うん、今日ほどマリアが妹でよかったって思った日は無いね」
心優しい妹の言葉に、アマギリがしたり顔で頷く。しかし、妹は無慈悲な言葉を付け足していた。
「因みに、却下したものの中にはハヴォニワの玉座等もありましたが。尤も、私が継ぐまでの繋ぎですが」
「洒落になってないぞそれ!」
冗談だと全く思えないのが現在のハヴォニワである。
信頼されているといえば聞こえは良いが、どう考えても”それも面白いかも”と言う愉快犯的発想としか思えない。
「ええ、ですからお兄様は反対なさるだろうと思ったので却下しました」
「ちょっと待った。その言い方だと僕が反対しないとマリアも反対しないって事になるから」
「気のせいです」
絶対嘘だろとは、どう考えても薮蛇になりそうだから言えなかった。この辺、仲良くなりすぎるのも考え物だなとアマギリは思い始めていた。人に言わせれば贅沢な悩みだろう。
「そんな訳で、私は代替案としてシトレイユの玉座など如何でしょうと提案しました」
「……それは、兵を引き連れて自分で回収に行かないといけないから、嫌かなぁ」
しれっとした顔で恐ろしい事をのたまう妹に、アマギリはげんなりとした顔で応じた。
「要らないといわないのがお兄様ですわね」
「情勢如何では本気で取りにいく必要も出るかもしれないしね。どっかの皇女が亡命……じゃない、その頃にはもう女皇になってるのか。まぁ良いや。―――ついでに、権力ってのは有れば有るだけ役に立つ」
「過分な権力など与えられても、支えきれずに押しつぶされてしまう気がするのですが」
「それは自分の無能に対する言い訳だよ。自分の手元に転がってきたものは、必ず自分が使いこなせる必然性がある筈だって、昔誰かにも言われた事あるし」
肩を竦めて気楽に難しい事を言い放つアマギリに、マリアはため息を吐いた。
「その根拠の無い自信は何処から来るのですか……。とにかく。今回のお母様のプレゼントに関しては、そういうドロドロした粘着性の高いものでは―――いえ、ある意味それこそ……これは、私が言うのは無粋ですわね」
微妙な表情のまま、マリアは言葉を切り上げてテーブルを挟んで向かいの席に座る母に視線を送った。
母は淑やかな態度で兄妹の会話が終わるまで待っており、漸くと視線を合わせた息子に対して、嬉しそうに微笑んだ。
「はい、それじゃあ私からの誕生日プレゼント」
そう言って、膝の上に用意してあったのだろう箱を、テーブルの上、アマギリの前へに差し出した。
薄く平べったい、長方形の箱である。
アマギリの思った第一印象は、書類の類なら三つ折にすれば余裕で入るな、だったから、まるで油断していなかった。
かと言って、この場でそれを開けないで終わらせるほどの礼儀知らずでもない。
「……では」
アマギリは震える手で、禁断の扉を開く気持ちで、蓋を開いた。
「……紐?」
「因みに、私の手作りよ。」
「はぁ、女王陛下の」
それはようするに、シルク地の敷かれた箱の中に丁寧にたたまれた状態で置かれていた、赤い組紐だった。
ハヴォニワは、織物や糸細工、レース地などの工芸品の産出地として名高かったりするから、その技を持って作られた組紐が登場したところで、不思議ではない。
親しい人への贈り物として、手製のものであれば、尚更だろう。
「ほら、ペンダントを結ぶ紐に使えるでしょう? チェーンの代わりに丁度良いと思って」
「ああ、コレですか」
アマギリは首に掛かっている属性付与クリスタルを偽装しているペンダントを結び付けている首紐を撫でながら頷いた。
なるほど、このチェーン自体に特別こだわりがあるわけでもないし、何時も着けておけるものだから贈り物としても悪く無い選択だろう。
なにせ、妹と従者からの贈り物も手製の髪留めである、母親からの贈り物だって手製のもであってもおかしくない。
しかし、さぁ早速付け替えてみてと微笑むフローラの顔を見ていると、何か大きな罠が仕掛けられているような気がしてならない。
と言うか、絶対仕掛けてある。アマギリはマリアへ確認の視線を送った。マリアは嘆息して答えた。
「異世界人が言う所ですが、赤いヒモは運命的な二人―――意味は言うまでも無いと思いますが、そういった二人を永遠に結びつける縁だと、そう聞いています。ようするに、それを異性に贈るというのであれば」
「ああ……」
予想通り、碌でもないトラップだった。
何より碌でもないと思えることが、その所以を理解したからといって”貰ったものを返す気にならない”と言う事実が第一にあることだ。
「ねぇユキネ。年から年中女から貰った赤いヒモを見せびらかして歩いている男ってどう思う」
「―――はしたない」
「ですよねー」
ユキネの言葉はにべも無かった。
アマギリはどうしろってんだチクショウと言う気分になった。
視線を、テーブルの上とフローラの顔で行ったり来たりさせる。フローラは笑顔のままで表情が読めない。何度見たところで、紐が赤から色が変わるわけが無い。
黙って蓋を閉じれば解決する問題なのだっが、至極単純な余り認めたくない個人的な感情からそれは躊躇われた。
八方塞。
―――救いの手は、すぐ横から伸ばされた。
「どうぞ、お兄様」
その言葉と共に、突然マリアがアマギリの手を取り、その掌に青い組紐を乗せた。
目を丸くするアマギリに、マリアが微苦笑を交えながら言う。
「青は異世界人が言う処、幸せを運ぶとの謂れがあると伝え聞いていますから、普段はそちらを使ってくださいな。―――赤いほうは、まぁ、その。お一人の時にでもお使いになれば宜しいかと」
因みに私の手作りですと言うマリアに、アマギリは地獄の中で救いを見たと思わずには入られなかった。
「……今日ほどマリアを妹に持ってよかったと思った日は無いね」
「その反応も、余りにヘタレすぎていてどうかと思いますが」
妹は優しい中にも厳しさがあった。
掌に、青。テーブルの上に、赤。
青は安全、赤は危険。
ならば、選ぶべくは決まっているだろうに。
「うん、それじゃあ」
首からペンダントを外し、ペンダントから紐を外す。そして、新たな紐に付け替え、また首に掛ける。
「格好付けて、まぁ」
そんな声が、耳に届いた。
自分で贈っておいて酷い言い草だなと、アマギリは笑顔で応じた。
※ 紐の方は髪留めと違って合作とは言っていないのが一番の罠かと。