・Sceane 29・
「ハッピ~、バ~スデ~~~ェイ♪」
冬も間近に迫った、十月も終わりそうなその日。
何時ものように生徒会長室で時間を潰した後に帰路に着いたアマギリは、屋敷のドアを開いた瞬間、そんな声に出迎えられた。
聞き覚えのある声。
聞き覚えがありすぎて、対応に困る声でもあった。
開いたドア。玄関ホール。シャンデリアの真下。抜群の笑顔の美人が、そこに居た。
その背後には整列した屋敷の使用人たち一同。家令長の老人のすまし顔。及び、此処に居る筈のない少女の呆れ混じりの態度。
とりあえず、クラッカーを鳴らされなかっただけ喜ぶべきなのだろうか。
混乱から立ち直ったアマギリは笑顔のままで反応を待っている女性を差し置いて、背後の少女に声を掛けた。
「マリア」
「はい、お兄様」
打てば響くと言う塩梅で、本来この聖地学院に居る筈の無い妹は、兄の呼びかけに答えてきた。
「何で居るの?」
アマギリの言葉は単刀直入だった。と言うか、コレくらいの会話はとっとと済ませないと、後がつっかえていて大変だと身にしみていた。妹もソレは同様だったから、至極あっさりと言葉に応じた。
「はい。私は……ええ、”私”は、来年度に入学が決まっている学院への挨拶と下見のようなものです」
妙な部分を強調しながら答えたマリアに、アマギリはなるほどと納得を示した。一応の確認のために、背後の従者へと振り返り尋ねる。
「ユキネは、知ってた?」
「マリア様が……”マリア様”が来るのは知ってた。秘密にしていてと頼まれてた」
「そっか、じゃあ仕方ないか」
アマギリは主への不義理を咎める事も無く、従者の言葉に理解を示した。
元々ユキネはマリアの従者なのだから、そちらの頼みを優先するのが当然である。大体、秘密にされていたからと言え、妹の来訪が不利益になる事も無い。
むしろ、通信越しではなく直接対面するのは去年の正月以来だったから、嬉しいサプライズと言える。
事ある毎に学院から外出していた一年目と違い、聖地学院に通い始めて二年目、初等部三年生になったアマギリは、初等部生徒は理由無く学外への移動を禁ずると言う学院のルールに則って、長期休暇中もハヴォニワ本国に引き上げていなかった。
「うん、まぁ案内とかが必要だったら言ってくれれば良いよ。放課後は基本的に暇だから付き合える」
「ありがとう御座います、お兄様」
「良いさ。んじゃ、家令長。マリアがいる間はワウアンリーにこっちに来て仕事しろって伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
アマギリの指示に老齢の家令は深々と頷いた。
「さて」
コレで聞くべき事は聞き、言うべき事は言い終えた。
アマギリはそう理論武装する事にした。ホールに集まった人全てが、いい加減に反応してやれとプレッシャーを掛けているかのようだったが、それら全てを振り切るようにアマギリは言った。無駄に笑顔である。
「それじゃあ僕は、そういうことなんで教室に忘れ物をしたから取りに戻る事にする。ついでに、リチア先輩がまだ仕事してるだろうからソレを手伝う事に決めたし、勿論夕食も御相伴に預かろうと思う。その後はアウラ王女の家に久しぶりに遊びに行くのが当然だから、今日は帰らな―――」
「ア・ナ・タ?」
振り返ってドアまで突っ切ろうかと思ったら、背後から呼び止められた。
振り返ったので背後にいたユキネと視線が合った。ユキネは無言のままだった。無表情、と言うかぶっちゃけ面倒そうな顔である。
アマギリはため息を吐いてもう一度ホールへと振り返った。
「……で、女王陛下は何でいらっしゃるんですか?」
政務担当の女官が着る様なシックなスーツ姿なのだが、着ている人の色気の影響かどう見ても夜の商売をしているようにしか見えない格好で、ホール中央に構えていたフローラに、アマギリは漸く尋ねた。嫌々である。
玄関ホールに蔓延している白けた空気も伝わっているだろうに、フローラはアマギリから反応がもらえた事が嬉しくて仕方が無いというようなノリノリの態度で微笑んだ。
フローラの後方に控えていたマリアが、まだこのコント続くのかと、額を押さえている。
「あら、女王陛下なんて人はここには居ないわ。今の私はマリア王女の御付女官、フローラ婦人ザマしてよ?」
「何ですかその語尾」
「あ、因みにコレが証明書」
アマギリのどうでもよさ気な突っ込みも意に返す事無くフローラは開いたシャツの胸元から一枚の紙を取り出してアマギリに手渡してきた。
その紙は聖地が発行した正式な入領許可証だった。書類に添付された写真の中のフローラは、何故か眼鏡を掛けていた。コレで誤魔化されたのか、それとも解っていてごり押しされたのか、判断に悩む所である。
「ホントに聖地の警備ってザルだよな……」
「特権階級者が集まりすぎて、あんまり大掛かりな警備をする訳にもいかないって、先ほど学院長先生にお聞きしましたよ」
書類を覗き込んで眉を顰めていたアマギリに、マリアが応じた。
「それで何か事が起こったら、誰が責任取るんだろうねぇ? ま、良いか。それじゃあマリア。女官殿には退場していただいて、久しぶりに家族の団欒としゃれ込もうか」
「そうですわねお兄様。兄妹の触れ合いに、女官の存在なんて無粋ですものね」
アマギリの言葉にマリアも素晴らしい笑顔で同意した。顔を見合わせて綺麗な笑顔で頷きあう兄妹が、そこにはあった。ユキネが大きなため息を吐いていた。
「よし、じゃあサロンの方へ―――」
「ア・ナ・タ?」
「あー、はいはい。フローラ夫人もサロンの方へどうぞ」
「もう、付き合い悪いわねぇ相変わらず。その書類偽造するのに結構お金掛かったのに」
投げやり態度で使用人たちに解散を命じるアマギリに、フローラは不貞腐れたように言った。
「もうちょっとマシな事に財力と権力は行使しましょうよ……」
「因みに、事実ですよ。幾らなんでも教会管理の聖地に何の理由も無く王侯貴族が侵入できる筈もありませんから。わざわざこのコントを披露するためだけに、相当の人と金が動いています。無論、お母様の個人資産からですので国費に影響はありませんが」
呆れる他無いアマギリに、マリアが仕方ないとばかりに声を漏らす。その表情は微妙に苦笑交じりだったから、アマギリには疑問な事だったが、不思議な事に母を庇っているかのようである。
どうにも責められているような気分になったアマギリは、首を捻ってフローラに問うた。
「ソレで結局、何でこんな中途半端な時期に聖地に来たんですか? ひょっとして、遂にオルゴンとケルケリアの間でドンパチが始まったりでも?」
だからと言って聖地に来る理由にもならないだろうがと思いつつも、アマギリは取り合えずといった風に尋ねた。
マリアとユキネは駄目だコイツ、といった意味でのため息を吐いた。フローラはニコニコとしている。
「そっちの紛争には連邦も介入してきて泥沼って感じだから心配ないけどぉ……もう、一番初めに言ったじゃない、ハッピーバースデーって」
「ああ、そういえば」
確かに扉を開けた瞬間そんな寝言を聞いたような気もするとアマギリは思い出した。
余りにありえない光景が目の前にあったもんで、言語が頭の中に入っていなかったようだ。
ハッピーバースデー。つまりは、誕生日おめでとうと言う意味である。
「……誰かの誕生日でもありましたっけ?」
自身の記憶を確認する限り、マリアもユキネもこの近い日付に誕生日など無かった筈だ。と言うか、アマギリは身内の誼としてしっかりと誕生日当日に贈り物をしている。
アマギリの言葉に、マリアとユキネが再びため息を吐いた。
「その辺りが、何時まで経ってもお兄様ですけどね」
「仕方ない。周りに気を使えるようになっただけ、成長してる」
「……何か腹心の筈の従者の人にエライ言われようをしている気がするんだけど」
気のせいじゃないよなぁと、この一年で益々遠慮がなくなってきた本物の姉と同じ響きを持つ名前の従者に、頬を引き攣らせつつ、アマギリは会話の流れを漸く察する事ができた。
自分のことには相も変わらず意味も無く疎い男なのである。
「ようするに、僕の誕生日って事ですか? ……でも、僕の誕生日って、今年の頭にもう終わりましたけど」
アマギリの誕生日は一月一日である。少なくとも本人はそのつもりだった。
しかし、フローラは笑顔で首を横に振った。
「それは違うわ、アナタの誕生日は今日よ。今日で、二回目の誕生日」
「今日? ……ああ、そうか今日でしたね」
二回目、と含みを持った言葉を言われて、漸くアマギリは意味を理解した。
「なるほど、アマギリ・ナナダンの誕生日って、今日なんですね。―――二年前の今日、公式にお披露目された日」
叙任式を行い王籍簿に正式に名前を記されたこの日。丁度二年前のこの日がそうだ。アマギリは思い出した。
それにそもそも、元々自分の誕生日などはっきりとわからなかったから、年の初めをそうとしようと適当に決めていただけだったのだ。
「そ。今日がアナタの十七歳の誕生日。ホントは去年もやりたかったんだけど、お葬式が重なってたしねぇ。今年は盛大にやろうと思ったら、アナタったら帰ってこないって言うんですもの。じゃあ、私がこっちに来るしかないじゃない?」
シトレイユ国先代皇王の葬儀があったのが丁度去年の今頃である。
確かに、隣国でそういう不幸があったときに、盛大に祝い事をするというのはご法度だった。
なるほど、フローラが此処に居る意味を理由を理解したアマギリは、念のためと言う口調で彼女に尋ねた。
「因みに、通信機越しに済ませるというつもりは……」
「あったと思う?」
にこりと笑顔で返されて、そりゃ無いだろうなとアマギリも微苦笑で返した。
それで話が一段落したと判断したのだろう、既にサロンのある二階への階段をユキネをつれて上がり始めていたマリアが言った。
「それではそろそろ、いい加減玄関前で話し続けるのもなんでしょう。上でささやかですが祝いの席を用意してありますから、いらしてくださいなお兄様」
「そうね、今日は奮発したから、楽しんで頂戴」
「……一応、今は僕だけが主の屋敷なんだけどなぁ、ここ」
女二人の元気な声に苦笑をしつつ、アマギリも階段を上がった。
それにしてもと、アマギリは思う。
もう二年。ハヴォニワの王子として生活を始めて、もう二年なのだ。
始まりの混乱を乗り越えた、丁度去年の今からの一年間は、概ね平和な日々だった。
今年は、来年は、そしてその先は、どうなるだろうか。
胸の中に微かな不安を湛えつつ、アマギリは女性たちの後に続く。
※ そう言う訳で、一年後となります。
大分仲良くなってるような、そうでもないような。