・Sceane 15-2・
「敵が居て、それをやっつければ万事解決、とか言うんだったら楽かなぁって思うんですよね」
『敵?』
「ええ。まぁ、現実はそう簡単じゃないから、こうやって微妙に体を張ってたりするんですけど」
気を取り直して、相変わらずだらけた姿勢を崩さないままアマギリは世間話でも始めるかのように、目の前の正体不明の仮面の女に話し始めた。
仮面の女―――ネイザイ・ワンはアマギリの言葉に少し首を捻る。
『つまり、私達は貴方にとって敵に値しないと言う事なのかしら』
「私達―――ね」
ネイザイの言葉を、アマギリは鼻で笑う。
それは、あまりにも無防備に傲慢な態度を示しすぎているようで、むしろネイザイ・ワンの方が心配を覚えてしまいそうなほどだった。
しかしアマギリ自身は意図してソレを作ってやっている。目の前の不審者のようなタイプの人間は、どれだけ挑発したところで目的を終えるまでこちらに危害を加えるはずが無いと判断していたからだ。
……目的が終わった瞬間どうなるかは、少しは考えるべきなのだろうが、アマギリ自身の目的のためにもここは”如何にもアマギリ・ナナダンらしい”ポーズを崩せない。
勿論このポーズは目の前の不審者に対してだけのものではなく、何処かで聞いているであろう誰かのためでもあった。
「私達。―――わたしたち。まぁ、どの集まりを指しているのかは聞かないけど、詰まるところどいつもこいつも考えている事は同じだ。目の前に良く解らないもの―――つまり僕だ―――が居て、良く解らないから、とりあえずどういうものか調べてみようとしている。でも困った事にどう調べれば良いのかが解らない。なにせ目立つようにソレを置いたのはあのハヴォニワの女王ですし、迂闊に手を出せばどんなトラップが仕掛けられているか怖くて仕方ない。当然、置いた当人にソレが何かを聞くなんて、恐ろしくて出来る筈も無いですし。―――だからできる事と言えば、”たまたま”近くに居た自分の手駒に、遠巻きに探らせる事くらいしかない」
そして、誰も彼もが同じように二の足を踏んでいる間に、無駄に時間ばかりが過ぎていってしまっている。
その無為な時間の浪費こそ、恐らくはフローラが自らの”遊び"を優位に進めるために望んでいた物なのだろうから、アマギリの丁稚としての立場から言えば、現状維持でも問題は無かった。
「だけど、あまりにも目障りだ」
はき捨てるような言葉は、今まで誰にも見せた事が無いようなもので、それこそきっと、敵にくらいしか向けない表情の筈だ。
『……目障り』
程度の低い間者などに一々意識を傾けるようなタイプではなさそうに見えたがと、ネイザイはアマギリの評価を下方修正しそうになった。そんな仮面の奥のネイザイの心情を知ってかどうか、アマギリは喉を鳴らせて笑いながら一つ頷く。
「そもそも、この遊びに参加している―――受動的能動的に関わらず、だ―――連中は、どいつもこいつも自分が何を調べているのかすら理解していない。そんな態度で目の前をウロチョロされて見て下さいよ。いざ調べようとして、初めて自分が何を調べればいいのか―――僕本人の目の前で考え出すんですよ? 僕に直接、意図を持ってちょっかい掛けて来るなら、ソレ相応に報復くらいはしてあげるのに、やってる事は人の目の前で右往左往して、ここには居ない誰か―――まぁ、親だかスポンサーだか知りませんけど、そいつらに涙目で助けを求めてる連中ばかりですから。見てられませんよ」
お陰で友達が全然増えませんしと、それほど全く苦にして居ないような言葉でアマギリは締めた。
聖地学院に通う生徒には二種類の人種が存在する。
つまり、将来が確定しているものと、そうでないものだ。
そして大半が将来が確定している―――つまり、帰属するべき国家を見定めている者達でありそういった者達はたとえ在学中であったとしても自身の仕える国家に忠実に働く。
将来の決まっていない人間たちにしても、卒業してからの食い扶持を求めるために付き合う人間達の中で、既に将来が定まっている、特に確実に定まっている―――つまり支配階級の人間たちとの付き合う場合、最大限の便宜を図ろうと努力する。ようは、難しくない頼みであれば、優先して聞き入れると言うものだ。
それらの事情を踏まえて、アマギリ・ナナダンの存在を置く。
何か行くよく解らない力を有しているらしく、そも存在自体が良く解らない。
それが厳戒な警備体制を離れて学生として聖地学院に通っているのだから、その存在を知る物ならばそれ幸いとその情報を集めようと躍起になるだろう。
そして、アマギリの情報を必要とするような位置に居る人間たちは、直接それを行う事が不可能な年代の者ばかりであり、自然その方法は限られる。
自国、自支配の及ぶ学院生徒たちに司令を与えるのだ。
即ち”アマギリ・ナナダンを探れ”と。
解らないから探ろうとすると言う姿勢は正しく、しかし司令を下される側からすれば、そもそも何を探れば良いのかすら解らないという事態を引き起こす。
当然だろう。指令を出した側も、正直自分のいった言葉の意味を理解しかねているのだから。
結果として、そもそも間者の訓練など受けた事も無い学生たちは皆、アマギリを遠巻きに囲みながら、あさっての方向を見ながら何かを考えている、そんな空気が完成する。
幾らアマギリでも、何かを仕掛けてきそうで、しかし誰も何を仕掛けてくるでもなくそんな空気に二ヶ月も落とし込められていれば、苦言の一つも呈したくなってくるのだ。
いっそ、ダグマイア・メストのお気楽な行動が清涼剤になっているとすら言える状況である。
「その辺、あなた達と―――あと、ババルン・メスト卿の手下の人たちはがっつりちょっかいをかけて来てくれてむしろ清々しいんですけど。基本的に僕、受身の人間ですから、先手取ってもらったほうが動きやすいんですよね」
『―――待ちなさい』
腕を組みながらのんびりと言葉を続けるアマギリを、ネイザイ・ワンは待ったをかけた。聞き捨てなら無い言葉を聞いた。
『”私達”と”ババルン・メスト”は別の物だと言うの?』
今回の仕込がダグマイア・メストに近い部分から発せられていると解っている筈だろうに、その仕掛けの一端に居るネイザイをさして、ソレとは別だと言い切るアマギリの思考は、ネイザイにとって理解のほかだった。
「同じだって言いたいなら別にそれでも良いですけど、人間が重複しているからと言って組織として一つに完結していると考えられるほど、僕はお人よしでもないですよ。―――先に言ったじゃないですか、”敵”が居れば楽なのにって」
現実は、敵らしき連中ですら一つ塊ではないのだから面倒だと、ぼやくようにアマギリは言った。
「―――空気を読むのは得意です、僕は。断言して、”あなた達”はババルンともダグマイアとも別だ。―――ああ、念のため言っておきますが僕は貴方達が何者で、何を企んでいるかなんて”知りません”。だからこれは例え話になりますが―――此処へ来て直接的な”攻撃”を受けたのは三回。聖機人をぶつけてきたのと言葉をぶつけてきたのと木刀をぶつけてきたもの、この三つです。―――今の貴女は言葉をぶつけてきている。聖機人をぶつけてきたのがババルン・メストで、木刀を投げつけてきたのがダグマイア・メストのやり方ならば、言葉をぶつけてきた貴女は、そのどちらにも当てはまらないでしょう?」
『……』
ネイザイは言葉を漏らせなかった。迂闊な言葉の一つでもあれば、きっとこの少年は発想を更に飛躍させると感じたから。たちの悪い事に、この少年の発想は真実を言い当てるセンスに長けているところがあった。
正答ではないが、七割の正解は得られそうな答えを、彼は勝手に自身の中で組み立ててしまう。
「ババルン・メストならこのタイミングで始末に走る、でしょう?」
『―――っ!?』
だが、ネイザイ・ワンは”今のところ”アマギリを此処で始末するつもりは無かった。
それこそが、”今”はネイザイ達とババルンが別だと言うアマギリの言葉が真実であると認めていた。
「お宅等には初っ端から警戒されてますから、今更ですしね。あなた達は憂いを残して、揺らぎを増やし―――自分たちの目的を有利にする必要があるはずだ。だから、僕を此処では殺せない。殺してしまえば、僕のバックに居る怖いオバサンが本気になりますし、それはそちらの望む展開じゃないでしょう?」
『―――貴方の目的は何なの? ソレを私に此処で話して、何のメリットが貴方にある』
ネイザイ・ワンのくぐもった声が、警戒感をむき出しにしていた。
対してアマギリは、気楽な態度を崩さない。
内心、裏側に居る誰かと違い、この女との化かしあいでは自分に分が有るようだと気付いてほくそえんでいる。
後はこのまま上手く、小賢しく立ち回る小僧を演じきれば良い。
事が起こったその時まで、牙は静かに研ぎ澄ませておけば良い。
「目的を持って僕を追い込んだ人間に、目的尋ねられるとは思いませんでしたよ。―――まぁ、強いて言えば、話を通す順番を間違えるなってトコですかね」
『順番?』
「ええ、順番。見たい物があるなら僕に言えば良いでしょうに。持っているのはそもそも僕なんですから。敵対するしかない怖いオッサンと比べて、あなた達はまだ幾らか話し合いで解決出来る部分が大きいでしょう。それなのに、コソコソとお馬鹿な学生盾にしてちょっかいかけて来るなんて態度とられると、困るんですよね、対応に。本気を疑いたくなりますから」
『―――そんな事は』
アマギリの提案に、ネイザイは言葉を濁した。
要するにアマギリが言っている事は、ババルン、ダグマイアから抜け駆けをしろと言っているのだ。
当然そんな行動をとれば、ダグマイアはともかくババルンが気づかない訳が無く、ババルンが気づくと言う事は完全にその下の立場のダグマイアも気づくと言う事と同義だ。出来る訳が無い。
だが、アマギリはあえて提案してきた。理由は想像するまでも無い。
これで少しでもババルンや彼女達の行動を分断できれば、アマギリ自身の生活が平穏になると考えてからに違いない。
どう足掻いても自身の立場じゃ退ける事が不可能なババルンはさておき、まず目の前に危機としてあるのはダグマイアではなく、ユライト・メストだと、このとらえどころの無い王子は考えているらしい。
ダグマイアが彼の敵にもならない事はネイザイにも解る。しかし、感情的なダグマイアの背後にユライトが立たれると、途端にアマギリの身辺は危険度が増す。今回の山間訓練の一件のように。行動の前に逃げ場を塞いで来る相手と激突するのは、アマギリにとっては怖い話なのだろう。
なまじ相手の行動が読めてしまうだけに、余計に。
しかし彼も、上から押し付けられた立場がある。ゆえに個人的な嗜好で逃げ出す訳にはいかないのだ。
だから、アマギリはこうして体を張って小細工を弄している―――つまりは、そう言う訳か。
思考を整理しているネイザイを、アマギリは表情に出さずに観察していた。
どうやら、上手く仕込めているらしい。
問題は、何処かで聞いている誰かも、同じように考えていてくれているか、だ。
アマギリが、彼らの企みに完全に乗って、貸しを作ろうとしてやっている―――そういう風に、ちゃんと見えているかどうか。
もう少し仕込む時間が欲しい気もする。
しかし、森の遠くで忙しなく動く気配がする。―――つまりは、もう潮時だ。
アマギリは唐突に、何気ない風を装ってネイザイに尋ねた。
「ところで話は変わりますけど、木刀をぶつけてきた彼は何がしたいんですかね?」
『―――ダグマイアのこと?』
何時ぞやの授業の折、ダグマイア・メストの従者が故意ではない偶然でアマギリにむかって木刀の先端を飛ばしてきた。
それは結構なスピードで頭部目掛けて飛来していたから、直撃していれば軽い傷では済まなかっただろう。
ダグマイアの従者がダグマイアの対立者に木刀の破片を事故でぶつける、なんてそんな偶然があるはずも無く、アマギリはこの必然の目的は何だったのか、彼に近い人間の意見を聞いてみたかった。
ネイザイは頷いた。その場に居なかった筈だろうに、まるで見た事のように正答を述べる。
『怖がらせたかったのでしょう』
「怖っ……って、只の虐めか何かのつもりか?」
『そうではないわ。人格云々を別にしても、ダグマイア・メストの立場であればアマギリ・ナナダンの存在は目障り極まりない。その影響力が強まる前に排除出来るのであれば、排除をしてしまおうと考える事もあり得るでしょう』
何とも性急な話に聞こえるが、ダグマイア・メストなら確かにやるだろうかとアマギリは頷いた。ソレと同時に、言葉には出さないがダグマイアもまた他の者たちとは違った目的があるのだと理解している。
どいつもこいつもが、自分の目的の障害になるか否かを見定めようとアマギリに仕掛けてくる。うざったい事この上ない事実だった。アマギリそのものが目的ではないのだから、余計に腹が立つ。
まぁ、良い。抑えろ。―――それももう少しの辛抱だ。
「排除、ね。そういえばダグマイア君の行動だけは初めから終始一貫して僕を物理的に排除する事に重きを置いていたかな」
『今までの話からして、私でも解ることがある。―――貴方は今の自分のありように満足しきっている。それ故に、誰かの言で揺らぐ事が無い。変わらない。変わらないまま何処へでも行こうとする。そしてその事実こそ―――』
「何かを変えようと思っているダグマイア君にとって、―――うわっと」
ヒュカッ!
アマギリの言葉は遮られた。何が起こったと考えるまでも無く、だらりと投げ出していた手首の力だけで身体を倒立させて、虚空から飛来してきた何かを避けた。
ナイフ。今まで話していた仮面の女の物とは違う。ソレだけを頭に止めながらアマギリは木の根の上を倒立前転をしながら素早く移動していく。
その行く末をふさぐ様に飛来した刃物を、安全靴の堅い踵で蹴り飛ばして、アマギリは体勢を起こして襲撃してきた何者かの姿を確認した。
黒い意匠、覆面。髪まで隠す覆面は開いている瞳の部分にまで影を落とし表情をうかがわせない。
だがその体系から女性である事は見えていた。このタイミングで、女性による襲撃者。探す気が無ければ見つからないような場所なのに。
そこまで考えて、そういえば仮面の女の正体は解らなかったなとアマギリは思った。しかも、いつの間にか気配が消えている。確認する必要も無く、この地形は崖を思わせるほどの酷い傾斜となっている。
そして、高い位置に覆面の襲撃者が投げナイフを構えており、低い場所でソレを伺っているアマギリが軽快な動作で動こうと思えば、重力を逆らって高い位置を目指せる道理は無い。
「なるほど、ね」
「―――っ!」
一言呟いて、アマギリは後方、崖下に向かって飛んだ。襲撃者の女が虚を突かれた様に声を漏らしたのが解ったが、今は考える必要も無い。
「忠犬てのは、居るもんだね―――ホント、羨ましい」
訓練場でならきっと敵わないだろうが、森の中なら別だった。
平面的な動作しか取れない訓練の場と違って、障害物を利用した三次元的動作が可能な森の中は、アマギリにとって実に行動しやすい場所だ。彼にも理解しかねる、何処からか浮かび上がる知識が、そうだと確信させていた。
尤も、真に達人であれば戦場を選ぶ事は無いのだが。
それは今は考える事ではないと、拾い上げておいた樹に刺さっていた短刀を投げつけて牽制しながら、落下速度に身を任せるまま姿勢を反転させる。
結果は同じだろうと、状況は常に自分で作る。
それが精神的な優位を呼び、その後の展開での選択肢を広げるのだと―――これも果たして、何処で覚えた知識だろうと、アマギリは一瞬笑ったあとで、表情を改め前を向いた。
いきなり視界一面に迫ってきた巨木の枝の表面を削りながら足を滑らせ、次に見えた枝から、そのまた次の枝へと次々と飛び移っていく。どんどんと崖下に落ち下っていけば、そこには見慣れた物体が転がっているのが見えた。
巨大な、卵上の球体。その内側に鋼の骸。
見違えようも無い聖機人のコクーンを視界に捕らえて、アマギリは笑った。
どうやらアマギリと同様に、何処かの誰かもお膳立ては完璧と言うことらしい。
コクーンのある崖下は、木々の密度が薄く、聖機人が活動する事に支障が少なそうだったから、その後の展開も簡単だろう。
―――そうとも、罠は既に、どちらも共に仕掛け終えている。
「さて、吉と出るか凶と出るか―――いや、狂と出るかな」
※ 戦闘前段階編。
これで12話辺りで予想を覆されたら、どうフォローすりゃ良いかなぁと思いつつ、次回はさらに暴走してるような。