・Sceane 25―1・
『もう話は聞いているわね?』
一月ぶり、通信装置越しに話すハヴォニワの女王フローラの姿は、常と変わらぬ泰然とした微笑を湛えたものだった。
「ええ、来るべきものが来た、と言うヤツですね」
対するアマギリも、オデットの管制室に儲けられた天鵞絨張りの椅子にゆったりと腰掛けた、余裕のある態度であった。
向かい合う互い、両者共に従者を傍に侍らして。それは正しく王族達のやり取りだった。
フローラはアマギリの態度に満足したのか、笑みを深めて話を続けた。
『去年の暮れから病臥していて、ここ数週の間がヤマだろうとは聞いていたけど―――思ったよりも少し、早かったかしら』
「狙った訳ではないでしょうけど、どうしようもなく”その後”のスケジュールがシンプルに進むタイミングでの崩御ってのは―――やっぱり少し、考えちゃいますよね」
『喪に服して一年、明けて三ヵ月後に戴冠、その一月後に、留学。宰相閣下が手を回したとか―――本気で言ってる?』
「まさか。でも、そう思う人は居るでしょうから、きっと少し困っているんじゃないですか、ババルン・メストは」
朗らかに交わされる会話の内容は、正しく一人の人間の死にまつわるもの。笑顔で語るには、些か不謹慎ともいえるが、しかし彼らはその態度を崩す事は無かった。
死者を悼む気持ちが欠けている訳ではない。
ましてや、広義の上では身内の死とも言える仕儀。フローラにとっては見知った顔との別れでもあるのだから。
ただ、立場として死者を悼んで現実を置き去りにするわけにはいかないから、余裕のある態度を選んで作っているだけである。
「それで、ウチはどんな風に? 第一国境警備軍でも前進させるんですか?」
意図せずとも重たくなってしまう空気を避けるために、アマギリは殊更軽い口調で今後の予定を尋ねた。
国境を接する国の皇王の死である。しかも跡を継ぐべき皇女がまだ、年端も行かぬ少女とあっては、色々な混乱も予測される。
因みに、第一国境警備軍と言うのは、シトレイユとの国境沿いの防衛を担当する軍団である。それを前進させるとあらば、言っている意味は悪趣味な冗談以外には有り得なかった。
『貴方が総大将を勤めてくれるって言うんなら、やってみるのも面白いけど、倉庫から運び出される前の火薬に自分から火を付けに行くってのも手間が掛かりそうよねぇ』
「じゃ、予定通り傍観って事ですか」
本気とも嘘とも取れるフローラの言葉に、アマギリはあっさり戯言を撤回する。基本的にフローラの口から出る言葉は本音しかない―――そんな風に、実の娘さんから聞いていたからである。
本気で受け取られてはたまらないという態度のアマギリに、フローラはつまらなそうに扇子を翻しながら応じた。
『ケルケリア、オルゴン、クラウシアの三国隣接地帯の監視も兼ねて第三軍だけは警戒態勢を上げるけどね。調停役のシトレイユが暫く動けなくなりそうだから、馬鹿なことを考え出すかもしれないし』
三つの小国、二つの大国の国境線が複雑に絡み合う政情不安定地域だけは、動向を注視する必要があるというフローラの意見だった。もとよりそれは必要だろうと考えていたアマギリも頷いて応じる。
「あそこ、国が重なりすぎてますよね。資源も無いくせに、皆引くことを知らないから」
『それこそ、宰相閣下が天下取りたての一仕事でも、してくれれば良いのにねぇ』
「あー、葬儀の席で会ったら、唆してみたら如何です?」
吉報をお待ちしておりますと、投げやりな口調で言うアマギリに、フローラはニコリと微笑んで首をかしげた。
『あら、私は葬儀には出席しないわよ』
「……は? え、マジですか。一応友好国でしょ?」
当代が縁戚関係にある隣国の葬儀に、女王が出席しないと言うのも如何なものだろうかとアマギリは目を丸くしてしまう。
「じゃ、王女殿下に一任って事ですか?」
『いいえ、まさか。一任してしまうには、まだマリアちゃんには経験が足りないわ』
「それなら、どう……って」
流石に大臣送ってご焼香では済まされないだろうから、女王でなければ次期女王かと、アマギリがそう聞くと、フローラは微妙な言い回しで返してきた。
マリアだけには一任できない。なら、誰かもう一人用意してやれば良い。
「……マジですか」
『マジよ』
苦い顔をして主語を入れずに問うアマギリにフローラは当然とばかりに頷いてみせる。
『アマギリ・ナナダン。貴方は私の名代、正使としてシトレイユの国葬に参列しなさい。副使としてマリアをつけます』
「って、僕が正使ですか!?」
会話の流れから薄々自分もシトレイユに行く事になるのだろうなとは感じていたが、精々マリアのオマケ程度だと考えていたから、アマギリとしては驚くしかない。
何しろハヴォニワの次期国王はマリアで既に決まっており、マリアの代になる頃には国内の意思統一が完了するようにフローラも動いているのだから、今更それを乱すような”別の可能性”を表に出すのは問題がある。
「流石にそれは……」
考え直してもらえないかと眉根を寄せるアマギリに、フローラはしかし、きっぱりと首を横に振り意見を変えることは無かった。
『駄目よ。貴方がしっかり主役を演じてきなさい。貴方はナナダン家の長子。自分でそうあると宣言したのは、貴方でしょう?』
逃げを打つのは許さないと言う、それははっきりとした言葉だった。
『私の代わり―――私の意見を代弁するには、マリアちゃんはまだ経験不足だわ。でも、貴方なら出来るでしょう? ―――ついでに、お兄ちゃんなんだから、しっかりマリアちゃんの弾除けやって来てって言うのもあるのだけれど』
「ああ、後半の理由は納得です。精々、怨まれて恐れられるくらい目立って来いって事ですね」
ようするに、当代の代理兼、”本物の”次代から衆目を逸らさすためのダミーの役割もやって来いと言うことか。
演出としては悪くないし、何より得体の知れない存在であるアマギリを完全に掌握していると言う証左にもなるだろう。アマギリは納得というよりは、諦め混じりの苦笑を浮かべて頷いた。
「似たもの親子、らしいですからね僕らは」
『きっと貴方を仕込んだ人とは、私は気があうと思うのよねぇ。そのうち、紹介して頂戴な』
「……それは、何だか嫌な予感しかしないので、本気で真面目に真剣に勘弁してください」
そこだけは、理由は解らないが断固として完全に拒否せざるを得ないアマギリだった。
『そんな訳だから、後で報告さえしてくれれば貴方の好きなように動いて構わないから、精々遊び相手の顔でも拝んでらっしゃいな。―――きっと、向こうも貴方に会うのを楽しみにしているわよ』
「オッサンが顔を見るのを楽しみにしているって聞かされても、全く嬉しくは無いですけど……まぁ、了解です。正式に招待状が届き次第、聖地から直接向かっちゃって良いんですよね?」
『ええ、マリアちゃんとは現地で合流して頂戴。―――ああ、そうだ。一つ忘れていたわ』
アマギリの言葉に頷きながら、フローラは何かに気付いたように言った。
「何です?」
『今回、マリアちゃんも一緒でしょう』
疑問の言葉を上げるアマギリに、当たり前の言葉を繰り返すフローラ。一瞬何を言われているのか解らなかったが、すぐにアマギリは意味を理解した。傍らに直立する女性をチラリと見ながら口を開く。
「聖機師ですか」
『そう。ユキネちゃんはマリアちゃんに着く事になるから、貴方の傍仕えが居なくなるのよ。国内や聖地であればそれほど問題にもならないんだけど、流石に外交の場で、王族に供回りの一人も居ないって言うのは』
問題、困っているように見えて、困らせて楽しむつもりに違いないと、モニター越しにアマギリは確信していたが。
事実として、バストアップで表示されていたフローラの映像から、着座している全身が表示されるまでカメラが引くと、玉座の傍に置かれたテーブルには見合い写真としか思えないファイルが山と積まれていた。
『とりあえず、上は三十、下は十二歳のこの中から、好きな子を選んで頂戴』
「……先日、婿にしたくない王族No.1の称号を頂いたと聞いた覚えがあったんですが」
嫁にはなりたくないけど部下ならば構わないという人が多いのだろうかと、アマギリはどうでもいい事を考えてしまう。と言うか、十二歳の護衛は無いだろう。
『どうせ貴方の事だから、そっちでもそういう人は見つけてないんでしょう?』
「こっちでは自分の事で手一杯でしたから」
『嘘ばっかり、邪魔になると思って後回しにするつもりだけだった癖に。前に言ったでしょう? いい加減に自分の遊びに他人を巻き込む覚悟をつけなさいって』
「……いや、まぁ」
返す言葉も無い。適当な人間を護衛に選んで足を引っ張られても困るので、アマギリは急いでまで自身の部下と言うものを持とうとしなかったのである。
大抵の事は自分でこなせるだけの器用さがあることが、ある意味での彼の欠点だった。ついでに、多対一で数の優位にのぼせ上がっている連中を、上手く罠に嵌め叩きのめす事こそ至上、と考えている部分もあったりするので、余計に人材発掘へ向ける情熱に欠けているのだった。
それに、アマギリにとってハヴォニワの人間は全てマリアの物であるという意識が強かったので、国内に自分と言う存在を余り意識させる訳にも行かないと思っていたから、人材探しに積極的になれなかったという側面もあった。
フローラが見つけてきた人材ならば、癖はあるに違いないが、有用な人間ばかりなのだろうが、やはりそれでもハヴォニワ国内の人間を選ぶ気にはなれない。
かといって、それを謝絶して誰も連れずにシトレイユ行きなどと言う、ハヴォニワのメンツを損ねるような真似も出来なかったから、アマギリの取った手段は単純だった。
即ち、適当に手近な所から選ぶ事である。
そして、アマギリが選べる手近な人材は、酷く限られたものだった。
「じゃ、せっかくなので一つお願いがあるんですけど」
頼みごと。
アマギリ・ナナダンが誰かに頼みごと。普通、考えられない光景だった。隣で無言で控えていたユキネも、ありえないものを見るような目でアマギリを見る。
モニター越しの女王フローラだけは、とても嬉しげな顔をしていた。
『あら、珍しい。何でも言って頂戴?』
内容を聞く前に聞き入れる体勢である。アマギリはその意味を深く考える事は避けつつも、今は都合がいいと朗らかに応じた。
「ええ、一人だけこっちに居る人間に宛てがありまして。出来れば、女王陛下から手を回して頂けると」
『あらあら。つまり私が手を回せる範囲に入る子なのね』
アマギリの言葉にフローラは、楽しそうに微笑んだ。概ね、誰の事を指しているのかは理解しているらしい。
アマギリも頷いて応じる。
「ええ、何しろスポンサーですからね、こっちは」
アマギリは一人の少女の名前を告げて、フローラは賛同の意を示した。
―――そうして、本人の了承を得ぬままに外堀は埋められ、シトレイユを目指すオデットの乗員に、一名が追加される事となった。
※ この世界の地理って良く解らんのよねぇ。
八話以降のスワンの飛行ルートとか、割と謎っぽいし。行ったり来たりしてない、アレ?