・Last scene 1・
オーロラのカーテンが解かれた瞬間。
龍機人のコアの中、縦に二列並んだ操縦席の下部、オペレーター席に座っていたマリアが見たものは、視界一面を覆いつくす白い光だった。
透過装甲に次々と小型のウィンドウが開いていき、それら全ての外枠が非常事態を告げるレッドに染まっていた事も、一応は理解できたが―――それで、状況に対処できるかと言えば、”NO”と答えるより無いだろう。
膨大な光、熱量を伴う高密度のエナの奔流である。
数瞬間もなくそれは転位したばかりの龍機人へと届き、その機体を粒子の欠片も残さずに焼き尽くすだろう。
即死は必至。
だと言うのに、ちっとも死ぬ気がしなかったのは、現実感が喪失した光景だったと言う理由では決してなく、―――そう、背後に居てくれる筈の存在のお陰に違いなかった。
「―――読まれてたな、やっぱ」
操縦桿を握りながらも機体を動かす素振りも見せず、ただ一言呟いて、ため息を吐く。
それだけで、迫り来る光の奔流が塞き止められるのだ。
花の蕾が、綻ぶ様に。光り輝く三枚の花弁が龍の眼前に花開く。
モニター越しではなく、直接ソレを視認するのはマリアには初めてだった。
外部の様子を透かしてみせる透過装甲越しに、その光輝を目に焼き付ける。感嘆と、畏れと共に。
美しい。
しかし、現実に存在して良いものかと問われれば―――。
「良いに、決まっている」
降って沸いた思考を、振り払うように呟く。上部の操縦席から、不思議そうな声がかかる。
「マリア?」
「―――なんでもありませんよ、お兄様」
わざわざ振り返り―――それを行っても何の問題も無いという絶対の安心感を持って―――マリアは凛音と視線を合わせて微笑んだ。
「初陣でいきなりコレだからね。緊張しているんじゃないかと思ったけど」
「いいえ。―――いいえ。背中にお兄様を感じていられれば、何を恐れる事もありません」
だから、居てください。其処に在ってくださいと、声に出さずに想う。
「何さ、楽しそうに」
「楽しそうですか?」
兄の言葉に首を傾げると、笑っていたよと、微苦笑を返されてしまった。
思わず、頬を押さえてしまう。自分で解る筈も無い。マリアは小さく首を横に振って気分を切り替える事にした。
「いえ、何でもありません。―――それよりお兄様。”読まれていた”とは?」
「ん? ああ―――」
言葉を返しながら、凛音の視線は透過装甲の向こう―――突然光量の落ちた外の景色へと向いた。
焼け爛れ抉れた、天井と地面。高度な技術の蓄積のみが成せるであろう、地下巨大人工構造体。
広いホール。神殿とも倉庫とも思わせる、”広い”と言うそれだけで人に畏敬を覚えさせるほどの広大な空間。
その殆どは闇に染まり、外壁部近くにあるのであろう、亜法機関より伝わる振動音と、それが発するエナの燐光が、僅かに空間を照らすのみだ。
一際巨大な装置。―――一際光り輝く場所に。
「聖機神……」
「鉄屑が、見違えるじゃないか」
ひび割れ、腹を抉られ、足をもぎ取られて地に崩れ落ちていた筈の、先史文明の遺産。
全ての聖機人の原型になった存在と言われているそれが、神と渾名されていた時代そのままの姿を、取り戻していた。
「あの特徴的なデザインの腕、全部が連結した重力リングなんだろうなぁ」
「みたい、ですね。両椀部を構成する全パーツが、それぞれ独立して結界炉を搭載しているみたいです」
外と手元のモニターの間で目を行ったり来たりとさせながら、マリアは兄の言葉に応じた。
「さっすが、対ガイア専用にレギュレーションを無視しまくっているだけあるね」
「れぎゅれ……え?」
耳慣れぬ言葉に戸惑う妹に、兄は皮肉気な口調で返す。
「あの機体はさ、ショーマッチのために作られた他の聖機神と違って、世界を滅ぼす悪魔を滅ぼし返す、ただそれだけのために当時最高の技術を結集して作られた機体なんだ。そうであるなら、ルールに記されたショーマッチ用の機体と違って、その能力には何一つ制限が無いんだ。―――例えば、稼動限界が定められていない、とかね」
「背部についている巨大な粒子加速器なんかも……」
光源の元に佇む漆黒に染まった聖機人の背中に装備されている、巨大なリングと、その内部に循環している高密度のエナを示すモニターの情報に脅威を覚えて、マリアは言う。
「あのデカい図体で高機動って感じかな。”お客様には見えない”ような加速で。中の人が耐えられるのかね」
重力キャンセラーでも積んでいるのだろうかと、半ば呆れ口調で凛音は吐き捨てる。
『耐えられる筈も無い。折角の稼動限界の破棄も、肉体の限界の壁は超えられなかったのだからな。―――ネイザイ・ワンはそれが原因で落ちたのだ』
空間を満たす闇よりも尚、重苦しい気配を感じさせる、姿なき声。
「これ、は―――」
外部センサーをチェックしながら、マリアが震える声でその出所を探る。凛音は背後から妹の肩が震えるのを見て、眉根を寄せた。
「だがアンタもその時に相打たれた。無様に血反吐を吐きながら稼動限界を迎えたんだろう?」
『その通りだ。そして今や、肉体を失い他者の身体を移ろいゆく日々』
笑みを浮かべているのだろう、あの厳つい顔で。いつか見たその男の顔を思い浮かべて、凛音は吐き捨てる。
「今回が初めての転生だろうに、何を偉そうに」
『そうだな……』
喜悦に歪んでいた姿なき気配が、揺れた。
戸惑いでもなく、恐れであるはずが無い。
それは、怒り。
『遂に二度目となるべきそれを前に―――貴様は、招かれざる客だ』
怒りに、声を震わせた。
「―――お兄様」
会話に圧倒されて言葉を漏らす事を控えていたマリアが、縋るような声で兄に尋ねる。
「あんな厳ついオッサンがさ、若い女の身体を狙ってたりした訳だよ。―――いや本当に、阻止できて良かった」
「若い女って―――……まさかっ!」
言葉の意味する所に気付き、マリアは聖機神の腹部―――其処にある、コントロールコアを凝視する。
その奥には、現存する先史文明最後の人造人間が、操られた姿で在る筈だった。
「そういう意味だと間に合ってよかったよな。―――身体乗っ取られた後だったら、剣士殿が何を思うか」
『剣士―――柾木剣士か。異世界の聖機師の姿が無いな』
対して驚いても居ない口調で、ガイアが口を挟む。
完全防護されている筈の龍機人のコントロールコア内の会話を、一体どうやって聞き取っているかに些かの戦慄を覚えつつも、凛音は余裕の態度を崩さずに応じる。
「いやだなぁ、宰相”陛下”。事態が此処まで進んでしまったのですから、もう、主役とヒロイン、そして敵役以外の配役なんて必要ないでしょう?」
「あの、お兄様。メザイア先生が……」
ヒロイン扱いされるのもどうかなぁと思って口を挟んでしまう妹に、兄は楽しそうに笑って返す。
「あの人、もう扱い的には便利アイテムみたいなものだから。意識失わせて、操縦席に括りつけているだけだよ、きっと」
『良く見る。―――あの愚かな倅とは、器が違う』
喉を鳴らしたような哂いと共に言われた言葉に、凛音は瞬きした。
「アンタが、あの倅の事を話題に出すなんてな」
『無知であるが故の馬鹿踊り―――酒の肴にもならない物だったが、まぁ、復活を待つ間の無聊の慰め程度の役目は果たしていた。とんだつまらぬ喜劇の演者だったが、其処だけは、褒めてやっても良い』
「報われないなぁ、彼も」
「それ、お兄様だけには言われたくないと思いますよ……」
前から思っていたのだが、実はこの二人気が合うんじゃないだろうかと、どうでも良い会話を繰り広げる兄と敵の首魁の関係を思い、マリアは額に汗を垂らしてしまった。
いや、妙な気分になっている訳ではないと、マリアは大きく首を横に振って状況の整理に入る。
結界工房から、聖地大地下深度、聖機神ガイアが立て篭もる遺跡の中に一直線に転位してきた。
尚、転位座標の特定にはガイア側が散々使用してきた転位装置の発する座標を使用している。
故に、都合よく敵の真正面に登場して―――そして、出会い頭の一発を放たれた。
それを、女神の翼で防いで―――そして、遠くのには聖機神の姿が。
巨大な盾を思わせる、ガイアのコアユニットを片手で突き出し龍機人に向けて構えている。あれから放たれる光線の一撃によって、こちらを撃ったのだろう。
そして、凛音とマリアの会話にガイアが介入してきて―――しかし。
「ガイアは、ババルン・メストは何処に……?」
居ない。
どれだけモニターと睨めっこしても、或いは装甲越しに周囲の様子に目を細めてみても、生体反応の欠片一つ見つからない。
ガイアの聖機師、その憑依体ともいえるババルン・メストの姿は何処にもなかった。
「居るだろ、目の前に」
マリアの疑問に答えたのは、気楽な態度を崩さない兄の言葉だ。
「目の、前……いえ、しかし。聖機神に乗っているのはメザイア先生なのですよね? まさか、こちらと同じ複座……!?」
「まぁ、似たようなものかなぁ」
予想外の事実の判明かと思い目を見開く妹に、凛音は微苦笑交じりに応じる。
『ほぉ、良く見るな』
ババルンのものとしか思えない、姿の見えない存在からの笑い声が被さった。
「そりゃあね、”目”が良いのさ、僕は。―――お陰で昔から苦労してきたんだけど……」
役に立つ時は役に立つ。
背後から感じる凛音の気配が、いつの間にか隙の無い、引き締まったものへと変化していた事に、マリアは気付く。
「さっき言っただろ? メザイア・フランは操縦席に括りつけられているだけだって。つまり、アレの機動は別の存在の意識で行われている。だが知っての通り、ババルン・メストは聖機師ではない。聖機神の操縦は出来ない。―――ならば、別の方法で、機体を操る方法を見つけ出せば……」
『良く見る』
地の底から轟くような、声。
侮蔑と嘲笑、純粋な歓喜と共に。
ぞわり、と。
漆黒の聖機神が捧げ持つ、尚黒いガイアのコアユニットから滲み出るように、厳つい男の姿が。
「―――ババルン・メスト……っ!?」
「有機体を粒子変換して、機体と統合する、か。―――そうだな。エナの粒子変換を用いた転位装置の存在に気付いているんだから、完全にアストラルを保存したままでの自身の粒子かなんて、お前が気付かない筈が無い。元々お前は造られた存在なんだ。むしろ、粒子―――ただのデータとしての姿の方が、馴染みが良いのだろう」
完全に化け物を見る目つきで、凛音ははっきりと言い切った。
『ハッハッハッハッハッハ、そうだな。最早小さなコアクリスタルこそが私の本質だ。この強靭なる聖機神こそが私の身体だ! 弱く、そして脆い人間の身体になど、何の未練があろうか。最早私はガイアと完全なる合一を果たした! 昔年の如き失態を犯す事は無いぞ! 永遠の時間と、無限の力を以ってして、世界の全てを破壊してやろう!!』
ババルンは、ガイアは吼える。狂相に染まった瞳で。
「―――そう、かよっ!」
「お兄様!?」
凛音は躊躇う事無く龍機人の腕をババルンへと向け、トリガーを引き絞った。
前腕部、手首の位置に備わった砲口から、結界炉と直結した超過速力で以って圧縮弾が解き放たれる。
ガイアのコアユニットに佇み哂うババルンへ、弾丸は瞬時に到達し―――そして、想像していた通りの結果に、凛音は舌打した。
「なに、あれは―――」
おぞましいと言う他無い光景に、マリアは引き攣ったように声を漏らす。
ぐにゃりと、弾丸が通り抜けた上半身が溶け落ちて、ついで、映像を逆再生するかのごとく、再びババルンの姿を再構築したのだ。
『ハッハッハッハッハッハッハ、ハァーッハッハッハッハッハァァッ!!』
一瞬見えた、千切れた胴体の内部は、しかし内臓も血も体液の一滴すら、見る事はかなわなかった。
金属質のような、ケロイド状の―――それを、人間を構成する要素と呼ぶには、余りにも無理がある。
そして、哂いながら身体の構成を崩して、再び、ガイアのコアユニットに溶け沈んでいく。
「私、人間やめましたってヤツだな―――マリア、突っ込むぞ!」
「え? ―――は、はいっ!」
流れるような兄の言葉に、マリアは慌てて状況を理解した。
撃って、撃ち返して。
―――そう、最早戦闘は始まっているのだから。
「接近して装甲の隙間を狙う。関節ぶち抜いて動きを止めて、―――まずはメザイアを引っ張り上げる!」
「畏まりました。亜法機関同期連結―――最大出力!」
大蛇の如き尾で地を叩き、跳ねるように、跳ぶが如く、龍機人は空を泳ぐ。
かくして、聖地での二度目の―――そして、最後の決戦が始まった。
※ ガイアさんのスーパーハイテンションの台詞を書くのは、毎回大変です。