・Sceane 3・
「今日からこの子が、貴方の新しいお兄さんよ♪」
戦地から帰還した後もそれなりに忙しそうに残務処理をしていた母フローラ。それ故にマリアは謁見を控えて私室でおとなしくしていたのだが、その日唐突に母から呼び出されることとなった。
母が呼び出したのは内裏―――すなわち王宮内の王家の私的な空間の中にあるちょっとしたリビングだった。
そこを訪れたマリアを待っていたのは、優雅にソファに腰掛けた母と、その隣に座る、困ったような笑顔を浮かべている彼女より幾らか歳が上に見える少年だった。
誰だろうか。マリアは判断に迷った。
内裏の中に踏み込める、歳若い少年。装いから見て、それなりに高貴な身の上―――と言うか、何故ハヴォニア王家の物が纏うデザインの衣装を着ているのだ。
まさか何処かから拾ってきた自分の婚約者ではあるまいな。マリアは母の奇行になれている手前、そんな事を考えた。だが、国内、国外問わず、各の如き少年を見た覚えは無い。
未だ十歳に満たぬとは言え、マリアは王族の義務として社交界で活動し始めていたから、他国の同年代の王侯貴族の顔には通じていた。
対面のソファに腰掛、挨拶もそこそこに、マリアは母の腕に抱えられてあからさまに困っている少年が何者であるかを訪ねた。
そして、返ってきた言葉が冒頭の一言である。
新しい、お兄さんよ。
仮に未亡人である母が身篭ったとして、生まれ出でてきてもそれは弟にしかならない。
兄、ですって?
つまり何か、今は亡き父の不義理が―――いやいや、あの気の弱い父に、浮気などと言う大それた行動は出来まい。そもそも、娘よりも継承権の低い入り婿だし。父の血しか引いていないのであれば、王子になどなれる筈も無い。
ニコニコと微笑んだままあからさまに娘の反応を楽しんでいる母を置いて、マリアは兄とされている少年を見やる。
線の細い、特にこれと言って特徴の無い朴訥な顔の少年。身に纏う服は真新しいもので、まだ身体に馴染んでいないのであろうが、それ相応に少年の居住まいに馴染んで見えて、場違いと言う風には見えなかった。
悪くない血筋の出身なのだろう。マリアはそう判断した。そう判断して、より一層混乱していた。
―――だからって、何で兄?
母は―――人の疑問の顔を楽しんでいるだけだ。ならば、とマリアは少年本人に尋ねてみようと考えた。
「その、貴方は―――」
「アマギリちゃんよ」
「は?」
マリアが少年に呼びかけたところで、母が口を挟んだ。
だが、母の言葉に反応したのは少年の方だった。何を言われたのか解らないと、不思議そうな顔をしていた。
母はそんな少年の言葉を知ってか知らず―――いや、絶対に気づいているに違いないが―――か、にこりと微笑んで、少年を抱きしめる手をさらに強めながら言葉を続けた。
「アマギリ・ナナダン。それが子のこの名前よ」
「はぁ……。アマギリさん、ですか」
マリアは微妙な表情で頷いた。彼女の知る限り、ナナダン家には母フローラとマリア自身しか居なかったはずだ。アマギリ、などという少年が居たなどという事実は知らないし、彼女の記憶している国内外の諸侯たちの中にも、そのような名前の人物はやはり居なかったと思っている。
大体その、異世界人風の名前は何なのだろうか。いや、人の名前をけなすつもりは無いのだが。今は学業中ゆえに、傍に居ないマリアの近侍であるユキネをはじめ、ハヴォニワには異世界人風の名前を子供につけると言うのが一時期流行ったことがあるらしいし。
だが、そんなマリアの思考を否定したのは、他ならぬアマギリと紹介された少年だった。
「……あの、僕の名前はアム・キリなんですけど」
「は?」
今度は少年に代わりマリアが声を上げてしまった。
兄だったりアマギリだったりアム・キリだったり。マリアにはまったく意味が理解できなかった。
ことこういう状況のとき、マリアの解釈方法は決まっている。
つまりは、母の言を取り除けばいいだけだ。この母はとにかく場を混乱させて楽しむ悪癖があるのだから。
「つまり貴方はアム・キリさん。……アムさんで宜しいのかしら」
にこりと微笑んだ―――少なくとも本人的にはそのつもりで、しかし傍から見れば額に血管が浮いていたりもするのだが―――マリアに、少年は困った風に笑って頷いた。
「ええ、一応そのつもり……」
「違うわよ、この子の名前はアマギリちゃん。アム・ナナダンだと響きが余り良くないでしょう?」
だが頷こうとする少年を押し留めて、フローラが娘の言葉を否定した。
マリアの眉がピクリとゆれる。
「たかが響きの良し悪しで、人様の名前を勝手に変更するのもいかがかと思いますわよ、お母様?」
「あら、こういうことは結構大切なのよ。大事な一人息子ですもの。何れ社交界に出たときに名前のことで陰口をたたかれるようなことがあったら、母として見過ごせません」
少年を胸元に抱きしめたまま、芝居がかった口調で続ける母に、マリアの堪忍袋の尾が切れた。
「だからな・ん・で、キリ家のアムさんがナナダン家のアマギリ王子に変わるんですか! とっとと説明なさい!!」
「いやあの、僕も別に、キリ家何ていうものを起こした記憶も無いんですけど……」
「外野は黙ってなさい!!」
「……はい」
困り顔で自分の名称の問題に横槍を入れた少年の言葉を、マリアは切って捨てた。
鋭い眼光に、少年も思わず黙ってしまう。
一睨みで年長の少年を黙らせたマリアは、ぎょろりと視線を動かして母フローラの微笑を睨み付けた。
「さぁ、説明なさいお母様。解りやすく、簡潔に、私が理解できるように」
「だからぁ、今日からアマギリちゃんがマリアちゃんのお兄ちゃんになるの。……ああ、継承権の事なら安心なさい。ウチは女系女子が優先だから、マリアちゃんが次期女王ってのは変わらないわよ」
「そんな事は当然としても、簡潔かつ適当で、しかも投げやり過ぎます! 経過を説明なさいと言っているのです!」
「……もう、マリアちゃんたらジョークが通じないんだから」
とぼけた物言いに、さらにマリアが肩を怒らせそうになる。
フローラは娘の感情的で素直な態度に微笑を浮かべながら、ゆっくりと経過―――つくりばなし、とも言う―――を語って聞かせた。
「つまりこのアマ……アム、いえ。アマギリさん? いえ、様? とにかく、この方は亡き先王陛下……私の曽祖父に当たる方が晩年残されたご落寵であらせられると。―――それが先ごろ発見されて、嫡子の不足に悩むナナダン家の思惑に一致し、このたびお母様の養子として王籍簿に組み込まれることとなった、と」
そこかしこへと外れていく母の語りを何とか統合し、噛み砕いて解釈したマリアの言葉に、語り聞かせたフローラ当人は満足とばかりに頷いた。
「嘘だけどね」
ガン。
あっさりと笑顔のまま嘘と言い切る母の言葉に、マリアはテーブルに頭を打ち付けることで答えた。
「お・か・あ・さ・ま?」
地獄のそこからうなり声を上げるように、マリアは母に怨嗟の声を浴びせかける。
だがフローラも然る者、自身の半分にも満たぬ年端も行かぬ実の娘の怒りなど、軽く方で受け流して見せた。
「こんな自分もだませないような三流脚本、真実と思う方がどうかしているじゃない」
企画・脚本:フローラ・ナナダンによって作成されたシナリオを、フローラはあっさりと笑い飛ばしてみせる。
危うく信じかけていた娘としては、怒り以外の感情は浮かべようが無い。
「だったらそんな紛らわしい言動を控えて、早急に事情を説明して欲しいんで・す・け・どぉ……!」
放って置いたら淑女にあるまじき歯軋りでも始めそうな塩梅のマリアに、しかし母は余裕たっぷりの微笑を崩すことは無かった。
「だから事情は説明したでしょう? この子は私のお爺様の……」
「お母様っ!!」
先ほどの無駄に回りくどかった作り話をもう一度繰り返そうとするフローラに、マリアの怒りがついに限界を超えた。
テーブルを叩き腰を浮かせて母をにらみつける。
笑みを崩さぬ母。顔を真っ赤にして怒る娘。
ちょっとした緊迫感さえ漂い始めた広いリビングで、その空気を打ち破ったのは半ば存在を無視されていた少年の言葉だった。
「……つまり、強弁であろうと押し切ってしまいたい事情があるってことですよね」
そっと、首に絡められていた女王の腕をはずして身体を起こしながら、今やアマギリと名乗るより他無くなったと理解した少年が言った。
落ち着いた物言いのアマギリ少年の態度に親娘が目を瞬かせる。
その意味に気づいてか、アマギリは困ったような笑みを作る。
純粋に、彼の頭上で交わされ彼の意思が介在する余地の無い、彼に選択肢の無い話だったから、状況を理解している事実に驚かれているのだろうなと、アマギリは考えた。
無理を通して道理を叩き返すのよ。
そんな風に、アマギリは昔誰かに言われたことを思い出していた。
その言葉を誰に言われたかまでは思い出すことも無く、しかしアマギリは気軽に自分の考えを披露した。
「当たり前の話ですけど、生まれもはっきりしない底辺者を王室に迎え入れるなんて常識で考えて有り得ません。だと言うのに女王陛下は自身でも無理があると認めているような設定を創作してまで僕を此処に引き留めようとしている。―――いや、手元に管理しようとしていると言った方が正しいですか。でも、僕自身はさっきも言ったとおり辺境で猟師でもやってるような学の無い底辺者ですから、殿上人のお達しがあればその下に付くことに否と言うことは無い―――と言うか、命も惜しいですし、出来ないんですよね。なにせ、銅貨数枚程度で取引できる安い命ですから」
そこまで語った後に、アマギリはいったん言葉を切って二人の顔色を伺う。
マリアは、幼い顔立ちに戸惑ったような表情を浮かべ、しかしフローラは口元こそ笑みを浮かべたままだったが、その目は明らかにアマギリを探るような冷徹なものに変わっていた。
正面から視線を合わせると、それはとても恐ろしいものだった。
「―――続けて」
硬い響きで、フローラが促す。一度唾を飲み込んだ後、アマギリは自身の言葉をつなぐ。震えていませんようにと頭の片隅で願いながら。
「はい。―――、僕を留め置くのに女王陛下は僕に対しては何かを気遣う理由は無い。だというのに、これほど無理のある設定をわざわざ創作するのは何故か。単純に解釈すれば、その必要があるからとなりますよね。しかし僕に対する理由は必要ないと既に解っていますから、これは僕以外の誰かに向けての言葉となる訳です。僕以外の誰か。―――誰でしょうか。王女殿下? いえ、でしたらああもあからさまに嘘だとは言いません。先ほどの言葉はつまり、王女殿下には嘘だと解った上でそれを受け入れて欲しいという事を意味していたと解釈できます。つまり、身内―――内側、これを何処まで含めるのかは、あいにく判断材料が足りませんが、身内には真実を知られていてもまったく構わない、むしろ一緒に口裏を合わせて欲しいと思っていると取れます。ならば、この作られた事情は内ではなく外の人間に向けて作られていると考えるのが妥当。例え嘘だとしても、王室とそれに付随する者たち全てがそれを是としている以上、対外的にそれは真実という事になりますから。それに異を唱えるのは不敬に過ぎますからね。例え誰もが嘘だと理解していても、です。―――さて、それを踏まえて。積極的に嘘を重ねてまで留めおきたい僕は果たして、何者なんでしょうか。如何様に、希少な人材なのでしょうか?」
「―――え、わた、私?」
手のひらを返すしぐさで、アマギリは突然マリアに話を振った。
その落ち着いた所作は、本人が言うところの学の無い底辺者の態度にはとても思えなかった。無駄に持って回った言い回しといい、どこかでまともな教育を受けていなければ不可能な多弁ぶりであった。尤もフローラはそう思いつつも、それを顔に出すことはしなかったが。
さて、唖然としたままアマギリの語り口を聞いていたマリアは、突然に振られた話に思わず慌てて左右を見回してしまった。
もちろん、そんな事をしても誰も助けてくれる人はおらず、対面で座っている母と兄になってしまうことが確定付けられた人物に笑われてしまうだけの結果しか残らないのだが。
その向けられる二つの微笑に、マリアは自らの醜態に気づき頬を赤らめ、一つわざとらしい咳払いをした後に自らの思考の整理を始めた。
つまりアマギリの言っていたことを総括すれば、彼は自身を嘘をついてまで対外的に所有権を主張したくなるような人物である、と纏める事が出来る。
そして、問題はそれが何故かという事。
希少な人材。アマギリがなかなか頭が回りそうであることは理解できたが、それは別に、王室に招き入れる必要が発生するほどの要素にはならないだろう。
希少。希少と言う評し方をすることは、そうそう無いだろう。この国で無理をしてでも確保したいような希少な人材―――そんなもの、一つしかあるまい。
「男性聖機師。―――ですね、貴方は」
マリアの言葉に、アマギリは差し出していた手のひらを胸元に戻して、一礼した。
「なるほど確かに、これまでにない血統から誕生した男性聖機師であれば、無理を押してでも所有権を主張したくなる気持ちも解ります。戦略物資に匹敵する価値がありますから」
「そしてその維持費用も、戦略物資に匹敵するほど高価なのよねぇ~」
よく出来ましたとマリアをほめるように、ひらひらと扇子を振りながらフローラが続けた。
いつの間にやら、再びアマギリのことを抱きしめていた。
「……大体解りました。つまり国費ではこれ以上男性聖機師の維持費用を負担することは不可能で、かつ男性聖機師であるが故に諸侯や他国へ渡すことも憚られるから、王室費でそれを計上するために仮初の王族にしてしまおうとお母様は考えたわけですね」
自身で学んだこの国の現状を思い出しながら、マリアが考察の纏めにを口にする。
その言葉に何故かアマギリが不思議そうな顔をした。
「あの、聞き伝ばかりでいまいち実感がわかないんですけど、そんなにかかるものなんですか、男性聖機師の維持……あー、生活費は?」
アマギリ個人は単純に、費用という事よりも自身がもたらす聖機人に対する変化に関するが故のこの扱いだと解釈していたから、女王陛下自らが金がかかると言い出すほどに、男性聖機師の維持費用が高価なものだとは実感していなかった。
そんな貧乏な底辺者の質問に、フローラはあっさりと答えた。
「土地も持たず仕事もせず、つまりは収入はゼロのくせに、出費だけは爵位の高い大貴族級ってところかしら」
「ああ、年度予算を見ると馬鹿らしくなってきますわね、アレは。しかも、聖機師として登録されているが故に、使わないのに専用の聖機人も回さなければなりませんから」
女王の言葉を肯定するように、マリアが扱き下ろす。
女性陣の余りの物言いに、アマギリは苦笑いを浮かべた。
何せ今日から自分も、そのロクデナシの一人に仲間入りなのだ。引き返せない自分の現状に、さっき自分で止めを刺してしまったのだから。
「あら、アマギリちゃんは大丈夫よ。王家の人間として、沢山お仕事してもらうから。私の代わりに閣議に出たり、私の代わりに直轄領の運営をしたり、私の代わりに外遊に出たり……」
「今日突然王族になった人に女王の公務を代替できるわけ無いでしょう! いい加減にしてくださいお母様!」
「マリアちゃんはお兄ちゃんのことをしっかり支えてあげてね?」
「お母様っ! ……って、何処行くんですかお母様、まだ話は……っ!」
「だってもうお仕事の時間ですもの。アマギリちゃん、マリアちゃんと仲良くね」
新たな息子の頬に軽く口付けた後に、フローラは娘の怒声を笑って避けながらリビングを後にした。
ドアまで追いかけながら尚母に向かって罵声を浴びせるマリアを見やりながら、アマギリは全身にたまった疲労感を拭う様に背もたれに身体を預けた。
アマギリ・ナナダン。新しい、僕の名前。
元々アム・キリと言う名前にしたって、うわ言で口走っていた単語を繋ぎ合わせて適当につけたものらしいし、名前を付け替える程度、何も問題は無い。
元々身内も居ないし行く当ても無かったから、誰かが便利に使ってくれると言うならば、それを受け入れるても良いだろう。
特に、この女王陛下は顔も覚えていない何処かの誰かに似ているような気がするし、暇にならない程度に扱き使ってくれる事だろう。
だから、と。
彼はため息一つ吐いただけで、その事実を受け入れた。
胸の奥で何かが、彼ではない誰かの鼓動が、祝福するかのように、揺れた。
・Sceane 3:End・
※ 八回目で漸く主人公の名前が出てきた件。漢字で書くと雨霧ですかね。