・Sceane 20-1・
「なにやら不景気な顔をしておるの、従兄殿」
「優雅な昼下がりにティータイムと洒落込もうと思ってバルコニーに出たら、タヌキが上がりこんで菓子をつまみ食いにしていれば、誰だって不景気な顔になるのではなくて?」
習慣と言うものは一度身につくと中々抜けないものらしい。
その日、アマギリは午前中にちょっとした用付けを片付けた後、昼食後のこの時間に当然のように中庭が見えるバルコニーへと上がっていた。自然に体が動いたのだ。
前日の夜に何か約束の一つでもかわしたということも無いのに、アマギリの行動は全く躊躇いも無かった。
バルコニーへと向かう廊下の途中で、どうやら同じ事を考えていたらしい妹と鉢合わせてしまい、お互い顔を見合わせて気恥ずかしげに笑うなどという一幕を演じきった後で、いざ、と陽光降り注ぐバルコニーへと上がってみれば、である。
「なんと。客人に向かって差し出す菓子の一欠けらも無いとは、なんとも狭量なことよのう」
「私たちの午後のひと時を邪魔する輩を客として迎えたつもりはありません、ラシャラ・アース」
夏の日差し、刺すような強い直射日光すら生ぬるいと言わんばかりの、棘交じりの言葉の応酬。
王城に仕える従者たちは気の効くものばかりだったから、一言の指示も無かったと言うのに主家の息女たちの希望に沿う行動をして見せた。
即ち、当然のように用意されたパラソルで直射日光を遮ったティーテーブル。
席は、二人の共通の従者であるユキネの分も含めて三つ。―――その筈、だったのだが。
バルコニーに上がった王家兄妹を待っていたのは、三人席と二人席、二つのテーブルと、五つの椅子だった。
そして三人掛けのテーブルには、当たり前のように金色の髪の少女が居座っていたから、栗色の髪の少女の眉がつりあがったのは言うまでも無い。
ラシャラ・アースとマリア・ナナダンは、どうしようもないほど相性が悪い―――いや、良すぎるのだろう。
同属嫌悪から来る言い争いが当然のように始まってしまったから、のんびりと休憩を取るつもりだったアマギリとしては頭が痛い。
おまけに、何とかなら無いのかと背後のユキネを振り返ろうとしたのだが、いつの間にか彼女は、二人がけのテーブルに居住まい悪げに腰掛けていたキャイアの前の席に我関せずの態度で腰掛けていたから、最早どうにもならない。
夏の日差しが、痛い。このまま日射病になりそうだから帰ってやろうかと思いつつも、それをやったら後が怖いから、アマギリに限られた選択肢は無かった。
喧嘩するほど、仲が良い。―――ああ、そうだろうさ。
だが、喧嘩を止める必要がある誰かにとって見れば、本当に勘弁してもらいたい事態だと言う事を。
「……解ってくれる筈、無いよね」
ふぅ、と大きなため息を吐いた後で、アマギリは少女二人が言い争う三人掛けのテーブルに腰掛ける事となった。
表面上は穏やかに―――穏やかに?
突発的に設けられたお茶会は進行していた。従者二名は主たちの会話を邪魔するような不作法はしないし、マリアとラシャラは、互いが互いを無視の体制に入っていた。
二人とも楚々とした、姫と呼ぶに相応しい態度で居るだけの筈なのに、何故だろうか、アマギリにはそれがとても恐ろしいものに感じられたが、だからこそ、怖くて迂闊に踏み込む気にはならなかった。
そういう態度は、言葉に出さなくても、特に勘の良い女性であれば理解できてしまうものなのだろう。
マリアは仕方ないと息を吐くだけで、しかしラシャラは、ズバリ核心を突くように言ってきた。
「案外と、考えている事が顔に出るのじゃな、従兄殿は。我が国の若いのを言い様にあしらって見せた知恵者の顔にはとても見えぬ」
「―――この方、案外仕事人間ですから。仕事以外の部分で勘の良さを期待するのは間違いですよ」
どうしてこう、第三者を責めるときに限って息が合うのだろうかこの二人はと、アマギリは疲れたように呻いた。
「どうせ僕は、配慮に欠けた人間ですよ……」
追従する言葉の端に、自分の方が近い位置にいるのだという自己主張が混ぜられている事に、人間関係の機微に疎い彼は終ぞ気づかない。隣のテーブルで従者がそっとため息を吐いている事にも、当然である。
当然のことながら場の空気を察しているラシャラは、そんなアマギリの姿を楽しそうに笑った。
「なんの、弱点があったほうがよほど親しみがわくじゃろうて。何事も機能的機械的とあっては、人はついてこぬからな」
「それには同意します。―――が、だからと言って母のように遊び心以外が抜け落ちたような人間にはならないでくださいね」
呵呵と笑うラシャラに、マリアも不本意だがと言う風に同意を見せた。
そしてアマギリは、マリアの言葉の端に上がった人物を思い浮かべて、なんとも居住まいの悪そうな顔をしていた。
「女王陛下のように……ですか」
あんなに明け透けな人間には、あんなに、そう。明け透けに自身の心内を口に出せるようには―――そんな風に考えてしまっていたら、やはり顔に出ていたらしい。
年下の少女二人が、半眼でアマギリの事をねめつけていた。
「……何かな?」
「いえ」
「別に」
冷や汗交じりに尋ねてみても、少女二人は息をそろえて何も言わない。嫌な予感しか、しない。
口火を切ったのは、金髪の少女だった。
アマギリの気づかぬ間にアイコンタクトを成立させ、取りえる態度を確定していたらしい。尋ねているのは一人なのに、そのプレッシャーは二人分感じられるのが恐ろしかった。
「のぅ、従兄殿よ。お主―――フローラ叔母となんぞあったかの?」
ラシャラの言葉でむせ返らなかった事が、幸運だったのか。続くマリアの言葉で、どの道、アマギリは頬を引きつらせる羽目になるのだが。
「昨日の晩餐、そして今日の朝餉の時も―――お兄様とお母様は、どこか普段とは空気が違いましたわよね」
とてもとても、朝とは思えない桃色の空気が発生していたように見えますがと続くマリアの言葉は、アマギリにとって毒を飲まされるに等しい残酷な発言だった。
全部解ってるから、とっとと吐けと。ようするにそういう事だ。
視線を思い切りそらせてマリアの追及を避けようと思ったら、隣のテーブルに腰掛けていたユキネと視線がぶつかった。
心優しい姉に対して、アマギリは決死の気分で助けを求める視線を送ってみる。
ユキネはゆっくりと頷いた。
同意。
隠しようも無く、その瞳はマリアの言葉を肯定していた。更に視線を逸らす、キャイアと目が合った。目を逸らされた。アマギリは少し泣きたくなった。
視線を自分たちのテーブルに戻せば、二人の少女が逃げ場を防ぐようにねめつけてくる。
視線を逸らし、頬を引き攣らせて呻く。
「……何を根拠に」
「その態度がそのまま根拠じゃと思うが……」
この男、本当に腹芸で大国の重鎮たちを振り回したのだろうかと疑ってしまうほどに、今のアマギリはどうしようもなく思考が顔に出ていた。
こんな解り易い男にあっさりと力負けするほど、自国の若い人間は程度が低いのかと喜んで良いのか悲しんでいいのか、ラシャラには悩みどころである。
「……まぁ、アレが腹芸に弱いのは昔からじゃしの。それより、話を逸らす出ないぞ従兄殿。結局、伯母上と何をしたんじゃ。―――よもや、昼日中から乳繰り合っていた訳でもあるまい?」
「乳繰り……って、ラシャラ様、少しは言葉を選んでください」
明け透けな主の言葉に、キャイアが流石に問題があるだろうと中進していたが、アマギリにはそれどころではなかった。
いや、当然そんな事はしていないが―――其処まで考えて、はっとマリアの方を見ると、マリアはまさかと目を丸くしてアマギリを見ていた。
なにせ、マリアにとっては生まれた時から見てきた母の享楽的な所業の数々である。
昨晩は曖昧なまま思考から追い出してしまったそれだったが、まさか本当に。このアマギリの態度を見ていると、冗談では済まされない空気がある。問い詰めない訳には、いかなかった。
「あの不良女王、本当に、まさか―――!?」
「いや、違っ、違うぞ!? ……ますよ?」
焦りすぎた返事は最早肯定に近い。
マリアの脳裏に余り想像をしたくないような映像が映される。
しどけなくベッドに横たわる扇情的な下着姿の実の母。それに、覆い被さる半裸の兄の姿。
―――何故だか似合いすぎていて、マリアは頭が痛かった。
仕方ないなと思える自分も居て、どうしようもない気分にさせてくれる。これはきっちり、釈明を求めるしかあるまいと、ラシャラに追求を続けろと視線を送る。
ラシャラも同じ想像をしてしまったのか、深々と頷いて応じた。
「じゃがのう、従兄殿。あの叔母じゃから何でもありと思うところも我らにはある故、違うと言うであればはっきりと内情を明かしてくれなんだ、早々納得も出来ぬぞ」
マリアの言葉に咄嗟に反論するアマギリに、ラシャラはニヤニヤと、蟻の巣穴に熱湯を注ぐが如き笑顔で言いそえる。
追求の視線は二つ。アマギリは視線を逸らす。ユキネと目が合った。きつい視線が三つに増えた。
更に視線を逸らす。キャイアと目が合った。キャイアは、実に気まずそうにどこか明後日の方向を見ていた。
正面に視線を戻す。興味本位の視線と、眉をひそめた追求の眼。
席を立って廊下までの距離を―――そんなアグレッシブな行動を、自信が取れる筈も無く。
―――アマギリに、逃げ場は無かった。
「……此処から先は、オフレコで」
この言葉、ハヴォニワに戻ってきてから使うの何度目だろうかと思いながら、アマギリはため息を吐いた。
眼前の少女二人に―――背後の女性二人も含めて、興味本位の視線がぽつりぽつりと語りだしたアマギリに集中する。
昼下がりのお茶会は、いっそ解り易いほどに、公開処刑場の様相を呈してきた。
※ 女性のほうが想像力逞しいとか、そんな感じですかね。