・Sceane 14-1・
「林間学校―――ですか?」
「山間行軍訓練よ。生徒会主催の」
生徒会執行部、大会議室の長机の上座から三番目アウラの正面に腰掛けていたアマギリが配布されたプリントを流し読みして呟いた言葉に、上座に座する生徒会会長、リチア・ポ・チーナが訂正を加えた。
アマギリが聖地学院に来てから既に二月ばかり。日々の講義も放課後の生徒会も気づけば日常に変わり、今日も特別な変化も無く、一週間のスケジュールを確認して会議は終了と思っていたところに、一つの議題が提出された。
『××年度・春季合同山間行軍訓練のお知らせ』
配布されたプリントには、そう刻まれていた。今年、生徒会執行部に新しく選出されたのはどうやらアマギリだけらしく、長机を囲む他の生徒会役員達は去年から執行部に在籍していた。
それ故、プリントの表紙を読んだ段階で、またかという少しのざわめきが起こっただけで、誰も興味を持つ事は無かった。どうやら、毎年の恒例行事らしい。
尚もプリントを読み進めながら、アマギリはリチアの言葉に苦笑してしまう。
「行軍、ですか。―――それはまた、優雅な行軍もあったもので」
荷物係に休憩所、ナビゲーター、宿泊施設に夜のキャンプファイヤーまで完備している行軍と言うのは如何程のものかと、思わず突っ込まないわけにはいかなかった。当然だが、山間と言っても、舗装された道を通るのだった。
まるで、パスタを茹でていたら戦場に遅れたと言う逸話のような優雅な行軍に思える。
「……しかも、初等部全員参加って訳でもないんですね」
中間考査後の振り替え休日を利用して行われる二泊三日の訓練だったから、予定のある人間は回避する事が可能だった。
参加希望ではなく不参加者のみが事前申請と言うのは、企画者である生徒会の意地であると言う事だろうか。
因みに、参考として書かれていた昨年の参加者の総計は、初等部全生徒中四割弱と言う有様だった。
そりゃ、試験明けの休日にわざわざ動き回りたくないよなと考えれば、当然と言えたかもしれない。
「新役員に理解してもらったところで、議題を進めるわよ」
アマギリが一通りプリントに目を通しおいたのを確認して、リチアが面倒そうに言った。彼女の本心も、アマギリの言葉に全く同感と言いたいのかもしれなかった。
「生徒会主催、である以上役員は強制的に全員参加となります。進路策定、各種準備に於いては前年活用した―――前年”も”活用した資料を基に……」
「―――宜しいでしょうか」
お役所仕事的な棒読みで淡々と会議を進行させようとするリチアの言葉を、押し留める声があった。
声は、アマギリの斜め前に座っていた、生徒会の中で数少ない男子によるものだった。
「なにかしら、ダグマイア・メスト」
リチアが片眉を上げてダグマイアの発言を許可する。
ダグマイアはリチアに向かって頷いた後、優雅な仕草で立ち上がった。
芝居がかってるけど、人心掌握には有効なやり方だよなと、アマギリは考えている。
「今年の林間学校―――失礼、山間行軍訓練について提案があります」
まずは会議室全体にそう告げた後で―――ダグマイアは壁際に控えていた侍従たちに視線を送る。
侍従たちはそっと長机によってきて、生徒会役員たちに新たなプリントを渡していった。
全員にプリントがいきわたった事を確認して、ダグマイアが再び口を開く。
「私の去年の経験と―――先ほど、アマギリ殿下のお言葉もありましたが、この合同訓練、些か安定性に重きを置きすぎて、訓練目的と成果が不明瞭になっている部分があると考えます」
「……そこで、僕の名前を出すか」
誰にも聞こえないように呟きながら、アマギリはダグマイアの演説を聞き流しつつ資料に目を落とす。
『山間行軍訓練・改定案』
表紙にそう刻まれたプリントを捲る。
その内容は、一見して解るくらい良く練られたものだった。
訓練目的を記した序文から始まり、成績に応じたルート策定、安全ギリギリのチェックポイントの配置、それでいて訓練に偏り過ぎない適度な遊び心など、緊急時の対応マニュアルまで含めて、隙の無い作りだ。
予算見積もりから人員配置までしっかりと記されているから、コレをこのまま使っても、何の問題も無いと言えるだろう。
閉鎖的で変化の無い日常が続く、聖地学院のありようには、良い刺激に思えた。
事実、上座のリチアも、目の前のアウラまで、だいぶ乗り気でダグマイアの話を聞いている。他の生徒会役員たちも同様だろう。
そんな中で、アマギリは一人だけ表情に出さずにため息を吐いていた。
要点をしっかりと書かれたこの資料。表面的な部分ばかりに目が行きがちなダグマイアの考えではないなと、アマギリは一目で理解できた。
ちらりと、机の上に置いたままの古い方の資料に目を落とす。
リチアは面倒そうに昨年”も”と言っていたから、恐らく一昨年も、その前も同じような事をやっていたのだろう。変化の無い退屈な恒例行事というヤツで、やり方がパターンで決まっているからこそ率先して変えようと考える人間がいない。
ただでさえ試験前で自分の勉強に集中したいところだろうし、成績に関係の無い行事に力を注ぎたいと考える人間は少ない筈だ。
特に、ダグマイアのような人間は―――。いや、これは自身がダグマイアの事を好いていないが故の視線だろうかと、アマギリは首を振る。
考え過ぎだろうか。ダグマイアとて、たまには自分ではなく他人を楽しませるように動く事もあるかもしれない。
アマギリはもう一度資料に目を落とした。
コース策定は、成績に応じて三つに分けられる。一つ目は例年通りとほぼ変わらない、安全道。二つ目は多少険しく、休憩所も少なくなったもので、三つ目になると、獣道を自力で切り開くような文字通りの”行軍”訓練と言える内容だ。GPSと地図とコンパスを支給され、上空からの飛空船の監視の下での山間突破を試みる事となる。
生徒会役員は、生徒達の模範となるために、全員最大難易度のコースを進むべしと記されている。
それは先に述べた監視用の飛空船から動画撮影を行い、校内で放映するとされており、ブックメーカーを設けて順位を予想するのも由かもしれないと記されていた。
ようするに、人気の生徒会役員たちによる山岳マラソンを、学生たちにイベントとして楽しんでもらおうと言う趣向である。
明らかにダグマイアの手腕らしからぬ、よく出来たイベント企画である。
「……ん?」
そこでアマギリは気づいた。
賭け事が絡むイベントとなれば、当然不正行為は厳禁となる。で、あるならば参加者を一人だけ有利にするようなサポート要員の参加は不可となって当然だろう。
護衛無し。深い自然の樹海の中。出発は時間区切りで一人ずつ。
上空からの見張りがあったとして―――背の高い木々に紛れた一人の人間を、常に追い続けることなど出来るのか? 監視不可能なエリアが必ず出てくるだろう。
いや違う。―――必ず、監視不可能なエリアを通る筈だ。
アマギリは資料を読み直す。
スタート地点の山中までは飛空船で移動。学院のある台地の下方に広がる深い森。古くから伝わる自然の樹海。そこに生える大樹は、天に届かんとばかりに枝を高く高く広げていき―――それこそ、聖機人を潜ませておいても、気づかれないくらいの、全長が。
考えすぎか。上空からの監視下、リアルタイムの映像があれば、無理は出来まい。本当に、リアルタイムの映像があれば―――の、話しだが。
仮に自分がこのイベントを利用して誰かを罠に嵌めようとする場合どうするだろうとアマギリは考えた。
考えて、そんな方法が幾通りも思いついてしまったお陰で、アマギリは頭を抱えたくなった。
自分よりも頭の切れる人間なんか、世界には幾らでもいる。その中の誰か一人が、何かを考えていないとは言い切れないのだ。
「予算、人材管理まで行き届いている以上、生徒会長としては反対する余地は無いわね。―――他のみんなはどうかしら。決を採ります。ダグマイア・メストの案に賛成ならば挙手を」
何時の間にやらダグマイアの演説は終了していたらしい。対案を述べる隙も無く、会議は採決へと及んでいた。
次々と手を上げていく役員たちを見渡して、リチアはゆっくりと頷いた。
「賛成多数により可決―――だけど、一人だけ手を上げていないアマギリ・ナナダン。アンタ、反対なの?」
会議室をぐるりと見渡してみると、提案者であるダグマイアと、アマギリだけが手を上げていなかった。
基本的に、準備に手間を取らせない提案であれば、ちょっとの刺激として受け入れてしまうのが上流階級の常であったから、会議の流れから全員賛成でおかしくなかった。
おかしくは、無かったが。
一人反対の意を示したアマギリに、室内の全生徒会役員の視線が集中している―――と、言う事が無い事にアマギリは気がついた。
幾人かが―――否、その殆どの人間が、気まずげにアマギリから視線を逸らしていた。
まるで、自分達は望まぬ賛成票を投じたに過ぎず、決して貴方を悪く思っているわけではないのだと言いたいがように見える。
それはつまりダグマイア・メストが根回しをして―――そこまで考えて、何を馬鹿なとアマギリは自身を哂った。
どいつも、こいつも。
生徒会役員につくような生徒であれば、その背後に存在する者達は、それ相応の身分の持ち主達の筈。
そういう立場で暮らしてきた生徒達なら、無為の善意的な意見の裏に潜む利益誘導を求める思惑が透けて見えないわけが無い。
ならば、そう。考えるまでも無い。
どいつも、こいつも。
誰も彼もにとって、この仕込みは有用であると言う認識で―――”偶然の一致”を見たのだろう。
ならば、アマギリは受けざるを得ない。
格下に虚仮にされるのだけは我慢なら無いから、他人事のように眺めて漁夫の利を狙う連中にも、相応の報復をしてやらなければ、気がすまない。
アマギリは、ニコリと笑って―――尋ねたリチアが怯むほどの優雅な笑顔で、答える事にした。
「いや、特に。優れた案だと思いますけど、単純に僕は身体を動かすのが好きじゃないってだけです」
つまり、同意だ。お前達の望みどおりに動いてやると、室内に居た誰も彼もに、正確に伝わった。
「―――あっそう。それでは、賛成多数としてこの案は可決。提案者としてダグマイア・メストは実行委員組織し運営を司る事」
「かしこまりました」
アマギリの言葉を、大きなため息を吐いた跡で往なして、リチアは会議を続ける。
話を振られたダグマイアも、当然ですと実行委員を受け入れた。元より彼の提案であり、彼以外が実行委員に立候補しようと言うのは話しの流れからしておかしい。
故に会議は、その裏側に潜むそれぞれの思惑を他所に、粛々と進行してゆく。
一致した一つの意見を、それぞれの脳裏に秘めながら。
―――こんな気の効いた提案がダグマイアの物である筈が無い。何かが、起こる。
来るべき危機に備えて、しかしアマギリの心は不思議にも、それが楽しみだと言わんばかりに高揚していた。
※ 何かドロドロしてきたなぁと思いつつも、まぁ少しずつ転がして行きます。
剣士殿が居ないから皆、善意に欠けてますね。