・Sceane 10-1・
「昨晩はお楽しみでございましたな」
四拾絡みの老紳士が、侍従たちの世話を受けて聖地学院の上下黒の制服の上着を纏っているアマギリに言う。
女王フローラよりつけられている専属の執事……兼、スパイと言うか報告係なんだろうなと、アマギリは認識していた。
「誘われたのはこちら側で、僕はそれに乗っただけですから。……それに、何ていうんですかこういうの。旅の恥は掻き捨てとか?」
侍従が捧げ持つ銀の盆に置かれた王家の紋の刻まれた銀細工―――属性付加クリスタルを手に取りながら、アマギリは肩を竦める。
微塵も反省を示さないアマギリに、老執事は大きく一つ、ため息を吐いた。
「多少のやんちゃは見逃してやれと女王陛下より言伝を仕っておりますれば、殿下のなさりように一々口を差し挟む事も御座いませぬが……王家の臣たるみと致しましては、主が好んで危機に飛び込んでいくような事を続けるおつもりなら、諌言を憚る事は御座いませぬ所存」
「自分から踏み出す気は無いですよ。……まぁ、危険が向かってきたら美味しく調理してみるかもしれませんが」
別の一人が捧げ持った侍従が広げる三面鏡を覗き込んで首飾りの位置を確かめながら、アマギリは忠臣の言葉を受け流した。宝石のあしらわれた制服のタイの上に、さらに銀細工が踊る姿に、眉をしかめる。
「黒い制服にこのサイズの銀細工って、やっぱ少し派手だと思うんですけど」
「その程度の意匠であれば学院も文句を言いはしますまい。……しかし、こう仰るのもなんですが、最近益々、女王陛下に似てらっしゃいましたな、殿下」
老執事の言葉に、何故か周りの若い侍従たちまで一斉に頷いた。アマギリは微妙に嫌そうな顔を浮かべる。
「それは僕と陛下に血のつながりが無いって解ってて言ってますよね」
「主家のご事情に一々口を挟む侍従はおりません。……例え真実がどのような物であったとしても、我々ナナダン家にお仕えする従者一同にとって、貴方様はフローラ女王陛下のご子息であり、ハヴォニワの唯一の王子殿下であらせられます」
そう言って老執事は、アマギリに対して優雅な仕草で頭を垂れる。他の侍従たちも、それに続いた。
アマギリは何故か朝の寝室で侍従たちに囲まれて頭を下げられていると言う頭の痛い状況に苦笑しながら、何とか場を収めようとする言葉を探した。
「お礼を言う、場面ですかね?」
その言葉に老執事はゆっくりと顔を上げて、言った。
「王家の一員たるお方が、みだりに下々の者に礼など口にする物ではありませぬぞ、殿下」
「……朝から、酷い目に合った」
囲まれて袋たたきとかどんな羞恥プレイだよと青空の下で不健全な言葉を呟くアマギリに、ワウアンリーが苦笑を浮かべた。
「そりゃあ、何かはっちゃけてましたもんね昨晩の殿下」
「売られた喧嘩は買い叩けって、昔誰かに言われた気がするんですよね。あそこまで堂々と格好付けられちゃうと、弄り回したくなるって言うか……」
「……殿下。フローラ様に似てきた」
ユキネにまで侍従たちと同じ風に言われてしまい、アマギリは全身でがっくりと項垂れる事となった。
朝も早く。
聖地への到着もあと数刻と経たぬうちに訪れるだろうと言う事で、朝食もかねて簡単なお茶会にでもしようと、アマギリたちはオデット上層部の宮殿の上階にあるテラスに出ていた。
広大な自然樹林で覆われた台地の間を抜けて、聖地の門へと進むオデットの周囲には、輸送貨物船以外にも幾つか、貴族階級が有するであろう豪華な意匠の施された飛空艇が緩やかな速度で飛翔しているのが見えた。
そのどれもが、飛空宮殿オデットに負けず劣らずの無駄なオーバースケールだったから、アマギリとしては最早自分の感覚が麻痺しかけて驚きもしない。
「やっぱ、この時期は派手ですねー」
「新入生、一杯来るから」
眼下の光景をため息を漏らしながら眺める、ガーデンチェアに身体を預けたワウアンリーの言葉に、一人アマギリの従者として背後に直立して控えたままのユキネが言葉を添える。アマギリの客人であるワウアンリーと、配下であるユキネとの、立ち居地の差だった。
「女王陛下が最初が肝心って言ってたのが、何となく解りますね。正直、この派手な艦隊を見るまではわざわざオデットを持ち出す必要は無かったと思ってたんですが」
「オデットは親征艦隊の旗艦を勤めたこともあるハヴォニワを代表する船ですもんねぇ。多分、口の悪い人間の噂話を退けるための、フローラ様の親心なんじゃないですか?」
「親心と言うか……きっと、挑発のつもり」
昨晩もそれに引っかかったヤツがいたし、と続けるユキネの言葉に、アマギリもワウアンリーもそうだろうなと、苦笑してしまった。
「ま、半年前から女王陛下の玩具であり続ける事が確定してますからね、僕は」
まいったとばかりに髪を撫で付けながら言うアマギリに、ワウアンリーは不思議そうな顔で頷いていた。
「そう言えば殿下って、王子様初めてまだ半年なんでしたね。何か生まれついての王子様ーみたいに錯覚する事があるんですけど」
「……同感」
続けて並べられる年上の少女達の言葉に、アマギリは困ったように笑う。
「前に王女殿下と話した時も話題に出ましたけど、多分僕は、何処かの上流階級……どうしました、ユキネさん?」
少女二人の疑問に答えようと口を開くと、ユキネが咎めるような視線を送っている事にアマギリは気付いた。
ユキネは、少し躊躇っているようだったが、一つ頷いて口を開いた。
「……今」
「今?」
「王女殿下って言った」
言われて、アマギリは自分の言葉を思い出した。無意識のうちだったろうが、確かに言った気がする。
「……直した方が、良いと思う」
「マリア様に?」
「……殿下」
辛抱強く子供に言い聞かせる母親のような口調で、ユキネはアマギリの逃げ道をふさいだ。
アマギリは、ユキネの言わんとするところが理解できているのだろうが、それでもどうしても踏み込みづらい部分があるのか、先ほどよりもより一層気まずそうな顔になった。
微妙に悪くなっていく空気に、ワウアンリーが仕方ないとばかりに苦笑して、言った。
「ユキネ先輩の言う事もご尤もだと思いますよ、アマギリ殿下。ただでさえ、端から見れば―――中から見たあたしから言わせて貰っても―――微妙なお立場なんですから、始めにビシっとそれっぽいところを示しておく必要はあるかと」
「……ビシっとするのと偉そうにするのとは違うでしょう?」
ワウアンリーの言葉に眉根を寄せて反論するアマギリに、ユキネが首を横に振る。
「……違うけど、違うって解ってるなら尚更そうするべき。殿下が当たり前のように、この学院に居るのが当然の立場であると、周りに示す必要がある。……でないと、誤解する人たちが出る」
「あ~。甘いところを見せると、変な考えを持つ輩は必ず出てくるでしょうねー」
アマギリ自身、あまり深く考えないようにしている事だが、男性聖機師でかつ、ハヴォニワ国王子と言う立場は、ジェミナーにおける権力構造のほぼ最上位に位置しているといっても良い。
無論、それより上、同列と言う者達も幾らでも居るが、それでも小国ながらも世界に名を轟かせるハヴォニワの王家一族である事と、更に男性聖機師と言う希少存在であるという事実が共存しているアマギリと言う存在は、最上位の権力グループに問題無く滑り込める肩書きなのである。
そんな人物が、右も左も解らぬような顔で、権力構造の只中に放り込まれたらどうなるか。
ハヴォニワ王宮であれば、ある程度隙を見せていても問題は無かった。あの女王の”所有物”に手を出そうという愚か者は、あそこには居ない。
が、聖地学院は違う。道理も空気も状況も読みきれぬ雛達しか存在せぬが故、ろくでもないトラブルが起こる可能性も否定できない。
「……とりあえず、今日から私に、さん付けは禁止」
「決め付け!?」
「丁寧語も、出来れば無し」
「もうすぐ聖地の門に差し掛かるから、くぐったら、開始」
「……ゲームか何かですか」
「”本番前”のお遊びみたいな練習と言う意味では、そう取って構わない」
淡々と続けるユキネに、アマギリの頬を汗が伝う。助けを求めるようにワウアンリーに視線を移してみると、彼女も苦笑していた。
「因みに殿下、あたしのように下々の人間には、もっと上から見るような態度で話すべきだと思います」
ようするに、下手な丁寧語は止めろと、言っている事は同じだった。
「言葉遣いには気をつけなさい、生死に関わる事もあるからって、昔誰かに言われた気がしたんだけどなぁ……」
ゆっくりと、寄港するためにオデットが上部庭園をエナの喫水外へと浮上させていく様を眺めながら、アマギリは喫水線を抜けるのに併せて暗澹たる気分を払うかのように、大きく首を横に振った。
最後に一つ、ため息を吐いた後、真っ直ぐ艦首の正面、それそのものが巨大な神殿、鐘撞き塔を思わせる聖地の門を視界に捉える。
小島に匹敵するオデットの巨大な船体よりも尚巨大な建造物であるその門の中心部、複雑な意匠を施された壁面構造が上下左右に分割され、アマギリを迎え入れるかのように開門してゆく。
開いてゆく。内側に秘める何ものかが、アマギリを招き入れるかのように。
開いてゆく。時はまだ早いと、それ自身が囁いているというのに。
アマギリは最早その門を潜る以外の選択肢は無く、その果てに―――?
詮無い事だ。これから始まり、そして理解するのだからと。アマギリは一つ息を吐いて、視線を前から動かさぬままに、言った。
「ユキネ」
「何、殿下?」
「これからよろしく頼むよ。……頼りにしてます」
「……はい、アマギリ様」
※ ユキネさんはマリア様、と呼ぶのでそれに習うとアマギリ様で正解は正解。
でも、アマギリサマって何か語呂が悪いんですよねぇコレが。
三文字の名前を考えるべきだったかもしれない。
アマギ様とか。……ネタバレとかそういう部分を超越してますけど。