・Last scene 6・
「……こんなことも」
「あろうかと、ねぇ?」
明らかにカンペを身ながらの剣士の発言に、凛音とマリアは半笑いだった。
『因みに他にも、”お前いい加減にしろ”、”自業自得じゃないの?”、”先立つ不幸をお許しください”、”まぁ、精々頑張るのじゃな”とか色々―――あ、後もう一つ、”ユキネ先輩、後でちょっと話があります”ってのが……』
「それは本人に言ってくれ。―――と言うか、応援メッセージがラシャラちゃんの以外無いじゃないか!」
「それこそキャイアさんが仰っている通り、自業自得なのでは?」
妹の至極尤もな言葉に、凛音はちょっと涙が出そうになった。
『皆、本当に心配そうにしてましたよ? それと同レベルで怒っていただけで……』
念のためとばかりに、フォロー荷なら無いフォローを入れる剣士に、凛音は肩を竦めて応じる。
「良いさ、怒られているうちが華って思うことにするから。―――で、向こうは本当に平気なの?」
『勿論! 確りユライト先生を助け出せました!』
「ユライト・メストは正直どうでも良いけど、皆が無事なら結構な事だね」
『あ、その発言があったら、”言うと思った”って言うように言われてますけど』
「言わなくて良いよ」
剣士と凛音が会話をすると、何故か何時もの如く酷く待ったりとした空気が流れ出す。
状況を読めといったほうが良いのか、それともその常と変わらぬ精神のありようを見習うべきなのか、やれやれと息を吐いてマリアは口を挟んだ。
「もう言ってますけどね―――っ、お兄様!」
「ん? ―――ああ、もうお目覚めか。老人の朝は早くて困る」
マリアの鋭い声に、凛音もやれやれと視線を下に送る。
瓦礫の山の中心に空いた大穴。その底から、凄まじい圧力を感じていた。
圧力はやがて物理的な力となって大地を揺るがし始め、元より不安定となっていた聖地の岩盤を崩壊させていく。
更に天頂には渦雲が集い雷鳴が轟き始めれば、最早天変地異とすら言えるような有様だった。
圧倒的に暴力的な亜法波が、世界に満ちるエナを震わせ、それが結果として世界を乱しているのだ。
「此処だけ見るとカタストロフって感じだけど」
「地下に篭られたのは厄介ですね……。突っ込んで、引っ張り上げますか?」
戯言をぼやく凛音に、マリアは冷静な表情で問いかける。
「出てくるのを待つのが一番良いんだけど、奴さんコッチの思惑読んでるっぽいしなぁ。迂闊に地の利を失うような真似はしないだろうし……」
凛音の必殺の一撃は、強力すぎて下へ向けては放てない。
地下に篭られたガイアを相手にするならば、方法は限られていた。
「では、やはり?」
「突っ込むにしても、―――ぁあ、くそっ!」
地下に篭り、其処への道は長い縦穴一つきり。
―――で、あるならば。
間欠泉から熱湯が噴出すが如く―――否、そんな甘い状況ではない。
穴そのものの怪と全く同じ規模の光の柱が、天を貫かんとばかりに立ち上る。
『アマギリ様、これだと……っ!』
そばに寄ってきた剣士も、緊張の声を漏らすほどの、ありえない光景。
光の柱はふれるが最後、飛散する粒子の欠片に当たっただけでも容易く聖機人を行動不能に陥れるほどの威力を秘めており、そしてそれが、彼等の見ている前で、途切れる事無く、延々と天に向かって伸び続けている。
天に向かって―――否。
「―――傾いてる?」
気付いたのと、声に出したのとどちらが先立ったろうか。
光の柱、天頂へと伸び続ける破滅の光が、徐々に、徐々にその角度を斜めに傾け始めていた。
おぞましい音と共に、大地を蒸発させていきながら、それは、凛音たち目掛けて、振り下ろされる神の刃の如く。
「冗談きついな、オイ!?」
「これ、迂闊に避けたら周りが酷いことになりませんか!?」
『っていうか、空まで伸びても全然途切れる場所が見えませんよ、このビーム!!』
例えば地の果てまで逃げようなどと考え出したら、ひょっとしたらこの惑星そのものを膾切りにしてしまうのではないかと、そう思えるほどの光景だった。
何処まで逃げても、光の柱からは逃れられそうに無い。
「避けて駄目なら……」
判断は早かった。凛音は一度だけ大きく息を吐いて、葉を食い縛る。
そして、龍機人の前に光鷹翼が花開いた。
迫り来る光の柱に対して水平に構えられたそれは、その防御圏内に居る龍機人と剣士の聖機人を完全に守り切ったまま、光の柱を塞き止めた。
「お兄様……っ」
「このまま突っ込む。―――で、後は出たとこ勝負で……剣士殿! 期待してるよ!」
少し咽た後に、凛音は滑りつく口内を煩わしく感じながら、剣士に軽い声を掛ける。
『―――はいっ!』
如かして剣士は、凛音が望むとおりの返事をくれた。
合図も要らず、光の柱に向かい合うように光鷹翼を展開し、そして龍機人を最大速度で滑降させるのみである。
その背後にはピタリと剣士の白い聖機人が付き添っている。
「……なぁ、コッチ新型で、剣士殿は通常機なのに、なんで同じ速度出せるんだ?」
スリップストリームか何かですかと言う気分で尋ねる凛音に、マリアも計器に示された数値を見ながら、冷や汗混じりに応じる。
「剣士さんの亜法波による活性化で、ほぼこちらと同等の出力を得られているみたい、ですけど……」
「ほぼ倍の出力差を覆せるとか、ホント樹雷の皇家はおっかないなぁ、オイ」
お陰で、どう頑張っても勝てそうなのがありがたいけどと、凛音は微苦笑を浮かべた。
「―――それで、お兄様。出たとこ勝負とはおっしゃいましたけど、一体どうするおつもりで……」
「ん? ああ。また地中で追いかけっこってのもちょっとどうかと思うから、―――少し考えている事がある」
ガイアの砲撃によって更に広がる事になった縦穴の中を、粒子の波を光鷹翼で押し流しながら進む最中、訪ねてきたマリアに、凛音は薄く笑って応じた。
「考え、ですか」
「うん。このタイミングで剣士殿が来たってのが、やっぱりね。―――あの人が特別だってことなんだろうと思うから」
「思う、から……?」
背後にぴったりと龍機人に追従してくる白い聖機人を見やりながら、マリアにはしかし、その答えは見えそうに無い。
「見ての、お楽しみだ―――なっ、とっ、とっ、とぉぉぉぉぉっぉぉおっ!!?」
『グゥォォォォオオオオオオオォオオオオッ!!』
気付けば、縦穴を抜け、広い空間の有する地下遺跡へと―――ガイアの眼前へと、龍機人は躍り出ていた。
飛翔する勢いそのままに、凛音はガイアを光鷹翼で床に押しつぶす。
ガイアはそれに対して、粒子砲の圧力で以って対抗しようとするから―――結果、地下遺跡内の空間は膨大な熱量を持つエナの粒子の溢れる火の海のような有様へとなった。
『相も変わらず凄まじい力よなぁ! 女神の翼よ!! だがこれからどうする! 我を地に押さえつけて! それでお前はどうする!? 撃てるか!? 撃てるのかぁぁぁぁぁぁ!!!!?』
侮蔑の嘲笑がガイアから響く。
地にたたきつけられても尚粒子砲の放出をやめず、冷静に状況を見極めて、持久戦になれば確実に勝利できると理解しているガイアは、その現実の無様な姿に反して酷く余裕だ。
だが、唇から血を零す凛音とて、それは同様。
「凄まじい、ね。お褒めの言葉ありがとう。―――だけど、一つ良い事を教えてやるよ」
気力を振り絞り光鷹翼に力を送り込み続けながら、凛音は笑う。
「世の中、上を見出せばきりが無い、ってな。―――ああ、そうさ。本当に嫌になるくらい、銀河には無敵が溢れている。僕なんかその中では、本当に末席の末席に過ぎない」
「お兄様……?」
自嘲するかのような言葉に、マリアは居住まい悪さを覚えて振り返った。
だが兄は、相変わらず笑っていた。
確実なる勝利は、既にその手にあるのだと、きっと確信していたから。
「剣士殿!」
振り向かず、叫ぶ。
『はい!』
応じる言葉に一つ頷き、そして、宣言した。
「”こいつ”を圧縮しろ!!」
『はい―――はいぃ!?』
剣士は言われた言葉の意味を一瞬理解しかねて、目を丸くした。
圧縮。
亜法を用いたエナの収縮―――それに付随する、物質の凝縮行為の事を指す。
基本的にエナを含む物質しか存在しないジェミナーにおいては、この亜法を用いれば圧縮できないものなど存在しない。無論、亜法を使用する術者によって、物質の質量に負けて圧縮失敗する事もあるだろうが。
異世界人として高い亜法波を有する剣士ならば、ほぼこの世界にある物質で圧縮できないものなんて無い。
それは良い。
事実、瓦礫の山を目の前に積み上げられて、ひたすら弾丸の精製なども散々やらされていたし、ついでにユライトを救うためにも行っていたから。
しかし、今この状況で、何を圧縮すれば良いのか。
ガイア?
いや、圧縮しようにも、手が届かない。
光鷹翼に遮られ、概念的に隔絶した場所に存在している関係上、亜法では干渉不可能だろう。
ならば、龍機人を―――圧縮してどうしようと言うのか。その行為に意味は見出せなかった。
この状況を解消するために、何を圧縮すれば―――何を以って、事態の打開とするか。
必要なのは、今尚砲撃を続けるガイアに対する、反撃の一手。
強固な装甲と、凄まじいまでの攻撃力を誇るガイアに対しての、絶対的な攻撃手段。
盾は在る。
あらゆる攻撃を防いでみせる、神の盾―――光鷹翼が。
ならば、剣は。
悪神ガイアを撃ち滅ぼすための、剣は、何処へ―――。
『―――あった』
答えは、目の前。
気付いた時には剣士は手にしていた直刀を投げ捨てて、龍機人の傍に機体を寄せて、手を前突き出していた。
目の前へと。目の前で光り輝く、光鷹翼へと。
出来る出来ないとか、その時は思いつかなかった。
予感とか、直感とかとも違う、確かな実感が其処にあったのだ。
光鷹翼の光輝に、人では到底作り得ぬはずのそれを目前に、だが―――剣士は確信していた。
伸ばした聖機人の手の先に存在する。存在しない巨大な力の流れ。
此処より何処か遠く、より高い所、見えるはずも無い場所から流れ込んでくる力を。
だからそれを。
人間では御し得ないはずのそれを。
『いっ、けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!』
額から全身を巡り爪先を突き抜けるような、陶酔してしまいそうなほどの開放感が剣士を満たす。
額が熱い。
まるで熱を持ち光り輝いているかのように。
だから、出来ると確信して―――目の前にある”それ”を、剣士は握り締めた。
「なっ―――っ!?」
「これは」
『何だとぉぉぉっぉぉぉぉっぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!?』
両腕で握り締めて、振り上げる。
ただそれだけで、ガイアの放つ莫大なエナの放射が、まるで蝋燭のように掻き消えた。
純白の聖機人の手に握られた、微塵の重さも感じさせないような、柔い印象すら抱かせる、収束された力場によって。
翼のようであり、盾のようであり、光そのものにも見えて―――そして何より、剣以外ではありえなかった。
砲撃は止んだ。
邪魔な壁はもう無い。
『雄雄雄雄おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!』
叫ぶ声すら力に超えて、剣士は振りかざした力場の剣を振るい、ガイアの首を切り落とした。
『グウウウゥッゥゥォォォォォオォォォォオオアァァアアアアアアアッッッ!!!??』
物理的に地の底を鳴動させるような凄まじい悲鳴。断末魔と言うべきそれが、ガイアの頭部から響く。
首と胴を分断されがガイアは、全ての力を失ったかのように、崩れ落ちて、動かなくなった。
「―――やった、のですか?」
刃を振り下ろしたままの姿勢で固まっている剣士の聖機人を、上から見下ろしながら、マリアがポツリと呟く。
唖然、そうとしかいえない顔をしていた。凛音もきっと、同様だっただろう。
「僕の翼じゃ、無い。―――柾木、剣士……」
出しっぱなしにしていた”三枚の”光鷹翼を閉じて、それだけを、呟いた。
微動だにしない剣士の聖機人の手には、最早力場の剣は存在しない。
今の現象に、如何なる意味があったのか。今後如何なる影響を与えるのか―――しかし、凛音は其処から先を考える事を放棄した。
「知らない方がいい事も、あるか……」
「お兄様?」
「―――いや、流石に疲れたかなって」
不思議そうな目を向けてくるマリアに、口元を軽く拭いながら応じる。
「剣士殿は、無事?」
『あ、はい。大丈夫ですけど……うわっ!?』
先ほどまでの気合の入った顔とは一転、ぼけっとした声を剣士は漏らした。
「あら、劣化か」
「あれほどの亜法波ですから、矢張り機体が耐え切れなかったのでは?」
ガク、と膝から下が炭化して、白い聖機人は地に膝を付く事になった。
見れば、両手も先端から劣化が始まり、背部の亜法結界炉は煙を噴出している。
『なんか、駄目みたいです……』
「いいさ、此処まで持ってくれたんだから、充分じゃない」
余裕のありそうな態度こそ見せ掛けで、内心では”最低限”と言う言葉の意味を見せ付けられて頭を抱えていた。
流石に長時間の光鷹翼の展開は身を削る事は変わらないようで、全身から虚脱感が沸き起こり、ついで、自己診断機能を走らせて見れば、機能の端々にまで損傷が及んでいる事がわかる。
言ってみれば、細い川に無理やり大量の水を流し込んだ結果のような状況で、過度のエネルギーの放出が、体内の機能を酷く傷つける結果となった。
「とは言え、コレで終わり……か?」
凛音の呟きと、地下遺跡が鳴動を開始したのは、ほぼ同時である。
遂に崩れるかと考えるのも一瞬、振動の発信源が理解できた瞬間、凛音の行動は素早かった。
空中で静止させていた龍機人を、突っ込ませる。
『クカッ……グァッ……グァァアアアァァァァッッ! 滅びぬ、まだまだ滅びぬ、滅ぼしたりぬゥゥゥゥゥゥウウッッ!!』
胴体から離れたガイアの頭部が、不気味な鳴動を初め、そして叫んだ。
『コイツ、まだっ……!』
再び活動を始めたガイアに剣士も声を漏らす。
「ガイアの内圧、上昇中……って、これは、まさか!?」
「自爆かよ!」
計器に示されたデータに引き攣った声を漏らすマリアに、凛音も怒鳴るように返す。
自爆。
膨大なエナの集合体であるガイアが、内側から崩壊させる―――と言うか、単純に全てをエネルギーに変換するつもりなのだろう。
あの大量の砲撃に際しても、微塵もエナの減少が見えなかったガイアのコアである。
想像を絶する密度のそれ全てが、破壊のエネルギーに変換されたとしたならば。
「今のうちに破壊―――」
「したら、爆発するだろ、多分!」
マリアの言葉を一刀両断して、凛音は龍機人をガイアの頭部の下へと寄せた。
『今更何を為そうと遅いわっ!! 我は新なる滅びを体現するものなれば、この世界全てを―――我自らと共に、跡形も無く消し飛ばしてやろう! クッ! ククッ!! クァァアアアアアッハッハッハァァッ!!』
「お兄様、どうするおつもりで……」
至近で聞いてしまった不気味な哂いに、流石に恐れをなし振り返ったマリアに、凛音は。
―――思いつく方法は幾らでもあった。
”無理”をすれば良い。それで何事も無く、鼻を鳴らして笑い飛ばせるような結末が訪れる。
結末が。
―――でも、と思う。
此処が結末とは思えなくて、まだ先が残っているから―――まだ先まで、ずっと此処に。
―――残っていたいと、思うならば。
「まぁ、ホラ。此処まで来て、こんなオッサンの好きにさせるのは、癪だね」
気楽に一つ、肩を竦めて。
「剣士殿」
「はい」
生真面目な声に微苦笑を浮かべて、肩を竦めて気楽な言葉で返す。
「―――色々と、言い訳は任せた。ああ、姉さんに押し付けても構わないけど」
『は?』
動けない聖機人の中で呆然とする剣士に一つ笑いかけて、凛音はマリアと向き合った。
「―――途中まででも良いなら」
「行きます」
重なった瞳の色は澄んでいて、輝きは強いものだった。
「そりゃ、有り難いね」
即答してきた妹に頷き返して、それで。
それで二人は何時の間にか、星の海の中に居た。
漆黒の闇と、一面に煌く星々―――まだ、昼だというのに。
「これは……」
眼下で巨大に広がる、青い美しい宝玉すら、マリアには始めて見る光景だった。
「一度、成層圏外に出た後の方が、次の跳躍がしやすいからね」
兄の言葉に、マリアはこれから何が行われるのかを、正しく悟った。
龍機人の目の前には、爆発寸前のガイアも存在しており、それ以外には、此処には何も無い。
「此処ではいけませんの?」
妹は問いかける。
「此処じゃあ近すぎる」
兄は首を横に振った。
「他に方法は?」
妹は問いかける。
「勿論有る。探せばそれこそ、幾らでも。でも―――正直、コレが一番都合が良いと思うんだ」
今後の事も思えばと、兄は微苦笑を浮かべた。
「今後のため、ですか?」
今時分がどんな顔を浮かべているのか、それだけを気にしながら妹は問いかける。
「騙し騙しでやってきたけど、早晩行き詰るのは目に見えたからね。一度、精密検査を受ける時期だよ」
兄は変わらず困った風に笑ったまま。
良く見ればさっきから、首から上くらいしか、まともに動いていない。
空間の跳躍に必要なエネルギーは、その距離と、転位対象の持つ質量が増すごとに飛躍的に上昇していく。
星ひとつを容易に滅ぼせるほどの密度、質量を有したガイア。
それを地の底から宇宙の片隅にまで飛翔させるには、如何ほどのエネルギーが必要となってくるのか。
「星の向こう、銀河の彼方で―――」
「うん、ちょっと療養してくるよ」
「それならば―――」
わたくしも。
一緒に、一緒に行きたいのだと、きっと口にしなくても、お互いその言葉は理解していた。
理解していて、しかし凛音は首を横に振る。
「きっと何時かね、キミを星の海の果てに招待する事になるだろうとは思ってる。でもそれは、こんな塵掃除のついでの片手間でなんて時じゃないんだ。だから―――」
それが別れの挨拶になろう事は、きっと口にしなくても、お互い確りと理解出来ていた。
マリアは、言い出そうとした言葉を堪えて、乗り出しかけた身を正し、一度俯き、前髪を払うような勢いで顔を上げて、それから、―――それから、微笑んだ。
「では、お兄様。星の果てより無事のご帰還を、マリアは心より、此処でお待ちしております」
何時かのように、送り出す。
「行ってきます―――まぁ、なるべく早く帰るよ」
気障っぽく、余裕たっぷりに―――”帰る”とはっきり言えたのは、殆どこれが初めてみたいなものだったなと、今更ながらに気付いて。
そのまま外へと転位しようとしていたのを、思いなおしてしまった。
「―――っ、お兄様!?」
突然、唐突に、目の前に浮遊する兄の姿に、マリアはオペレーター席で目を丸くする。
その瞳の淵が、少しばかり赤らんでいる事に、凛音は気付いた。
気付いてしまって―――喜びの年が沸きあがってきてしまうあたり、救いようが無いなと、笑う。
「なん、ですか、もう……。早く御行きになったら宜しいじゃないですか……っ」
自分の顔を見て突然暖かい笑みなど浮かべられてしまえば、戸惑うのも当たり前だ。
動かす事も苦痛な手を、口を尖らせるマリアのそっと頬に寄せて。
「忘れ物をしたとか、言えばいいのかな。―――こう言う時に言う台詞ってイマイチ解らないんだよね」
何を―――。
吐息の漏れる暇すら与えず、凛音はマリアに口付けた。
一瞬のふれあい。そして、吐く息の流れに併せて、離れる。
目を見開いたマリアが、唇の周りを可憐な手つきで撫で摩りながら、呟いた。
「―――血の味のするキスなんて、生きている間にする事が有るなんて思いもしませんでした」
「それはそれで、思い出深くなりそうで良いんじゃないかな」
拭いきれなかった自身の血の跡を、マリアの唇にも見つけて、凛音は薄く笑って言う。
マリアも、仕方ないなとばかりに微苦笑を浮かべた。
「これが最後なんて、嫌ですし―――それに、殿方と口付けて、相手に押し付けるのではなく、自分が朱色の印を頂いてしまうなんて、とてもとても屈辱です」
ですから、どうか。
どうか、その恥辱を注ぐ機会を。
どうか、お早く―――。
伸ばされた手に、一度だけ指を絡めて―――押し出すように、放す。
そして、凛音は一度短距離転位を行い、龍機人の外へと出た。
『これは、これはどおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおお言うことだぁぁぁぁっ!!?』
宇宙空間で声なき声で、無様に叫ぶガイアの前へと。
「この静かで美しい光景を前にして、醜く喚いてんじゃないよ、オッサン」
言いながら、振り返らずに片手を振って、背後にあった龍機人を、元の場所へと返す。
機体は音も無く姿を消し―――背後に有ると感じられた温もりもまた、此処ではない場所へと消えた。
『貴様、貴様カァァアアアアァァアッッ!!!』
「そう、僕だよ。地べたを這いずり回ることしか出来ないお前に、こんな綺麗な世界を見せてやったんだから、むしろ感謝して欲しいね」
―――まぁ、尤も。
ニヤリと笑んで、ガイアの表皮に手を置いた。
『ナァアニィウォォォォオォォォォォォォォォォォ!?』
「これで、見納めなんだけどな」
そして再び、世界が変わる。
そこは不定形で不安定で不思議で不確実な、ひとつところに留まることすらない、ましてやひとつところを定める事すら不可能な、そんな空間だった。
『コ、コ、ハ……ッ!?』
ガイアは知識に無い世界に放り出されて、戸惑い、呻いている。
最早首だけ、頭だけ。それだけしか出来る事は無い、とも言えるが。
「跳躍空間―――ワープ空間。単純に亜空間でも良いけど。長距離跳躍を行う時に、時間を短縮するための航路となる空間な訳だな。―――まぁ、僕としては七百年近く彷徨い続けたなじみの空間とも言えるんだけど……どうでも良いか」
自分の言葉に自分で失笑を浮かべて、凛音はガイアを睨み付けた。
「此処が、お前の終着点だ。ここなら回りの被害を気にする必要も無いし、何よりこの不安定な空間なら、お前の蓄えている莫大なエネルギーと、僕の光鷹翼の全力のエネルギーをぶつければ―――次元の一つや二つ、簡単に引き裂けるだろうよ」
ガイアの添えた手のひらから、光り輝く三枚の翼を顕現させる。
それは永遠とも思える大きさにまで拡大し、そして次の瞬間、手のひらの一点に収束した。
「発生した次元の裂け目を潜り抜けて僕は樹雷の有る宇宙へと戻らせて貰う。―――散々面倒掛けてくれたんだから、ま、手間賃代わりにはなってもらうよ、聖機神ガイア」
『ふざけるなァァァアアアアアアァァァアアアアアアアアアアッッッ!!! この我を! このガイアをっ!! 貴様!! 貴様はァァァアアアアアアァァアアッッ!!!』
叫ぶガイア。しかし最早、どうすることも出来ない。この亜空間において、身動きする術を知らぬのだから―――だから。
「だから、これでサヨウナラ」
解き放たれた力の渦は、指向性を以ってガイアを打ち貫き、ガイアの内に篭る莫大なエネルギーと干渉して亜空間を満たした。
『グァアァァァァアアァァァaaaaaaaaaaaaahhッッ!!』
断末魔の叫びか。
それとも、エネルギーの奔流が世界を揺らす騒音か。
膨大に過ぎるエネルギーの炸裂に、それを支えきれなかった亜空間は不規則に脈動し、亀裂が走り、裂け、その先の漆黒の空間へと向かってあらゆる力を押し流していく。
凛音すらも―――否、凛音こそを。
宇宙とは、ひとつの次元とは人が理解しているよりもよほど、脆く不安定なものなのだ。
例えばひとつところに莫大な力が集中してしまえば、張り詰めた絹糸が容易く切れてしまうが如く、次元もまた、裂ける。
裂けた次元は元の姿を取り戻そうともがき、その力の収束点において、不安定となる要素を次元の向こうへと放出する。
―――かつて、七百年以上前。
惑星樹雷に集中した神々の力を支えきれずに、次元が裂けた時のように。
安定を求めた世界が、尤も排除しやすい―――それでいて、不確定に過ぎる要素を廃棄した時のように。
今再び、世界は甘木凛音を次元の彼方へと追い遣った。
その果てに辿りつく場所は何処か―――力の流れに逆らう事無くたゆたう視界の端、次元の裂け目の向こうに、凛音は見覚えの有る景色を見つけた。
星を覆わんばかりの大樹。
行きかう船は、木造の芸術品の如く。
光り輝く翼を広げ―――彼の帰還を受け入れた。
「帰還、ね……」
いきなり派手な歓迎だなと、動かぬ身体で宇宙を漂いながら凛音は呟く。
「悪いけど、帰るべき場所は、もう決めて有るんだ」
・All scene:End・
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