「お初にお目にかかりますアマギリ殿下。クリフ・クリーズと言います」
「クリフ君、か。うん。少ない男子同士、学友として親しくしてくれると嬉しく思う」
新学期、新学級と来ればまずその初日に何をするかと問われれば、たいていの場合は自己紹介が入るだろうと答える。
事実、聖地学院でもそれが変わる事はなく、今頃下階の一年生の教室では初対面の生徒たちが各々自身を紹介して、親睦の輪を広げている事だろう。
では、上級生になるとそれがどうなるかと言えば、聖地学院は学年ごとにクラス編成を変更するルール―――勿論、それを決めたのは異世界人だ―――であるから、下級生たちと同様である。ついで言えば、アマギリ自身と同様に、入学者の立場を考えて短縮課程を選択する者もそれなりの人数が居るため、学年が変わるたびに誰か知らない人が増えたり、もしくは急に繰り上げ進級を決める者が出て減ったりもするのだ。
但し―――そう但しと注釈をつける場面は必ず存在する。
聖地学院の一クラスの人数は平均して二十人前後。それが、一番低い位置にある教卓から雛壇上に配置された机に、地位の高い順に上から座っていく。たいていの場合は男性聖機師(見習い)が一番後ろの席に座る事になり、それをクラスの他の女生徒達が侍従のごとく世話をするという形になる訳だ。
とにかく男性優位で複数の女性により奉仕させられると言う退廃的な図式は、やはり当然、考案者の顔も知れると言うものだ。
「ブール・フ・ルーレです。あ、あのっ……あ、あまギリ殿下には、ご、ご、ご機嫌麗しゅうっ」
緊張そのまま声を裏返しながら頭を下げてくる同級生に、席に着いたまま鷹揚に頷きながら、アマギリは誰にも気づかれないようにそっとため息を吐いていた。
一人が頭を下げ、一人が席に戻り、別の誰かが席を立ち、そしてまたひな壇を登りアマギリに頭を下げに来る。
ひな壇の一番高い位置、即ち教室の最後方―――最高峰でも間違いではない―――の真ん中、教卓の真正面になるように配置された学習机とは思えない彫り細工が施された王族専用席。
アマギリは―――ハヴォニワ王国、王位継承権第二位、アマギリ・ナナダン王子はその位置に着き、その礼を受けるのが当然と言う態度で、席に座して居た。
内心は慮る必要もなし。無駄な時間だなと、当然のことを考えている。
では新学期を始めましょう。担当教師はそう宣言した後、しかしその前に、と今学期から二学年に編入されたアマギリのことを紹介した。
―――アマギリが自ら名乗ったのではなく、教師がアマギリを紹介した。
アマギリは教師の言葉に合わせて軽く礼をするくらいだった。
では皆さん、後ほど自己紹介を欠かさないように。教師はホームルームの最後にそんな風に言い出した。
壇上一番高いところに座して居たおかげで、ぎょっとした表情を見られなかった事は、アマギリにとって不幸中の幸いだったかもしれない。
その後は、既に書かれたとおり。どう考えてもアマギリが前に出て一言挨拶した方が早いだろうに、それは許されないことであるらしい。
ようするに、これも授業の一環と言う事なんだろうなと、今度は金髪で快活そうな少女に元気よく頭を下げられるのを笑って往なしながらアマギリは思った。
王宮儀礼の作法指南。受け止める側と、捧げる側、両方にとって必要な事なのかもしれない。
それでも、無駄な時間だなとしかアマギリには思えなかったが。流石にもうちょっと、幾ら王侯貴族の子女達が通うと言っても、学生時代は生徒として平等であるとか、淡い期待を抱いていたのだがそう言う事は有り得ないらしい。
尤も、単一国家内だけで完結している学校ではないので、礼儀知らずで無礼を働いて国際問題という訳にもいかないから、当然と言えばそうなのだが。
王家の人間は先に頭を下げる事は許されない。中々面倒な日々になりそうだとアマギリが表情に出さずに考えていると、彼の前―――当然、一段低い位置には、今度は赤髪の堂々とした態度の少女が直立していた。
いかにも御飯事といった風だった他の生徒達と違い、彼女は洗練された宮廷作法で持ってアマギリに丁寧な礼をして見せた。
「お初にお目にかかりますアマギリ殿下。シュトレイユ皇国皇家親衛隊所属、キャイア・フランと申します」
「親衛隊―――シトレイユ皇家と言うと、ひょっとして我が従妹殿の?」
「はっ。非才の身ではありますが、ラシャラ・アース皇女殿下の近侍として修行中の身です」
所属とともに自らの名を告げたキャイア・フランに、アマギリはさも今気づいたとばかりに言葉を掛ける。
当然だが、アマギリは同じクラスになる人間全ての簡単な人物紹介を事前に入手して記憶していたし、キャイアもそういう身分の人間につき従って長いから、それを理解していた。お互い、笑顔で語り合いながら、視線で別の事を話し合っていた。
面倒ですね。
お疲れ様です。
「従妹殿に貴女の様な将来有望な方が片腕として付くと言うのであれば幸運だろうね。今後ともラシャラ皇女を支えてやって欲しい」
「はっ。勿体無きお言葉、感謝いたします」
あの子の面倒見るの大変そうだけど、頑張ってね。
ええ、それはまぁ、もう慣れましたから。
朗らかに語り合い、最後にキャイアがもう一度礼をして、席を離れた。席に戻るさなか、キャイアが男性聖機師の席の一角に視線を向けていた事に、アマギリは気づいたが何も言わなかった。
その席の人物は、アマギリも注目していたからだ。
自分より一段低いところに座っていた男性聖機師四名。その中の一人だけ、アマギリに頭を下げにこなかった。
そして、その事をクラスの誰も―――明日以降のスケジュールを告げながら、本日の授業の終了を言い渡す担任教師すらも―――疑問を呈す事はない。
金色の髪、整った容姿。アマギリにとっては後姿しか拝めぬが故解らないが、その表情はどんなものだろうか。
きっと自信に満ち溢れているに違いないと、アマギリは思った。
自らこそが特別であり、自らこそが上に立つのであると―――その後姿が、傍目にわかるほど得意げに語っているようにアマギリには感じられたから。
同時に、またか、ともアマギリは思う。
試されているのだ。しかも、今回は稚気の欠片も無く、見下したような目線で。
俺とお前と、どちらが上か。地位ではなく、自らの存在としてのそれを、はっきりと見せ付けてやると。
その背中は語っているように見える。
―――上等だと、アマギリは誰にも見えない位置で制服のポケットに入れておいたモノを操作する。
教師の姿は既に無い。ホームルームも既に終了しているから、本来であれば生徒達も三々五々退出して構わない筈なのであるが、教室の空気がそれを許さなかった。
アマギリ―――つまり、王家の、目上の人間より先にその場を離れるなど、不敬の極みだったから―――では、無い。
一人だけ。不敬にも王族に対して挨拶を欠かせている人間が居たから。
しかし、アマギリはそれを理解していながらも動かない。
泰然とした態度で腕を組み、身体を背もたれに預けて目を閉じている。
それが、何時までも続いて、授業終了後の弛緩した空気だったはずの教室は、奇妙な緊張感が生まれつつあった。
カタン。
その音がした方向へ、教室に居た全員がいっせいに視線を移した。特に、キャイア・フランの反応は早かったと、壇上一番上で片目を開いたアマギリには見えていた。
それは人が立ち上がった音だった。上から二段目、男性聖機師の列の窓際の席に座っていた少年が、一人立ち上がっていた。
少年はクラス中の視線を集めたまま、窓際の通路に出て、それから、一段上り、アマギリの席と同じ高さにまで上がって、それから、ゆっくりとアマギリの傍まで近づいてきた。
薄い微笑を貼り付けたまま向かってくる少年に、アマギリは座ったまま首も動かさずに視線を向けるだけで答えた。
立つ。少年が、アマギリの横に。何も言わずに。アマギリも、やはり何も言わずに。興味も示す風も無く。動きもせずに。
じんまりとした、嫌な緊張感が、教室を満たす。
誰も彼もが不安げな顔を隠す事は無く、見かけだけかもしれないが、平然としているのはアマギリとその隣で直立する少年だけだった。
「ご挨拶が遅れました」
無言で腕を組み続けるアマギリに、少年が一礼した後、言った。
ざわり、と歪む空気を、笑い飛ばすように、少年は自然な態度で言葉を続ける。
「ダグマイア・メストと言います。アマギリ殿下、どうぞ宜しく」
言葉とともに示される、半直角の王族に対してのみ与えられる礼。全く見事と言う他ない宮廷儀礼に、一言でも遅いなどと苦言を呈してしまえばアマギリの負け、と言うカタチだろう。
「丁寧な挨拶痛み入る、ダグマイア君。―――メスト、と言ったね。すると、君はやはり……?」
それ故に、アマギリはダグマイアの形だけの礼を受け入れるしかない。そして、ダグマイアにとって受け入れられたと言う事は、この場を作り出した自分の勝利と同義だった。主導権を握り、場の支配権―――どちらが上の立場かを、はっきりさせると言う意味で―――ダグマイアは自らの勝利を確信していた。
今後一切、自らの言葉に、作り出した空間に、アマギリが是とのみ答える。そういう仕組みを作り出せる。
ダグマイアの言葉は全てアマギリにとって善意からなるもので、それ故アマギリはダグマイアの言葉を拒めない。一度でもそういう形を仕組んでしまえば、発言のブレと取られかねない迂闊な変更が出来ないのが、彼らの住む世界だからだ。―――所詮は出所も知れぬ田舎者。扱う事は容易でしかない。ダグマイアは自らの失笑が決して表に出ないように気をつける必要があった。
「はい、教師ユライトは私の叔父になります」
ダグマイアはアマギリの言葉に笑顔で答え―――アマギリは、それ故に失笑を隠す事に必至だった。
お互い、事前情報はしっかりと認識していると解っているだろうに、この稚拙さ。あまりにも自身に都合のいい解釈で状況が進むと思い込んでいる。
仕掛けるのは自分で、他の誰かが何かを仕掛けるとは、全く理解していないのだろう、彼は。
アマギリはダグマイアに関する評価を、更に下方修正していたが、それをおくびにも出さずに、頷き返す。
「へぇ、ダグマイア君はユライト先生のご親戚だったのか。いやすまない、それは知らなかった。貴方の父上のババルン卿の事を思い出していたんだが。てっきり僕の事ババルン卿からお聞きになったのかと思っていたが、違ったのか」
まさか、父の名前など出すまい。この場で、出す筈がないとダグマイアは考えていた。
アマギリに言わせれば、何故出さない必要があるのかと、失笑ものだった。
それ故に、ダグマイアは場の掌握権を、最早失っていた。
「僕の就任式の際にババルン卿には来賓戴いたからね。いやいや、卿は感情的で手のかかる息子だと仰っていらしたが、それは親であるが故の厳しい視線と言うものだろう。これほど優秀なご子息が居るとは、卿も内心、きっと誇らしく感じているに違いない」
「――――――っ!!」
それは、圧倒的な立場の違いを叩きつける言葉だった。
自身と同格にあるのは、あくまでお前の父親であり、お前などが何かを企んだとしても、子供のやる事に歯牙を掛けるつもりもない。自分は元からそういう立場であり、お前こそが立場を知れと。
圧倒的な上位目線。父の言葉を借りての罵倒。衆目の中でのそれらの行為は、ダグマイアにとって屈辱の極みだ。
しかし、王の口から語られた言葉を真実かどうか確かめるなど、不敬すぎて出来るはずも無く。
ダグマイアは、内心の激情を押し隠し、苦笑を浮かべて謝辞を述べる事しか出来なかった。
この、田舎者が。空気も読めないうすら莫迦か。
口の中だけで吐き捨てたダグマイアは、しかしこのままで終われる筈もない。これでは、体のいい咬ませ犬となってしまうから、挽回の必要性があった。
「まだ、……まだ父の言うとおり修行中のみではありますが、教練を共にするものとして、殿下と御友誼を結べれば光栄、と考えております」
謙り負けを認める訳にもいかず、さりとて、傲慢な態度も示す事など不可能。それ故に搾り出された言葉は、微妙の一言に尽きた。
随分打たれ弱いんだなと内心思いながらも、アマギリはまるで状況がわかっていないかのような朗らかな笑顔でダグマイアに頷く。
「友、か。そうだね。君のような男にそう思ってくれるのなら、これほど心強い事はない。」
「―――! 過分なお言葉、恐悦に存じます、殿下。……よろしければ、親睦を深める意味を込めて、共に昼食でもいかがでしょうか?」
謙った物言いに自分で吐き気を催しながらも、ダグマイアは状況の再設定の必要性を感じていた。
この天然気味の莫迦殿を、何とかコントロール下に置かねば、後々面倒な事になりかねないとダグマイアは判断した。
友として扱って欲しい。
良いよ。
では、友からの言葉です。
常識で考えれば、断る事など不可能。イエスと言い、共に席を立ち何処かのテーブルへと向かわねばならぬ筈。
だが、アマギリにはそんな気分は全く無かった。
そも、アマギリは事前にダグマイアの思考分析のデータも入手していたから、こういう行動に出る事も予想していたし、それ故に対策を考える余裕があった。他人を常に下に見る部分があるダグマイアは、この辺りの前準備に不足するところが多い。
ギィ、と。
教室のドアが開き、白い髪の少女が教室中の視線を全く気にする事も無くアマギリの居るひな壇の上まで歩み寄る。
教室の誰もが、彼女の事を知っていた。
ユキネ・メア。先日行われた聖機師任命式に於いて、新聖機師達の先頭に立っていた、学年主席の少女。
今は、アマギリ・ナナダンの傍仕えをしている。
アマギリはその姿を当然のものと確認した後で、ダグマイアに笑いかけた。
無論、ユキネを通信機で呼び寄せていた事など、タイミングを計って教室に入ってくるように伝えておいた事など、おくびにも出さない。
「すまない、ダグマイア君。これから配下のものに校内の案内をするように差配しておいたんだ。―――男として、先に誘った女性との約束は、反故に出来ないだろう?」
侍従如きとの約束を優先させるなど、国際社会であれば侮辱の極みだった。
だがしかし、ダグマイアの提案は、あくまで友としてのもの。友人よりも女性との約束を優先すると言うのは、貴賓としては珍しいものではないから、ダグマイアは内心を押し隠して頷く事しか出来なかった。
笑顔で、笑顔で。拳をきつく握り締めながら。
アマギリは席を立つ。
ユキネを促しドアへと向かうその前に、ダグマイアに笑いかける。
「ではね、ダグマイア君。今度はこちらから誘わせてもらおう」
それが、終いだった。
上の立場のものにそう言われてしまえば、ダグマイアは礼儀として、彼から誘われるのを待ち続けなければならない。自分から誘いを求めると言う破廉恥な行為は、出来るはずが無いから。それは、挽回の機会の喪失を意味していた。
礼をしてアマギリたちを見送りながら、ダグマイアは歯を食いしばり、自らの心の内を定めた。
あの運が良いだけの田舎者を、必ず自らの前に跪かせてやると。
それが、彼ら二人の、初対面だった。
※ キャラが増える増える。しばらくキャラ紹介ばっかりの連続になるような気もします。
ダグマイア様だけ贔屓されてるようなきもしますけど、仕様です。
……美味しいよね、彼。貴重な男性キャラだし。