・Sceane 19-6・
「あ、そう言えばさっきの話しはユキネにはオフレコでお願いしますよ」
夜も更け、と言うほどには実はそれほど遅い時間でもなく、単純に疲れているからとアマギリが早く寝たかっただけなのであって、実際は晩餐から数時間しか経っていない時間。
アマギリとマリアの会話は、未だに続いていた。
大分気分が緩んでいるらしいと自覚のあるアマギリとしては、果たして冷静に帰った時に何処までがセーフティな発言だったろうかと考えてしまうから、余計な事を言われないように念押しすることは欠かせない。
「やっぱりバレて泣かれるのが怖いのですか?」
二杯目のお茶―――今度は、アマギリが用意した―――を口元に運びながら、調子の戻ってきたマリアは悪戯っ子の笑みを浮かべて兄に問うた。
マリアはマリアで、後に考えると羞恥物の態度を取ってしまった自覚が合ったから、取れる時に主導権を取ろうとするのを、欠かす筈も無い。
アマギリも調子を合わせるように―――合わせたら合わせたで、また理不尽な思いをする事になるんだろうなと思いつつ、微苦笑を浮かべて首を振った。気に優しき、兄心だった。
「どちらかと言えば、叩かれるんじゃないですかね?」
肩をすくめて言うアマギリに、マリアは兄と自身の従者の想像以上の親しさに、またぞろ微妙な気分が湧き上がる。表に出そうなそれを押さえ込みながら、マリアは形だけでもつまらなそうに笑った。
「あら、つまらないの。アマギリさんならあの子の外側を覆う厚い氷をすり抜けてくれるんじゃないかと期待してましたのに」
ユキネ・メアという少女は―――個人的に親しくしているアマギリ達にとっては冗談としか思えないのだが―――遠めで見ていればアイスドール呼ばわりされるほどに寡黙で冷徹な人間に見えるらしい。
実際に付き合ってみれば、口下手なだけで心優しい女性だと解るのだが。
「僕にそういう包容力を期待されても困りますが。―――にしても、氷を”壊す”とか”溶かす”ではなく”すり抜ける”なんですね」
どちらかと言えば女性にこそ包容力を求めたいと言う気分のあるアマギリは、しかしそんな事はおくびにも出さずに笑って話をずらした。
アマギリの内心を察してか、マリアはこのヘタレめと彼の態度を鼻で笑い飛ばした。
「貴方がそんな、莫迦正直に正面から挑む筈がないでしょう。どうせ、蛇みたいに隙間を見つけて、するりと入り込むに決まってます」
「まぁ、実際半身は蛇ですからね、僕は。―――龍呼ばわりされるより、プレッシャーが掛からなくてありがたいですよ」
酷い言い草だなと苦笑いしつつも、アマギリは肩をすくめるにとどめた。
「龍、ですか」
ふぅ、とマリアはそう呟いて息を吐いた。
「聖地では、蛇のように上手く立ち回ったと言うか、龍のごとく暴君のように立ち振る舞ったと言うべきか、その辺り、本人としてはどうお考えなのですか?」
「―――やっぱり、気になりますかその辺は」
「ええ、何しろ一度も連絡がなかったものですから」
「……御免なさい」
藪をつついたら蛇が出た。
言葉どおりの状況にガクリと項垂れつつも、アマギリは気分を入れ替え首をひねった後で言った。
「アレ、上手く立ち回ったって言えるんですかね?」
完全な第三者から見てどうでしたかと、アマギリはまずはマリアの見解を聞いてみたかった。
問われたマリアは、アマギリが聖地で起こした―――”聖地から”起こした騒動の成果を思い浮かべた後で、頷いた。
「充分言えるのではないですか。手駒一つ持たないただの子供が、我が母フローラ、シトレイユの宰相ババルン・メスト、さらには教会の教皇聖下を始めとする各国のお歴々を存分に振り回して見せたのですから」
「……其処だけ聞くと、何か凄い感じがしますね」
実際は、後始末で酷い目にあわせただけの人間が殆どなのだが。
投げやりに頭を掻くアマギリに、マリアは猫のように目を細めて笑った。
「ええ、社交界でお兄様の噂を聞かない日はない、と言う有様でしてよ」
「うわぁ、嫌な予感しかしない」
聞き伝の噂を百倍にすることくらいしかやる事がない暇人の集まりの中で、ちょっとした話題の中心にすえられてしまえば、どんな酷い噂がたつかなど、アマギリには想像する必要もなかった。
マリアもしたり顔で頷いている。
「何でも婿に迎えたくない王族ダントツNo.1の栄誉を賜ったとか」
「余所に婿入りさせるしか使い道が無い、継承順位の低い王族なのに、それを放置しておいて良いのかハヴォニワは……」
夕方の女王の言葉を考えれば、きっと良いんだろうなと思いついてしまい、アマギリは首を横に振ってそれを思考から追い出した。
そんなアマギリを楽しそうに眺めながら、マリアは添えるように言った。
「因みに、嫁に入れたい婿のNo.1はダグマイア・メストのようですが」
マリアの言葉に、アマギリは、ああ、と頷いた。
「まぁ、外面は完璧ですからね、彼」
「―――あら」
「……どうしました?」
何故かマリアは、アマギリを意外なものを見るような目で見ていた。
目を丸くして、どこか驚いている風だ。
「冗談のつもりでしたのに、まさか本当に素の顔を見せてもらえるなんて」
よほど意外な事だったのか、何度も何度も確認するように、マリアは意味も無く手を合わせて頷く動作を繰り返していた。
そんな風に言われても、アマギリにはいまいち意味が理解できない。
「どんな顔をしていましたか、僕は」
「そうですわね、蚊が自分に集っている時のイラついた顔、とでも言いましょうか」
「―――蚊、ですか」
開きっぱなしの窓の向こうの夏の夜空を見上げてる。因みに、人には感じられないほどの微細な亜法振動波によって、例え窓を開けていても虫が侵入する事は無いらしい。
アマギリは冷めた思考でなるほどと思っていた。
虫。精々羽虫が良い所だ。目に付けばうざったくて、潰して手を汚すのもわずらわしいし、払わずに捨て置くには目に余る。
容赦も感慨もなく考えてしまえば、そう表現してしまうのが一番正しく感じられた。
と、同時に余りの言い様に笑いもしてしまう。
「大シトレイユの宰相閣下のご子息を虫けら扱いなんて、流石にハヴォニワの王女殿下ともなると度量が違いますね」
隙の無い笑みを浮かべて言うアマギリに、マリアも華の様な笑みで頷き返した。
それはお互い様でしょうと、まるで口には出さずに意見は一致を見ていた。
「大シトレイユの宰相閣下には払う敬意に過不足はありませんが、その御子息は未だに海のものとも山のものとも知れぬ未熟者でしょう。評価に値する成果を見せていない人間の扱いなんて、その程度で充分ではありませんか?」
「結構きついですね、王女殿下も。……だいたい、その辺は僕らも変わらないでしょう」
まだまだ親の脛齧りという意味では、何処かの蚊扱いされた人間といい勝負だと言う意味でアマギリは言ったのだが、それとは関係なしに、マリアはまたもや目を瞬かせていた。
「あらあらまぁまぁ」
わざとらしく驚いたような口調で、そんな風にマリアは言う。
「―――今度はなんです?」
もう何が言っても構わないと投げやりな気分で問い返すアマギリに、マリアは実の母のような内心を悟らせないような笑みを浮かべたままで答えた。
「やはり聖地へ行かれてから少し変わったような気がしますね、お兄様。―――”僕ら”なんて自分と他人を混同するような物言い、以前なら絶対にしなかったでしょう」
「―――そう、ですかね」
そうだろうか。そうかもしれない。
一瞬、言葉に詰まってしまったのは、アマギリにとっても図星だったからだろうか。
実際問題、何処まで言っても”此処”の人々と自分は別だと考えていた部分があったから、アマギリにそれを否定仕切る事はできそうに無かった。
考え込んでしまいそうになるアマギリに、マリアは楽しそうに言った。
「なるほど、硬い氷を溶かしたのはお兄様ではなく、ユキネの方、と言う事ですわね」
「そん、―――いや」
戯れる様なその言葉を、否定しようとして、そうしたら誰かの叱る時の顔が浮かんでしまったから、それも出来なかった。
良くないペースに巻き込まれているなと、アマギリは大きく息を吐いた。
「……それこそ、後で聞いたら誤解を生みそうな気がするので、オフレコでお願いしますよ」
「あら、まぁ。顔が赤いですわよ、お兄様」
からかうような妹の言葉に、しかし返す言葉の浮かばぬアマギリは、視線を逸らして黙秘を行使した。
そんな拗ねたようなアマギリの態度に、マリアは優雅に笑う。
仲の良い兄妹の、それは自然なやり取りに見えた。
こういう雰囲気も、案外良いのではないか。
お互いの立場を笑いながら、擦れた態度で賢しい言葉の応酬を行う。そんな何時もも好きだけれど。
ふとそんな風にマリアは思ってしまい、だから、普段は言わない方向の冗談を言ってしまった。
「ホント、お熱いです事。どうせならその熱で、心どころか身体ごと―――」
「―――身体ごと?」
かたり。
音がした。そして、何故か、夏に相応しくない震えるような涼しい夜風が、肌を撫でた。
まるで雪の降り積もった日の、朝のような肌寒さ。
視線を、向かい合うお互いから、ずらす。
風を入れるために半開きになっていた窓の向こう、バルコニーに。月を隠す、人影が一つあった。
遠くの月が隠れて見えないのだから、座って見上げられる位置に居る人影は、つまり至近に居ると言う事だ。
マリアは、そのまま固まった。
アマギリは納得したように頷いた。
「……ああ、なるほど。聖機師の身体能力を生かしてバルコニーを伝って運んでもらったと。うん、そりゃそうだ。年頃の姫様が兄とは言え夜に男の寝室に来れる訳ないもんねー」
最後の方は棒読みである。
「あ、あらユキネ。もう、休みなさいと伝えて置いたような気が……するの、だけど……」
「……聞いたけど、主人を放って休む聖機師は居ない。―――大体、マリア様一人で、どうやってここから戻るつもりだったの?」
「―――それは、その」
冷や汗混じりの妹の言葉が、寒い空気をより一層冷やす。
窓の向こうのその人は、じっとしたまま、動かない。次に口を開いたが最後、何だか恐ろしい事が始まりそうだ。
アマギリは諦めたように苦笑を浮かべて、思う。
さて、何処から聞かれていただろうか。いやそもそも、自分たちは聞かれて困る話なんてしていただろうか。
そして自分は、助けを求める妹を救うべきか、無言でプレッシャーを掛けてくる姉に迎合するべきか。
悩みどころだった。
そんな風に考えながら、その日の晩は更けていった。
それはつまり、夜が更けても考え続けなければいけない―――つまり一人で休む事を許されなかった、そう言う事である。
・Sceane 19:End・
※ まぁ、お姉ちゃんが一番強いという割とベタなオチがやりたかったと言うか。
ハヴォニワ組は擬似家族っぽく纏まってきたかなぁ。