・Sceane 2-2・
「それじゃぁ、動かしますけど……ホントに良いんですか?」
広大な面積を持つプレハブ作りの構造物の中に、巨大な半透明の卵上の物体が整然と並べられている。
高い天井にはクレーンのレールが縦横に走り、巨大な卵の周りには亜法動力車が走り回り―――恐らく、整備中なのだろう。何処から引っ張ってきたのやら、野太いケーブルやら、聴診器の化け物のようなものを据え付けた車両などが、忙しなく作業を続けている。
その一角。周りから離された位置、錬兵場へと続くシャッターが開かれた位置に置かれた卵―――待機状態の聖機人、つまりコクーンの足元に、彼は一人立っていた。
彼の周りには整備士の姿は見えない。
聖機人の放つ亜法波は極めて強力で、聖機師の資格を持つような耐性を持たない人間には有害に過ぎるからだ。
それ故、彼が声をかけたのは壁際の高い位置に隔離された管制室に向けてだった。
『ええ、がつ~んとやっちゃって』
張り出した管制室の隅に埋め込まれていたスピーカーから、艶っぽい暢気な声が響く。
そこには、幾人かのつなぎ姿の作業員たちの後方で優雅に微笑む、ハヴォニワ国女王の姿が見えた。
先日、偶然乗り合わせてしまった聖機人から、指示されるがままに降りた彼を拘束してこの王城にまで連れて来た張本人だ。
彼の知る最も大きな街、渓谷の宿場街―――彼は正式な名称を知らなかった―――とは比較にならないほど、何もかもが大スケールの王都。
言われるまま―――言いくるめられるまま、押し留められるままに、部隊を再編成し撤収する王軍の装甲車に乗せられて、彼は長年暮らしていた辺境の山林を後にすることになった。
一緒に来て欲しいと言外のプレッシャーとともに要請され、何故だか、二度とここには戻れないのだろうなと彼は理解することが出来た。
その理由を、彼はあまり理解していない。
ただなんとなく、胸の奥で何かが疼いて。それが必要なことだと告げられた気がしたからだ。
王城に到着した彼を待っていたのは、簡単な事情聴取のようなものと、なにやら良くわからない機材を繋がれての何がしかの測定。
それから、賓客が滞在するであろう客間に押し込まれての、下にも置かれぬ扱い。
自分よりよほど清潔で質の良い装いの侍従達に傅かれながら、彼はその間に、自身が曲解していた幾つかの事実を理解していた。
男性聖機師。選ばれたごく一部の特権階級。
亜法波に対する耐性について。
自分がこうだから、周りもそうに違いないとの思い込みの幾つかは、あっさりと否定された。
つまるところ本来聖機人とはどういうものか、亜法酔いをまったく起こしたことのない自分がどれだけ異質な存在か、学が無かろうと、充分に理解できた。
男性聖機師の、その希少性ゆえの現在の歓待も。……齢14歳に満たぬ彼に与えるようなものではないであろう、年若い女性侍従達からの、慰撫。都会は恐ろしいところだと、風呂で泡まみれになりつつ彼は理解した。
そんな風に、カルチャーショックを受けながら賓客待遇で過ごす事三日。
一瞥以来会話をしていなかった女王が唐突に彼の暮らす客間に訪れ、歳に見合わぬ愛らしい笑顔で彼に一つの頼みごとをしてきた。
頼みごとといっても実質命令に等しく、そも、半軟禁状態の彼に、断ると言う選択肢は与えられていないのだが。
かくて彼は引きずられるままに王城を横断し、王軍詰め所、聖機人格納庫まで足を運ぶことになった。
目の前には、待機状態の聖機人が、卵の中で膝を抱えてうずくまっている。
壁から張り出す形で存在する管制室からは、期待と興味に満ち溢れた幾つもの視線が自身に向いていることに気づかされる。
男性聖機師は珍しい。だが珍しいだけで居ないわけではなく、特にその性質上、国家により厳重に保護されている訳だから、目の届きやすい王都内で生活していることが多い。
それ故王都内であれば、男性聖機師が―――けっして、戦場に出ることはないのだが―――聖機人に搭乗して訓練をしている姿を見かけることも普通にありえるだろう。
「聖機人、ねぇ」
乾いた唇を舐めとりながら、彼は誰にとも無く呟いた。
ふと、眼前のコクーンから視線を離し、周囲を見渡してみると、彼の所作を見張るように、幾つかのコクーンの傍で戦闘衣姿の女性たちが待機しているのが見えた。
暴れるつもりなど、ないのだけれど。いやそもそも、不安ならば乗せなければ良いのに。
そんな風に思いながら、彼はため息一つ吐いて、そっとコクーンに手を触れた。
不思議な柔らかさを秘めた硬質の表面に、彼の触れた手のひらを中心に亜法結界式が広がる。
それはゆっくり回転しながら徐々に大きく広がっていき、環状の結界式のその内側はまばゆい光が満ちていく。
触れていた硬質の感触が失せて、手のひらが光に引き込まれるかのようにコクーンに埋没していく。
その引力に引きずられるように、彼は自らの意思も含めて一歩を踏み出した。
「……亜法波、増大中。聖機師、コアユニットに移動しました」
情報端末を開いていたオペレーターの声が響く。
薄暗い管制室内を照らしつくして余りある光量が、窓の向こうの眼下に見えるコクーンから広がっていく。
日の光よりも強く、淡く。それは新たな生命の誕生を祝福するかのような、自らの存在を世界に主張するかのごとき輝きだった。
「測定器のミスじゃ……無かったんですね」
若い女性オペレーターが、端末に表示されていく波形グラフを陶然とした顔で見つめている。
そこに映されている数値はどれも、常識では考えられないあり得ない数値のはずだった。
だが、この場を企画したフローラ自身は、未だ何を感心することがあろうかと、微笑みの形のまま表情を動かすことは無かった。
”ただの”有用な男性聖機師など、興味を覚えたりしない。
だから見せない、貴方の真価を。
徐々に光量を増していくコクーンを泰然と見下ろしながら、フローラはその時を待った。
「聖機人、覚醒を開始します!」
管制室内で誰かが叫び、そして誰もが、端末から視線をはずして直接窓の向こうへと視線をやった。
首をもたげ、両肘の亜法結界炉を起動させながら身体を起こす聖機人。
コクーンを押し広げるように素体に装甲を纏わせていくその起動法は、誰もが知るごく一般的な理解の上での聖機人のそれだった。
だが、その変化は誰もが目を疑うものだった。
折り曲げられていた両足が膝を合わせ、捩じれ寄り合わさっていく。
発光と装甲の練り合わせにより細かいところまではわからないが、脚部を構成する骨格そのものが分割変形しているのがかろうじて目視できた。
それは蛇腹上の装甲を纏いながら、徐々にその長さを増し、地にとぐろを巻いていく。
発光現象が収まり、装甲の形状変化が完了すれば、そこには本来あるべき脚部を失った、半身に蛇の尾を持つ鉛色の聖機人が、だらりと両手をたらしたまま鎮座していた。
「……やっぱり、脚が無いわね」
フローラが扇子を広げながらつぶやく。
「コクーンそのものは予備機として格納庫に保管されていたもので間違いありません。事前に別の聖機師が搭乗して確認済みです。その時はちゃんと、その、脚部が存在していたのですが……」
「下半身……いえ、尾の先端? ですか。静止状態の亜法結界炉らしきものが存在しています。……本来、脚部にそんなものが存在している筈は無いのですが」
「内部投影図撮れました。……脚部骨格が、背骨から直結したそれそのままの蛇のようなものに変形してしまっているのですが、これは……」
次々と上がるオペレーター達の言葉は、その何れもが居住まいの悪さを表している。
本来あり得ざる変化。比較対照が存在せず、解釈の仕様も無い。
「聖機人そのものには異常が無かった……ということは、やっぱりあの子になにかあるのかしら?」
「恐らく、間違いないかと。搭乗者の放つ亜法波の波形が、一般的な聖機師のそれとは異なっています」
波形図をデータウィンドウに広げながら、生真面目そうなオペレーターの一人が言った。
人体の簡易図形と、それを中心に一定間隔で放射される波紋。
波形図は二枚存在していた。片方は広がる波紋は一定間隔で緩やかに広がっていくもの。
もう一枚の方はそれとは少し違っていた。一枚目と同じように一定間隔で広がっていく波紋。そして、それを追い越す速度でランダムに発生する歪んだ波紋が存在していた。
「通常、人間が放つ亜法波は常に一定、一種類しかありません。ですが、あの蛇の聖機師の子の亜法波は……二種類存在しています」
「二種類」
「恐らくこの、ランダムで発生している不安定な波長に何かあるのではないかと思いますが、詳しくは、もう少しデータを取って見ないと」
「個人的な意見ですが、こっちの普通じゃない波長は、亜法結界炉が放つ波形パターンに類似しているように思えるのですが」
「そりゃ何か? つまり体内に亜法結界炉でも内蔵してるのか、あの子」
表示されているデータを確認しながら、オペレーター達の私見が続く中、フローラは一人扇子で口元を隠したままため息を吐いた。
ようするに、”よく解らない事が解った”という、どうにもならない事実しか残らないと言うことだ。
確定している事実は、あの蛇への変化はあの少年、アム・キリ自身の特性によるもので、聖機人の如何に寄ることが無い。
『すいませーん。そろそろ、次の指示が欲しいんですけど』
通信モニターの向こうで、管制室を驚愕の渦に巻き込んでいる件の少年が、困ったような笑みを浮かべていた。
その言葉に指示を求めるオペレーター達に、適当に外で動かしておいてとフローラは指示を出し、管制室を後にした。
その口元はやはり笑みを象っており、彼女の考えは初見のときより変化は無かった。
アレが、欲しい。
※ 次辺りからそろそろ、話が回り始める……かなぁ。
もう二、三回準備中みたいなノリが続くかも。