・Epilogue:異世界の龍機師物語・
絢爛豪華な樹雷皇宮の敷地内に於いても、群を抜いて華美で豪奢な装いをしている城館が有る。
住まうものたちにとっては、典雅、優美などと言う言葉で飾って欲しい所だろうが、その城館の廊下の中心を堂々と歩く凛音の内心においては、余りにも派手すぎて胃にもたれると言うのが本音だった。
巨木を削り出して造られた円柱も、当代最高と言われる絵師が描いたと言われる天井の壁画も、壁を覆う精密な金糸で編まれた文様すらも、全てが調和に満ちて―――圧し掛かるような、重たさを覚える。
所詮は、庶民上がりか。
すれ違う度、端を歩いていくこの城館に勤める文官武官問わず、あらゆる者たちが頭を下げてくれているが、何の、凛音の主観においては、つい先日まで逆にその者たちに頭を下げねばならないような立場だった筈だ。
無論、前は前、今は今と理解してはいるが、それでも落ち着かないのだから、最早仕方が無い。
根本に於いて、凛音は此処で暮らす全てのものに対して畏敬の念を覚えており、自分が畏敬を向けられる側になってしまう日など、とても想像していなかったのだから。
―――とは言え、無理矢理が過ぎるだろうと文句を言いたくなるような、如かして最早変わることが不可能な、立場が有るのも事実だった。
それ故に、堂々と。
せめて見た目だけでも相応しく飾り立てた樹雷伝統の羽織姿で廊下を進む。
首の辺りに感じる、銀糸を編みこんだ髪留めだけが、彼にとっては頼もしさを覚える感触だった。
「居心地良かったんだな、向こうは……」
半ば演技も入っていたが、立派に偉そうな立場をやり切っていたのだから。
今の自分の内心のおたおたとした態度を見せてやりたいものだ。
笑うだろうか。笑えないと、引き攣った声で返しそうだと、さして楽しくも無い思いつきに、軽く肩を竦める。
そして廊下を歩ききって、目当ての人が待つ扉の前へと辿りついた。
一際豪華で、威厳漂う観音開きの扉の前。
門番役の闘士の敬礼に手を上げて返して、断りの一つも無く、当たり前のように取っ手を掴み、手で引く。
「”天木”凛音、入ります」
扉を開いて進んで、一段上がってまた進み。
待ち構えていた女官たちに、今度は断りを入れて襖を開いてもらい―――漸く、待ち人の所まで辿りつく。
「御当主―――?」
巨大な一枚板の執務机の前に書類を溜め込んで、筆を走らせていた男に、声を掛ける。
「ああ、すまないね凛音君。もう少しで片付くから―――」
執務机から顔を上げたのは、一見しただけで穏やかな人となりが解りそうな、のんびりとした物腰の男。
幼年学校の教師か、はたまた司書か書生暮らしでも似合っていそうな外見だったが、しかしその人物こそ、樹雷四皇家の一角、天木家の現当主に位置する男である。
父親―――樹雷皇家きっての野心家と言えた先代とは似ても似つかないとは、彼を目にした誰もが言う事である。
「それにしても、相変わらず硬いねぇ凛音君は。兄と呼んでくれて構わないと、何度も言っているのに」
手にしていた筆方のデバイスを置いてウィンドウを消し、改めて凛音に向き直った天木家当主は、そんな風に言って微苦笑を浮かべた。
凛音は礼を失するような態度を取らないように注意しながら、いいえ、と首を横に振った。
「お言葉ありがたく在りますが、主家の頭領ともあろう方を、元は分家の末席程度に過ぎなかった僕が軽々しくも兄とお呼びするには、些か荷が勝ちすぎます」
「ん? 分家と言えば、甘木の家はどうだったね? 療養のついでに、顔を出してきたんだろう?」
仕方ないなと苦笑いを浮かべながら尋ねてくる天木家当主に、凛音も今度は微苦笑を浮かべた。
「ええ、地球からの帰りに一度―――墓参りのついでに。兄姉の孫の世代の連中の肩を叩いて、ついでにその玄孫に年下扱いされたりと、まぁ散々でした。相変わらず、貧乏でしたしね」
「墓参り―――ああ、そうか」
一瞬だけ寂しげな顔を見せた凛音に、天木家当主は思い出したように頷く。
「七百余年―――我等にとっては瞬きのような間に過ぎないけれど、市井に近い者達にとっては、余りにも長過ぎる時間か」
「ええ。それこそ、二つ三つは世代を重ねる程度には」
「私もかつて味わった事が有るよ―――いや、今尚味わっていると言えるのか。隣人が、目上の者たちが、気付けば居なくなっているのに、私だけが変わらない。―――皇家の樹のバックアップを受けた我等の生態強化と、市井のそれとでは余りにも差があり過ぎる」
穏やかな外見からは想像もつかないだろうが、天木家当主のこの男は、樹雷でも数少ない第二世代皇家の樹のマスターとして、最強の一角に座するに足る力を有しているのだ。
外見だけであれば明らかに格上に見える神木家の入り婿である現当主内海よりも、実はよほど強力な戦闘力の持ち主である。
「とは言え、我等皇家の代替わりは、恐らくは遥か悠久の彼方の事だろう。次に天木の家が樹雷皇を輩出出来るのは、何時になる事やらね……」
話も進み、どうでも良い雑談に混じって、天木家当主は諦観交じりにそんな事を口にした。
「さて、少なくとも、子、孫の世代では難しいでしょうね。現皇陛下も最低でも数十万年は安泰でしょうし―――なんでしたら、反乱でも起こして譲位でも求めてみますか?」
凛音も寂しくなる胸の袂を振り払うように、そんな軽口で返す。
「君と私で第二世代が二人。なるほど、銀河の半分程度なら相手に出来そうだが―――流石に、相手が悪いのではないかな」
茶目っ気を含めた笑みを浮かべて言った天木家党首に、凛音も苦笑交じりに頷く。
「何せ、相手は”最低でも”第一世代が一本ですしね。―――現実を考えようものなら、裸足で逃げ出しますよ」
「全く、恐ろしい話だよ」
樹雷皇阿主沙からして、最強と名高い第一世代の樹のマスターであり、皇の二人の妻たちは両人ともに、特殊な能力を秘めた第二世代の皇家の樹のマスターだった。
更に言うならば、現実に反乱でも起こそうものなら、少なくとも第二世代の樹を有する神木家とも事を構えねばならない事は確実だから、如何に無謀な行為であるかは、もう語る必要も無いだろう。
「私にはとてもではないが、父上や君のように、あの方々と対立使用などと言う冒険は出来そうも無い」
吐き出すように言った天木家党首の言葉に、凛音は眉根を寄せる。
「先代様はともかく―――僕も、ですか?」
「あの怖い神木家のお方から、七百年以上も逃げ続けたのだから、私に言わせれば立派なものだよ。君は。素晴らしい反骨精神だと思う」
天木家当主はしみじみと言い切った。
幼少期より父であり先代であった舟参の暴走に振り回されて、色々と気苦労を強いられてきた男らしい、実感の篭った物言いである。
対して、凛音は苦笑気味だった。
「逃げたくて逃げたと言うか、阿重霞様の誤射に巻き込まれて気付いたら転位してたと言うか……」
「魎呼襲撃事件か。随分とまた、懐かしい話だね」
「僕にとっては、軽く数年前程度の話ですから。と言っても、資料見ただけなんですが」
現実に、七百年近くの逃亡期間のほぼ九割近くは亜空間を意識不明のまま漂っていただけなのだから、主観時間ではつい最近なのである。
ついでに、その魎呼襲撃事件のときには既に、凛音は皇家の樹の移植手術を受けて深い眠りについていたため、現実には事件を体験していないのだ。
お陰で、未だに七百余年のカルチャーギャップが抜け切っていなくて、事有る毎に苦労している。
特に皇宮内の勢力図が、凛音が居た当時と比較して豹変と言うほどの様変わりをしている辺り、最早理解の他だった。
「そういえば、行方不明の遙照殿や阿重霞殿達は、今頃どうしているのやら……」
「砂沙美様も、おさな……お若いのに、阿重霞様と連れ添って旅立ちなさったんでしたっけ? 柾木の気風は初代から連綿と続く冒険家の気風ですから、今頃は因果地平の一つや二つ、飛び越えていても驚きませんが」
何処か遠くを見るような目つきで、凛音は淡々と答える。
凛音の顔を暫くじっと見ていた後で、天木家当主は何を思ったのか楽しそうに笑った。
「ありそうな話しだねぇ。―――案外、隣近所に隠れ潜んでいても、あの方たちの事だからまるで驚かないけど」
それで、一息ついた―――と言うことだろうか。
一拍の間の後で、凛音は姿勢を正して問いかける。
「それで、御当主。今回の呼び出しの用件は何なのでしょうか?」
「うん。―――実はだね」
天木家当主は、ゆっくりとひとつ頷く。
凛音は、何故か嫌な予感を覚えた。
穏やかなこの男が、わざわざためを作ってまで言う言葉だ。
碌なものである筈が、無かった。
そして誰が最初に言ったのか―――彼の嫌な予感は、当たるのだ。
「君の、見合いが決まった」
正確には、もうほぼ婚約かなと、申し訳無さそうに付け加えながら。
「見合い、ですか」
予想以上に碌でもない話になってきたなと、凛音は苦い顔で応じた。
「そう言うのはてっきり、竜木様の領分だと思っていましたが」
他国の国家要人と見合いして、縁戚外交を行うとすれば竜木家。都合のいい年齢の者が居なければ、わざわざ竜木家に養子として迎えられてまで、見合いを行う事も有るのだ。
あって無いような役割分担だが、樹雷に於いてはまずは竜木の家に回されるような役目―――と、思えた。
「ああ、確かにその解釈で間違っていないのだけど、ホラ。我が家は以前―――と言っても、もう七百年以上も前だが―――勝手に結んだ分家の婚約を、他国の勢力争いに利用されそうになった前科もあってね。そんな理由で、自由に縁談を纏めようにも、些か他家の者としては信用できないのだろう」
「先代様の負の遺産、と言った所ですか」
凛音の言葉に、天木家当主は困った風に微笑んだ。
「余り父を責めないでやって欲しい。あの人も、お立場ゆえに気苦労を強いられてきたのだ。先々代の御方が短命で在らせられたのに加えて、同世代の皇族で父一人だけが、第二世代の樹と契約できなかったと言う劣等感もあった。―――それでも、尚武の樹雷に於いて、天木の当主として立ち、栄達を目指さねばならなかったのだから―――それはもう、搦め手を使うより他、無いではないか」
「で、そのしわ寄せが御当主に、ですか」
「君にも等しくだよ。―――我が弟よ」
今この時ほど、現在の家名が疎ましく思う事は無かったなと凛音は思った。
「親が遊び人だと、まぁ、子供は苦労するってことでしょうね」
「何やら実感が篭っている言葉で詳細が気になる所だが……結局どうするね、見合いは」
此処には居ない誰かの事を思いながら言った凛音の言葉を興味深げに頷いた後、天木家当主は尋ねた。
凛音は少し考えを纏めるように天井の組み木の装飾を見上げる。
そして、自分の心の中で納得する答えを纏めた後で、口を開いた。
「昔誰かに言われた事が有るんですよ。僕らのような立場の人間にとって、”結婚は義務で、恋愛は自由”なんだそうです」
「―――なるほど。中々に含蓄の有る言葉だ」
「でしょう?」
ほう、と頷く天木家当主に、凛音もしみじみと頷いて先を続ける。
「そんな訳で、僕は自由に恋愛をするために、義務からの脱却を目指そうと思います。―――具体的には、一昨日きやがれクソババア。僕は逃げる―――そんなところですね」
得意げに語られた凛音の答えに、天木家当主も大きな笑みを浮かべた。
「ハハハ、なるほど、君らしい答えだ。―――うん、私も多少の心苦しさがあったから、是非とも応援してやりたい。推奨してやりたい所なんだが……うん、すまないね。実はもう、君の見合いの相手は呼んで有るんだ」
君が今、クソババアと名指しした人物と一緒に。
「―――何?」
目を見開く凛音に、天木家当主は苦笑を浮かべて言う。
「いやね、瀬戸殿曰く、君は絶対に屁理屈を捏ねて逃げ出そうとするだろうから、先にもう準備をしておこう、だそうな」
「ちょっ―――冗談じゃないぞ! って、うわ、マジで転位できねぇ!?」
思わず荒い動作で立ち上がって、空間転位のシステムを立ち上げたのだが、座標計算をしようとした瞬間にエラーが発生して、転位が不可能になっていた。
どうやら広域に反転位障壁が張り巡らされているらしい。
「”逃がす訳無いでしょう坊や”だそうだよ。ああ、因みにあともう幾許も無く、君の見合い相手やってくるから」
諦めたら? と苦笑交じりに言う天木家当主には悪いが、凛音としては断固として御免な事態である。
逃げねば。
どうやって?
自力で、足で―――今や完全に機能している第二世代の皇家の木に匹敵する自らの全力で―――駄目だ、追跡の手に勝てる気がしなかった。
どうすれば良い?
どうすれば、どうすれば……。
そして。
天木家当主の執務室へと続く襖が、スパンと景気の良い音を立てて開いた。
「はぁ~い、ダーリン♪ お・ま・た・せぇ~~~♪」
「どうも、でんか~。貴方のワウが来ましたよ~。あ、因みにちゃんとヒールは居てきたんですけど、この家土足厳禁らしいですから、もう脱いじゃいました」
艶やかに―――わざわざ、樹雷の流儀に併せて着飾った二人の女性が、其処には在った。
だが。
「……ダーリン?」
「あれ、居ない」
目を丸くして室内を見渡してみても、肝心の凛音の姿が無い。
驚愕の面持ちで、執務机に手を付いて立ち上がっている天木家当主以外に、その執務室に人の姿は無かった。
彼女等の求めていた、甘木凛音の姿が、綺麗さっぱりと消えていた。
「―――……逃げた?」
「あのヘタレのことだから大いにありそうな話ですけど、残念、多分違います」
頬を引き攣らせて言葉を漏らす某惑星某国女王の隣で、何時の間にか小型の端末を取り出していた少女が首を捻る。
「エナの残粒子反応が室内に計測、次元連結面に極地異相場が発生と……何か、もう考える必要も無いぽいですよ、コレ」
やられたなと、溜め息混じりに、珍しく化粧を施された顔を、感情豊かに変じる。
「フフフ、なぁるほどぉ……」
そんな少女の隣で、耳に入れば誰でも総毛立つような、空恐ろしい声を響かせる、絶世の美女が一人。
「あのぉ、フローラ様?」
半歩引き下がりながら、引き攣った声を漏らす少女と対照的に、美女は凄まじいプレッシャーを感じさせる笑顔を浮かべる。
「そぉ言う事。そ・お・い・う・こ・と・なのねぇ? どぉりで皆、潔く引き下がってくれたと思ったら―――やってくれるじゃないの、小娘ども!」
「……はぁ。折角美容院行って髪整えてきたのに―――うう、給料未払いが続いてて、懐寂しかったんだけどなぁ」
戸惑い呆然と立ち尽くす天木家当主を尻目に、少女と美女は、来た道を足早に引替えしていく。
此処へ来たかった訳じゃない。
此処に居る誰かの傍に、居たいだけなのだから。
だから―――。
そうして。
懐かしい、海の底とも錯覚するような空気を、肌に感じて。
彼はゆっくりと瞼を開けた。
月光の降り注ぐ、夜空。
樹雷のものとは違うけど、確かに満ちる、瑞々しい木々の気配。
足元の硬い感触は、罅割れた石畳―――広大な円形の、石柱に囲まれたその中心。周囲を崖に囲まれた、遺跡と言う他無い場所へ、彼は立っていた。
一人で?
―――いいや、まさか。
「お兄様っ!」
誰よりも早く飛び込んできた少女を、抱きとめて―――ついでに、出会い頭の口付けなんかも交わしてしまい。
「―――凛君!」
「凛音! 良かった、成功したか……っ!」
「アマギリ、なのよね……ぁあ」
少し年上の少女たちの、安心したような、嬉しさを隠せない声を聞いて。
「おうおう、また金持ちっぽい格好しておるの、従兄殿よ」
「金持ちっぽいて……ラシャラ様、発言が最近貧乏臭いですよ」
「仕方ないよキャイア。スワンを飛ばすのだって、タダじゃないんだから」
「でも本当に、無事に召喚が成功して、何よりでした。―――星点座標から測定した上で星辰の配列に従った、最良の日取りでは在りましたけど、なにぶん前例の無いことでしたし……」
顔を見合わせ笑い合いながら、歩み寄ってくる人たちに囲まれて。
凛音は―――驚くより先に、唖然としていた。
「ジェミナー?」
「それ以外の、何処だと言うのです」
首に腕を回したままの少女が、整った眉根を寄せて口を尖らせた。
至近距離でその美貌と顔を見合わせて。
「……何か、少し背が伸びてらっしゃる?」
「もう四年ですよ、いってらっしゃいませと送り出してから。―――少しは成長します」
なるほど、母親譲りに美しい肢体に育っているなと、抱きかかえた腰の細さに驚きつつ周りを見渡せば―――そろいも揃って、少女たちは、皆、美しく成長していた。
「皆綺麗になったねぇ、とか、言っておいた方が良い?」
「全く信用できないから止めたほうが良いわ」
眼鏡をクイと上げながら、バッサリと切り捨てられる。
「お前はしかし、全く変わっていないな」
「ああ、僕はホラ、肉体年齢固定してるから。歳はとっても姿は変わらずってね。―――アウラさんも、流石にダークエルフだけあって、綺麗なままじゃないか」
「これだけ女に囲まれておいて、それは刺されそうな言葉じゃぞ」
ダークエルフの少女に戯れ気分に返すと、金糸の髪に紅いドレス姿の少女に、鼻で笑われた。その隣に立っている、精悍な顔つきの少年も、困った風に笑う。
「言い訳、大変でしたよ?」
「うん、大変だった……」
「貴女の場合は自業自得でしょうがっ!」
少年の尻馬に乗ってしみじみと言う雪色の女性に、凛音の肩にしがみついたままの少女が思いっきりツッコミを入れる。
少年は、余りにも有り触れた日常らしいその光景にどうしようもないほどの喜びを覚えながら、辺りを見渡した。
「で、結局どういう状況なのか―――おい、ワウ! ワウアンリー、説明!」
姿の見えない、居ない筈が無かった少女を探して声を上げるのだが、しかしやはり、姿を表さない。
「ワウだったら……」
「ねぇ?」
年長者の二人組みが、苦笑交じりに顔を見合わせている。
凛音は、その姿に凄まじく嫌な予感を覚えた。
自然と頬を引き攣らせた凛音の顎を持ち上げて、今や美女と呼ぶ方が正しいまでに美しく成長した妹が、無理やり視線を合わせてくる。
「ワウアンリーでしたら」
「……でしたら?」
「お見合いです」
「どうせそんな事だろうと思ったよ、畜生!」
ニッコリきっぱりと言い切った少女に凛音は天を仰いで叫ぶしかなかった。
「あ、勿論お母様も一緒に、今頃は樹雷で歯軋りしていらっしゃる事でしょうね」
「あーあーハイハイ。クソババアめ、思いっきり謀ってくれやがったな!」
少女を抱えたまま器用に片手で後ろ頭をかいて、凛音は喚いた。
それから、完全に疲れた風体で、辺りを見渡す。
先史文明の遺跡。足元を走る複雑な文様は、それそのものが結界式となっているのだろう。
これほど精密で巨大な遺跡を以って、何を行うのか。
―――視界の片端に、余り好きではない人間の姿が見えた。
今や先史文明最後の生き残りと言っても何の差し支えも無い、人造人間の姉妹。
「あいつら、結局無事だったのか」
「ええ、何の後遺症も無く―――この遺跡も、あの方と言うか、特にネイザイ殿が知っていらした場所ですし」
話題にされている事に気付いたのだろう。
何やら、”貸し一つ”とでも言いたげな視線を送ってきてくれたから、無性に腹が立った。
「貸しなら、僕の方が多いよなぁ」
「何の話ですか?」
「いや、別に」
至近で愛らしく小首を傾げる妹に、肩を竦めて返す。
「―――つまりこれ、召喚な訳ね」
「異世界人の召喚―――チキュウ、と言ったか? 剣士の故郷の……それ以外の場所から召喚を行うなんて、それこそ、先史文明の時代に我等ダークエルフ種を呼んで以来なんだが」
ダークエルフの美女の言葉に、法衣を纏った女性も頷く。
「召喚の遺跡も、ガイアに片っ端から破壊されてたみたいだものねぇ。―――此処を漸く見つけて修復して、―――星辰の縛りもあったし、一発勝負で成功してよかったわよ」
「ワウアンリーさんが必死で星点座標を計算していらっしゃいましたものね」
同じく法衣を纏った小柄な少女が、微笑ましげに言い添える。
「……その割には、僕のワウの姿が見えないのが凄く気になるんだけど」
「そりゃお前のワウからすれば、不確定要素が強すぎて容認できないやり方だったらしいからな」
破棄されていた研究データ持ち出してきたんだしと、ダークエルフの女性が堂々とのたまう。
つまりは、結構な無茶をしてくれたらしいと理解して、凛音は大げさに息を吐いた。
「暫く会わない間に、そりゃまた随分挑戦的な性格になりましたね、皆」
「お陰さまでな」
「参考にした人間が居るから」
次々と言葉を重ねられて、凛音は降参とばかりに苦笑を浮かべる。
ついで、とばかりに首にしがみついた少女の手を解いて、ゆっくりと地面に下ろす。
離れる間際に確りと髪を梳いていたりする辺り、そろそろ駄目人間になってきたなと自分でも思っていた。
少女は兄の行為に、つれないお方と楽しそうに笑った後で、さて、と悪戯っぽい仕草で指を立てる。
「お兄様。貴方には今後の身の振り方を決めるための、幾つかの選択肢があります」
「―――へぇ」
何故か、漏れた言葉は棒読みで乾いた物だった。
「”選択肢”なんてあったんだ」
「ええ、ありますとも。―――勿論、”選ばない”を選択するなんてのたまった場合に、どういう結果が待ち受ける下などと、とても恐ろしくて言えませんが」
兄の言葉に、然り然りと少女は頷く。
そして、華のような微笑を浮かべて、言った。
「例えばこのマリアに、夫と呼ばれてみるか、それとも父と呼ばれたいのか―――」
少女は告げて、それから、隣の女性に視線を送る。
「アンタのお陰で教会の内部組織はもうボロボロよ。幾晩徹夜しても仕事が一向に片付かないんだもの。―――教会の改革がしたいなら、私と一緒に、アンタがやりなさいな」
視線を受けた法衣姿の女性は、早口で言い切った後で、更に隣に視線を送った。
「―――ん? ああ、私もなのか。……そうだな、今更だが、―――なんだ? 父は例の件は結構本気にしていたぞ。―――我々の判断で、進めても構わないそうだ」
困った風に―――照れ笑いを浮かべつつも、ダークエルフの女性も楽しそうに言った。
さあ、どうする?
―――等と、女性たちに囲まれて迫られた所で、ヘタレの格好付けに応える言葉が見つかる事無く。
一歩二歩とたじろいたところで、袖を引かれていることに気付き、視線を向けると。
「―――お姉ちゃんと、する?」
「いや、何をしろと?」
雪色の髪の美しい女性の淡々とした言葉に、思わず素で突っ込んでいた。
「ユキネといちゃついていないで、ちゃんとこちらを見なさいな?」
少女の言葉は愛らしく、同時に逆らいがたくもあったから。
数度、視線をあちこちに彷徨わせた後で、凛音は口の中に溜まった唾液を飲み乾して、答えた―――答えて、しまった。
「―――いいよ、じゃあ。もう皆纏めて面倒見るから」
口にした瞬間、この言葉は地雷にしかならないよなと自分でも思った。
その結果として、殴られ叩かれ蹴り飛ばされて―――そうであるなら、どんなによかった事だろう。
だが、身に染みて理解している通り、少女たちは、強かなのだ。
「―――では、存分にお覚悟なさいな、お兄様」
「ヘタレると思っていたが、存外頑張るじゃないか。―――その調子で、父上の説得も頼む」
「アンタってさ、ホント、嫌がってる割には心底男性聖機師よね……」
「―――じゃあ、お姉ちゃんね」
それは了承の言葉と受け取って―――いや、受け取りたくなんて、無いのだけれど。主に、度胸が無いという意味で。
情けなく項垂れる凛音の態度を端で見ていた金髪の少女が、これは貸しだとでも言いたげに、クックッと笑って助け舟を出してくれた。
「おぬし等、四年ぶりの再会ではしゃぐ気持ちも解らいでも無いが―――少し落ち着け。先に言うべき言葉が、残っておるじゃろ?」
―――先に?
皆が金髪の少女の方を見て、そして皆が同時に、理解した。
だから、まずは少女たちが声をそろえた。
「ようこそ、ジェミナーへ。異世界より参られた、龍機師殿! ――――――お帰りなさい!」
少年は、大きく頷いて、そして。
そして、万感の思いを込めて。
「ただいま」
異世界の龍機師物語・完
※ 読了多謝。
次の更新で後書きを掲載して、連載的な意味でも終幕とさせていただきます。