・Sceane 19-4・
夕暮れ時。
アマギリとフローラの他人には聞かせられない内容の会話はまだ続いていた。
毒を食らわばと言うほどでもないが、いっそ今まで曖昧で済ませていたものも話しきってしまおうという思いが二人とも似合ったのだろう。少なくとも、アマギリにとってはそのつもりだった。
「それで貴方は、何処へ帰るのかしら?」
フローラの問いはどうしようもなく直線的で、他者を気遣う部分に欠けていたから、その気遣いがアマギリには嬉しかった。こういう時は遠まわしな表現こそが一番嫌われると、理解していたからだ。
ゆえに、アマギリの返す言葉も至極あっさりとしたものだった。
「さて、何処なんでしょうね?」
「あら、教えてくれないの?」
「と、言われても。自分でも良く解りませんので」
どこか上滑りした会話は、しかし意図して話を逸らそうとしているわけでは無く、自身の思考を纏めようとしているためだ。
自分でも、あまり考えないようにしていた部分なんだなと、アマギリには今更ながらに気づかされた。
―――それだけ、案外、今の時間が楽しいと思っていたからなのだろうか。
下手をすればこれで手切れとなってしまう事も有り得ると思えば、幾許かの寂寥感もあった。
だがそうであっても、否定できない気持ちがある。今は霧が掛かって何も見えない、自身の根幹に根ざす物がそれだ。
「何となく―――そう、何となくこの間の一件で解った事ではあるんですが」
雲をつかむような態度で中空を眺めながら、アマギリは選んだ言葉を紡ぎ始める。
例えば、天を―――宇宙を貫く、大樹のイメージが。
自分の中には何時だって、森の、樹のイメージが中心にあった。
それこそいっそ、それを前にしてしまえば他の全てが瑣末ごとに思えてしまうようなほど、心の根底に。
「其処に居るべきなんだって、居たいって思っていた筈だと思うんです。僕は何時か其処へ戻るんだろうなぁって。戻らないわけには行かないんだろうなと、そう思うんですよね。いや、違うな―――どちらにせよ、僕の感情を抜きにしても……」
戻らざるを得ない。
そう言った方が正しい筈だと、アマギリはどこかで確信していた。
ザ―――、と。思考にノイズが走り、アマギリがそう考えた瞬間、何かあまり思い出したくない人物の姿が脳裏に浮かび上がった。
扇子を広げて、嫣然と微笑むその姿は―――。
「どうかした?」
「ああ、いえ」
扇子を口元に広げて聞き手に徹していたフローラが、言葉を切ったアマギリに首をかしげる。
アマギリはその姿にピントを合わせて、先ほど浮かび上がったシルエットを首を振って追い払う。
そういえば、似ているな。
アマギリはそう感じてしまいそうになって、それは失礼な事―――どちらに対してそう思ったのかは解らないが―――だと思い、その思考を追い払った。
似ているから惹かれたなど、比較対照にされた側にとっては失礼な話だ。
―――例えば、深々と降り積もる雪の静かに響く音のような、そんな、そんな穏やかな人に対して持つ後ろめたさ。
記憶の底にも残っていない筈の、しかし決して忘れる事も無い実の姉の一人に似た―――似ていると感じる人と話すたびに思う、そんな後ろめたい気持ちは、他の人と話す時にまで持ちたくは無い。
尤も、どうやら居るらしい実の姉と、たまに脳裏に映る恐ろしくて仕方が無い女性では、訳が違うが。
「どうかした?」
一瞬、誰か別の人のことを考えてしまったのが顔に出てしまったのだろうか。フローラに目を細めて見つめられている事にアマギリは気付いた。
女性徒の会話中に、別の女性の事を考えるなど、それこそ失礼な話だと、アマギリは気分を入れ替えて応じた。
「いえ。……まぁ、僕が自主的に帰ろうとしなくても、そのうち迎えが来るとも思いますし、ね。―――言って見れば僕にとって、この星での出来事全てが余暇みたいなものですか。ちょっとした、長めの夏休みですよ」
必死で何かを追い求めようとしている―――例えば、聖地でひたすらちょっかいを掛けてきた級友未満の人間などからしたら失礼極まりない言葉だろうが、フローラは案外あっさりと受け入れられる意見だった。
「―――だから、そのうち居なくなるのに期待されても困る、と言いたいのかしら」
「否定はしません」
棘も交じろうというフローラの言葉に、アマギリは苦笑して頷くしかない。
「言い方は悪いですけど、前提として何時か引き上げる必要がある以上、どう頑張っても暇つぶし以上のものにはなりませんから。そのうち、手放さざるを得ない事を、忘れる事は出来ませんからね」
「暇つぶし。―――そうね、貴方の聖地での適当に見える行動を見る限り、そうなのでしょうね。貴方ならもっと、波風立てない生き方も出来るでしょうけど―――折角の暇つぶしにそれじゃ、退屈だものね」
否定をしてごまかす事もできるだろうに、その辺りが誠実なつもりなのだろうかとフローラは呆れ混じりに言った。
身勝手な男らしさではなく、年相応の素直な少年らしさを自分にも見せてもらえないものかと、心の片隅で思う。
それはきっと自身の一人娘辺りに聞かれれば、その態度を前に無理を言うなと返されるところだろう。
「傍から見れば、自分の命を手札にして、随分無謀な事をしているように見えるけど実際には貴方、あの程度で自分が死ぬ筈が無いって確信していたでしょ?」
フローラは当然、山間行軍演習の時に起こった事件の顛末を聞いている。顛末どころか、発生する前段階から気付いて、アマギリの動向も見守っていた。
その課程で気づいた事が、アマギリは自分が死ぬとまるで考えていなかったという事実。
一か八かと言う捨て鉢の気分でも、鈍感さ故の無能でもなく、純粋にあの状況を考察した上で、自分なら死なずに終わると確信しているように見えた。
その言葉に、アマギリはあっさりと頷いて応じた。
「そうですね。あの程度は火傷の危険すらない火遊び程度ですよ」
「死に掛けたのに?」
「でも、ホラ。―――実際に生きてますし」
両手を開いてあっさりと言ってみせるアマギリに、フローラも頷く。
普通ならば咎める部分だろうに、その辺りがいかにもフローラ・ナナダンの態度と言えた。これで素直な少年の姿を見せろと言うのは、確かに無茶だろう。好きに振り回されるのがオチである。
「そうね、結果が全てだもの。―――あの翼に関しては?」
「知るべきでは、ないんじゃないかと」
さり気なく疑問を差し挟むフローラに返したアマギリの言葉は、更に一段、二段とトーンが低くなったように感じられる。
翼。考えるまでも無い。
女神の翼などと、聖地では誰もが言っていた、アマギリを無傷で生還させた不可思議な現象だろう。
「知るべきでは、ない?」
重ねて問い返すフローラに、アマギリはそれでも声音を変えずに頷いた。
それは本人でも理解できぬ感覚から来る、迂闊に触れられたくない領域だった。これに関しては、例え誰であったとしても、同じ対応を取ることしか出来ない。
「ええ、知るべきではないと思います。アレに関しては僕にも説明できない―――いや、したくないのかな。とにかく、多分遊びじゃすまなくなると思いますから」
後生だから聞いてくれるなと言うアマギリに、フローラは仕方がないかと同意した。
勿論、フローラは独自に調べるのは止めるつもりはなかったし、アマギリもそれを止めるつもりはなかった。同時にアマギリは、自分でも解らないものが彼女に調べられる筈も無いと傲慢な考えもあったのだが。
それにしても、あの翼が開いてから、覚えていない事を思い出す機会が、増えた。
それが帰るべき場所へ帰る日が近づいているという事を示しているのか―――それとも。
ここで生きていくために、必死で土台を形作ろうとしているのか。この大地に、根ざす為に。
黙考に耽るアマギリを他所に、フローラは話題を変えて言葉を続ける。
「そう、じゃあそれに関してはいいわ。それで貴方は、今後の余暇の消化方法は決まっているのかしら」
お互い何を考えているか到底理解しあっているだろうが、それすらも表には出さずに、図ったようにタイミングを合わせて話題を変えていた。
「今までどおり女王陛下にあわせるって言うのは―――」
「それは、駄目」
肩をすくめて返すアマギリに、フローラはにこりと微笑んで却下を告げる。
「正直に言うとね、貴方と言うピースは大きすぎて、パズルの何処にも当てはめようがないのよ。私は構わないんだけど、最近議会がどうにかしろって五月蝿くって、ちょっと今のままだと面倒になりそうで、ねぇ」
「其処で本人の前でため息を吐かれるのも困るんですけど。一応言っておきますけど、今更斬られるのは御免ですよ」
念のためと言う風に告げるアマギリに、フローラは心外だと眉をひそめた。
自分に対する―――自分の立場、ではなく個人にである―――他人の思いに、理解が及ばないんだなと、フローラはまた一つアマギリを理解した。
ユキネが見るに見かねて世話を焼かずには居られなくなるわけだと、顔に出さずに考えている。
「自分の息子を斬るような親は、居ないでしょ」
「王族なら、むしろ珍しくない事じゃないですか。―――というか、息子ですか、結局」
どうも会話の早々に梯子を外された感のあったアマギリとしては、今更息子呼ばわりされても戸惑う部分があった。
何故此処まで戸惑うかと言えば、冷静に考えればフローラと一対一で会話をするのが実は初めてなのだということに、今更に気づかされる。
割と初めから一歩離れた位置に置かれていたために、割り切った関係で居られたわけだが、対面して話してみれば、意外なほど自分はフローラのことを理解していなかったらしい。
誰かに重ねて、そういうものだと理解したつもりになっていた、そういう事かもしれない。
だから、心底楽しそうに頷く―――本気の笑みを見せるフローラは、アマギリにとって意外な程の戸惑いを覚えさせるものだった。
「そう、貴方は私の大切な子供。た、い、せ、つ、な―――”まだ”子供ね。そこは残念だけど」
「……何か、すっごい嫌な含みを込めますね?」
それこそ、何処かの誰かのように。蜘蛛の巣に絡まった獲物ににじり寄るかのような不吉な言い回しをするフローラに、アマギリが頬を引き攣らせる。
しかしフローラは、アマギリの態度が楽しくて仕方ないと言う体で言葉を続ける。
「忘れたのかしら、私は周りの、娘の反対すら押し切って、貴方を自分の手元に置きたいと思ったのよ? 言ってみれば―――」
年齢を感じさせぬ、嫣然とした―――そうではなく、華のような微笑で、フローラは続ける。
「―――言ってみれば、私は貴方に、きっとあの時一目惚れしたの。一目見た時から、そう。どうしようもなく、貴方の事が欲しいと思ったのだから」
貴方の事が欲しかったから。ただ、それだけ。
フローラがアマギリを手元に置こうと思った理由は、唯々それのみに尽きる。
使えるとか、使えないとか、特殊な能力があるとか、そうではないのか、そんな事は瑣末ごとだ。
欲しいと思えたから手に入れて、それがたまたま使えた―――今では、使え過ぎたとも言えるけど。それに関しては精々、一緒に楽しく遊べそうで何より程度の思いしかない。
重要なのは傍に居る事で、何かの理由があるから、何かをするのに必要だから傍に置いておきたいと思っているのではないと、そんな風にはっきりと明言するフローラに、アマギリは戸惑い混じりに視線を逸らした。
予想外の言葉過ぎて、正直な所、反応に困る。
「……そりゃ、光栄ですけど。―――でも、なんていうか、ホラ。うん、何ていうか、……そのですね。―――あれだ。そう、僕は本当に、そのうち帰ると思うんですよね」
女性から、此処までストレートな想いを告げられるのも初めての経験なのだろう。アマギリはどうしようもないほどに逃げの姿勢で言葉を返す事しかできなかった。
だからと言って咄嗟に周りを見渡しても、経験の足りない頭の中を高速回転させても、逃げ場など見つかりはしないし、フローラが此処で手を止める筈もない。
「因みに私は―――帰る場所があっても帰す気がある、何て言った事は一度もないわよ?」
きっぱりはっきりと言い切ってしまうフローラに、アマギリはうめき声を上げるしかなかった。
無駄な抵抗、そう思いつつも言う他ない。それが更なる事態の悪化を引き起こすと感じながらも。
「―――でも、帰らざるをえないと思うんですよ、僕は」
「それでも、絶対に帰さないわ。このフローラ・ナナダンが、欲しいと焦がれて手元に収めたものを、素直に
手放すわけがないじゃない」
誰が相手でも、と。アマギリが時々フローラと重ねている誰かに向かって、挑むように言い放つ。
女と言うものは、恐ろしい。
何時だって恐ろしいそれが、最も恐ろしくなるその時とは、一体どういう時だと思う―――?
疲れたような顔をした偉丈夫が、何時か何処かで、そんな事を漏らしていたような気がする。
きっとそれは今みたいな時のことを指すのだろうなと、アマギリは逃げ場の無い思考の中で、そんな風に悟った。
「それでも、帰るといったら―――」
これぞ駄目な男の体たらくだという見本そのままのアマギリの悪足掻きに、しかしフローラは艶やかな笑みを浮かべて、自身の望むままに答えるのみだった。
「そうね、その時は―――私が、貴方に付いていっちゃうっていうのは、どうかしら?」
※ ……そろそろ、このSSのヒロインが誰なのか、皆様理解し始めている頃でしょうか。
と、言っても当たり前のように予定は未定なんで、今後も流動的に進むのですが。