・Sceane 12-1・
吹き抜ける風の息吹で葉を舞わせ、差し込む木漏れ日を唄に変えて。
「―――なぜ、これほどまで」
深い深い、鬱蒼と生い茂る森の中で、褐色の肌を持つ女性が呟いた。―――否、問いかけた。
彼女の周りには人影は無い。森の中に戯れる生命の息吹は、彼女の如き存在であれば幾らでも、無限に等しいほどの数を感じる事が出来るが、だが、それらは全てヒトとは別種の生き物。ヒトの言葉による問いかけに答えるはずも無い。
否、問いかけるこの女性も果たして人間なのだろうか。
白い髪。褐色の肌、均整の取れた自然の美そのままの肢体。母性の象徴ともいえる豊かな胸。それらを包む装いは、全て天然自然より得られた素材を持って作られた、一級品の機織物。
そして何より特徴的といえるのが―――長く、尖った両の耳。
森の民。ダークエルフと言われる、ヒトでありヒトではない生命の、彼女は王女だった。
アウラ・シュリフォン。
聖地の周囲を覆う森の管理を請け負っている、ダークエルフの国、シュリフォン国の王女。
今は、聖機師の資格を得るために聖地学院に通学していた。
アウラはダークエルフの性質として、自然、森との超感覚的な対話を可能としていた。森の意思とも言うべき、大きな感情の揺らぎを感じ取る事が出来たのだ。
「何故これほどまでに、お前たちは―――」
目を閉じ、大木に手のひらを合わせながら、問いかける。
森は、元来おとなしい”生き物”であり、自然の営み、それらが生み出す生命の循環に沿った”静かな”状態を好む。ヒトという生き物が好む生態を超えた娯楽に対する情熱と言うものを、持ち合わせていない。
それ故に、今の森はアウラにとって不可思議なものだった。
森は、静謐を好むはずの森が、何故、これほどまでに。
喜びを持って迎えましょう。我らが友。古き盟約を交わした、偉大なる存在を。我らは喜びを持って迎え入れましょう。
「何故そんなにも、何をそんなに歓迎しているのだ、お前たちは―――?」
歓喜にあふれた森の中で、アウラの困惑した呟きが漏れる。
だが森は、宴に逸るヒトの如き祝福に満ちて、アウラの言葉に答える事はない。あまりにも浮かれすぎて、言葉が届いていないように感じられるのだ。こんな事は、森とともに生まれ育ってきたアウラにとって初めてだった。
困惑のまま、アウラは苔むした大木から手を放し、屋敷に帰ろうとした時、それが訪れた。
ざわりと、肌があわ立つほどの森全体から溢れ出した歓喜。
来た。参られた。我らの元。我らの元に。歓迎せよ、祝福せよと森が歌う。
それは、遺跡の塁壁跡がある、立ち入り禁止区域の境界線近くの方から、殊更強く響いていた。
「何が―――」
来たというのか。これほどに森が求める存在とは、果たして何者なのか。
確かめねばなるまいと、アウラはその場所へ向けて駆け出した。
「へぇ……うん。なんていうか、故郷を思い出す懐かしい感じがするね」
「故郷。……マラヤッカの山林地帯?」
「いや、あそこは植林で作られた森だから。此処みたいな生命力は無いかな」
行儀悪く、崩れ掛けの古代の塁壁の上に腰掛けながら、アマギリはユキネに答えた。視線は、日の光が深く沈みゆく大樹海に固定されたままだった。
珍しく、素直に喜んでいる感じがする主の言葉に、ユキネはしかし首をひねる。
「じゃあ……どこ?」
「どこだろうねぇ。昔、こんな感じのところで暮らしてたような気がするんだけど。……やっぱ、入っちゃ駄目?」
自分のことだろうに、だからこそだろうか、殊更適当に言い放った後で、アマギリは今日何度も同じ事を尋ねていると言うのに、またユキネに同じ言葉を問いかけた。
ユキネは玩具を強請る幼子を宥める気持ちで、言い含める様に言葉を返す。
「聖地の森はシュリフォンの管轄。無断で入れば、外交問題に発展する可能性もある」
アマギリの立場を考えれば、それはあながち的外れとはいえない事実だった。
「シュリフォン。―――偉大なる森の民、ダークエルフの治める国か。一度だけ宿場町で見かけた事があるかな、ダークエルフ。……確か、どの国にも外交窓口は置いてないんだよね?」
「そう。シュリフォンは自分たちの領域で完結しているから。……必要があれば、そのつど使者が訪れる仕組み」
「聖地と関係が深いらしいしね。森の領域さえ侵さなければ、平原の覇権争いには興味なしって事なんだろうね」
羨ましい話しだと、天下取り大好きな母親の顔を思い浮かべながら、アマギリは笑った。
「連中、自分たちの勢力圏から討って出るような事はしないし、付き合いやすいから仲良くしておけって言われたよ。……何か、学院に通ってるらしいじゃない、シュリフォンの王女様の、名前が確か―――」
「アウラだ。アウラ・シュリフォン」
「そう、そのアウラ王女……え?」
自身の言葉に答えたのが、耳慣れぬ高貴な響きだった事に気づいて、アマギリは目を瞬かせた。
はっと、視線を落としてみると、自身の腰掛けた塁壁後の壁に、何時の間にか背の高い女性が腕を組んで背を預けていた。
女性は整った顔に楽しげな笑みを浮かべて、アマギリを見上げていた。
「―――始めまして、だな。アマギリ・ナナダン王子。私がシュリフォン国王女、アウラ・シュリフォンだ」
長い耳、褐色の肌。一目見てダークエルフと解る女性の言葉に、アマギリは直ぐに答えることはせず、丁度アウラとは反対の位置に立っていたユキネに視線を向ける。
ユキネは小さく首を振った。
―――気配が無かった。
「……さすが、ダークエルフ。木々に溶け込んで気配を消すくらい、世話無いか」
アマギリはお見事と肩をすくめた後、塁壁後から飛び降りた。アウラと正面から向き合う。
「お初にお目にかかりますアウラ王女殿下。ハヴォニワ国王子、アマギリ・ナナダンです―――……何ですか?」
殊更優雅な仕草で一礼して見せたアマギリに、アウラは何故か噴出していた。
「いや、すまない。入学初日に、”あの”ダグマイア・メストに喧嘩を吹っかけたと言うから、どのような無礼者なのかと思っていたのだが、中々どうして、堂に入った挨拶をされてしまってはな」
口元を押さえて笑うアウラに、いっそアマギリは不機嫌な顔になった。隣に立つユキネまでアウラの言葉に噴出していたから、なお更かもしれない。
「―――いっそ見事な慇懃無礼とでも、思いましたか?」
どうとでも思えと、初対面の女性に投げやりに言い放つアマギリに、アウラはより一層楽しそうに笑った。
「クックックッ。―――なるほどな。そういう心根の持ち主なら、確かにダグマイアとは折り合うはずも無いか。あの男は、世の全てを疑っていると言うのに、世の全てが自身の望みどおりの結果を生むと信じているような性だからな」
「……結構、言いますね」
女性ならではの容赦の無い見解に、アマギリの頬を冷や汗が伝った。
「遠めに見れば、それが自信に満ち溢れているように見えて受けもするらしいがな。私たちのような身分でもって見れば―――お前もだから、反発しているんじゃないのか?」
アウラの問いかけに、しかしアマギリは明言する事を避けた。何せ初対面の相手であるから、下手な言質を取られるわけにはいかなかった。
肩をすくめるだけにとどめるアマギリに、アウラはニヤリと唇をゆがめる。
「瞬時にそういう対応が取れてしまう慎重な男なら、対立も道理と言う事か。―――これはリチアの言うとおり、今年の生徒会は荒れそうだな
「と言うと、アウラ王女も―――って、当然ですよね」
昨日今日見知った名前が出てきたところで、アマギリは首をひねったが直ぐに頷いた。
生徒会と言う場がどういうものかは先日理解したから、アウラがその場所に居るのは当然に思えた。
アマギリの思いを肯定するように、アウラは頷く。
「ああ、私も生徒会に所属している。これから顔を合わせる機会も増えるだろうから、宜しく頼む。―――ユキネ先輩も、宜しくお願いします」
アウラは、アマギリに微笑んだ後で、礼儀正しくユキネにも礼をして見せた。
ユキネを上級生、目上の者として扱うその姿に、アマギリはアウラの人となりを知ったような気がした。
―――なるほど、母の言うとおり。仲良くする価値がありそうだ。
※ アウラ様は良いですよね。21世紀の現代にスタイルの良いベタなエルフ耳とか。
……ところで、この世界にはダークじゃないエルフって居るんですかね?