・Sceane 23・
空港は閑散としていた―――というより、当然だが政府専用の飛空艇発着港であり、加えてお忍びで来訪中の他国の姫君まで居るのだから、信用のできる限られた人間しか居る筈も無い。
空港に係留されている船は二隻。一隻はそれなりの拵えの、極ありふれた個人用客船。もう一隻は船と言うよりは、まさしく岩塊。むしろ一つの島と言った方が正しい、空中宮殿オデットであった。
港に居る人の姿は、警備のもの、作業員を除けば、四人。
オデットへと上がる稼動桟橋に乗ったアマギリとユキネ。そしてそれを港で見送る姿となった、ラシャラとキャイアである。
八月も半ばを過ぎたその日、彼らはハヴォニワ王城を発ち、それぞれの居場所へと戻る事へなったのだ。
アマギリたちは、このまま聖地へ。ラシャラたちは、シトレイユ国内、王家直轄領の一つへ。
賑やかに、されど穏やかであったハヴォニワでの夏休みは、この日、終わりを告げる。
「それではの、従兄殿。次に会うときは―――きっと笑顔でとは、行かぬじゃろうが」
何時までも立ち止まったまま雑談などしているわけにもいかない。ラシャラが遂に、別れの言葉を口にした。
それはどこか、笑顔でありながら翳りを含んだものだった。
それゆえ、応じるアマギリの態度も、微苦笑の混じったものになってしまう。
「そう、ですね。精々、しばらく会えなければ、きっと一番良いんだろうけど―――」
「よい」
労わりの混じるアマギリの言葉を、しかしラシャラは困った風に笑って遮った。
「要らぬ世話じゃよ、それは。天命すらも既に決しておる。避けえぬとあらば、受け止めるしかあるまい」
悟ったような物言いのラシャラに、アマギリですら言いたいことは幾つもあった。だが、言えない。言ってしまえばそれはきっと、張り詰めた糸を切ってしまう様な残酷な結果を生んでしまうだろうから。
だからアマギリは、肩を竦めて頷いた。
「失言でした」
「ウム。―――では、ひと時の別れじゃ。精々達者でおれよ」
「ええ。キャイアさんは、新学期にまた聖地で」
ラシャラに頷いた後で、その奥に控えていたキャイアにも別れの言葉を継げる。ラシャラの専属聖機師であるキャイアは、このまま聖地へと戻らずに、夏休み終了ギリギリまでキャイアに付き従う予定だった。
キャイアはまさか自分にまで声をかけられるとは思っていなかったらしい。些か戸惑ったような口調で、アマギリに礼をした。
「あの―――はい。アマギリ殿下もお気をつけて」
ハヴォニワの王城での生活時と変わらぬ微妙な距離感を感じさせるキャイアとアマギリの会話に、ラシャラは大きくため息を吐いた。苦笑とともに、ユキネに視線を移す。
「おぬし等、結局最後までその調子か。まぁ良い。ユキネも壮健での」
「はい」
ユキネは常と変わらぬ落ち着いた態度で、ラシャラの言葉に頷いた。それにラシャラは満足げに頷き返し、改めてアマギリに最後の別れを口にした。
「うむ。―――では、さらばじゃ。ハヴォニワの王子、アマギリよ」
オデット艦内の小城は、数週間前と変わらぬ清潔感を保っている。
相変わらず搭乗者に船での旅だと感じさせぬ優雅さのまま、ゆっくりと飛行して国境を目指し進む。
乗艦も三度目となれば、最早慣れたもの。アマギリは艦首に設えられた東屋で、改めて自身の従者の位置に着いたユキネと、ティーテーブルを囲む事とした。
眼下を緩やかに流れる自然の風景を眺めながら、静かな時間が流れる。
ハヴォニワ王城での暮らしは、二人の姫君、四人の歳若い女性、相変わらず胸のうちの読めない女王の存在もあってか賑やかで楽しいものであったが、アマギリはこういったただ静かに流れるだけの時間というのも、決して嫌いではなかった。
それ故に、何か言葉を口にする事も無く、思い出を肴に紅茶を口に運んでいた。
その態度が、ユキネにはどう映ったのだろうか、あるいはその質問は、彼女自身の心情だったのかもしれない。
静寂を途切れさせたのは、アマギリと同様に静寂を好むユキネの方だった。
「ラシャラ様達とお別れして―――寂しい?」
「どうして?」
ぶしつけとも思えるその言葉にも、アマギリは穏やかな顔で応じた。ユキネも、特別な遠慮も見せずに静かな口調で言葉を続ける。
それが、今の二人の関係だった。
「凄く、仲が良さそうに見えたから」
「僕と、ラシャラ皇女?」
「うん」
「そう? ―――まぁ、話しのリズムは合った方かな」
ハヴォニワでの会話時間の総計は、恐らく、ユキネとの時間よりも、ラシャラと会話していた時間の方が多いだろう。込み入った話から雑談まで、確かに、随分色々と語り合った。
とかく、疲れる事無く会話の種に困らない。相手の次の言葉を想像しつつ、パズルをくみ上げていくように幾つ物言葉を積み上げていく。
そういう風に、楽しく会話ができる相手と言うのは、貴重な存在だ。
故にアマギリは、ラシャラと気が合ったと認めるのも、全く吝かではなかった。
そういう風に語るアマギリに、ユキネは首を捻って尋ねた。
「―――二人は、似てるって事?」
思考パターンが似ているから理解が早いのかと問うユキネに、アマギリは首を横に振った。
「まさか。それはあの子に失礼だよ。―――あの子はね、どうにもなら無い現状を正しく理解していても、それでもそこから這い出す方法を求める事を諦めない。―――あの歳で、良くもまぁ。……強い子だよ」
アマギリの言葉は紛れも無い賞賛の言葉だったから、ユキネにとってそれは一種異様なものだった。
この少年が手放しで誰かを褒めるなど、まるで冗談のようだ。
それが可笑しく思えたから、ユキネは微笑んでこんな事を口にしていた。
「好みのタイプ?」
ユキネの言葉に、アマギリは一瞬目を丸くした後で、微苦笑して首を横に振った。
「尊敬できる子と、好きになる子は、違うんじゃないかな」
「―――同じ事も、ある」
「そうだね。僕の尊敬するユキネさんの言う事だし、そう言う事もあるだろう―――イテっ!」
つま先に何かが刺さるような感触。見ると、ユキネが頬を赤らめて視線を空へと飛ばしていた。
「冗談で、そういうことを言われるのは、イヤ」
先にこういう話を仕掛けてきたのはユキネの方じゃないのかと、アマギリはそう思わない事も無かったが、それを言うのはマナー違反なのだろうと思い、何も気づかないフリをして話を続ける事にした。
「冗談”でも”じゃなくて”で”なんだ。―――本気の場合はどうするのやら」
ニヤリと笑って問いかけるアマギリに、ユキネも強かな笑みで応じた。
「その時に、考える」
上手く避けきったユキネの言葉に、アマギリが一拍遅れた賛辞の言葉を送った。
「―――手強いね」
「もう、慣れたから」
その後で、二人で微笑み合った。
ひと時の間。
流れる雲。眼下の光景に森の緑が増えてきた。夏は日が沈むのが遅く、西日というにも少し早い、そんな時間。緩やかなまま、たまに、茶器が合わさる音が響く。
二人、東屋の中で言葉も無く向かい合う、穏やかな時間。ハヴォニワに戻ってからは殆ど無かった、二人だけの時間。
静寂を破ったのは、やはり、ユキネの言葉からだった。
「―――寂しい?」
問いかける言葉も、先と同じだった。問い返す口調の穏やかさも、また。
「どうして?」
現状になんら不満を抱く事も無いと言うアマギリに、ユキネも穏やかなまま言葉を紡ぐ。
「静かだから。―――誰も居ない。聖地では、貴女に好意的な人も、凄く凄く少ない」
ハヴォニワでの数週間の暮らしは、賑やかなもので、アマギリの周りには、彼の存在を認める好意的な感情が多くあった。だがもう、それは遠い。別れの言葉は既に済ませており、向かう先にあるものは、欺瞞と猜疑と悪意が交じり合う聖地。
郷愁の念の一つでも、覚えたとしても仕方が無い。
例えば寂しいと答えたら、ユキネは慰めてくれたりするのだろうかと、そんな事が気にならなくも無かったが、アマギリは微苦笑してアマギリらしい言葉を返した。
「静かなのは好きだし、親しい人なんてのも手の平に納まるくらいで充分だと思うけど―――親戚が増えると、何となく苦労する気がするし。でも、そうだね。まだ少し、気分の切り替えが出来て無いのかもしれない」
そこまで言った後で、一拍の間があった。言うべきか言わざるべきか。少しの葛藤は、自然に浮かんだ茶目っ気を込めた笑顔で打ち切っていた。
「なんだかんだでハヴォニワは、楽しい我が家って感じだったからね。母が居て妹が居て、従妹が居て―――姉が居て」
「姉―――私?」
少しだけ驚いた風なユキネに、アマギリは肩を竦めて応じた。
「さて? ただ、女所帯で気疲れしているだけかもよ」
明言を避けて話を逸らすかのような態度に、ユキネは苦笑してしまう。
穏やかな、家族を見守るような顔で。
「駄目な弟だ」
「お姉ちゃんには、散々玩具にされた弟の気持ちは解ってもらえないか」
芝居がかった仕草で応じるアマギリに、ユキネも楽しそうに続ける。
「何時も誰かを玩具にしてばかりなんだから、家の中では玩具にされるくらいが丁度良いと思う」
「言うね、キミも。―――ま、それも家族サービスみたいなものか」
「うん。そういう心がけは、大事」
冗談のような会話の流れ。本気とも取れぬ言葉の応酬。
親しい者どうし―――家族のような―――そんな関係でしか作り出せないような、穏やかな時間。
日の位置がやがて傾き。太陽が朱色に染まり始める頃。
ユキネはそっと、問いかけた。家を離れて、家族の揃わない、穏やかなばかりではいられない生活を始める弟に。それを供に有る姉として。
「―――寂しい?」
微笑みながらそう問われて、遂にアマギリは、作ったのではない微苦笑とともに、一言だけ告げた。
「少しだけ」
・Sceane 23:End・
※ 締めの展開っぽいけど多分アイキャッチくらいの進行度だよねきっと。
まぁ、次回から二学期と言う事で。