・Sceane 27-2・
故人を偲び、しめやかに。
そんなお題目で始まった、明日の葬儀へ参列する各国の参列者を集った晩餐会は、一応はお題目の通りしめやかに進行した。
だが如何に、葬送を控えたしめやかな空気を演出しようと思っても、見慣れた顔、見知った顔、時として敵だったり味方だったりする人々が、国家を代表して一つ処に集まってしまえば、出来る空気など相応のものしかありえない。
しめやかと言うよりは、密やかに。
お題目どおり、表向きは騒ぎ立てる事をせずに声の大きさを控えながら、立食形式となった晩餐の会場のあちらこちらで輪を作って秘め事を交し合っていた。
これこそがまさに国際社会の縮図―――力あるものの周りには多くの人々が集い、そうでなければ、壁の花として隅によらねばならない。
出来れば、私もそうでありたかった。
リチア・ポ・チーナは、自らに纏わりつこうとしている参列者たちをのらりくらりとあしらいながら、嘆息していた。
葬儀。死者を送る祭事を控えた、それを悼むための宴。そんなものはお題目以上の何物にもならないと、当然リチアも理解していたが、それにしても、どこか欲望が透けて見える大人たちのやり取りと言うのは見ていると気が滅入ってきてしまう。
明日の葬儀の準備に余念の無い―――という建前―――のため出席できなかった祖父や父に代わって、教会の代表としてこの晩餐会に出席していたリチアであったが、この時ばかりは普段は誇りとできる祖父の代理と言う立場が恨めしかった。
できる事ならば、ホールの隅に飾られている石柱にでもなってしまいたい。そんな心境だった。
今、会場であるホールの中心となっているのはこの晩餐のホストの側であるババルン・メスト。
途切れる事無く会話を求める人々が訪れ、大きな人垣を形成しているのが、リチアには見えた。
人垣の中心に立つババルンは、威風堂々とした態度で、近づいてくる人々をあしらっている。あの才能を分けて貰えないものかとどうでも良いこと考えてしまい、それを羞恥と感じ首を振って周囲を見渡したリチアは、そこに先ほどまであった人物の姿が無いことに気づいた。
リチアと同じように、親の代理と言う立場を与えられて、同様に人々に囲まれていた少年。
ハヴォニワ王国王子、アマギリ・ナナダンの姿が会場から霞の様に消えていた。
「上手い事一人で逃げやがったわね、アイツ……」
普段強気の態度で聖地学院の生徒達を引っ張るリチアであっても、見知った顔の少ないこういう場に立たされれば、流石に不安の一つも覚える。
見知った顔の一人と言う事で内心安堵を覚えていたアマギリの姿が消えていた事が、彼女の心に理不尽な怒りを覚えさせていた。
探し出して小言の一つでもぶつけてやろう―――本音を言えば、それを理由にこの場を辞してしまえと思いつき、リチアは人が途切れた瞬間を見計らって、会場から廊下へと踏み出した。
その直ぐ後、件の人物は、あっさりと見つかった。
通りすがりの女中に姿を見かけなかったと尋ねれば、先ほどそこの角を曲がっていったと正答を教えられてしまったからだ。
角を曲がり、人影の無い廊下を進めば、使用人たちが利用するような小さな扉が半開きになっているのが見えた。リチアがそこを覗き込んでみれば、アマギリの姿はあっさりと見つかったのだった。
「……何やってるのよ、こんな所で」
「あれ? リチアさんですか」
使用人の待機所と思われるその部屋にリチアが踏み入ると、アマギリは部屋の脇に置かれた長いすに腰掛けているのが解った。
日頃見慣れぬ、その立場を象徴するような優雅な装い。伸ばしっぱなしで普段は後ろに流して紐で纏めているだけの髪も、今日はキチンと整えられている。
それは良い。場に合わせたフォーマルな装いと言うのは、神官服を纏っているリチア自身も同様だ。
だから問題があるとすれば、アマギリがとっている行動にあった。
座っている。それも良い。
―――だが、なぜ。膝の上に誰か女性の頭を乗せているのか。
「と言うか、それワウアンリー・シュメよね」
マントを羽織った聖機師の礼服を身に着けたまま、アマギリの膝を枕として寝そべっている少女は、リチアも良く知る結界工房のワウアンリー・シュメだった。
行儀悪く指を指されて、アマギリは苦笑を浮かべて応じた。
「ええ。―――遂に限界を迎えちゃったみたいなんで、こうして雲隠れって感じなんですけど。リチアさんもご休憩ですか?」
「―――ええ、そうよ」
まさかお前を探して会場を抜け出してきたなどと言う筈も無く、リチアは明後日の方向を見ながら答えた。ボロが出る前にと言葉を続ける。
「ダグマイア・メストが会場中うろついて、アンタの事を探して回ってたみたいだけど、放っておいて良い訳?」
「今回はパスで。―――公務で来たのにガキと遊んでる姿を周りに晒すわけにはいかないでしょう?」
「ガキって……言うわね、アンタも」
視線を逸らさす目的でアマギリの興味がありそうな話題を振ってみたリチアだったが、意外な反応をされて戸惑ってしまった。因縁深い筈の男についての話なのに、まるで興味が無さそうな態度である。
「アンタ、ダグマイアの事を敵視してなかったかしら。良いの? 敵前逃亡みたいな真似して」
「敵視なんてしてませんよ。ただ、目障りなだけです」
向こうの気分に付き合ってやるつもりは無いのだと、アマギリは鼻で笑って言った。
相手にされない片思いみたいな関係を思い浮かべてしまい、リチアはむしろダグマイアに同情してしまった。
尤も、こんな所まで来て知人二人が言い争っている所など見たくもなかったが。何せここには親友であるアウラ・シュリフォンも居ないから、リチアの居た堪れない気分を理解してくれる人は存在しないのだ。
「ま、場を弁えない子供のお世話よりは、愛すべき従者のお世話をやってたほうがまだマシって事です」
「従者、ねぇ……」
何時になく優しげな手つきで膝の上のワウアンリーの髪を撫でるアマギリを、リチアは何ともいえない気分で見ていた。
ワウアンリーがアマギリ・ナナダンの護衛聖機師として正式に任命されたと言う事実は、彼が聖地を離れた直後には学院中に広まっていたから、当然リチアも知っていた。
髪を下ろして普段とは違う大人びた顔でアマギリの後ろに付き従っているワウアンリーの姿を見たときは、随分堂に入ったものだと感心していたのだが―――この様子を見るに、どうしようもなくやせ我慢だったらしい。
「まぁ、最初にしては頑張って我慢してくれてたんですけど、流石にキツそうだったんで。限界ギリギリのところで逃げ出したんですけど、会場出た途端にパタン、です。」
「そりゃ、賢明な判断だと思うけど―――こうなる予想くらいついてたでしょうに、だったら始めから連れてこない方が良かったんじゃないの?」
フローラ女王の名代と言うのが名ばかりではないと言うのを証明し、敵性国家に対して戦略目標の分散と言う役目を果たさなければならなかったアマギリは、常に回りに舐められない完璧な王子を演じ切る必要があった。
歳若い従者が、突然過労で倒れてしまっていたら、台無しだっただろう。
そのリスクを計算できないアマギリでは無いだろうに、何故こんな無茶をやろうとしたのか、リチアは疑問を覚えた。
「まぁ、その心配もあって―――実際現実そうなりそうだったんですけど、今回はこの子を連れてくる事も重要でしたからね」
疑問が顔に出ていたのだろう、アマギリは肩を竦めて口を開いた。
「重要? ワウアンリーが?」
「ええ。正確には私の従者としてワウアンリーが付き従う事が、です」
リチアはアマギリの言葉に首を捻った。彼女の知るワウアンリー・シュメは、確かに聖機工として一角の人間と言えたが、特別家柄に何かあるということも無い、聖機師としてみれば、極めて一般的といえる範疇だ。
しかも、聖機工としては蒸気機関という汎用性の低いな動力技術を専門としているマイナーな研究者であり、聖機師としても正式な資格を有していない見習いだ。
いまいちその存在が判別しがたいアマギリが従者として連れ歩くには、周りに不安定な印象を植え付けかねない選択肢に思えた。
そういった疑問を口にするリチアに、しかしアマギリは頑として首を横に振った。
「いえ、この子の存在は重要ですよ。むしろ私と言う存在を認知させるために、極めて有効に働いてくれました」
「―――どういう事よ」
問いかけながらリチアは、またこの男の事だから禄でもない内容なんだろうなと予想した。
事実、アマギリは彼女の良く知る意地の悪い笑みを浮かべて先を続けた。相変わらず、こう言う時にばかりとても楽しそうである。
「ご存知かもしれませんけど、この子って確か、ナウア・フラン……ナウア師とか言いましたっけ? 結界工房の主幹研究員の直弟子なんですよね」
「それぐらいは知ってるわよ」
アマギリの言葉に、リチアは眉を寄せる。ナウア師と名指される聖機工は、フランと言う家名が示すとおり聖地学院に在学しているキャイア・フランの父でもあり、その技能は卓越し、高明と名高い。
「つまり、何? 結界工房の重要人物の弟子って事が肝心なのね。でもワウアンリーを従者にしたところで結界工房から利益を引き出せるとも限らないんじゃないかしら」
「いえ、利益供与はどっちかと言うとこっちが与える側でしたけど。この子の聖機師としての能力から見れば、随分高い買い物って感じでしたしね。―――尤も、本来なら幾ら金を積んでも借りられなかった人材だった筈が貸し一つで借りられたって思えば、安い買い物なんですけど」
「自分の従者を指して酷い言様ね、アンタも。―――それで、貸しってのは何なの? どうせそれが、話しの核なんでしょ?」
「良く解ってらっしゃる」
戯言に紛れて確信を混ぜ込むのがアマギリの良く使う手だと言う事を、当然リチアは理解していた。
心にも無い賞賛に目じりを吊り上げて、先を促す。アマギリは肩を竦めて応じた。
「結界工房ってのはようするに、技術的な側面を補強するための、教会の外郭団体ですよね?」
「それがどうしたのよ」
当たり前のことを聞いてどうかしたのかと尋ねるリチアに、アマギリは然りと頷いて続けた。
「林間学校の一件。メスト家の仕込みに聖機人を貸し出したのは、結界工房、引いては教会だ」
「―――え?」
いきなり何を言い出すのか。リチアは、アマギリの言葉が理解できなかった。しかし、理解する暇を与えずに、アマギリの言葉は続いた。
「聖機人の配備数は全て教会によって厳正に管理されている。つまり、与えられる数が教会に勝手に決められてしまっているから、聖機人って秘密行動とかには向かないんですよね。数字を数えて数が合わなければ、隠していても直ぐにばれてしまいますから。―――それで、あのときの話です。信用有る筋から慰謝料代わりに聞き出した話しなんですけど、あの時期の近辺にシトレイユの聖機人の数が変動したと言う情報は無いんですよね。数が決まっている以上何かに使おうかと思えば、何処かから引っ張ってこなければならない―――でも、あの時期のシトレイユでは聖機人の配備数に不審な変動は見つからなかった。本来の秘密部隊に配備されていると思われる機体数まで変動なしとあらば、あそこで用いられた聖機人はシトレイユの物ではないという事は明白です。念のため、ババルンに近い国家の聖機人の数も調べましたけど、これもシロ―――となれば、数を誤魔化せない筈の聖機人が、何故かあの事件が起こった日にだけ増えてしまったと言う事実が残る」
不思議ですねと、まるで種の割れてしまった手品を見るかのような酷薄さで、アマギリは言葉を続ける。
リチアは不機嫌そうな顔で視線を逸らした。アマギリは、リチアの横顔を見て薄く笑った。
「ところで不思議な話ですけど、二学期の頭から開始される筈だった聖機人による実機演習が、何故か延期になったとか。新規に搬入する筈だった聖機人全てに初期不良が発見されたとかで―――コアをぶち抜かれたり背骨を鯖折にされてたり、ついでに四肢を両断されてるような初期不良って、一体どんなのでしょうねぇ?」
「はいはい、良いわよ厭味ったらしく言わなくても。そんな話は私だって知ってるから、良いからとっとと核心を話しなさい」
リチアは渋面を浮かべてアマギリの話を遮った。
そう、事実であるだけに、否定しても意味が無いのだ。
教会もまた、他の勢力と同様に、アマギリ・ナナダンに強い関心を払っていた。
新たに現れた異世界人。その真価を見極める必要があったのだ。それゆえに、ババルン・メストの誘いに乗った。
あの時使用された聖機人は、そういう理由で全て教会が用意した物だ。
人材だけはシトレイユの手持ちだが、機体は秘密裏に教会が聖地学院へと運び込んだのだ。
と、言うよりも。教会以外が聖地の防衛権内にあれだけの数の聖機人を秘密裏に運び込める筈が無い。
アマギリは聖地の警備はザルだと言って憚らないが、実際にはそこまで酷くは無い。間者を仕込むのと巨大な戦闘兵器を運び込むのとでは、話が違う。
内部に協力者が居なければ、もしくは内側から運び出さなければ、そんな事は不可能なのだ。
「ユライト・メストが教会と仲介したのか、それとも聖機工でもあるらしいババルンが直接結界工房に話を持ちかけたのか、まぁ、その辺はどうでも良いですか。重要なのはあの一件で、ババルン・メストと教会の関係に亀裂が入ったと言う事です。―――当然ですよね、”絶対に壊さないから貸してくれ”って言った物が、ボロボロにぶっ壊されて帰ってきたんですから。普通貸した側は怒りますよ」
「……それやったの、アンタよね。あの一件の後始末のお陰で、教会の秘密資産が大分目減りしたって、お父様たちが嘆いてたんだけど」
他人事のように肩を竦めるアマギリに、リチアが突っ込みを入れる。しかし、アマギリは鼻で笑ってそれに応じた。
「私の命に比べれば、そんな物ははした金ですよ。―――それともまさか、教会は私に賠償を請求するつもりですか?」
「―――出来る訳無いでしょう、そんな恥知らずな真似」
間接的とは言え命を狙った相手に、それに失敗したから金を寄越せなど、暴利も良い所である。少なくとも、聖職者がやって良い事では絶対に無い。
「そうですよね。ええ、そうですとも。ですから教会は―――恨み言を内心秘めようとも、涙を呑んで損失を被るしかない。精精今後は、迂闊に悪巧みには乗らないように気をつけようって思うのが関の山でしょう」
「―――そう。それで、ウチとババルンの間に溝が出来るって話しになる訳ね?」
リチアは結論だけを受け取って頷いた。
基本的にこの男の会話は長い上に嫌味ったらしい。半分以上は聞き流して、要点は自分で纏めるのが正しい方法だと、それなりの付き合いからリチアは身に沁みていた。
アマギリはリチアのあっさりとした態度に若干詰まらなそうにしながら頷いた。
「ええ、教会とババルンの間に溝が出来た。ちょっと調べてみたんですけど、メスト家と教会―――正確には結界工房ですか。同様に先史文明の発掘研究を生業とする系譜として、関係が深いらしいじゃないですか。だから林間学校のときみたいな無茶も通ったんでしょうけど―――それが失敗した事により、蜜月関係が終わってしまった。そのタイミングで―――」
「―――貴方が、結界工房の主幹研究員の直弟子を従者に据える」
言葉を切ってワウアンリーの髪を撫でたアマギリに、リチアが添える。アマギリは頷いて続けた。
「今話した内容は、私たちのような未熟者でも知っているような事ですから、当然、この場に集った大人たちも理解している筈です。ババルンと教会の関係に溝。そのタイミングで、教会に近い位置に居る人間が、私の側に傅く。聞き伝の噂を、私とこの子が一緒に居ると言う現実として目撃させる」
「教会がシトレイユではなくハヴォニワを選んだと、そう認識させるって事?」
「そこまでは、流石に上手くいかないでしょう。―――でも、疑念を抱かせる事は出来る。今日……いえ、明日以降ですか。誰もがババルン・メストの天下が始まると認識していた矢先に、それを疑問に感じさせる。もしかしたらと、利に聡い―――どっちつかずの蝙蝠達の判断を迷わせる材料にはなる。そういう積み重ねが後々に響く―――これは、重要な事ですよ」
だから、ワウアンリーを連れて歩く事が必要だったのだと、アマギリは言葉を閉めた。紛れも無い感謝の念を込めて、優しい仕草でワウアンリーの髪を撫でる。
リチアはなるほどと頷くと共に、この場には来ていないアウラの言葉を思い出して、納得した。
変わった。アウラはそう言っていた。
なるほど、確かに。この男は変わった。
以前と違い、他人を巻き込む事に、他人を自身の思惑で利用する事に、斟酌が無くなった。
良い事か悪い事かと言えば―――要するに小悪党が本物の悪党に変わったと言う事だ。つまり、マイナス幅が広がっただけ。
たちの悪い男が、同世代に存在している。今後のリチアの人生に、確実について回るであろうその存在。
付き合い方には注意が必要だろう。呑まれない様に―――むしろ、呑み込む気概が居る。
それこそ、彼を呑み越して利益を得ているフローラ・ナナダン女王のように。
「あ、因みに私がここに居る事も、そこに遅れてリチアさんがやって来た事も、多分もうある程度広まってるでしょうから、判断材料の一つとして十全と誤解される事でしょうね」
何しろ今度は教皇の孫娘ですしねと、朗らかに笑いながら言うアマギリ。
リチアの額に青筋が走った。
此処までを含めての計算だとは、流石に想像が及ばなかったのだ。
本当に、今後は気を抜かずに付き合わなければならないだろう。リチアは深く深く、そう決心するのだった。
・Sceane 27:End・
※ 因みに次回で第三部完。
「パス」と言い切られた某氏に関しては本当にパスなので三部ではもう出番が……