・Sceane 26-1・
「何をご覧になってらっしゃるのですか、アマギリさん」
在シトレイユ、ハヴォニワ公館。
シトレイユ皇都上流階級の居住エリアにあるその館の、更に限られた一部の人間が滞在する時のみ豪奢な一角。
気だるげにソファに腰掛窓の向こうの景色を眺めていたアマギリは、背後からの声に気付いて振り返った。
薄い廊下、明かりの落とされた室内を伺うように、半開きのドアノブに片手を掛けたマリアが、じっと佇んでいる姿が見えた。
「もう着いたのかい、マリア。―――すまなかったね、出迎えにいけなくて」
「―――いえ。明後日の式典の件でアマ――ーいえ、お兄様がシトレイユの方とご相談していらっしゃったのは存じておりますから。お気になさらず」
「うん、丁度使者殿を見送った所でね。―――ユキネ達とは?」
口調に戸惑った部分が見える妹の態度を意も介さずに、アマギリは控えの間で待機している筈の聖地から一緒に此処まで来た従者達の事を尋ねた。
「こちらに来る前に、顔を見てきました。―――その、お兄様の従者の方も」
「見知った顔だから驚く事も無いと思うけど、まぁ、そういう事だから。これからは、それなりに会う機会も増えると思うから、仲良くしてくれよ」
「いえその、充分驚いてますけれど。彼女、気疲れでソファに横になっていましたが、後で見に行ったほうが宜しいと思いますわよ」
ユキネに膝枕をされてうんうんと唸っていた少女の事を思い出して、マリアが言う。アマギリは薄く笑って応じた。
「黙って私の後ろに立っているだけで良い、楽な仕事だって伝えておいたのだけどねぇ。……ま、初めてだし仕方ないか」
可哀相にと、少しもそんな風に思っていないであろう口調で呟いた後、アマギリは再び視線をマリアから窓の向こうへと戻した。
曇天の空。霧雨が滴り落ちる、霞がかった皇都の景色。
その主が失われた悲しみで、街が覆いつくされているかのような光景だった。
「何を、ご覧になってらっしゃるのですか?」
窓から差し込む僅かな光を光源とした薄暗い部屋に踏み入り、断りも無くアマギリの向かいに腰掛けて、マリアはもう一度同じ事を尋ねた。
アマギリは、視線を窓の向こうから移さない。ただ何処か、霧雨の降りしきる外を眺め続ける。
「たいしたことじゃあ、無いけどね。―――随分、霧が深い」
それは、答えが帰ってくるまでに経った時間に比べれば、ごく当たり前の内容に過ぎなかった。
マリアは嘆息して応じた。
「湖のほとりに築かれた、元々水気の多い都市ですから。この天候では」
「そういえば、マリアは当然、前に来たことがあるのか」
「ええ、蒼天の元に朝靄に覆われた都市の景色はたいそう見ごたえのあるものでしたけど―――きっと、今回の滞在中は拝む事は出来ないでしょうね」
深く、幾重にも被さった暗雲は隙間一つ無く、まだ昼も過ぎたばかりだというのに、窓の向こうは薄暗い。
雨は降り続き、やむ気配は無い。
「葬送は雨音と共に、か―――」
洩れ聞こえた呟きは、実利のみが我が嗜好と思わせる、彼の普段の言動からは程遠い、何処か詩的な響きを含んだものだった。
薄暗い部屋、窓の外の霧の景色と合わさって、陰鬱な空気が満ちるような気がして、マリアは息苦しさを覚えた。
救いを求めて室内を見渡しても、アマギリが人払いを済ませているらしい、彼以外の姿は無い。
そのアマギリは気だるげな仕草で、何時もと少し違う口調で、何をするでもなく窓の向こうを見ているのみだった。
空気が、重い。
ただでさえ葬儀に参列しなければならないと言う気疲れする事態が控えていると言うのに、その前にまで疲れたくは無い。
普段のこの目の前の男ならば、その辺りの空気を呼んで、殊更軽い口調で場を和ます事はして見せるだろうに、何故だか今は、その気配は無い。
「―――平気かい?」
ポツリと、陰鬱な気配に自身も沈みかけていたマリアの耳元に、そんな言葉が聞こえた。
顔を上げる。兄が、伺うような視線をマリアに向けていた。
「見知った人間の葬儀が控えているんだ。気が重くなっても仕方が無いと思うが―――あまり、深みに嵌りすぎると、本番が辛いから気をつけたほうが良い」
心からの心配、と言うよりはいっそ儀礼的な、率直に言ってしまえば一人になりたいのに目の前で沈んだ顔をされているのも些か煩わしいと、そんな風にも聞こえる言葉だった。
「沈痛そうな顔をしているのは、むしろお兄様のほうじゃないですか」
マリアは眉を顰めて答えた。アマギリはその言葉に瞬きする。
「私が?」
「随分、重たそうな顔をしてらっしゃいますよ。……その、余り聞きなれない口調のせいかもしれませんけど」
付け足すように言われた言葉にアマギリは微苦笑し、襟を緩めるように首元に手をやった。
「一応、場所が場所だから、気をつけてるんだよ。そんなに私がこういう喋りをするのは似合わないかい?」
おどけたような態度と口調。何時ものアマギリがそこに居た。
マリアは何処か安心したように息を吐いて、テーブルの上のスイッチを操作して室内に明かりを点した。
「―――いえ。逆に嵌りすぎていて戸惑う所がありますけど。私としては、普段からそのままでも良いと思いますわよ?」
「顔を忘れたけど、こんな喋り方してた筈の知人の真似をしているだけだから、普段からやれと言われても困るんだけどね」
「あら、残念。それにしてもお兄様。初の外交で女王の名代として全権特使なんて仕事を押し付けられている割に、随分余裕ですわね」
普通、緊張で他人を気遣う余裕など無いだろうにと皮肉気な視線を向けてくるマリアに、アマギリは肩を竦めて応じた。
「私にとって今回の件は、顔も見たことの無い他国の王の葬儀、以上のものにはならないからね。死者を弔う祭事と言うよりは、この場を利用した諸外国に対する示威的行動を取るというまつりごと―――政治の気分が大きい。母上の名代と言うのも、言うなれば何時もどおりと言うことで、今更おたおたする事も無い」
「お兄様は、皇王陛下とは面識がありませんでしたわね、そういえば」
「通信機越しに会談でもするかって言う話も合ったんだが、私がこういう立場におかれた段階で、もう皇王陛下は病床の身であったらしいからね。そのまま一度も話す事も無く、だね。残念かどうかは、まぁ、判断に困るか。―――マリアは、何度かお会いした事があるのだろう?」
会った事の無い人間の死を悼むのは難しいと、素直に語ってしまえるアマギリの態度は、逆にマリアにとっては納得のいくものだった。
この兄が知らない人間の死に涙を流せるような感性の持ち主だったら逆に驚いてしまうし、明日からの対外的なスケジュールを考えれば、そうであっては困る。
「園遊会などで幾度か対面した事はありますが―――今よりも幼い頃ですし、正直な所余り記憶に無いというのが本音だったりもします。ですから、私もお兄様と同じで、”まつりごと”だと言う意識のほうが強いですわね」
「王族同士の付き合いなんて―――世代も違えば特にそんなものだろうね。葬列に参加する殆どの人間がそうだろうし、余りその辺を深く考えても……そうか、だからか」
世知辛い話だと肩を竦めていたアマギリは、何かに気付いたように一つ頷いた。
「何がですか?」
「ああ、母上が私たちに全部を押し付けた理由がね。―――私たちにとっては遠い人だけど、母上にとってはそうとも言えない、一応は縁戚も結んでいるそれなりに親しい関係だっただろう? だから、死を悼む暇も無いような”まつりごと”に参加するような気分には、なれないんだろうね」
今回は丁度、押し付けられる人材もいることだしと他人事のように語るアマギリに、マリアも曖昧な表情で同意した。
「葬列に参加したほうが返って故人を悼む事にならないと言うのが―――なんとも、やりきれない話ですわね」
特に、それに参加する自分たちも同じ穴の狢だと言う所が、とため息を吐く妹に、兄も苦笑して頷く。
「それこそ王の孤独―――とでも、言った所じゃないかな。母上もまだ二十台半ば。為政者としては随分若い方だから、こう言う時位は気を使ってあげても良い」
「そういうのは普通、親が子に見せる気遣いだと思いますが。いえ、お兄様がお母様に対して想うのであれば、全く問題は無いですか。―――こんな所にまで来てノロケ話を始めるなんて、全く、空の向こうで故人が泣くのも当然ですわね」
嫌だ嫌だと冗談めかして言うマリアに、アマギリは肩を竦めて窓の向こうに視線を移した。
霧雨に霞む、街明かり。幻想的で、もの悲しい光景。
「雨に封ぜられた街。―――さしずめ雨の契り。いや、この景色なら霧の封印、か」
遠い遠い、何処か此処ではない遠くを見ているかのような言葉。習うように霧の向こうを眺めていたマリアが、訪ねる。
「随分と詩的な表現ですけど―――それは?」
「あれ、知らないのか。割と有名な御伽噺だと思うのだけど」
確認するように尋ねるアマギリに、マリアは聞いたことも無いと首を横に振る。
それは勿体無いと、アマギリはその物語を語りだした。
―――樹と少女と、そして一人の王子の物語を。
※ シーン25が妙にハイテンションだったのでクールダウン、と言うわけでも無いのですが、まぁ。
ところで、現在進行形のアニメ原作の方では、シトレイユはどうなってるんでしょうか。
国連治安維持軍が駐留して戒厳令でも敷いてるのかな……。