・Sceane 24-1・
聖地学院の二学期が始まり、当然、夏季休業状態だった生徒会の活動も再開される。
尤も、夏季休業状態だったのは積極的に生徒会への参加の意識が低い一部の役員のみで、例えば何でも一人でやろうとしてしまう生徒会長なんかは、夏休みで学業がストップしているからこそ、積極的に活動していた。
むしろ正確に言えば、積極的に活動していたのは生徒会長ただ一人なのだが。
そんな訳で、二学期最初の生徒会役員会議は、ポツポツと帰国の遅れ居ている人間の欠席を挟みつつ、どこか休みの気分の抜けない気だるい空気の中で始まった。
議題は、授業内容にすら口を挟めるこの学院の生徒会の会議にしては、たいしたものではない。
今学期のスケジュールの確認と、そして、前学期に行われた各種行事の事後報告であった。
「山間行軍演習中の遭難者発生事件における最終報告……ねぇ」
その議題に突入した瞬間に、会議場の空気に緊張が走った。
一言呟いた主、上座に最も近い右列最前に座る少年に、一斉に視線が集中する。その殆どが、大小なりと怯えを含んだものであったが、視線を受ける少年は何処吹く風。
素早く視線を走らせながら、手にした報告書を読み進めている。皮肉気に歪む口元が、いっそ不気味な気配をかもし出している。
「捜索隊運用費ならびに艦船等整備費の予定外出費。および倉庫内に閉まってあった各種備品の整備状態を再調査するための別途費用……各国に対する最終答弁書の作成。血の様に金が流出されてますね」
ただ事実だけを記した報告書を読み上げているだけの筈なのに、何故、そんな喜劇を観賞したかのような楽しそうな声で語るのか。会議机を囲う生徒達の心境は一致していた。
会議室は、今や少年が報告書を捲くる音、呟く言葉だけで満たされていた。
誰も何も、発言できない。特に下座に位置する生徒達は、立場上余計にそういう思いが強かった。
率直に言えば、発現の出来ない彼らは、少年に対して後ろめたい気持ちで満ちていた。
なぜならば彼らは皆、”誰か”がアマギリ・ナナダンを”嵌める”事に反対の意見を挟まなかった。
彼の少年が大国の謀略に巻き込まれるのを、これ幸いと観戦に回る事にしたのだ、自分たちは。当然、それは自分の意思ではなく、それぞれの背後に居る大人たちの意見だったのだが、実際に被害にあった人間にしてみれば同じ事だろう。
同じ、報復の対象だろう。
この事態の仕掛け人の一人、ダグマイア・メストが自身の得意とするチェスの勝負で、酷くプライドを傷つけられるようなあしらわれ方をしたのだと、何処なりと噂が広がりだしている。
素人同然の打ち方をするアマギリ・ナナダンに、侮蔑と嘲笑の中で敗れ去ったと、そう言われている。最早それは隠しようが無いほど聖地中に蔓延する噂だった。嫌がらせとも思えるほど執拗に、地下で作業を行う侍従たちですら知らぬものは無いほど、徹底的に。
ダグマイア・メストとアマギリ・ナナダン。どちらの格が上か、はっきりとさせるとばかりに。それは、あからさまに意図的と思えるほどに、それを隠す事も無く徹底的に広められていた。
今までなら決してあり得なかった、シトレイユ宰相子息に対する悪意を持った噂。
それが容赦なく公に晒されているのだから、発生源は考える必要も無い。
ダグマイア・メストと同等か、それ以上の立場を持つ人間。シトレイユと同等の、聖地に隣接する三国の内の一つ。そこに所属する、ダグマイア・メストに個人的な恨みを抱いていても可笑しくない人間。
それが、ただ呟くだけで会議室の空気を変えた、少年。アマギリ・ナナダンその人だった。
ふぅ、と。上座に座る生徒会長リチア・ポ・チーナは誰にも見えないようにため息を吐いた。
こうなるだろうと想像はしていたが、いっそ予想以上の無意味な緊張感に、頭が痛くなってくる。
やはり、議題に上げるべきではなかったか―――そうも思いたくなるが、リチアは生来の生真面目な性格から、そういった日和った行動をとる事は憚られた。
その挙句、これだ。
ニヤニヤと口を歪ませながらプリントに目を落とすアマギリ。
そういう”イヤらしい”態度をとれば場の空気が悪くなる事は理解しているだろうに、アマギリはあえてそうした態度を見せている。
興味が無さそうに報告書を机に置いたまま腕を組んでいるダグマイア・メスト。まるで自分が無関係であるかのような泰然とした態度である。
両者は両者供に互いの事を意識していないような態度をとっているが、その真実は誰にも及びつかない。
いっそ、激しく罵りあいでも始めてくれれば、生徒会長権限で退出を促す事も出来ただろうに、自身に非難が及ぶような事はしない。
この糞餓鬼どもがと、罵りたくなる気持ちを、リチアは必死で堪えていた。
何しろ、二人ともただ座っているだけなのである。会議の進行を乱すような事は一つもしていない。ただ、周りが勝手に気を使って空気を悪くしているだけだ。
親友、左列最前に座るアウラ・シュリフォンの気遣うような苦笑いが、むしろ惨めな気分にさせた。
だからと言って、リチアは職を投げ出す積もりも無かった。気を取り直して会議を進めるために口を開く。さっさとこの議題を終わらせた方が、いくらか空気も良くなるだろうという思いもあったのは事実だが。
「それでは、質疑応答に移ります。報告書に記された事案について何か疑問点の有る人間は挙手を」
そんな事を言われても、このよどんだ空気の中で手を上げられる度胸のある人間なんて居ない。
ただ、全員が何となく上座近くに座る二人の少年の様子を伺うだけだ。しかし、アマギリ、ダグマイア供に無言で報告書に視線を落としている。発言の気配も見せない。
無言のままの時間。空白。緊張感が充満する。
「……アマギリ。アンタ当事者として何か無いわけ?」
このままでは埒が明かないと、リチアはまだ組し易いと思われるアマギリの発言を促した。
この少年は人を食ったような態度ばかりをとるが、空気だけは読める少年だった。尤も、空気を呼んでもその通りに動いてくれる保障は何処にも無いのだが。
一応自重はしろよという視線で睨みつけては見るが、アマギリの態度は飄々としたそれだ。
皮肉気に哂うままに、口を開く。リチアには、嫌な予感がした。
「ま、見積もりの甘さが事態の悪化を促すっていう、良い前例になって良かったんじゃないですか? 下手すりゃ死人が出てましたし、教訓としては充分でしょう」
「……死んでたのアンタでしょうに、何でそう発言が他人事染みてるのよ」
嗜虐感たっぷりに周りを威圧する言葉を口にするアマギリに、リチアはうめき声を上げる。
しかし、アマギリの言葉はリチアの予想を超えていた。
「それが、つまり見積もりの甘さって事ですよ、生徒会長」
ギ、と少し誰かが怯えたように椅子をずらした音がした。その発生源を特定する暇も無く、アマギリの言葉は続く。
「僕が死んだ―――まぁ、そうですね。山で遭難したら飢え死には必至でしょう。でも考えてみてくださいよ。僕の死を聞いた僕の本国の誰かが、僕が死ぬ原因を作った誰も彼もを放っておくと―――まさか、思っている訳じゃないだろう?」
最後のその言葉は、優雅な説明の言葉とは違う、挑発染みた、威圧気な、他者を睥睨するような意思に満ちていた。
アマギリが余り見せる事が無い、力のある言葉と態度。 怯えたように視線を散らす、生徒会役員たち。
彼らは今更ながらに、自分が踏み込んだ場所が龍の巣穴だと理解した。
「アマギリ、あんたねぇ……」
「一つだけ言っておくけど―――」
リチアが、流石に嗜めるような言葉をかけようとしたが、アマギリはそれを聞こうともしない。堂々とした態度で王の宣言を行う。
自然、散っていった視線が再びアマギリの下に集う。
怯えたような、恐れるような瞳の数々。正面に座るアウラの、その意を確かめんとする視線。その隣にあるダグマイアの、汚物を見るような憎々しげな視線。リチアの、諦めたように額を押さえる態度。
だがそれら全てを捨て置いて、ただアマギリは、自らの言葉だけを続けた。
宣言は王命に等しく、即ちそれを受け入れないものにはどのような結末が待っているかなど、彼は一々語る積もりも無い。
「―――次は無い」
故に、ただ一言。アマギリの言葉はそれだけだった。
場に、静寂が満ちる。誰も言葉を発する事が出来ない。君臨者が支配する空間が完成してしまった。
―――変わった。
正面からその言葉を聴いたアウラ・シュリフォンは、今のアマギリをそう理解した。
一学期の間は徹底的に第三者、外部からの視線を持ち続けていた人間が、突然こうして、場の中央に君臨した。
そこに居るのが相応しいという王器を示して見せた。巻き込まれてバランスをとるのではなく、自らの行動に他者を巻き込む覚悟を決めた人間。
好ましくもあるし―――同時に、恐ろしくもある。その方向性を見極めるには、まだ時間が足りないから。
とは言え、それらは今すぐ考える事では無いだろ。
今考えるべきなのは―――アウラは苦笑を浮かべて、頭を抱えてしまったリチアを伺う。
二学期初回の会議からこの調子なのだから、生徒会長としては頭を抱えてくなるのも道理だろう。アウラも、ご愁傷様と思わずには居られなかった。
パン、パン、パン。
静寂を打ち破ったのは、場違いな拍手の音だった。
ざわりと会議室がざわめき、視線が、その音の主に集中する。誰だってそうするだろう。
手を叩いていたのが、ダグマイア・メストだと気づいたのだから。
ダグマイア・メストが―――”あの”ダグマイア・メストが、アマギリの言葉に拍手を送っている。
リチアの眉間の皺が深くなった事に誰も気づかないほど、凍りつくような空気が場を満たした。
ダグマイアはわざとらしいほどに手を鳴らしながら、感じ入ったとばかりの表情をアマギリに向けて、ゆっくりと口を開いた。
その余裕の有る態度を見せる事で、改めて自身の存在を他者に示そうとするかのように。
「アマギリ殿下のお言葉、真に感じ入りました。今後二度と、こういった行事の最中に不慮の事故など起きぬよう、細心の注意を払いたいと―――生徒会一同を代表して、申し上げます」
勝手に自分たちの代表になるなよ―――とは、誰も言えなかった。
それを否定する事を許さない、ダグマイアの器もそれなりのものと言えるだろう。
その言葉でつまり、真に支配者に相応しいのはどちらかと、ダグマイアは自らを証明して見せようとしているのだ。同時に、漁夫の利を狙っておきながら、今更足抜けをするなど許さないと周りに対して警告している。
どちらに付くのか、はっきりさせないのは許さないと。
ただ、自らの立場を表明しただけのアマギリとは対照的に、ダグマイアの言葉は何処までも他者に立ち居地の表明を迫るものだった。
求めるものが対局であるが故に、対立は必然。
笑顔で向かい合う二人の間に流れる空気に触れれば、それだけで千度は殺されそうなものだった。
故に、誰も言葉を発する事が出来ない。
―――故に、頭が痛いのはどちらにも付く気の無い、どちらの立場にも配慮する必要の無い地位に居る人間だろう。
各国の調停役、教会の現教皇の孫として。そして聖地学院の生徒会長として。
リチア・ポ・チーナの苦悩は、今まさに始まったばかりである。
※ 今日、明日辺りから十二話公開でしたか。
そろそろネタバレに確信的な部分が欲しいですよね