・Sceane 20-2・
「つまり、なんじゃ? ……口説かれた、とでも言えば良いのかのう?」
「その頭に、”改めて”を付けるのが妥当ではないかしら」
ある日のおやつ時。夏の緑香る庭園を望む事が可能なバルコニーで開かれていた若い王族達のお茶会は、一種微妙な空気で停滞していた。
行儀悪く突っ伏している少年と、腕を組んで考えている少女。それから、そそと慎ましやかにアイスティーを啜っている少女。
隣のテーブルに座る従者達は、何とも気まずげにあさっての方向を見ていた。
「……とりあえず、この件に関して、僕はこれ以上はノーコメントを貫きたい」
テーブルに突っ伏したままのアマギリは、憔悴したようなうめき声で言った。
「全部話した後にノーコメントを宣誓するとは、親切なのか無粋なのかようわからぬの従兄殿」
「……そうやって、話を広げないようにっておっしゃってるんじゃないですか、ラシャラ様」
一応同級生のよしみ、と言うか同年代の情けとでも言うべきか、苦笑混じりにやんわりと取り成そうとするキャイアにしかし、ラシャラはとてもとても楽しそうに笑うのみだった。
「何を言うキャイア。ここから先に主に既成事実的な意味でどの方向に持っておくかが楽しみなのではないか」
「いえ、こういう事はお互いの気持ちが大切であって……」
「自分で話を広げてますわよ、キャイアさん」
マリアに視線も合わせず突っ込まれて、キャイアが紅くなって俯く。微妙に耳をそばだてている体だったユキネも、気まずげな顔をしていた。
「……だから黙秘したかったんだ」
「触りだけ語って、何時ものように適当な言葉ではぐらかせば良かったではありませんか。それが出来なかったという事は、自分の中にはぐらかしたくないと言う部分があるということではないのですか、お兄様。……いえ、なんでしたら」
「……後生ですから、其処から先は言わないで下さい」
兄扱いですら重たいのに、其処から更に有り得ない呼び方をされたら恐らく死ねる。
アマギリは全力で平身低頭の姿勢をとってマリアに懇願した。
「なんというかアレじゃの。その情け無い姿を見せてくれただけでも、ハヴォニワに来た甲斐があったというものじゃのう、”叔父上”?」
「勘弁してくれよ、本当に……」
「口調に乱れが出ていましてよ、”お父様”」
流石に可哀相だとユキネが止めに入るまで―――何故か、随分と時間が掛かったが―――二人の姫君によるいじめは続いた。
「では、可哀相な従兄殿改め叔父上殿(推定)のために、少し真面目に伯母上の思惑を考えてみようかの」
「そう言いながら、自分が辱める事に関しては止める気は無いんですね……」
他所の王家の色事を好き放題言って平気なんだろうかと、意味は無いだろうと思いつつもキャイアが突っ込む。
尤も、彼女も年相応の興味からか、話の進行を止めるつもりはなかったのだが。
ユキネも、たまには良いクスリだとでも思っているのか、アマギリをいじめる事に関しては留める気は無いらしい。どうも、命の危険さえ回避できれば私生活は締め上げていくべきだと悟ったのかもしれない。
例外は、身内の話なのに特にこれといった驚きをみせないマリアくらいだった。
「何じゃマリア、おぬし、まるで興味がなさそうじゃの」
「貴女のように下世話な話題を好まない―――と、言うのも勿論ありますが、元々解っていた事ですから、何を今更といった所でしょう。むしろ、今更そんな事で悩んでいる其処の殿方の神経を疑いますが。―――遂に一夜を共にした、などというなら私も覚悟を決める必要がありますが」
”たかが”思いを告げられた程度で、今更何を驚くのかと、マリアは至極平然とした態度で、そう語った。
流石にテーブルを囲む全員が目を丸くする。
こういう場合、驚いて、ついでにからかうのが普通だろうに、当たり前とは何事なのかと少女達は思った。
しかしマリアはそれを取り合うこともなく、優雅な仕草でストローを加えた後で言った。
「この素性不明、出所不明の殿方は、元々お母様が何処ぞの田舎から拾ってきたものですから。ここでこうして、私たちと共にテーブルを囲んでいられる理由なんて、それ以外考えられませんでしょ?」
馬鹿馬鹿しい、心配して損したと、マリアは内心でアマギリを罵っていた。
母が、フローラがアマギリに惹かれている―――あらゆる意味で、だ―――などと言うことは、そんなの、初めてこの男を紹介された時から解っていた事だ。
何せ、フローラ自身がまるでその事を隠していなかったのだから。
有無を言わさぬ態度、そして態度で示す執着、時折見せる焦がれるような瞳―――、一目見れば解るだろうに、この馬鹿兄はまさか今までその可能性を全く考えていなかったのか。
てっきり母を喜ばせるために聖地であれだけ派手に、母好みの行動を取っているとマリアは思っていたのだが、全くそうではなく、アマギリが何も気づいていなかったと言うのなら、何とも微妙な気分と言える。
何のために一線引いた付き合いをお互いにしていたのか解ったものではない。
母を間に挟んで―――つまり、人一人分の、その分だけ距離が遠いと、それは仕方が無いことだとマリアは思っていたのだが……アマギリは、その辺りに何も考えが無かったと。
―――よもや、単純に興味が無いから距離を置いていたと言うことでは、あるまいな。
それは、何だろうか。他意は無いが、非常に女性としての沽券に関わるような気がする。
他意は無いが。
「……なるほど、ヒモと言うヤツか」
「と言うか、素性不明って……」
したり顔で頷くラシャラの横で、キャイアが頬に汗をたらして呟く。また、聞いてはいけない事実を聞いてしまった気がしていた。
「あの母の言葉は一件冗談のように聞こえるものが多いですが、現実には全て真実ばかりで―――だからこそ、ええ、忌々しいのですが―――ともかく、そうとしか取れない言い方をしたのであれば、一面とは言えそれは真実、と言うことです。―――ですから、いい加減シャキッとしなさいな、お兄様」
テーブルに頭を突っ伏してユキネに頭を撫でられていたアマギリは、マリアのその言葉に、大きなため息を吐いた。休む暇も与えてくれないらしい。
と言うか、何故この妹は先ほどからテーブルの下で人の爪先を踏みつけているんだろうと、アマギリは別の意味で泣きたくなった。
「何か、何時も以上に言葉がきつくないですか王女殿下」
「自業自得です。その理由を少しは胸に手を当てて考えて御覧なさいな。 ―――ホラ、そうやってだらしなくして見せて、私から婚礼に反対だという言質をとろうとしても無駄だと知りなさい」
「いや、実際凹んで居たのは本当なんですけど。……まぁ、冷静に考えれば別に求婚されたわけではないし、聞かなかった事にすれば平気かなーとか考えない事も無いですけ、ど……」
そこまで言って、四方八方から半眼でにらまれている事に気付いた。ついでに脛を蹴り上げられた。
アマギリはため息を吐いて、白旗を揚げた。
「無理ですよね」
「でしょうね」
「じゃろうなぁ」
従者二名にまで睨まれては、アマギリとしては最早どうする事も出来ない。
往々にして、この手の話で女性から主導権を握ろうと言うのが無理なんだろうなと、それが解ったことが収穫と言えば収穫かもしれない。無論、何の慰めにもならない結論だったが。
「それにしても従兄殿も、何だかんだでナナダン家の人間らしく食えない部分があるの」
気分を入れ替えようとばかりにアイスコーヒーをグラスに注ぎ足しながら、ラシャラは唐突に言った。
「と、言いますと?」
アマギリは片眉を吊り上げて冷めた態度で応じる。ゆったりと背もたれに体を預けて、先ほどまでの話は何処へ行ったんだと言う優雅な態度だった。
「それじゃ」
「どれですか」
応じても一言で切り返されて、アマギリは首を捻る。ラシャラは薄く笑って続けた。
「凹んでいたように見えて存外切り替えが早い。―――お主、まるで今までの話が全て無かったかのような落ち着いた態度を取り戻しておる。ウチの若いのでは、そこまで突き抜けた割り切り方は出来ぬよ」
アマギリの見せた情け無い姿がどこまで本心で、どこからが遊び混じりのものだったのか、ラシャラには判断がつかないが故の言葉だった。
少なくともラシャラには、九分九厘本気で堪えているようにみえたが―――ここでこういう態度を取られてしまえば、それを真実と確信するにも不安に覚える。
なるほどこれがこの男のやり口、ダグマイア・メストを体よくあしらっていた立ち回りの正体かと、ラシャラは誰にも解らぬように頷いた。
―――色々とお話ししたい事もあるし、ついでにウチの子もしっかりと紹介したいから、ハヴォニワに来ないかしら?
数週間前に叔母フローラに言われた言葉だった。
父王の容態の緩やかな悪化は最早止める事は出来ず、情勢の変化は避けようも無い。それゆえに、後ろ盾の非常に少ないラシャラとしては、今後の事も考えて今のうちに内々にフローラと話し合っておく必要があった。
それゆえの、少ない共だけを連れたお忍びでのハヴォニワ来国だったのだが―――なるほど、この男の心根を覗けただけでも来た価値があったというもの。
アマギリ・ナナダン。叔母の推挙により王族位を手に入れた、男性聖機師。
あの叔母が選んだのだから”使えない”人間である筈が無いとは理解していたが、まさか手に余るタイプの人間だとは思っても居なかった。
知っておいて良かった。この手の人の予想を常に裏切り続ける人間は、動乱においてこそその才を発揮する。
動乱―――来るべき、動乱の時にこそ。
「どうかしましたかラシャラ王女。日差しにやられでも、しましたか?」
黙考に耽っていると、アマギリ・ナナダンが伺う様な目で自身を見ていることにラシャラは気付いた。
そういえばこの男、行きの船の中で一度だけ聞いたきり、そのあとは一度もラシャラが何故ここに居るかを尋ねてこない。
―――気にしていない、筈が無い。この男は恐らくはフローラと同じで、”まつりごと”、その裏側に潜む人の生の感情のぶつかり合いと言うものを嗜好出来るタイプに見えたから。
この手合いは少しでも隙を見せれば直ぐに罠を仕掛けてくる―――故に、今は迂闊にその方面に話を進める必要も無い。何れそういった機会を設ける必要も感じていたのも事実だが。
ラシャラは首を横に振って、殊更戯れる風に言った。
「どうもせぬよ。―――それに、どうにかせねばならぬのは叔父上殿の方じゃろうて」
ラシャラの言葉に、キャイアがまた、と言う風に額を押さえて、アマギリはさてと肩を竦める。
ユキネはアマギリの態度に呆れ顔で、マリアだけが一言二言の会話の裏にある二人の心理的な動きを察しているようだった。それゆえに、マリアは楚々とすまし顔で口を開く。
何とも本当に、先ほどの想像が当たっているようで、マリアとしては酷く投げやりな気分であった。
もう、いっそ行き着くところまで勝手に行ってくれた方が、悩まなくて済むような気がする。
「個人的な意見を言わせていただけるのであれば、私は貴方のことを兄として扱う程度には親族であると思っています。―――ですので、あとはお兄様とお母様で、お好きなようにどうぞ」
「……なんか、ハシゴを外されたみたいな気分になりますね」
「補助輪がなくなった自転車のようなものです。精々、上手く自分でバランスをとってくださいな。―――ああ、二人乗りだと難しいかもしれませんわね」
本気とも嘘とも取れぬマリアの言葉に、アマギリがガクリと項垂れる。
ラシャラはそんな二人を笑い、従者達も微苦笑を浮かべる。
まるで何処にでもある、おやつ時の団欒の風景だった。
本気と冗談と本気と冗談と本気。会話の何処にどれが挟まれているかは、きっと、話している当人達にしか解らないが。
※ あんまりコメディ方面に振りすぎると後で大変かなぁと思って色々足したり消したりしてたら、微妙な感じに。
いっそ突き抜けちゃったほうが良かったか……。