Sceane 10-3
「それじゃあ殿下、あたしはそろそろお邪魔しますね」
長大な階段を上り終え、学院の中庭に差し掛かったところで、ワウアンリーは言った。
「ああ、付き合わせて悪かったね。僕らはこれから学院長質に顔を出すんだけど、ワウはもう寮に戻るの?」
「いえ、あたし、下層部に場所借りて専用の工房を構えてるんです。オデットに積んでた機材も運ばなきゃですし、先にそっちへ顔を出します」
「専用工房とはまた、剛毅だねぇ」
アマギリから見ると、どうにも落ち着きが足りず幼く見えるワウアンリーだが、その実態は時間の流れが通常とは違う結界工房内で生まれ育ち、経過年齢は既に九十を超えている、ベテランの技術者だった。
聖機師としては資格を未取得の未熟者だったが、技術者としては既に一流で、自身の工房を有している事に何の不思議も無かった。
よく考えれば、今自身が首に下げている属性付加クリスタルの難しい調整を一人でやりきったんだったとアマギリは思い出し、それに頷いた。人は見かけによらないなと、微妙に失礼な事を考えている。
「そう言う訳なんで、次は教室で……って、そう言えばアマギリ殿下って何年生なんですか?」
「どうだろうね。なんか試験を受けさせられた時は、”編入用”って言われたけど」
思い出したように言うワウアンリーに、アマギリもその辺りの事は良く聞いていなかった事を思い出した。
聖地学院は四年制の初等部と、聖機師資格を取得したものが所属する高等部が存在する。
最低入学年齢が12歳からで、それ以上の年齢の生徒が新規に入学する時は、事前に試験を受ける事で学年を振り分ける仕組みである。
ほかに、入学希望者の地位・職務を考慮して在学期間を短縮する制度もあり、その場合もやはり、申請に応じて適当な学年に振り分けられる。
しかし大抵の場合は、順当に一年生から始める事になるが。
「因みにワウって何年生」
「三年生です。……何度目かは忘れましたけど」
研究に没頭するとあっさり休学してしまうせいで、中々学年が上がらないらしい。
「ユキネが確か、今年から高等部だっけ」
「そう。因みに、ワウと同級生だったのは一昨年の話」
「言わないでください、ユキネ先輩……。これでもここ十年の間ではまともに通学してるほうなんです」
かつて先輩ではなかった、と言うか自分が先輩だったときのことを思い出して、ワウアンリーがなみだ目になる。その情けない姿に容赦の無い笑顔を向けながら、アマギリは言った。
「それをこれから学院長に確認に行くんだけど……まぁ、順当に一年生になるんじゃないの? 女王陛下は別に在学期間を短くしろとは言ってなかったし」
「いえいえ、アマギリ殿下は初等部二年に編入になります。初等課程は成績次第で短縮可能ですから、試験成績を考慮して二年から、となります」
階段の頂上で立ち話をしていた三人以外の声が、アマギリの言葉を否定した。
柔らかいテノール。
声がした方向に視線を送ると、ローブを纏った長身の男が、薄い笑みを浮かべてアマギリ達を見ていた。
「ご歓談中に失礼しました。―――係留作業が既に済んでいると聞いていたのに、中々姿を見せなかったからどうしたのかと……」
男はゆったりとした仕草でアマギリたちに近づいてきながら、丁寧な口調でそう言ってきた。
アマギリが表情を作らずにその男の所作を見ていると、背後に控えていたユキネがそっと、アマギリに囁いた。
「ユライト・メスト。……学院の教師」
「へぇ。ユライト……メスト。メスト?」
聞き覚えのある響きに、アマギリは口元でその名前を繰り返す。
「うっわぁ、ユライト先生自ら出迎えとは、やっぱりV.I.Pは違いますねぇ」
「いえいえ。担任も持たない身軽な身ですから。学院長の小間使いは、私の仕事です」
主従の囁きは聞こえていなかったらしいワウアンリーが、おどけた様に言った。その言葉に、アマギリはさも初めて聞いたかのような態度で目を瞬かせて驚いて見せた。
「先生?」
「ええ。お初にお目にかかりますアマギリ・ナナダン殿下。聖地学院教師、ユライト・メストと言います」
男はそこで始めてアマギリが自身を認識したかのような仕草で王家に対してのみ捧げられる半直角の礼を示した。
長身にゆったりとした動作がさまになりすぎていて、流石にアマギリも失笑してしまいそうだったが、それを一つも顔に出すことなく頷いて答えた。
「アマギリ・ナナダンです。教職に着かれている方のわざわざのお出迎え、痛み入ります」
我ながら白々しい言葉遣いだなと思うアマギリの態度に、生徒のプロフィールくらい確認しているだろう立場に居るはずのユライトは一切の反応を示さず、ただ笑みを浮かべて校舎の方に手を差し向けた。
「では殿下、こちらへ。ご案内いたします。学院長がお待ちです」
自身の工房へと向かうワウアンリーと別れたアマギリとユキネは、ユライトに導かれるに従って、校舎へと続く中庭の石畳を歩いていた。
その途中、正面左右を覆う巨大な校舎の間に開かれた中庭の様子を伺ってみる。
各校舎の正面口から十字に渡された石畳の路に区切られ、丁寧に整備された芝生を植えられた庭園が広がっている。囲っている校舎が巨大なら、芝生の庭も広大で、もしハヴォニワの王宮を経験していなければ、アマギリとて傍目にわかるくらいの呆然とした顔をしていただろう。
「どうですか殿下、聖地学院は。中々の景観かと思いますが」
「そこかしこの木陰から、内緒話と共に伺うような視線を指して景観というのなら、そうでしょうね」
事実そうであった、全寮制で、かつ初頭部生徒は特別な理由が無ければ校外への外出許可が下りないと言う関係からか、昼前の中庭には結構な数の歓談中の生徒の姿が見えた。
それらの者全てが、アマギリたちが通り過ぎるたびに、何か囁き合いを交わしながら、時に指を指したり身振り手振りをしたりと、彼らを気にしている風にしている。
邪気が薄い故に容赦の無い幼い興味心に、ハヴォニワで似たような経験を幾らでも繰り返したアマギリも、げんなりとした顔をしたくなってしまう。立場上それはやってはいけないと理解していたが。
そんなアマギリの心を察してか、ユライトがその整った顔に微苦笑を浮かべる。
「皆、噂のハヴォニワの新王子の存在が気になって仕方が無いのでしょう」
「女の園で、単純に男が珍しいって事じゃないんですか? メスト先生の名前を口にしている生徒も多いみたいですよ」
「女の園と言うのは言い得て妙ですが、それ以上にここは若者の楽園と言う向きもありますからね。私のような成人した人間は表には殆ど出ませんから、珍しく思ってくれているのでしょう。勿論、仲良くしていただける事には感謝していますが」
「若い女子にとって、年上の男性ともなれば、そう言う事もあるでしょうね」
メスト、とあえて家名で呼びかけてみても、ユライトは穏やかな表情を揺るがす事は無かった。
それが逆に不審を呼ぶんだけどなと思いながらも、アマギリはそれは結構と微笑を浮かべるだけに留めた。
「気になって仕方が無い、と言えば―――アマギリ殿下。昨晩は何やら宜しくない者達から興味を引いていたらしいですね」
会話の流れに沿って、ユライトの口からそんな言葉が洩れた。
ユキネは、ああ、その話はあるかと理解した。だがアマギリは、ユライトの言葉を鼻で笑った。
女王陛下と同じだ。この人は試している。
胸の奥の自分以外の何かがそう告げて、そしてアマギリ自身の直感もそう確信していた。
ユライト・メスト。メストといえば、大国シュトレイユの宰相の家名と同じ。そしてその人物は、大局的な位置から見た時、母フローラの政敵に等しい位置に居るのだという知識がアマギリにはあった。
それを理解しているのか。このユライト・メストという教師は試しているのだと、アマギリは理解した。
故に、頷き、答える。言葉を刃物に変えながら。
「ええ、夜遅くに面倒な方たちでした。―――ところで先生。私の配下の者がそちらの者に、背後から結構良い一撃を加えてしまったと思うんですけど、あの後平気でしたか?」
ユキネの目が、主の言葉にぎょっと見開かれた。
しかし、ユライトはアマギリの流れにそぐわぬ言葉を聞いても―――やはり、何処か穏やかな態度を崩さなかった。
「アマギリ殿下。一体何を―――?」
「あれ? その辺りの話がしたかったのではないかと思ったのですが、勘違いでしたか?」
首を捻ってみせるユライトに、アマギリもさも理解不能とばかりに首を捻る。
両者、そのまま言葉が止まり、ユキネが背後で一人居心地を悪そうにしたまま、無言のまま校舎への歩を進めることとなった。
無言、無言、無言。表情だけは二人とも自然なのに、不自然なくらい無言の風景。
アマギリの内心では、この段階で本当に”アタリ”を引いてしまったのだと確信していた。でなければ、理解不能のアマギリの言葉に、返す言葉を選ぶ筈が無いと考えたからだ。
背中に注意。まぁ、背後に最強の護衛が居るから、安心できるが。
鎌を掛けるだけだけ掛けておいて、場の納め方を考えていないアマギリは、さて、どう話を逸らすかなと空に息を吐いてみる。その態度に反応したのか、ユライトが口調も表情も変わらず穏やかなままで、口を開いた。
「つまり殿下は……昨晩逃亡した襲撃者に、私が関与していらっしゃるとお考えで?」
自然な質問だった。意味が解りませんと一言で済むという現実を取り外せば、自然な質問だった。
試されているのか、隠す気が無いのか、隠すのに失敗したのか。アマギリは一瞬考えた後で、行くところまで行ってしまおうと思い直した。
「ユライト先生が、襲撃者が”逃亡した”と言う事実を知らなければ、違うって言えたのですがね」
アマギリがわざとらしく失敗したなと肩を竦めてみせると、ユライトが、はっと驚いたような顔をした。
隠すのに失敗したと言うのが正解らしい。駆け引きが苦手なタイプには見えないから、単純にアマギリがストレートに突っ込んでくるとは考えていなかったのだろう。
そりゃ、普通はそう思ってもいきなりは言わないよなとアマギリ自身も思いつつ、彼は現実、売られた喧嘩は買い叩く主義だった。
「―――まぁ、学院の教師でいらっしゃる方なら、存じていて当然でしょう」
これで手打ちにしようと苦笑して見せると、ユライトも困った風に笑って頷いた。勿論ユライトは、自身が事件に関わりがあった事を認めるような真似はしない。ただ相手の人物像を修正するだけである。
「殿下は噂と違い中々聡明でいらっしゃいますね」
「噂、ですか。―――碌でもなさそうなモノでしょうね、それは」
皮肉気に笑うアマギリに、ユライトもそれはもう、と頷く。それから、穏やかな物とは違う隙の無い笑みを作って、こう言った。
「老婆心ながら忠告ですが。碌でもない噂を信じている人間には、そうだと信じさせたままの方が良かったでしょうね。もしかしたら、程度にそう思っていた人間に対しても、勿論。あまりに弁が立つ人間は、要らぬ警戒を生みますから」
ユライトの言葉に、アマギリの顔が苦々しく歪んだ。
なるほど、つまりそれが目的。ここまで含めて試金石で、そうだと解った以上、次からはカケラの油断も無いのだと、それはつまりそういう事なのだった。
「先生」
「なんでしょう?」
ため息と共に呼びかける声に、ユライトは穏やかな声で言葉を返した。アマギリは地面に視線を落としたまま、言った。
「美しい景観が、何故だか地雷原に見えてきました」
「自業自得、と言うのでしょうねそれは」
※ ミニデーモンと話しているつもりがバラモスだったでござる、みたいな感じです多分。
まぁ、11話辺りでネタバレくれないと微妙に扱いに困る人なんですが、ユライト先生。