・Sceane 2-1・
小高い丘の上に存在するハヴォニワ王宮は、華美というほど豪奢ではなく、質素と言うほど寂れても居ない。
大国の陰に隠れつつも、やり手の女王に率いられてそれなりに国際社会で幅を利かせる小国らしい、それ相応の堅実さを抑えた、つまりはこじんまりと、それで居て品性を失わない程度の優美さを備えた城構えだった。
「アム・キリ君、14歳、ねぇ」
その城の主、現ハヴォニワ王国国主、フローラ・ナナダン女王は執務机の上に広げられた短い資料を広げて、首をかしげていた。
衝撃の出会い―――いや、反乱軍鎮圧から既に三日過ぎた。
フローラはあっさりと武装解除に応じた脚の無い聖機人の聖機師をひとまず拘束―――任意同行と言い換えても可―――し、ともに王城へと引き上げていた。
そして、封権貴族最大勢力の鎮圧状況と合わせて提出されたかの少年の資料を捲りながら、彼女はさてどうしたものかと頭を悩ませているのだった。
「アム・キリ。戸籍無し。推定年齢14歳―――自己申告です。マラヤッカの山林地帯の端に築いた山小屋で、三年前から一人暮らしをしていたとの事です。彼の姿を見かけるようになったのはそれよりさらに三年前―――つまり、今より六年前からですか。当時其処に住んでいた狩猟を生業にしていた人嫌いの老人とともに居る姿を幾度か見かけたことがあると、テムリの関にほど近い宿場町の人間から証言が取れています。少年本人いわく、七年前にわが国で発生した飢饉の折に山に捨てられた何処か近くの集落の生まれではないかとのことですが、正確なところは不明です。さしあたって、ロイエ、ウルトンネ、アルヘイア、それからトーラッド辺りまで聞き込みの手を広げてみましたが、それらしき証言は得られませんでした。そもそも、どの集落にも現役、引退、ローンン問わず、聖機師が存在していたと言う事実がありません。あの辺りは―――ああ、鉱山街のトーラッドは除きますが、マラヤッカ辺境でも特に赤貧で知られていますから、山賊などの襲撃もほぼ無いといって問題ないらしいですし。―――話が逸れましたな、ようするに、政治的な何がしかを持ちえているとは現在のところ―――彼にとっては不幸でしょうが、未来はそうでもないでしょうな。……いや、失敬。―――考えられない、つまり普通の少年です」
調査結果の報告に訪れていた壮年の官僚が、生真面目な顔で資料を読み上げる。
その報告にたいした興味も惹かれない体で紅茶を啜りながら、フローラはポツリと呟いた。
「―――でも、男性聖機師よね」
その言葉に、官僚は然り、と頷いた。
「実際の活動記録はもとより、先日測定器により診察した結果から見てもまず間違いありません。男性聖機師です。―――それも、極めて高い亜法波耐性を秘めた」
執務机に広げられた資料には、アム・キリに受けさせた聖機師適正診断の各種データが記されたものがある。
其処に記された何れの数値も、この少年の聖機人に対する稀有な適正を示していた。
と、言うよりも。女王フローラをして見たことの無い数値が並んでいる。亜法波耐性に至っては、測定ミスとしか思えない尋常ではない数値だ。
ミックスを重ねた優れた血統を持つ聖機師であろうと、こんな数値を出すことは出来ないだろう。
聖機師が限界を迎える前に、聖機人が根を上げるような、そんな数値はついぞ見たことが無い。
聖機師の適正は、ほぼ完全と言って良いくらい遺伝によって決定付けられるから、ジェミナーに存在するあらゆる国家において、聖機師の出産行為は厳然たる管理体制が敷かれている。
さながらそれは競走馬のごとく、良い血統を持つ聖機師どうしを配合し、血を深め、さらに強力な聖機師を生み出すために。戦場において絶対的な存在となりえる聖機人は数が限られている。教会によって各国の戦力の均等化を促すために、その配備数に制限がかけられているのだ。
ならば、限られた数の中においては量ではなく質を重視するのが当然。
血統を管理し、より質の高い聖機師を生み出すことは、このジェミナーに於いて、国家戦略上非常に重要なことである。
より、強い血。最適な適正。それを求めた果てに現代の聖機師たちがいるのだが、今フローラの眼前に広げられている資料を見ていると、それらの努力がどうしようもないほど馬鹿らしいものに思えてきてしまう。
異常だ、これは。ジェミナーの全ての聖機師の血を練り合わせても、こんな数値は出ないだろう。
ごく稀に、聖機師とまったく縁の無かった家計に聖機師足りうる亜法波耐性を持つ仔が生まれることもあるが、その殆どが平均以下の数値を出すことしか出来ない。
それらは新しい血として歓迎されることはあれど、それそのもの自体は良質な血統に生まれた仔には勝ち得ない者達であった。
つまり、この異常な適正を見せるアム・キリ少年のごとき存在はジェミナーに於いて生まれることはまずあり得ないのだ。
「そうすると、答えは一つ……なんだけどぉ」
間延びした声で、しかしその事実を認めがたいと言う声音のままに、フローラは自身の豊かな胸の下で腕を組んだまま背もたれに体を預け首を傾ける。反らした身体、組んだ腕に押し上げられて、豊満な胸がドレスの中でむっちりと歪む。
そのしどけない姿に―――長年の経験からくる賢明な判断として―――視線をまったく移すことなく、官僚は然りと頷いた。
「過去二十年以内の全ての星辰の配列を調べました。当然、エナの海流も。教会の大施設を用いても不可能です。ましてや、わが国領土内にあるどの遺跡を用いたところでとてもとても。―――”異世界人”をこの世界に招き入れる事等、不可能と言わざるを得ません」
「でも、現物が目の前にある以上、ねぇ」
女王はくたびれたように眉根を寄せて、官僚は然り、と頷くほか無かった。
異世界人。
此処ではない何処かから。まったく違った文明、風土を持つ世界から訪れる、稀人達。
古い記録では数百年以上前からその存在は確認されており―――その何れもが、ジェミナーに暮らす全ての人員を超越する高い亜法波耐性を持っていた。
彼らは、星の配列と、古代文明の遺産を用いた大儀式によってジェミナーに召喚される。
召喚された段階で、教会の保護―――管理―――下に置かれ、そしてその血の有用性を買われて各国から最上級の歓待をもって迎えられる。
古い歴史から順繰り眺めてみても、なぜか不思議と呼び出される異世界人は男性ばかりだったから、その”歓待”の中身も推して知るべし、と言うやつだろう。
繰り返すが聖機師の適正は遺伝。例えどのような生まれで、性格で、容姿であろうとも、ただ高い聖機師の適正を持っていれば、国家にとってそれ以上必要な要素は無い。
”多少”の我侭は許容範囲である。
―――たとえ見目麗しい女性達が襖の向こうで、閨の隅で涙を流すことになろうが、それも含めて、許容範囲なのであった。
特に現代、近親交配の繰り返しで男性聖機師が不足し始めている状況では。
稀有な才能を秘めた男性聖機師が現れれば、三顧の礼で迎え入れられてもおかしくない。
全ての異世界人が教会によって保護される最大の理由は、教会に存在する大規模施設でも持ち出さないと、異世界人の召喚など不可能だからである。いや、過去には幾つかの国家には異世界人を召喚可能な遺跡が存在していたのだが、それらは戦時下に於いて真っ先に敵国から戦略目標に指定され、尽く、修復不可能なレベルにまで破壊されていた。
現状、残っている遺跡が中立に座する教会内にしか存在していないのである。
故に、本来的なところでは、異世界人ははじめに降り立った国家に帰属することとなる。
「波形、装甲色、頭部形状の何れに於いても、アム・キリの操る聖機人は系譜を証明できる要素が存在しません。過去・現在に於いて存在する全ての聖機師に類似する特徴は見られませんでした。特に……」
そこまで言って、官僚は口を閉ざした。
言われずとも、フローラにも彼の言いたいことは理解できる。
「何者なのかしらねぇ、この子……」
執務机の片隅に置かれた幾枚かのプリントアウトされた画像データ。
そこに写った鉛色の聖機人には、脚が存在していなかった。
※ 二章開始。この章はオリキャラが大量に登場します。
出たきりでそのままフェードアウトといった体ばかりですが。