・Sceane 22-2・
「それじゃあ、カ~ンパイ」
「何にですか?」
ボトルの底に残ったワインを二人で分け合い、付き合いよく杯を打ち合わせながらも、アマギリは苦笑して尋ねずに入られなかった。
月明かりの下で向かい合う相手は、この国の女王、フローラ・ナナダン。寝巻き姿の娘と違って、こちらはむしろ、露出度の低い常ならぬ落ち着いた装いだった。シックな色調の装飾の少ないドレスが、いっそ彼女の女性としての魅力を引き立てていると言えた。
「う~ん……マリアちゃんが初めて殿方の部屋で一夜を明かした記念って処かしら」
「いや、確かにベッド貸してますけど、後で運ばせますからね」
ちら、と天蓋の下で眠るマリアの姿に視線を移しながら、アマギリは肩を竦める。このままマリアを放置した場合、まず何よりも明日のマリア自身による報復が恐ろしかったからだ。
「相変わらず面白みの足りない人ねぇ」
「寝室に招かれざる客を招いてまで面白い言動をする趣味は無いですよ」
ワイングラスを口元に近づけて―――そのアルコールの匂いに顔をしかめて直ぐテーブルに戻しながら、アマギリは呻いた。フローラはその態度を目敏く捉えて小首をかしげた。
「お酒、駄目だったわねそう言えば」
「ええ。酔わないですけど頭が痛くなるんですよね」
酒の楽しみ方だけは理解できないと眉をしかめてワインを舐めるように啜るアマギリを、フローラは微笑ましげに眺めた。
「じゃあ、―――貴方が酔ってしまう前に、面白く無い話をしちゃおうかしら」
「女王陛下との会話が楽しくなかった事は一度も無いですけど―――まぁ、せっかくの機会ですし、まじめな話しは必要ですよね」
「そう、ねぇ。それは私もだけど……ねぇ、ひょっとして酔ってる?」
常なら絶対ありえない前振りを交えて言うアマギリに、フローラは思わず確認の言葉を漏らしてしまった。
アマギリは首をかしげた。
「何故です?」
まるで何を言っているんだか解らないという顔でワインを舐めているアマギリに、フローラは小さくため息を吐いて首を振った。酔っている。完璧に酔いが回り始めていた。
「……いえ、良いの。気にしないで」
アマギリ本人にはどうやら自覚が無いらしいと思いつつも、これはこれで有りだろうと思ったので、フローラはこのまま話を続ける事にした。一緒に居て面白いと言ってくれるのであれば、悪い気はしないのは当然である。
同時に、本当にこの少年は仕事―――本人が自分に与えられた役目だと思う事―――以外に関しては隙だらけだなと思っている。
そりゃあこの様では、ユキネのような回りに気を使う人間には、危なっかしくて見ていられないだろう。
アマギリ本人に自覚が無いから、なお更。
自分で役目を押し付けておきながら、フローラにはユキネにご苦労様と思う気持ちが強まった。こんな少年を始終護衛しようなどと思ったら、きっと胃薬が幾つあっても足りないだろう。
まぁ、良い。
ユキネに礼を言うのは明日でいいとして、今は目の前のカレとの話であると、フローラは気分を切り替えた。
因みに彼女本人は、酒に関してはザルである。まるで酔った試しが無い。
「マリアちゃんから何処まで聞いたかしら?」
「あ~―――、ワタクシ・アナタノ・オヨメサン、ってトコですかね」
フローラの問いに、アマギリはまるで興味が無さそうに答えた。実際、興味が無いらしい。
きっとこの少年は婚姻と言うものを、社会的な建前、段取りの一つ程度に考えているのだろう。それなりに一念発起して、お酒の力まで借りて話を持ち込んだ娘が哀れと言えば哀れだった。
そんな風にフローラが考えていると、思考を見透かすような瞳でアマギリがそれを見ていた。
「何か他人事みたいな顔してますけど、どうせ女王陛下が本人同士で話し合えとか言ったんですよね。―――何て伝えたんですか?」
そのどこか責める様な口調が、フローラにはおかしかった。フローラ自身と同じで、謀略で他人を嵌める事に斟酌しないタイプだと言うのに、個人的な人間関係に関しては、随分と潔癖な―――他人の介入を嫌う性質がある。若さと哂うべきか、可愛げと評するべきかは、受け取り方に寄るだろう。
少なくともフローラには好意的に映った。どんな食えない人間にも、弱点は必要だと思っている。
「そ。気づかれないままに私が処理しちゃってもよかったんだけど、それじゃあ本人のためにならないかなーって思って。だから、”お兄ちゃんのお嫁さんになる気はある?”ってそう尋ねたわ」
「―――それは、また」
アマギリは呆れたように話しの流れを切った。やはり酔いが回り始めていても、自身の私的な部分に及びそうな部分の話しは、深くする気は起きないらしい。
しかし、フローラとしてはその態度は好みでは無いので、少しからかう事にした。
「あら、聞かなくていいの?」
「何をです?」
質問の意図は解っているだろうに、アマギリは付き合い事態は悪くない男だった。単純に、諦めが混じっているだけかもしれないが。
フローラは、それは勿論と楽しそうに答えた。
「マリアちゃんがぁ、どう答えたのか」
当然、酒を持って兄の寝室に押しかけるような状況に到るような葛藤があったに違いないから、聞けば面白い話ではあるだろう。
だが、アマギリは自分から”蛇が潜んでいる”と書かれた看板の立ている藪の中に踏み込むような悪趣味は持っていなかった。まるで興味が無さそうに投げやりに言う。
「じゃ、教えてください」
いっそ聞いている側が、話せるものなら話してみろといっている風にも聞こえる質問は、やはり当然の言葉で以っていなされた。
「イ・ヤ♪」
「……ですよねぇ」
女同士の会話の内容を、異性にべらべらと口にするなど、流石に言語道断だろうと両者ともに理解していた。何事にもマナーと言う物があったから、ようするにこのやり取り自体もその範疇に含まれる話だった。
とは言え、定型文通りのやり取りだけで終わらせてはフローラとしてはまるで面白くなかったから、再度別方向から攻めてみることにした。
「聞いてくれないのかしら?」
「……何をですか?」
楽しそうに微笑むフローラに対して、答えるアマギリの顔は面倒そうなそれだった。しかし、それを全く気にする事もなくフローラは言葉を続けた。
「女王陛下はどうお思いなんですかって」
「あ~……」
フローラの言葉に、アマギリは濁点でも付きそうな位の面倒そうな声で呻いた。
「聞いたら踏み込んでも居ない薮から蛇が飛び出してきそうだから良いです」
賢明な判断である。ただ、フローラに対してそれが有効であるとも限らないのがネックだった。
「そうよねぇ、絡み付いて離れないかもしれないし」
頬に付けた手の小指を立てていたり、流し目だったりと大変色っぽかった。アマギリは冷静に見なかった事にした。
「まぁ、冗談はさておき」
「冗談じゃないんけど」
明後日の方向を見たまま話をまじめな方向に戻そうとするアマギリに、フローラが微笑んだまま切り込む。
アマギリは更にどこか遠くを見ながら言葉を続けた。
「……じゃあ、それはさておき」
「この、ヘタレ」
無理のある話の逸らし方にかぶさった言葉が、いっそ少女のような拗ねた口調だったから、アマギリは自然に微苦笑を浮かべてしまった。だからと言って、これ以上話をこの方向で固定するつもりは無かったが。
「何とでも言ってください。―――それで、まじめな話しどうなんです? 僕と王女殿下は結婚した方が良いんですか? まぁ、時期が時期ですし、国内の面倒ごとを避けたいって言うなら、僕個人としては構わないですが」
感情の挟む余地の無い問題は、基本的に利益の有る無しだけで判断する。それがアマギリの思考法だった。
そしてそんなアマギリにとって、婚姻と言う対外的な”制度”は、感情面を考慮する必要性を感じなかった。それで面倒ごとが避けられるのならば、被っても良い泥程度にしか思えない。
フローラとしては―――むしろ、一般的な女性全ての意見としてはといっても良いだろう―――婚姻などに関しては利益以上に感情も以って話してもらいたい部分だったから、そう冷静に返されては面白くない。返す言葉が若干棘交じりだったのも、仕方ないと言えるだろう。
「そのうち帰るって、宣言してるのに?」
フローラの内心を慮っているのか否か、アマギリはその言葉に肩を竦めて返す。
「まぁ、そうです。そのうち帰るからこそですね。―――どうせ近いうちに大規模な戦争がおきるんですから、そこで死んだ事にしちゃえば痛みは無いでしょう。状況が落ち着いた後で、逆に今度は結んだ婚姻が面倒だと思われずに済むし丁度良いですし。ついでに言っちゃうと―――」
「―――大っぴらな参戦理由にもなるし、一石二鳥だと言いたいのかしら?」
あくまで淡々と利益だけを追求するアマギリの言葉に、フローラが付け加えた。
戦争―――戦争である。
恐らくは数年内には起こる、シトレイユが引き起こす、ジェミナー全土を巻き込んだ大規模な戦争。
アマギリとフローラは、それが確実に発生すると意見を一致させていた。シトレイユ一国内部だけで収まる問題ではないと、状況がそう教えてくれる。
資金、物資、人―――間者等、それらの不自然な流れはもとより、それを裏付ける理由の一つとして、アマギリ自身が聖地で襲われた事に有る。
シトレイユ国内だけ事態を完結させたいのであれば、不可侵の聖地領域内で他国の王子の秘密を狙う必要は無い。
だが、敢えてそれを狙い―――それが脅威であるか否かを確かめたのであれば、事態を国内だけで留める気は無いのは明白である。
他国の人間が脅威になる可能性を調べているのだから、他国も巻き込む気があると思考を飛躍させるのは当然だろう。
で、あるならば受身になり過ぎずに事態へ介入するための大義名分がハヴォニワにも必要になってくる。
その一つが今現在国内に逗留しているシトレイユ皇女ラシャラ・アースであるし、そこにアマギリを加えると言うのも、悪いアイデアでは無いだろう。
アマギリ―――ハヴォニワの王子が、シトレイユの何某の企みにより命を落とせば。
犠牲になった王子を弔うために、積極的に侵攻の兵を送り込める。
フローラとしては面白くないが有効であると否定できない事実で、アマギリ自身にとっては―――この先不良債権になるしか無い自身を上手く切り捨てる実に有効な方法だと信じていた。
あからさまな女王の渋面をみて、アマギリは空気を和らげるために苦笑して言葉を付け足した。
「そうですね。―――まぁ、その場合はアウラ王女との縁談が完全にお流れになるので、非常に残念と言わざるを得ませんが」
「―――あら、アウラちゃんの事が好きだったのかしら?」
平気でマリアの話はするのに、アウラの名前が出てきた途端、別の女の名前を出すのはマナー違反だと言う態度をとる。結局、マリアとアマギリが結ばれるという未来図を、フローラ自身が一番認めていないのだろうなとアマギリは喜べばいいのか泣けばいいのか、悩みどころだった。
そう言えばそもそも、アウラと仲良くしておけと言う話を持ち込んだのもフローラだった。
その辺りの前後の矛盾をはらんだ我侭を受け止めきってこその男と言うものだろうかと―――これは完全に、酒の勢いを借りた発想だったのだろう。
アマギリは、意図的に”そう”と取れるような言葉を、口にしていた。
「単に好みの問題です。年下の美少女よりは、年上の美女の方がいとおしいと、単純にそういう話ですよ」
「あら、まぁ。―――あらあら、まぁ」
余りにも気障ったらしい事この上ないアマギリの言葉も、どうやらフローラにはそれなりにツボに入ったらしい。目を瞬かせて、口元を押さえて驚いている。
「それで、どうするんですか? 僕は王女殿下の夫になった方が良いんですか?」
アマギリは肩を竦めてままよ、とばかりに言葉をつなげた。
言外の意味を捉える事が出来るのであれば、妙に強気な言葉である。後で思い返せばきっと、赤面必至だろう。
そんな阿呆な言葉すらそれなりに嬉しく思えてしまうのだから、場の空気というものは莫迦に出来ない。
フローラはアマギリの言葉を数度かみ締めるように反芻した後で、にんまりと口元をゆがめた。
「悪い子ねぇ、坊や」
それに対して、アマギリもニヤリと笑って言葉を返す。
「―――それはきっと、母親に似たんでしょうね」
「そう。ママも鼻が高いわ」
フローラは楽しくて仕方が無いとばかりに大きく頷いた後で、女ではなく女王としての顔を作って宣言した。
「決めたわ。―――貴方とマリアちゃんは兄妹のまま。それから、貴方は聖地では今までどおり好きに動きなさい。誰にも文句は言わせません。報告も―――いえ、報告は事後でも良いから入れるようにして頂戴。もう炙り出しは充分だから」
「あれ、気づいてたんですか?」
宣言自体は納得とともに受け入れつつも、アマギリは最後に付け足された言葉に首を捻った。
「あんまりママを見くびらないの。出たきり一度も連絡を寄越そうとしない新しい王子様―――そんなあからさまに怪しい餌にでも、釣られるような愚か者はそれなりに居たわ。全く、喉元過ぎればなんとやら、かしらねぇ」
一年前に反乱討伐をしたばかりだというのにと詰まらなそうに続けるフローラに、アマギリも苦笑で応じた。
「他人の粗探しに人生を賭けるような連中って、自分の荒っぽい行動に頓着しないところがありますからね」
記憶の端に残る、何時も目を皿のようにして絶対に見つからないであろう誰かの粗を探していた何処かの誰かの顔がアマギリの脳裏に思い出された。生憎、誰だかまでは思い出せなかったが、権威を嵩に着た好きになれないタイプの人物だったような気がすると、アマギリはそこまで考えた後で、どうでも良いかと思考を切り替える。
今はフローラとの会話に集中するべき所だろう。
「ええ。お陰さまで莫迦を吊るし上げるのに材料の不足は無いわ。だから、”事”が起こるまでには国内の面倒ごとは一掃出来るから、坊やは何も気にせずに好きなだけ学生生活を満喫しなさい」
現状で揚げ足取りが得意な連中は全て処理が可能であるから、そもそもマリアとアマギリの婚姻なんて無茶なパフォーマンスをして見せる必要も無いと、フローラは事も無げに言い放つ。
絶対足る自信が、彼女を女王たるの貫禄を示していた。
「了解です―――けど」
アマギリはそれに信頼を持って頷きつつ、一つだけ頷けない事柄について口にした。
「けど?」
「出来れば、坊やは止めてください。貴女に坊や呼ばわりされるのは、何故だか受け入れがたいんですよね。―――思い出したくない事を思い出しそうな気がして」
記憶の底から消えてくれない誰かの事を思い浮かべて、アマギリはそれを追い払うように左右に首を振りながら言った。
フローラはそんなアマギリの態度を楽しそうに眺めていたが―――やがて一つ、小首をかしげて問いかけた。
「それは良いけど……でも、気づいてる? 私は貴方の名前を知らないのよ。―――ねぇ、貴方。私は貴方を何て呼んだら良いのかしら?」
曖昧な言葉は許さない―――許して、あげられないと、そんな意味が篭った問いかけだった。
それに気づいたかどうなのか、しかしアマギリは割りと気楽な態度で肩を竦めて応じた。
「もうしばらくは、アマギリ・ナナダンで」
「―――良いの?」
あっさりと欲しい言葉を貰えてしまった分、フローラの言葉は飾りの無いものになっていた。
それに頷き返して、アマギリは微笑を浮かべながら続ける。
「ええ。しばらくは、そうです。アマギリ・ナナダンとして動きます。―――ハヴォニワの王子、ナナダン家の人間として」
それはつまり、政治的に見て、完全にハヴォニワの側に立って動くという宣言だった。彼個人という利益集団ではなく、ハヴォニワという国家の利益を優先的に考慮して動くという言葉に他ならない。
彼の口からは滅多に語られない、自身の行動の自由を削ぐ言葉。
この少年が見せられる、最大限の厚意と言っても過言ではなかったから、フローラは思わず、無粋な確認のような言葉を言ってしまった。
「そう。―――お礼を言うべきかしら」
アマギリはしかし、笑って肩を竦めた。
「当たり前のことを言っている息子に、一々お礼なんて言う母親は居ないんじゃないですか?」
しかし流石にその言葉は戯れが過ぎたか、フローラは鼻白んだように笑った。
「―――そう、ね。そうよねぇ。つまりしばらくは息子のままで居るって宣言だものね。―――この、ヘタレ」
「何とでも」
お互いの言葉に、顔を合わせて笑いあう。
「楽しみね?」
「何がです?」
今この時が―――そう言われていたらきっと、直ぐに頷いていたかもしれないような口ぶりで、アマギリは問い返す。
フローラは今が楽しいのは当然だとばかりに、笑みを深めて頷いた。
「何もかも、よ。これから起こる事、予想される災難、それに纏わる事件、その解決、外敵の排除。乱れた秩序の再構築―――それに、貴方が息子じゃなくなる時の事も。想像して御覧なさい、―――これから先ずっと、楽しい事ばかりよ?」
トラブルばかりじゃないかと、普通の人ならば言うであろうそれを、さも楽しそうに語るフローラの姿は、アマギリにはどうしようもなく魅力的に見えた。だから、気づけばそんな思いが、口の端から漏れていた。
「どう考えても、面倒ごとばかりにしか思えませんけど―――まぁ、それを楽しめてしまう貴女だからこそ、僕には魅力的に映るんでしょうね」
常に無い直接的な表現に、一瞬だけフローラの目が点になった。その後で、薔薇のような微笑を浮かべて、アマギリだけに言った。
「慣れないことを言って―――顔、赤いわよ?」
言われてアマギリは、ワイングラスの中身を喉に流し込んだ後で、何もおかしなことは無いとばかりに応じた。
「酔ってるんです。―――下戸ですから」
照れ隠しにしても杜撰過ぎるだろう。その仕草がおかしくて、フローラも常なら見せぬ態度で応えてしまう。
「実は私も、お酒って余り得意じゃないのよ」
「でしょうね。顔、赤いですし」
にやけそうな口元を無理やり正したような顔で応じるアマギリに、フローラは誰にも見せた事の無いような顔で頷いた。口にした言葉は、自分すら騙せない様な、ただの一言だけ。
「―――酔ってるのよ」
・Sceane 22:End・
※ 拾われる⇒帰る日を考えながら何となく生きる⇒拾ってくれた人のためにもと頑張ろうと思い立つ
と、こう書くと実は原作主人公とやってる事は変わらない筈なんですけど、演者が摩れ過ぎていて原型を留めてませんね。
……どうしてこうなった。
因みに剣士君が年下を選んだので、こっちではガチの年上を選んでみたとか。