・Sceane 9-1・
深い森の生い茂る大地に挟まれた、やはり天然の樹海で覆われた渓谷の間を、一隻の飛空艇が巡航速度で飛行している。
豊かな自然を有した小島をそのまま空へ浮かべたようなその威容は、ハヴォニワ国が有する王家御召艦、飛空”宮殿”・オデットの堂々たる飛翔の姿だった。
上空から見下ろせば、前方に向かって首を伸ばし、V字状に翼を広げた白鳥のような姿をしている。
頭の部分には小規模な東屋が、翼の部分には自然林を思わせる森林が広がっており、そして、首と翼の部分が連結する最も面積の広い部分に、庭園に囲まれた、王族が御座す小規模な寝殿が建てられている。
外観からは鉄板で補強された岩塊のように見える地下部分にも広大な敷地が広がっており、そこには航海に必要な各種設備や、島一つを浮遊させる大型の亜法結界炉が備わっており、そして当然のことながら、格納庫には王家の寝所を護衛するための聖機人が出撃可能な状態で格納されていた。
現在、時刻は深夜零時過ぎ。
王子アマギリを乗せてハヴォニワを出発したオデットは、聖地学院へ向けて規定の航路を進んでいるところだった。教会の管理する聖地へと侵入するためには、定められた進路を進まねばならないから、オデットは、それにならって輸送艦などが殆ど立ち入らない専用航路を緩やかに飛行していた。
何の問題も無ければ、翌明け方には聖地の門が見える、順調な航海のはずだった。
轟、と。鋭い音を浴びせかけるかのような速度で、オデットの艦首すれすれを武装した聖機人が横切る。
寝殿の上空高くにも、やはり同様に。甘い菓子に集る蝿のごとく、二機の聖機人が旋回飛行をしながらオデットへその銃口を定めていた。
「三機だけ、ですかね?」
「……下には、反応は無し。周囲にも、動力反応は無し。聖地巡回警備の支配権も近いし、伏撃も難しいと思う」
「ああ、連中後ろから飛んできてましたしね」
堅牢なシェルターともなっている地下設備内の外部観測室の壁面全域に広がった映像を観察しながら、この艦の所有者であるアマギリと、その護衛聖機師ユキネが言葉を交わす。
二人とも、城下町の広場で繰り広げられている大道芸でも眺めているかのような落ち着きようだった。
「あのぉ~、殿下? あんまり言いたくないですけど、落ち着いている場合でもないと思うんですけどぉ」
そんな主従の背後で、客人としてオデットに乗り込んでいたワウアンリーが、冷や汗交じりの言葉を漏らす。
一人、椅子に腰掛けていたアマギリはぐるりと椅子ごと回転させてワウアンリーを見やり、背後のモニターを指差しながら笑った。
「だって慌てても仕方ないじゃないですか、もう襲われちゃっている以上は」
事の起こりは、単純な話である。
国境線を超え教会所有領内の未開発の天然樹林区域へと侵入したところで、聖機人三機による示威行動を受ける事となった。
対空砲撃システムなども目だって存在していない、そのまんま空を飛ぶ宮殿に過ぎないオデットは、所属不明の聖機人の接近に対して取れるべき手段も特に無く、こうしてうるさい羽虫のように一方的に纏わり付かれるに至った事態、と言う訳である。
「もともとスワン級の飛空宮殿は、護衛の艦と編隊を組んで対空防御を成立させるってコンセプトですからねぇ」
「まぁ、小城を丸ごと一個浮遊させるなんて、普通は安全圏でしかやらないでしょうしね。こんなのがのんびり空を飛んでたら、誰だってカモにすると思いますよ」
技術屋として同系列の艦のスペックを知っていた諦め交じりのワウアンリーの言葉に、アマギリも特に感慨も無く頷いた。
「せっかくの船旅、船室の小窓から見える流れる雲の景色とか、楽しみにしてたんですけどねぇ。従者一式、部屋の中身まで丸ごと移し変えて、お城に居るまま空を飛ぶなんて、流石に想像してませんでしたよ」
今回の聖地学院への旅が始めての国外旅行であったアマギリには、まだまだジェミナーの王族と言うもののスケール感が不足していたらしい。専用空港にスワン級三番艦”オディール”とともに城が二つ並んでいる光景は、流石に失笑しか浮かばなかった。
余談になるが、スワン級一番艦”スワン”は、シュトレイユ、アース王家に嫁いだフローラの妹姫が嫁入り道具としてハヴォニワから持ち出している。妹姫亡き現在は、その娘ラシャラ・アースの御召艦となっているらしい。
「船……好きなの?」
「飛ぶのも潜るのも、ワープするのも好みですよ。手元の舵輪操作で信じられないような巨体が自在に動くって言うのが、子供心に惹かれるものがあったんですよね」
興味津々といった風に尋ねるユキネに、アマギリはそれはもう、と楽しそうに頷く。
その姿を見て、ワウアンリーは酷い酩酊感を覚えた。
「あのぉ~、いい加減そろそろ、ホント何とかしてほしいなぁって……」
近づいては離れ、と言う動作を繰り返している聖機人の群れを指差しながら、ワウアンリーが震える声で陳情する。
「何とか、と言われてもねぇ」
「……私、出ようか?」
聖機師の嗜みとしてユキネはブラウスの下に戦闘衣を纏っている。それ故に、命令さえあれば速やかに聖機人に搭乗する事が可能だった。
「いや、僕としてはこのまま放置が一番だと思うんですよね」
しかし、忠臣の提言にアマギリはのんびりと首を横に振った。
「このまま放置って……それ、すっごい状況悪化するんじゃぁ」
「いや、それは無いでしょう」
ワウアンリーの当然ともいえる言葉に、アマギリは否定の言葉を放った。断定的な意見に、完全に主の判断に任せるといった体だったユキネも首をかしげる。
「……何故?」
「未だに何もしてこないからですよ」
「それは、こっちの様子を伺っているんじゃあ……」
「それです」
ワウアンリーの意見を拾って、アマギリが言葉を返す。
「様子を伺って、連中は何をしたいんだと思いますか?」
「何って……そりゃあ」
誘拐? 暗殺? 考えられる動機は幾つもある。
「例えば誘拐だった場合、目的は僕の身柄、と言う事になります。ターゲットである僕を見つけ、速やかに拘束し、そして離脱する。そこから先、身代金か政治犯の釈放かは知りませんけど、それを交渉によって手に入れるのが目的ですから、未だに何も仕掛けてこないのはおかしい。この艦を拘束中であるとして本国と交渉するんだと言うなら無くは無い話ですが、オデットは未だに巡航速度を保っていますし、連中がどこかと通信しているようにも見えないから、それも線の薄いところでしょう」
ワウアンリーの機先を制するカタチで、アマギリはまず誘拐の線を否定した。突然の言葉に目を瞬かせるワウアンリーを尻目に、アマギリは更に言葉を続ける。
「次に暗殺だった場合。現在オデットには公証で二機の聖機人が用意されています。ユキネさんのものと、僕のですね。これは、僕の出立を大々的にメディアに載せて報道してましたから、暗殺を試みるような組織であれば、当然理解している事でしょう。ユキネさんは、”尻尾付き”の有能な聖機師ですし、僕自身も聖機人に乗れます。さて、それを踏まえて連中を見てみると、尻尾付きの青い機体が一機に、蝿みたいに旋回している二機は尾のない一般機です。暗殺と言うミスを犯せない行為に到る場合、そのリスクを排除するために最大限の努力を払って当然です。だと言うのに、現実にはこちらとの戦力差は一機のみ。……更に言えば、ワウさんの乗る分もオデットには用意されてますから、現実には戦力差は零。むしろ、尻尾つきが多い分、こちらの方が優位と言えます。そんな、勝ち目の薄い状況でわずか三機のみで攻め込んでくるって言うこと自体が有り得ません。専門の人員を輸送してきたって風にも見えませんし、仮に数が用意できなかったと言うのなら、誘拐の線の時と同様に、こちらに悟られる前に高速で片をつけようとするでしょうし、ね。つまり、勝つ気があんまり無いんでしょうよ、主催者には」
「……なるほど」
何となく言い負かされた態度で、ワウアンリーは頷いた。そんなアマギリの言葉に、ユキネが首をひねる。
「では、何が目的?」
「様子見でしょう」
アマギリはあっさりといい放った。
「様子見、ですか?」
「ええ。―――暗殺にしろ誘拐にしろ、そもそも誰が、と考えると否定しやすいんです。貴重な男性聖機師を誘拐して身代金を要求するような山賊グループが存在するってのは知ってますけど、もし連中だった場合は聖機人を有しているのがおかしいですし。連中の基本は、現地調達って聞きますから。暗殺の主犯を考えると、まぁ女王陛下は敵の多いお人ですから、幾らでもその顔に泥を投げつけたい人が居るでしょうが、その場合犯人はアシが付くのを恐れてあんなこちらに姿を見せ付けるような目立つ行動は控えるはずなんです」
ワウアンリーの疑問の声に、アマギリは指折り淡々とした声で推察を提示していく。
「目立つ行動―――連中、僕らにわざわざ姿をさらして、下手を打てば証拠が残りそうなものなのにその辺への配慮がまったくありません。ですが、女王陛下たちがダンスを踊る”お金持ち”の社交場では、証拠があっても口裏合わせてもみ潰せれば無かった事に出来ちゃうでしょう? つまり連中、ばれても平気なくらい余裕があるんですよ。ハヴォニワの女王陛下に反抗的な貴族たちではああは出来ません。もう余裕が無いですからね。ばれたら、即終わりですから」
「つまりあいつらは、他国の人間……? それに、様子見。見たいものは……龍機人?」
ユキネの考え込むような言葉に、アマギリは我が意を得たりと頷いた。
「行動に余裕がある。出来れば龍機人が出てこないかなと思いつつ、失敗しても何とかなると考えている。しかもあの女王陛下に喧嘩を売るなんていう暴挙に出られるような力のある存在。どんな大物が控えているやら解らないですけど―――そういう大物ですから、引き際は見極められるでしょう。……もっとも、実行犯が馬鹿じゃなければ、ですが」
「あのぉ~、馬鹿だった場合は、どうなるんでしょう?」
最後の言葉に不安を覚えたのか、ワウアンリーが恐る恐る尋ねてきた。
「短慮に走るって処じゃ――――――おぅ」
アマギリの言葉は最後まで続かなかった。
艦首の辺りを飛行していた青い機体が、突如高速で接近してきたかと思うと、右手を構えて亜法光弾を艦首にある東屋に打ち込んできた。
高圧縮されたエナの弾丸が、大理石で築かれた優美な東屋の屋根を貫く。
「……馬鹿決定」
「修理費は、誰宛に出せば良いんですかね」
「教会領内ですから、巡回警備宛で良いんじゃないですか?」
微細な振動が伝わってくるそのモニターに映された光景を眺めながら、三者三様に唖然としていた。
青い機体はこれでどうだと言わんばかりに艦首の中空で仁王立ちしながらこちらを睥睨している。
「……私、出ようか?」
「撃たれちゃった以上、見なかった事には出来なくなりましたしねぇ。……人が、下手に出ていれば、アレに乗ってるのはガキか何かですか?」
「あの、殿下……怒ってません?」
「別に怒っては居ませんよ。呆れては居ますけど。新人歓迎会としては少々手荒……いや、杜撰かな。―――まぁ、道化にするのも可哀相ですし、答えてやるのが情けってヤツでしょう」
ユキネの言葉にもワウアンリーの質問にも答える事は無く、アマギリは椅子から立ち上がって堂々と宣言した。
「目には目を、歯には歯を……さて、聖機人三機には、ねぇ?」
「三機……ですか」
物凄く嫌な予感を覚えて、ワウアンリーは楽しそうに言うアマギリに問い返した。
この艦に、聖機師は三名。
アマギリ当人。その従者ユキネ。それから、最後は。
「あたしお客様扱いだった筈なんだけどなぁ……」
ため息を吐きながら、それも今更かなとワウアンリーは思った。
※ と、言う訳で第二部・聖地学院(一年目)編開始です。
とか言いながら学院着くのちょっと先なんですけどねー。
いやさ、適当にバトルでも挟んでいかないと向こう二十話近く戦闘が無いのが判明したので。
まぁ、原作に習う感じで。のんびり進めて行きたいと思います。