・Sceane 18・
卓上に置かれた、厚みを持った手の平大の金属製の円盤。
中央に設置された水晶のような球体から光が漏れ―――その上に、半透明の立体映像が浮かんでいる。
中空に映し出されたそれは、円盤に収まるサイズの小さな人の上半身であり、身振り手振りと口の動きに合わせて、周囲の空気を震わせて音声メッセージをアマギリに伝えていく。
立体映像に映し出されて居るのは、年若い―――本当に、実年齢を想像させない若々しさを見せる美女であったから、それを見ているアマギリの顔がげんなりしているのも当然といえた。
女性の映像は記録された音声を再生し尽くした後、最後に宙に向かって投げキッスを残して、消えた。
デフォルメされたハートマークのアニメーションが、むなしく円盤の上で舞い落ちる。
屋敷の、広いリビングの中で静寂が満ちた。
昼下がりに鑑賞するには相応しくない色気を秘めた美女の映像を頭の中から振り払うように、アマギリは大きく息を吐いて、腰掛けていたソファの背もたれに大きく背を預けて天井に掛かるシャンデリアを見上げた。
そして、一言―――自分の隣の一人掛けのソファにきれいな姿勢で腰掛けていた少女に聞こえるように、呟いた。
「見なかった事に」
「ソレを見なかった事にするなら―――次は、コレ」
す、と。少女―――ユキネは、テーブルの上に乗っていた映像再生機を避けて、全く同じ型の装置をアマギリの前に示した。
再生機は自動で記録された映像を再生する。映し出されているのは、やはり先ほどと変わらぬ美女の姿。
先ほどの映像の時よりも、胸元が開いた露出度の高い服を着ているのは気のせいではないだろう。
「……この人、僕が自分の息子だって設定忘れかけてるんじゃないか?」
「もう一回見なかった事にすると……下着姿になる」
問答無用で再生を止めたアマギリに、先に映像を検閲済みだったユキネが付け添える。
と、言う事はそれも見なかった事にすればオールヌードが見れたのかとか表情に出さずに考えながら、アマギリは頭をかいた。
「拝啓。夏本番とも言うべき蒸し暑い季節となりました今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。さて本日貴方に伝えたい事は―――なんて、丁寧に当たり障りのない言葉が返って怖いよね。自主的に動かなきゃいけない気分になるし。……その辺、女王陛下は僕の事を解ってるって気がするけど」
考えるまでもなく、再生機に映し出されていたのはハヴォニワ女王フローラ・ナナダン、公的にはアマギリの母親とされている人物だった。
言伝の内容は端的に言えば、”夏休みになったら一度ハヴォニワに帰ってきなさい”というものである。
この一学期の間に一度も本国と連絡を取る事をしなかった息子の態度に全く追求を見せない、それは逆にアマギリからすれば不気味な空気に思えた。あの女王の事である、アマギリが意図的に連絡を取っていないことも理解している筈なのに、それをおくびにも出さない。
だから、言伝の内容を聞いてのアマギリの感想を端的に言ってしまえば、”絶対戻りたくない”という、割と人として駄目なものとなる。
どう考えても、帰ったら面倒な対応をせねばならないと想像がつくから、避けられるなら避けてしまいたい。
特に、母と違い自分からは通信を送ってこない、アマギリがハヴォニワに戻る事を全く疑っていないであろう”いもうと”の存在を考えれば―――。
「出来れば顔を見せに戻られてはいかが? ―――”いかが”って事は、額面どおりに受け取れば戻らなくても構わないって逃げ道を残していてくれるようにも思えるんだけど―――」
「―――まさか、帰らないつもりなの?」
思考を逃げに走らせようとしていたアマギリに、ユキネが目を細めて問いつめる。
ユキネの思いとしては、最近無茶ばかりしているこの男を、断固として母親の前に突き出す心算だったから、絶対に逃がすつもりはなかった。長い口上を言わせる間もなく、言葉をかぶせる事を容赦しない。
そんな従者の威圧気な空気を察してか、アマギリは頬を引きつらせた。
「いやさ、ホラ。一応、理由も成しに初等部の人間が帰郷ってのは認められていないし、そう考えると夏休みだからって本国に戻る必要が無いと……」
「駄目」
「は?」
正論による理論武装で凌ぎ切ろうとするアマギリを、ユキネは一撃で切り捨てた。問答無用の従者の態度に、アマギリの目が点になる。
「アマギリ様も帰らなきゃ駄目」
「え? 駄目?」
「駄目」
駄目。命令形である。
この主を常に立てようとしてくれる従者にしては珍しい、強固な意見だった。
ユキネは問い返すアマギリにゆっくりと頷いて、口を開く。
「私は、アマギリ様の護衛」
「ああ、うん。そうだね。いつも迷惑掛けて―――」
「そういう、心の無い謝罪が一番嫌い」
「……御免なさい」
平謝りの態度に走りそうだったアマギリを、ユキネは眉を吊り上げて封殺する。
きつい態度に思わず年相応の少年のような素直な口調で謝ってしまったアマギリに、照れたように微笑みながら、ユキネは言葉を続けた。
「私は、アマギリ様の護衛。―――だけど、それは聖地に於いてのみ適応される事であって本来は……」
「あ、そうか。―――御免、忘れてた」
ユキネの言葉を途中で遮り、アマギリは思い出したように言った。
そう、当たり前のことを忘れていたのだ。
それが日常で、そうである事がそれなりに自然な毎日を過ごしていたから、根本的な事情をアマギリは忘れ始めていたのだった。
「―――ユキネさんは、王女殿下の護衛機師だもんね」
ユキネ・メアの本来の職務は、あくまでハヴォニワ王女マリア・ナナダンの護衛機師であり、アマギリの護衛を勤めている現状は、たまたま同じ学院に通っていて都合がよかったからという偶然の結果に過ぎないのだ。
言うなれば、アマギリへの護衛は、学業のついでのようなものである。
「って事は、ユキネさんが本国へ戻る夏休みの間は、僕一人の行動になるのか。―――何かアレだね。四月からこっち、毎日顔を合わせていたから不思議な感じ―――って、どうかした?」
「……言うと思った」
とぼけて話を逸らそうとするアマギリに、ユキネがため息で応ずる。
アマギリは苦笑して肩をすくめた。
「―――思いましたか」
「アマギリ様の言うとおり、もう三ヶ月以上も一緒に居るんだから、そろそろ言う事くらい想像がつく」
「光栄に思うべきか微妙だねそれは。何か、前に王女殿下にも似たような事を言われた気がするし、やっぱアレかな、その辺ユキネと王女殿下は主従で気が合うって言うか―――」
「アマギリ様。―――話を逸らすの、駄目」
どう足掻こうと逃がす気は無いのだと、ユキネの瞳がそう語っていた。
「―――御免なさい」
降参、という風に頭を下げるアマギリの髪を撫で付けながら、ユキネは頷いて続ける。
「ん。私は、マリア様の護衛でもあるけど、アマギリ様の護衛でもあるから、―――だから、アマギリ様は私と一緒にハヴォニワに帰ってくれれば、嬉しい」
その態度があまりにも真摯過ぎて、アマギリは視線を逸らして言うべきことでもない事を言ってしまった。
「―――それは、命令?」
「主人に対して命令なんて、出来ない」
本気で怒ってくれている―――ユキネの態度が嬉しくて、アマギリは微苦笑を浮かべる。
「主人、て。忘れたの? 本来僕と貴女では、貴女の方が上の身分の筈なんですよ」
神の悪戯か、運命の気まぐれか。
何故だかアマギリはハヴォニワの王子などという立場を与えられているが、その実際を理解しているユキネは、本来であれば彼に畏まる必要は何処にもないのだ。
だというのに、ユキネは常に真摯にアマギリの事を気遣ってくれていたから、彼にしてみれば―――彼らしくも無く―――後ろめたい気持ちを覚えてしまう事もあった。
女王フローラのようにあからさまに利用してやろうという態度であれば、そういう風に思う事は有り得ないのだが、それがユキネの人徳というものだろう。
だから彼女は、こうも簡単に言える。
「そんな事は無い。本来の出自がどうであれ、貴方はもう―――今の状態を抜きにしても、ハヴォニワに所属する男性聖機師である事は間違いないから、百歩譲っても、私と貴方の立場は、―――対等」
だから。
上から、下からとか、そういうことじゃないことを、信じて欲しい。
悪党には堪える、どうしようもないほどに善的な言葉に、アマギリは天を仰いで唇をゆがめる事しか出来なかった。
「対等、ね」
「―――失礼な事を」
「ああ、御免。そうじゃなくて。いや、そういうの失礼とか思わないから、僕は。ただ―――いや」
公的な立場を何歩も踏み越えてしまっていた自身の言葉を咎められたと思って、ユキネが謝罪の言葉を口にしようとしたのを、アマギリは押し留めた。
押し留めた後で―――その後の自分の言葉を、彼はいつものように、胸の中に帰そうとした。
いつも、そうだ。
彼は、自分の言葉を決して口にしようとしない。
彼から出てくる言葉は、状況に対する反射ばかり。
「聞かせて、欲しい」
「は?」
だから、そう。
一念を発起して、ユキネはその顔に真剣な眼を浮かべて、アマギリと正対した。
聞かなければいけない―――そんな、義務感ではなく。
聞いてみたいと。そんな、結局三ヶ月程度の付き合いの中でも本質を見切れなかった少年の、内に秘めた一つでも見せて欲しいと思ったから。
「聞かせて欲しい。―――貴方が考えている事を。でないと私は、決定的なところで貴方を守れないと思うから」
守る。
自分は、この少年が守りたいのだろうかと、自身の言葉にユキネは疑問を覚えながらも、それでも言葉をとめる事は無かった。
元来感覚的に物事を捉えることの多い自分だったから、ユキネは自信の無意識から出た言葉を信じる事にした。
目を光らせて、外敵を物理的に打ち払うだけでは、それはこの少年の守護者たるを果たす事にはならない。
―――と、言うよりも。外敵と対峙する上では、この少年に積極的な護衛は不要だろう。
この強かな少年は、放っておけば外敵の存在を察知して、自分で勝手に対抗策を練り、処理してしまう。
そう、勝手に。
それが問題なのだ。
この少年は状況に対して完璧な対抗策を練ることが出来るのだが、それを周りの誰かに伝える事をしない。周りの誰かに、その方法を相談する事をしない。
そして、少年の行う数々の対抗策は、ユキネから見れば何時も突飛なものばかりだ。後で聞けば的確と言えるものが殆どだが―――ようするに、後で確認をとらざるを得ないほど、傍から見れば危険で無自覚な行動ばかり。
傍で見ているユキネからすれば、心臓に悪いものばかり。
特に先日の森での一件など、本気で心臓が止まりそうなほど衝撃の光景だった。高高度での爆発、確実な即死かと思えてしまった。
三日も目を覚まさずに、目を覚ましてみれば寝ぼけたような言葉でまた、周りを翻弄する。まるで全然、死に掛けた事に堪えて無いように。
だから、ユキネはこれではいけないと思った。このままでは駄目だと確信したのだ。
自分が駄目なのではなく、つまり、アマギリが。
この、周りの親しい人間に対する配慮のかけた行動をとる少年を、何とか矯正する必要があると、ユキネは遂に決心したのである。
それが、この少年を真の意味で守る事に繋がると、そう思ったのだ。
例えるならそれは、駄目な弟を嗜める姉の態度にも似て。
真剣な顔で、問われて―――請われて。
アマギリはどうしようもないほどに会話をずらしてしまいたい衝動にもとらわれる。
苦手なのだ、こういう人は。
利益の甘受も求めずに、真摯に他人に気を仕える人間は。自分のためだけを思って与えられる言葉は。
アマギリは、他人が思うよりはよほど、自分の性格に問題があると理解していた。
食えない態度、容赦の無い言葉。重箱の隅をつついて哂う様な、意地の悪い性格。
それを理解していたからこそ―――そういう問題のある人間の周りには、純粋な善意を持つ人間は近づいてくる筈が無いと理解していた。
類は友を呼ぶものだと、酷薄な人間の作る人間関係は、酷く酷薄なものに違いないと、そう信じているところがあった。
それは普遍的なものの見方からすれば明らかに誤解であり、本来は個人の内面などお構い無しに、人同士の交流があれば、多種多様な人間性が交じり合うのが当然である。どんな人間の前にも、善人や悪人、色々な人が現れるのが当たり前だ。
だがアマギリの中にある得体の知れない真実においては、自身の周りには”絶対”に油断をしていけない人間しか周りに居ない筈となっている。そう確信している。
顔も名前も思い出せぬ、本当の意味での自身の両親、兄や姉―――兄弟が居た事は思い出した―――そして、幼い自身の周りにいた、誰も彼も。恐ろしい人も愚かな人も。
それら全てが、記憶のそこに姿かたちも茫洋のまま沈んでいると言うのに、迂闊に気を許す事が即、身の危険に繋がるような人ばかりだったと、それだけは忘れられない真実だった。
記憶に無い、幼少期の原体験と言うものがよほど身に沁みているのだろう。
それ故に、アマギリにとってユキネの善意はいかにも受け止めがたくあった。
裏に何かあるのかと勘繰ってしまいそうになるからではなく、裏に何も無いと解ってしまうからこそ、である。
単純に、善意の受け止め方を知らないのだ。
自分にはそれが相応しいものだと思えなくて、だけど、だからこそ拒めなくて。
だから、アマギリに出来た態度は、全く褒められたものではない、情け無い少年のような態度。
例えるならそれは、優しい姉に頭をたれる、だらしの無い弟にも似て。
「ただ―――うん、ただ、何ていうか、さ」
「うん」
蓋をして、秘しておきたい秘め事を口にするような気恥ずかしさで、アマギリはポツリと言った。
「よく考えてみれば、此処に来てから対等な立場の人間に会ったのって初めてな気がして、だから―――」
「―――だから?」
その後の言葉は、早口で、小さな声で呟かれた。
ユキネにはそれが聞こえた。アマギリはそれが聞こえなければ良かったのにと思った。
そしてユキネは、アマギリに一緒に帰ろうと言って―――アマギリもそれを、拒む事は出来なかった。
・Sceane 18:End・
※ と、言う訳で第二部終了。
エンドカットがダグマイア様って無いわなぁとか思ったので、一部にならって女の子に頑張ってもらう形で。
まぁ、キャラの役割分担が漸く見えてきたような。
第三部は所謂『承前編』。原作への布石となる一つの事件が起こる―――筈です。
次回は再びハヴォニワへ舞台を移し夏休み。もう20話以上出てない人が、久しぶりに……。